廃棄物(中編)
頭部に襲い掛かる常識離れした馬鹿力を耐えながら、はるか後方に吹き飛ばされて。
その片腕の拘束から何とか抜け出そうとナルアは必死に藻掻くが、一向に抜け出せる気配はなかった。
吸血鬼は決して肉体の劣っている種族ではない。
吸血鬼が限りなく最上位に近い上位種族として認知され、多くの種族達から恐れられているのは魔力が優れているからだけではない。
確かに、吸血鬼は膨大な魔力と特異な固有魔法を有している。
だがその程度で最上に近いとは語られない。
もしその程度の能力で入れるなら、多種多様な魔法特化種族も最上位種族というくくりとなるだろう。
吸血鬼が強い種族だと知れ渡っているのは魔法種族並に優れた魔法能力を有しているからではない。
優れた魔法能力を持ちながら、同時に他種族を圧倒する程に優れる肉体を持っているからである。
種族的特徴を最大限生かす優れた特異魔法にそれを活用出来る膨大な魔力。
戦闘能力の高い肉体に驚異的な再生能力。
独自文明を生み出す程優れた知性、社交性。
そして理性的な性格を有しながら圧倒的長寿である事。
その全てを持ち合わせる万能性ならばこそ、吸血鬼は限りなく至上に近い種族であるとされていた。
そう、吸血鬼の力が強いなんて事は常識とされる程に知れ渡っている。
ただでさえ巨人種を片腕で投げられる様な馬鹿げた腕力をしているのに、暴力的な魔力で肉体強化まで行える。
もちろん、高位吸血鬼であるナルアも出来て当然の事である。
そのナルアが、身体強化しておきながら片腕を外せないどころか何も出来ずに吹き飛ばされいるというのははっきり言って異常としか言いようがなかった。
何とか立ち止まろうと足に力を入れ踏みとどまろうとする。
両腕で相手の片腕を掴み外そうとする。
相手を止めようと血液魔法を強化だけでなく足止めにも活用して……、その上で、為す術なくやられている。
その位相手は異常であった。
数百メートル程飛ばされ、背後の民家に激突するも止まる事はなく、壁を破壊し家の中に入り、再び壁を壊し家の外。
住民が避難し誰もいない町に、まるで爆弾がそこらへんで炸裂している様な、そんな破壊音と土煙が上がり続けた。
頭蓋骨が何度も砕けながら再生を繰り返すも再生が追い付かず、瞳から血が零れ堕ちる。
体がバラバラになるような激痛を堪えながら何度も肉体を戻し、耐え続ける。
痛みの中でも、ナルアは思考を決して止めない。
彼女の気高さが痛みに負ける事を良しとせず、どの様な姿になろうとも諦める事を是としなかった。
たった一つだが、好転した事もある。
相当吹き飛ばされたおかげでターゲットであるはずのヴィラから離れられた事。
彼が殺されたらマリアベルは暴走するし、彼が拉致されたらマリアベルは裏切る。
彼は間違いなく、このクロノアークの急所であった。
だから、侵入者の狙いが自分に来た事は、本当にありがたい事だった。
だからこそ逆に、何故ヴィラを確保するチャンスを持ちながらそれをあっさり捨てナルアを攻撃しているのかはなはだ疑問であったが。
まだ、まだ壊れないのか。
彼女は怒りと憎しみを込めながら、全力で敵の頭を握り壁に叩き続ける。
普通の奴ならとっととくたばっている。
自分が握って殺せない相手なんてこれまでいなかった。
だというのに……。
「しぶとい……」
つい、口から憎しみと共に言葉が零れた。
その言葉の為だろうか。
掴んでいる己の腕で隠れ、相手の目を含めた顔の上半分は全く見えない。
だけど女は確かに笑っていた。
口元だけでわかる程露骨に、ニヤリと底意地悪く。
彼女はその意図を正しく理解する。
