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追放されなかった男~二度目の人生は土下座から始まりました~  作者: あらまき
二度目の元勇者、三度目の元魔王

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古き伝承の再来


 部屋に集まった機人達から、クロスはその説明を受けた。

 今この会議室で行われているのはアリスとクロス達の殺し合い。

 この世界と天使との戦争についての協議であると。


 最終的な目的はどうするのか。

 どこまでやるつもりなのか。

 そして……その戦争にどの様なルールを作るべきなのか。


 種が絶滅しない様に、だけど一方に肩入れしない様、平等に戦争犯罪を定めよう。

 そういう建前の元、アリスは会話をしていたらしい。


 ここはそういう場になっているのだと、今更にクロスは聞かされる。

 本当に今更である。

 今日で会議は五日目に突入したそうだ。




 話を聞いた時点で、クロスは二つの重大な事実に気が付いた。


 一つは、この話し合いは平和協議なんて優しい物ではなく『もう一つの戦争』であるという事。

 アリスが平等とか対等とか、ましてや平和の為に動く訳がない。

 アリスが動く時は何時だって自分が勝利する為、自分の生存権を確保する為。

 そもそも本気で平和協定なんて考えていたのだとしたら、先に話を進めずこちら陣営も会議に混ぜる。

 それさえせず勝手に話を進めていた以上、その目論見は考える必要さえない程露骨だった。


 この協議によって、これから戦争の形は大きく変わるだろう。

 つまり、クロスはこれからアリスに有利過ぎる状況にならない様に話を進めないといけないという事である。


 もう一つは……自分は『罠にかかった』という事。

 クロスがこのタイミングで来た事は完全に偶然である。

 クロスは機人集落に向かう計画さえ立てられていなかった。


 だが、アリスはクロスが来る事を予測していた。

 クロス自身でさえ考えていなかったこの状況を『あいつならやる』と信じていた。

 その上で、この状況を作り出した。


 今から始まるのは、国家の代表同士の話し合い……という名前の戦争である。

 化かし合い騙し合い策略謀略だらけの話し合いなんてクロスに出来る訳がない。

 つまり、引きずり出されたのだ。

 この……クロスが最も『苦手な戦場』に。


「さあ、クリーンに、平和にお話をしましょう。人魔統一皇帝、賢王クロス様」

 ニヤリと邪悪に笑いながら、アリスはクロスにそう告げた。

 何日も早く到着し、クロスが来るまでに機人相手に一方的に話術で勝って、相当有利な状況を作っておきながら――。

「いやちょっと待って。その前に、何その人魔統一皇帝で、けん……王?」

 聞き覚えのない単語にクロスは顔を顰めた。

「ああ、あんた知らないんだっけ。バッカニアに戻ってみ。あんたの立場そんな感じの名前になってるから」

「な、何故にホワイ!?」

「プロパガンダとかの一種でしょ。あとあんたのシンパ」

「まじかよ。そしてバッカニア内の事を俺よりアリスの方が知っているという状況は流石の俺でも危機感抱くんだけど」

「あっそ。でもそんな事知らないわよ。それよりさっさと席に着きなさい。楽しい楽しいルール決めの時間なんだから」

 ニヤニヤとしたアリスの笑みが目立つ。

 とは言えその気持ちは痛い程理解出来る。


 なにしろ暴力を失くしたこの社交界的戦争の場でおいて、クロスという英雄は単なる馬鹿でしかない。

 外付け政治能力のエリーとか、外付け魔王アウラ様とか、そういう物がいないクロスは狼の群れに投げ込まれた羊でしかなかった。

「せめて乱暴な羊になれる様に頑張るか」

「めーめー言ってないでハリーハリー」

「めー」

 クロスは開いた席に適当に座った。




 クロスが転移してから一週間程経過したが、未だ戻って来る気配はない。

 とは言え、その事を気にしている余裕は今のバッカニアにはなかった。


 地上はまるで地下から人が戻ってきたかのように賑やかになっていた。

 ただし、怒声と叫び声と、戦闘の音のみだが。

「第二部隊撤退! 救援を求む!」

「こっちが先だ! レティシア様の顔色が悪い! 誰か変わってくれ!」

「こっちは薬をよこせ! それさえあればまだ戦ってやる!」

「メルクリウス様が負傷した! 最優先でこっちの援護増やせ! 抜かれるぞ!」

 怒声と罵声の中、誰かの走る音と物を運ぶ音だけが響き続ける。


 クロスがいなくなった直後から、突然天使の猛攻撃が始まった。

 これまでとはまるで比べ物にならない、四六時中昼夜問わずの大軍勢による猛攻撃が。


 何かを狙っている訳ではなく、ただ純粋に力任せの物量作戦。

 何も考えず突っ込んで来続けるだけ。

 第一陣とか二陣とかではなく、常に下級天使の大軍が四方から攻め続けていた。

 それは完全に、消耗戦を狙った動きだった。


 正直理由はわからない。

 どうしていきなりそんな方針にしたのか、物量作戦は確かに有利かもしれないがそれなら外征部隊が外に居る内にやった方が良かっただろう。

 わからないが、資源が有限なこちらとしても苦しい展開である事に間違いはなく、こちらの物資や兵がガリガリと消耗している事だけは確かだった。

 バッカニア内はクロノスの結果があり、原始的治療行為なら誰にも負けない精霊のエリーとシアに加え、ソフィアとアリアという神聖魔法使いの治癒が加わった事により幸い死者だけは出ていない。

