1 旅のはじまり
細い田舎道からきれいに整備された街道に出る頃には、日は翳り始めていた。あれから季節は進んで随分日は長くなったと思っていたのに、それでも容易でない道のりに、自分が住んでいた集落がいかに辺境だったかを改めて思い知らされる。
時間帯のせいか、街道へ出ても人通りはほとんどなかった。重そうな荷物を乗せた馬車が一台、先を急ぐ様子ですれ違っていった。街と街を繋いでいる街道だが、この辺りは山がちで近くには大きな街がない。そのため夕闇迫るこんな時間に行き交う者たちは皆、夜になるまでに次の街へ着こうと急ぎ足で過ぎていくのだ。
周りに人影がいないことを確認してから、ユウリは顔のほとんどを覆っている布をわずかに避け、そっと息をついた。懐から取り出したのは、小さく折りたたまれた地図。その昔、祖父が都へ行くときに使ったという代物なのでかなり古いが、紙質はしっかりしていてまだ使用に耐えている。少しだけ広げて、現在地と今夜までにたどり着きたいと思っていた街の位置を確認する。しかし今日ここまで進んできた道のりを思えば、着くことは明らかに不可能だ。せめて途中に宿場があればいいのだが、地図を見る限り期待はできそうにない。そうなると今夜は野営にするか、夜通し歩いて踏破するしかない。一人旅でもあるし、荷も限られているので野営はできれば選びたくない。己の計画の甘さにうんざりしながら、ユウリは一晩歩き通す覚悟を決め、再び歩を進めはじめた。
ユウリが目指す街は峠を越えたところにある。ここからはしばらく蛇行した登り坂が続く。オレンジに染まる空は進むごとに両脇の木々に遮られてどんどん狭くなる。馬車が二台すれ違うのに十分な幅があるものの、人の気配は感じられない。反対に、茂みの中に紛れている野生動物たちの気配が濃厚になる。この辺りにはまだ人を襲うような猛獣は出てこないだろうが、念のため用心しながら進む。布の間から目を光らせ、後方の気配は聴覚を頼りに探る。
体力には自信があったユウリだが、ただひたすら歩き続けるというのはなかなか骨が折れるものだった。田園と草原ばかりだった風景は今や鬱蒼と茂る木々へと変貌しているものの、一定の風景が延々続くという点では変わりがない。カーブが多くて見通しが効かない分、神経は過敏になっている。
グゥエ……という聞き慣れない不気味な鳴き声を聞いたのは、わずかに見える空も群青に染まった頃だった。はじめ、それは山へ帰ってきたカラスのものと思った。それにしては変な鳴き方だ。中にはこんな鳴くのが下手なカラスもいるのだろうか。
それとも、何か別の鳥だろうか。そう思ってふと見上げた瞬間。
「うわっ!?」
真上から落下してきた何かがドッ、と肩辺りにぶつかってきた。慌てて避けようとしたが避けきれず、ユウリは後方に数歩よろけた。落下してきたと思ったのは巨大な鳥で、垂直降下で襲ってきたのだ。ひとたび飛翔した鳥は諦めることなく再び向かってくる。それを見てとったユウリは懐から己の得物を抜いて迎えうつ。それは刃先の反った短刀。重厚な鋼製で重い一撃を喰らわせる。上から襲ってくる鳥の方へ突き上げるように斬り裂く。しかし刃の重さが逆にあだとなり、致命傷は与えることができない。相手も傷が浅かったためか懲りずに向かってくる。額に脂汗が浮き、まずい、と感じ始めた頃。
ギャ、という短い鳴き声と共にドサァ、とその巨体が地面を滑り、倒れて動かなくなった。一瞬の出来事で、一体何が起きたのかわからない。なぜ急に巨鳥はくたばったのか。そもそも本当にくたばっているのか。恐る恐る鳥に近づいて確認しようとすると。
「多分急所突いたからもう動かないと思うけど、ちょっと下がっててくれる?」
いきなり背後から声がしたので、ユウリは驚いて振り返った。鳥の存在に気をとられていたとはいえ、それまで全く気配を感じなかった。暗い道の先から余裕の態度で歩いてきたのは、髪を後ろで束ねた、おそらくは女性。手には短弓が握られている。
「やぁ。間に合ってよかったよ」
笑って話しかけてくるその人をどう捉えたらいいかわからず、ユウリはただ立ち尽くしてしまった。