こいつは、頭を潰されようとしている雑魚の癖に、馬鹿にしてきやがったと――。
彼女は、常に憎しみに支配されている。
そんな彼女の心は赤を越え、一瞬で真っ白になった。
精神耐性など欠片もなく怒りの衝動に耐える事など出来ない。
いや、そもそも彼女の中には耐えるなんて発想最初からない。
馬鹿にされたという事実だけで瞬時に沸点を越え、咆哮をあげ、彼女を地面に叩きつけた。
馬鹿馬鹿しい程に派手な轟音と共にクレーターが生じるが、まだ彼女の怒りは収まらない。
そのまま腕に力を籠め、大地と手の平で頭部を渾身の力でサンドイッチにしようとした。
憎しみを、怒りを、絶望を力に変えて。
彼女が本当に憎んでいるのは、クロノアークでもなければクロスでもない。
彼女が憎んでいるのはこの世界そのもの。
この世界そのものが、彼女にとっての敵だった。
土煙の中、彼女は静かに自分の手の平を見つめた。
何の手応えもなかった、その手の平を。
「お前……何をした?」
叩き潰したはずだった。
頭蓋骨を砕き、脳髄をぶちまけるはずだった。
そのはずなのに……。
少し離れた場所に立ち、ナルアは優雅かつ不遜な態度で微笑を浮かべる。
頭が潰れるどころか、完全なる五体満足の姿で。
「別に何も?」
そう言って、瞳から血を拭う。
すっかり血は止まっていた。
「まあどうでも良いわ。どうせ殺すだけだし」
彼女は怒りの形相となり、爪をむき出しにしこちらを腕を突き出して来た。
魔法で障壁を貼るがまるで紙かの様にあっさりと破れる。
爪に触れた瞬間、単なる腕力で多重構造の障壁が纏めて裂かれていた。
――これだからドラゴンは……。
不条理過ぎる力を苦々しく思いながら、ナルアは後ろに避ける。
ナルアは見かけこそ平然としているが正直余力はほとんど残っていない
ナルアは戦う前の現段階で、再生に体力と魔力を使い過ぎて疲労困憊に近い状態だった。
とは言え、絶望的と呼ぶ程の苦境でもない。
勝ちの目が見えていないものの、状況を打開するだけならまだ可能性は十分残っていた。
ナルアは持ち前の理性で痛みの中でも思考を途切れさせず、相手を把握しようと情報を整理していく。
既にこの段階で、大きな二つの情報を手にしていた。
一つは、相手がドラゴンであるという事。
その魔力と純粋たる力はドラゴンの何よりの証左であると言えるだろう。
またその腕力はフィナに劣る程度の物であった。
フィナに劣る。
この言葉は弱いという意味ではなく、むしろ全く逆である。
フィナはドラゴンの中で最も力に秀でている。
単純な筋力、腕力という意味ならば最優であろうメルクリウスにさえ勝る位に。
だから、比べる対象がフィナという事はそのまま五龍相当の力を秘めている事と同意義となる。
最低でも、国家が全力をあげて打ち倒す戦略兵器相当。
最悪の場合だと、メルクリウスクラスの化物という事になるだろう。
そしてもう一つの情報。
相手は腕力が五龍相当であるにも関わらず、戦闘があまりにも拙かった。
それは技術で劣っているという意味ではない。
元々ドラゴンの強さは技術とは関係がないからだ。
この場合の拙いというのは、力を使い慣れていないとかドラゴンとして未熟とかそういった意味合いとなる。
実戦経験が浅いか、赤子の様に未熟か、これまで戦闘と関係のないところで育って来たか。
何かわからないが、普通のドラゴンとしての生ではない事だけは間違いないだろう。
なにせこの相手は、天敵に等しい吸血鬼の生態をまるで知らない様子なのだから。
あれだけしっかりとナルアを掴み、確実に殺す程のチャンスを得ながら、あっさり取りこぼした。