 だが、死者さえ蘇る程と言われた神聖魔法使いのソフィアをもってしても戦場からリタイアする者が出る程過酷な状況だった。


 あらゆる手段を持って、あらゆる戦力を持って来て、それで何とかなっているがどんどんと物資が、戦力が減っていく。

 先の見えない消耗戦という最悪の日々は一切の休みを与えず、バッカニア内皆の肉体と精神両方を消耗させていった。




 一時間前、魔力を限界まで消耗したメディールは地下にて休憩時間を過ごしていた。

 戦闘は明らかに激化している。

 それも『戦争』という方面で。


 自分達は間違いなく一騎当千の、いや万を超える化物集団である。

 上級ならともかく下級天使如きに遅れは取らない。

 だけど、物量にはどうしようもない。

 これでも色々とと()()()()にてメディは無限に等しい魔力を持っているなんて自負があったから、この休まないといけない状況はプライドを傷つけられていた。


 地下避難地区、数十体を収納出来るフロアの一つ。

 メディは先に避難していた住民と共に部屋の隅で小さくなっていた。

 他に幾らでも部屋はあったしメディの様な場合は専用の個室も用意されている。

 だが度重なる激戦で休憩場所の連絡も取れなければ案内員も見つからず、どこで休むか悩む時間さえなくなってメディは自主的にこちらに来た。

 メディクラスにがまともに休憩する事さえ出来ないというのが、メイドを付ける事さえ出来ないというのが今の状況だった。


 とは言えメディはまだ良い。

 本当に不味いのはメディやレティシアの様な魔法組ではなく、メルクリウスの様な純粋な物理組の方。

 彼らに撤退の目安がなく、またプライドが高い為相当以上の無茶を重ねている。

 どこかで壊れるんじゃないかと心配する位に。


 ――早く戻らないと。

 焦りを覚えながら、メディは目を閉じ呼吸を整える。


 地下収容施設は安全となる様相当深くに造られている。

 だというのに、戦闘による余波の振動で天井が小さく震えていた。


「な、なあ。あんた……」

 メディは話しかけられている事がわかっても、無視をする。

 こういう場で何を言われるのか大体予測が付くからだ。

 そしてそれは概ね碌な事じゃあない。


 昔の自分達だったら、内容次第で報復していただろう。

 もっと戦ってくれとか、俺達の被害を補填しろとか。

 最悪の場合、お前達の所為で地下暮らしだからその詫びとして体を使わせろか。


 どうせそんなんだから、相手の為に無視をする。

 そんなのに構っていられないというのもあるが、みだりに市民に手を出してクロスを悲しませたくないから。


「なあ、あんた!」

 だが、思ったよりもその男はしつこかった。

 メディは目を開け、睨む様に、男を見た。

「何?」

 男はびくんと体を震わせる。


 この避難エリアにいるのは大人十四に子供が三。

 その全員が、メディの方に目を向けていた。


「きゅ、休憩中すまん」

「戦えと言われてもすぐには無理よ? それとも何か手伝って欲しい事?」

「い、いやそうじゃない! 俺が! 何か手伝える事ないか聞きたいんだ!」

「……は?」

「あんたの事は知ってる! というかあんたらだな。お、俺人間なんだよ。本来の意味で。だからあんたらの伝説をじいさんから聞いてるから……だから……」

「だから?」

「手伝える事があるなら言ってくれ! 多少の無理でも頑張る! か、壁にだってなっても良い! 命を賭ける覚悟もある!」

 メディは予想外の答えに少しだけ驚くが、平然と取り繕う。


 こういう場において、一つ大原則がある。

 早々に地下に送られた奴は、絶対役に立たない。


 普段から戦ってない奴がいざという時何が出来るというのか。

 そもそも壁というが天使達の火力で壁に成れるのなんてのはそれこそ一握りだ。


「気持ちだけで良いわ」

「そ、そうか。……そうだよな……。すまん。せっかくの休みに無駄にして。こ、これ飲んでくれ!」

 そう言って、男はせめてと水筒をメディに手渡した。

「要らないわ。でも……そうね。一つだけ教えて。どうしてそこまで戦いたいの?」

「え?」

「教えて欲しいの。貴方普段は戦いどころか肉体作業さえしてないでしょ?」

「あ、ああ……。その通りだ」

「それなのに、どうしてそんなに戦いたいの?」

 男は少し考えるそぶりを見せた後、じっとメディを見ながら答えた。

「ふ、不安なんだ。……怖いからだ」

「怖い? 死ぬのが怖いなら戦わなきゃいいでしょ?」

「そうじゃない。死ぬ事も怖いが……それ以上に、家族が死ぬのが怖いんだ」

 男の言葉の後、女性と子供が男の傍に寄る。


 男は静かに、子供を抱きかかえた。

 年頃で言えば四歳か五歳位だろう。

 まんまるで肉付きが良く、手足がぷにぷにしていて、メディの心がほわっとする位には可愛らしかった。


「地上が不味いってのは流石にわかるあんたらの顔色も悪いし皆忙しない。ヤバいのかもしれん。それでも……せめてこいつらだけでも守りたい。だから……だから……」

「それ以上は止めなさい。向いてないわ」

「わかってる! だけど……」

「そうじゃないわよ。この子が怯えてる。子供は聡いわよ? あんたの無意味な自決覚悟に気付く位に。子供の前で強がって笑えない程度の覚悟で何が出来るのよ。父親が子供にそんな顔をさせるな」

 男は子供の顔を見て――そして、涙を零した。


 それは悲しみと嘆きと、そして諦めが混じった表情。

 子供の為に戦う決意を捨て、子供の為に戦わない事を選択した表情だと、メディは理解した。


「すまない……すまない……俺は……俺は……」

「そうね。一つだけ……お願いしても良いかしら?」

「な、何かあるのか? 俺に出来る事が」

「貴方にしか、貴方達にしか出来ない事よ」

「そ、それは……」

「えっと……その……その子、抱かせて貰えないかしら? 私、子供が好きなの」

 子供が好き。

 それは、いつも恐れられていて、そして人間から距離を取っていたメディにとってはとても大きな勇気の一言だった。


 もじもじとしたメディの表情を見て、夫婦は顔を見合う。

 そして、笑顔になって、静かに子供を預けに来た。


「ど、どうやって抱いたら良いの?」

「首の座ってない赤ちゃんじゃないんですから。適当で大丈夫ですよ」

 母親は微笑みながらそうメディに伝えた。

「そ、そうなのね。じゃ、ちょっとごめんね僕」

 メディは差し出される手を取り、子供を抱く。


 子供はきょとんとした顔をした後、強張った顔を見せた。

「こ、これは……抱き方が下手だった!?」

 メディの挙動不審具合に母親はくすりと微笑んだ。

「緊張してるだけです。人見知りもあるけど、メディール様は美人ですから」

「そ、そうなの。だったら良いわ。……ありがとう。大分やる気が出たわ」

 そう言って、メディは子供を本来居るべき場所、父親の腕の中に返した。


「……やる事ちゃんとあるじゃない。貴方にも。父親なんて大役あるのに変な事しようとしないで頂戴ね。そういうのは、私の仕事だから」

 メディはそう答え、部屋の外に出ようとした。

「ど、どうしたのですか!?」

「休憩は終わり。素敵な未来に元気を貰ったからね」

 そう言って微笑んで、メディは部屋の外に出る。


 妻が居て、夫が居て、子供がいる。

 なんて素敵なんだろうか。

 家族なんて居た事がないからこそ、尚わかる。

 そして、そんな家族を羨む事はあれど妬む事がない自分がどれだけ幸運かも、メディはわかっていた。


 クロスがいる、パルスピカやアリアがいる。

 あといなくても良いしムカつくけど一応他の嫁ーズも。


 だから、それは未来だった。

 何時の日か自分の子供もその手に抱きたい。

 そう思いながら、エレベーターで地上に出て、バッカニアの出入り口に到着し、戦いの場に赴こうと――。


「ご、ごめんなさい! ミスしてしまって……」

 幸せな気持ちのまま、家族愛を燃やしていたメディは、それを見た。

 ボロボロになった、アリアの姿を。