コウモリになる事も霧になる事も、何なら再生能力が高く魔法が得意である事さえ知らない風に見える。
いやそれ以前に、『天敵である吸血鬼を知らない』可能性さえあった。
五龍相当の力を持ちながら、実戦経験が乏しく、生きる上で必須となる知識が皆無。
それは通常あり得ないと言える。
あのフィナでさえ、パルスピカと合流するまでに同格のドラゴンとも、天敵の吸血鬼とも、何度も闘争を味わっている。
格下に至っては言わずもがなだ。
その経験がないのに、ただ力だけ高い。
極めて異質で異常で、不気味ささえ感じる位だった。
振り乱す爪を避ける度に、ナルアの中にある疑惑はどんどん大きくなっていく。
相手の方が格が上なのに、こんなにあっさり避け続けられている。
流石にこの状況はおかしい以外に表現出来そうになかった。
本来、ドラゴンという物は戦いを楽しむ様に出来ている。
それは抗えぬドラゴンの本能であり、ドラゴンのレゾンデートルでもある。
だというのに目の前の彼女は楽しんでも愉しんでもいない。
ただた苦しそうに辛そうに、そして憎々しそうに爪を振るっていた。
だから、彼女の爪は怖くなかった。
本来、ドラゴンとは己の誇りを相手に見せる事を好む。
わかりやすく言えば、種族単位で自慢したがりなのがドラゴンである。
俺はこんなに強いんだ、俺の〇〇はこんなに最強なんだ。
そんなまるで子供みたいな気持ちで戦いを愛し続ける、自分を愛し続ける。
なのに、彼女の爪からは彼女の愛を、誇りを感じない。
色々な意味でドラゴンらしくなかった。
ただ、だからと言って一方的に有利と言う訳でもない。
確かに爪の攻撃は誇りがなく、ドラゴンらしくなく、恐ろしくない。
だが一度当たったら全てを持っていく位の腕力を持っているから油断も出来ない。
この余裕で回避出来る状況でようやく五分だった。
――これだからドラゴンは……。
脳内で何度目かの愚痴を吐いた後、ナルアは時間稼ぎと同時に情報を取り出そうと相手へのアプローチを考える。
この場合、何を口にしたら相手は最も情報を吐き出してくれるか。
正直に答えなくとも、態度や対応で情報を引き出せる言葉が望ましいだろう。
また、相手は何でもない一言であっても激怒する瞬間沸騰状態でもある。
怒らせるのも間違いとは言えないが、今の状況は比較的都合が良いから下手に怒らせない方が良いだろう。
だから相手を怒らせないで、尚且つ未知なる相手の情報を得る為に何かを尋ねるなら……。
「ところで侵入者さん。貴女のお名前は何でしょうか?」
無難に、ナルアは名前を尋ねる事にした。
ドラゴンとは本来立ち会う前に名乗り合い、それから正々堂々と戦う。
だから名乗る事を嫌うドラゴンはいないしそのついでに特技や誇りを自慢するドラゴンも少なくない。
情報を得るという意味で理想の問いと言えるだろう。
そう、ナルアの選択は一般的なドラゴン対策としては決して間違ってはいない。
ただし、彼女にとっては致命的な問いであった。
「私に…私に名前などない! この世界に、私の居場所なんて……居場所なんてえええええええええ!」
叫びながら突っ込んで来る彼女の目には、涙が浮かんでいた。
まるで消えたかの様に見える異常な速度にナルアは回避しきれず、拳をダイレクトに顔面に喰らう。
思いっ切り吹き飛ばされてから、自分の失敗を認識した。
無難な選択肢であったはずなのに、相手は嘆きと激昂から全力以上の力を引き出してしまった。
そしてついでに五龍相当の実力を持ちながら『名無し』なんて新しい謎さえも生み出さしてしまって、ナルアは消えそうな意識を繋ぎ留めながら、多大に後悔を抱えた。
ありがとうございました。