 腕はもげ、両足には穴が開き、顔は溶解し半分金属が露見している。

 とは言えこの程度重症でさえない。


 バッカニア内というクロノスの境界内でアリアの神聖魔法はほとんど不死に等しい。

 自分対象ならば、ちょっと呼吸を整え神聖魔法が使える様になれば一瞬で治癒させる程度は可能である。


 だから、問題なのは、アリアではなくそれを目撃したメディの方である。


 さっきまで幸せな家族を見て、そして自分も家族を持ちたいと願っていた。

 その未来像の中にはパルスピカやアリアが笑顔で過ごしている瞬間もあった。


 そんな事を考えていた最中の、アリアの無惨な姿。


 それは――メディの思考を赤く染め上げるに十分だった。


 メディは元々愛憎が重かった。

 重かったのだが……サキュバスとして覚醒し、愛は更に深くなった。

 本来男性総てを対象にする食欲を全てクロスのみに向ける事、サキュバスの性質、本性を歪ませ狂わせる程に。

 つまり、サキュバスになって相乗的に愛が深くなっていた。


「……ああ。そうか。これか……これがソレか……」

 メディは燃え滾るマグマの様な感情でその身を焼きながら、しみじみと自覚する。


 異なる世界で自分と繋がっている母親、SQ。

 彼女の怒りが、嘆きか、苦しみがようやく理解出来た。


『メディちゃんを護りたいの。メディちゃん傷つけたボケ共をぶち殺したいの』

 その言葉の意味が、心が、今は理解出来る。

 自分を想い怒りに震えていたSQの気持ちが、メディは今ようやく理解出来た。




「ありゃ? メディ、何か来るの早くない? トラブった?」

 バッカニア外周に来たメディを見ながらメリーはそう言った。

 メディの休憩は何もなければ十二時間という予定であったはずなのに、まだ二時間も経っていなかった。

「メリー……ちょっとお願い聞いてくれるかしら?」

「はぁ……。あんまり面倒は止めてね」

「大した事じゃないわ。……私以外全員バッカニア内に籠って、総出で魔導障壁張って頂戴。なるべく全力で」

「面倒事過ぎる。一体何がどうしてそうなるのよ。何? 一体何に腹立ててるの?」

「ボロボロになったアリアちゃんを見てね、ちょっとかーっとなっちゃった」

「何がちょっとよ……。あんた、前に戻ってるじゃない。『総てを憎む……』とか言ってた頃にさ」

「そうかもね」

 軽い口調だが、メリーはメディがもう止まらないと理解出来た。

 仲間なんだから、それ位見たらわかる。


 それはもう見事なまでに、完全にブチ切れていた。


「……そういうブレ切れってのはソフィアの役目だと思ってたんだけどねぇ……。まああんたの愛重いしそう言う事もあるか。……何とか出来るのよね? 自滅とかいうなら今ここでぶっ殺すわ」

「私を誰だと思ってんの?」

「あっそ。んじゃ周囲全員の避難誘導してあげるわ。五分待ちなさい」

「流石メリー。頼りになるわ」

「やめれ。あんたに褒められてもサブイボしかたたないわ。でもまあ、死ぬのだけは止めてよ。クロスの悲しい顔だけは見たくないから」

「それは約束する。私は怒りをぶつけにきただけだから」

「んじゃまあ、私達の分までやっちまいな」

 そう言ってメリーはメディの背中をバンと強く叩き、その場を離脱した。


 メディは背中の方に手を回しながら、涙目になっていた。

「つ、強すぎるのよ激励が。馬鹿メリーめ……」

 涙を拭い、メディは息を整える。

 魔力の回復は精々二割位。


 とは言えそんな事どうでも良い事だった。




 天使の攻撃を避けながら、メディはきっちり五分待つ。

 その後合図とでも言いたげな感じでバッカニアの外壁に爆音と共に巨大な障壁が張られた。

 何重にも構成された魔導魔法と神聖魔法の強固なる壁。

 これならたぶん大丈夫だろうと思う位の物だった。


「さて……それじゃあ……いきましょうかしら」

 それは、たった一度しか使えない切札。

 だから正直このタイミングで使うのが正しいとは思えない。

 きっと未来にもっと適したタイミングがあったはずだ。


 それでも、我慢が出来なかった。


 アリアのあの様子が瞼の裏に焼き付いて離れなかった。

 ボロボロなのに泣き言一つ言わず、無力感と情けなさから謝罪するあの姿は、もう二度と見たくない。


 アリアにそんな傷を負わせ、そんな気持ちにさせたという事は、メディにとって逆鱗に触れると同等の怒りを招いていた。


 と、恰好付けて復讐鬼になっているが……ぶっちゃけメディは何もしない。

 ただ一言、呟くだけである。


「助けて、マム」


 世界が真紅に包まれた。




「誰か状況説明して!」

 天使は叫ぶ。

 夕暮れでもないのに世界が赤く染まる。

 いや、そんな赤さじゃない。

 空も大地も、総てが血の様に赤くなっていた。


 空気がまとわりつく様に重い。

 機械の心がざわりと胸騒ぎを覚え、ライフルを持つ手に力が入る。

 魔力感知する事が出来ない程、世界に魔力が溢れている。

 自分達天使が使えない、自然じゃあない歪な魔力が。


 それは、まるで世界そのものが何かに浸食され作り変えられているかの様でさえあった。


「ゲ、ゲート出現!?」

 そう叫ぶ天使の所を見ると、雲の様な赤い靄が輪を作っていた。


「な、何だと!? ジャミングは完璧のはず……少なくとも魔法での転移など出来る訳が……」

「ちょ、超高濃度魔力粒子を目視! 間違いない! これが原因よ!」

 即座に集合要請が出され、バッカニア四方を囲む天使総てがメディと生み出すゲートの方に向かった。


 そのゲートの中から裸の女性が顔を出した。

 妖艶で、見るだけで背筋がゾクゾク来る様な、恐ろしい女性。

 同性でかつ魅了耐性がある天使さえそう感じる程、彼女の魅力は高かった。


「サーチ完了! サキュバスです!」

「この時代にもまだ生き残りが居たか……。とは言えサキュバスなら問題ない。全員射撃用意! 人機大戦の前に、世界の為に害獣を屠るぞ!」

 恐怖を殺す為だろう。


 わざわざ力強い言葉を発し、天使達は一斉に、ライフルを構えた。




「ありゃ。あれ完全耐性って奴じゃない」

 ゲートから頭と肩の先だけを出している状態でSQはそう呟く。


 とは言え実際に体が出ている訳ではなく、メディとお話したいからそういう風に作っているだけで実際は末端の末端の魔力で造った触手の様な物に過ぎない。

 SQにかけられた封印術式は強く、体の一ミリも外に出す事は叶わないからだ。


 その魔力のみで構成された触手でさえ地上の民が直視したら絶頂を繰り返し数秒で息絶える様な劇物だが。


「完全耐性って何?」

「サキュバスの魅了とかそういうのの耐性」

「じゃあマムの攻撃が無効って事」

 SQはきょとんとした後、くすりと笑った。

「メディちゃん。私は……ううん。貴女のママはね……世界でさえも殺せなかった怪物よ」

「そう。だったら、私の代わりにお願い出来る? あの子の痛みを、無念を」

「ええ。もちろん。メディちゃんに頼って貰うのは嬉しいし、私にとっても孫みたいな物だし構わないわ。だから……」

「わかってるわ」

 メディの体から、コウモリの様な翼が四枚生える。


 元々スタイルが豊満で妖艶なら体つきだったのだが、より煽情的に、より蠱惑的になり、ただ男を喰らう為だけの種族としての部分が表に出る。

 それがメディがサキュバスとして覚醒した場合の姿、クロス以外の誰にも見られなくないもう一つの姿だった。


 貞淑でありたい。

 だから誰にも見られなくない。

 だから普段はデザイアで隠していて、出す必要も全くない。

 実際この姿になるのはまだほんの二度目である。


 尚一度目の使用はお楽しみタイムでのコスプレとして使用した。


 この姿はクロスだけの物だからメディはなりたくないのだが……サキュバス要素を全力で解放しなければ、同族であるメディでさえ不味い。

 これから起きる事は、待ち構えているのはそういう規模の惨状だからだ。





 まず最初に起きたのは、同士討ちだった。

「血迷ったか!?」

「何が起きた!?」

「洗脳か!?」

 慌てながら無作為に光の弾が空を駆け巡る。


 大体一割位だろう。

 天使の目が、ハートになり、とろんと表情が溶け仲間にライフルを発砲していた。

「私は真実の愛に目覚めたの!」

 そんな事を叫びながら、彼女達は仲間を撃ちだす。


 その時点で大惨事だが、これは、まだ序章に過ぎなかった。


 SQがそっと天使達のいる空を見つめる。

 たったそれだけで四桁程の天使が全身をガクガクと震わせ地面に落下しだした。


 地面に落ちても痙攣は止まらない。

 その場でしぬ間際の虫の様に、ビクンビクンと痙攣し続けていた。

 全身から謎の液体を放出しながら。


 気づけば、笑い声が耳に突き出した。

「あはは」

「うふふ」

「いひっひひ……」

 そんな、気持ちの悪い笑い声が。


「どこからだ! 誰が笑ってる!?」

 すぐ傍から聞こえるのに、姿が見えず天使は首をぶんぶん振り回しながら声の主を探していた。

 それが、自分の口から洩れた声だと気付かないままに。


「うっわ。酷い有様」

 メディの呟きを聞いて、SQは微笑み、そして最悪な事を口にした。

「あら? 私まだ何もしてないわよ?」

「……は?」

「だから、まだ何もしてないわ」

 そう、SQはまだ何もしていない。

 これまでの変化は、天使達がSQを認識したから起きた事象に過ぎなかった。

「……まだ、何かするつもりなの?」


 自滅の銃撃戦に痙攣。

 そして微笑みながら恍惚となる天使達。

 そんな有様で既に戦闘の体を為しておらず、バッカニアに対しての攻撃は完全にゼロとなっていた。


「だって――ただ壊すだけなのはもったいないじゃない。私はメディちゃんと違って一途じゃないもの」

 そう言って、SQはじゅるりと涎を流す。

 その涎さえ、心臓が跳ねる程度には妖艶であった。


「……喰らうつもりなのね」

「駄目?」

「まさか。食べ残しがないなら全然良いわ」

 愛娘からの許可が出て――SQは本格的に、捕食行為を開始した。




 世界には、本物が存在する。

 例えば、レンフィールド。

 例えば、アリス。

 善悪ではなく時代を超越した才能を持つ存在。

 たった一体で歴史を動かし、世界そのものを改変する。


 歴史は常に一部の本物、飛びぬけた才覚を持った者で動かされて来た。

 それはたった一体ではない。

 平穏な時代には少数が、不穏になればなるほど大勢が。

 何時だってそんな本物達が、歴史を生み出してきた。


 その歴史を生み出す本物総てを喰らって世界を滅ぼしかけたのが、SQである。


 天使の使命にはサキュバスを殲滅する事も含まれる。

 存在するだけで世界を壊すと知っているからだ。

 箱庭のおままごとを目指す天使にとってサキュバスは存在してはいけない生物でしかなかった。


 そう……天使はサキュバスを狩る為の機能を標準装備している。

 決してサキュバスに負けない。

 魅了させる事もなく、絶頂する機能もない。

 そういう風に造られているから――だから何だ?


 そんな事SQには一切関係がない。

 彼女にとって重要なのは、たったの三つ。


 一つ、天使は自分の愛娘、メディちゃんをとっても痛めつけて傷つけた。

 だから超ムカつく。


 二つ、天使共は孫のアリアちゃんをボロボロにして最愛のメディちゃんを悲しませ怒らせた。

 超超ムカつく。


 そして三つ……。

 SQにとってこれは稀有な食事の機会だという事。

 満腹になる事がなく、常に飢え続けてきたSQの前に出された万年単位ぶりのご飯。


 ああ――久しぶりだなぁ……。


 一瞬、ほんの一瞬だけ、ぞわっとした何かを天使は感じ取る。

 それが何なのかを理解する事はない。

 ただ、一つだけ確かな事があった。


 その恐怖の本能に従い、速やかに自害する事。


 それだけが、天使が生き延びる唯一の手段だった。

 同士討ちをしても、快楽に狂っても、まだ誰も壊れても死んでもいないという状況。

 もったいないというSQの気持ちと、我慢出来なかった舌なめずり。

 そうして食事前の、最後の時間が終わった。



 サキュバス完全耐性を持っている。

 その程度で止まると?


 機能上は同性である。

 私はえり好みをする程お上品じゃあないわ。


 ゲートから出てこれず、動けない。

 それ何か関係があるの?


 捕食は……性的接触は触れない限り……。

 距離なんて、些細な事じゃない。


 そしてメディは……本物を見た。


 何の魔力的要因はない。

 何ら特別な事はしていない。

 なのに天使が、突然ぱしゃっと液体に変わった。


「……へ?」

 当然だが、機械生命体であるから金属製である。

 そのはずなのに、完全に水になっていた。

 どこか粘り気のある透明な水に一機、また一機と天使は変わっていく。


「これ……何……してるの?」

「食べてるの。魂を」

 メディは、ぞわっとした恐怖を覚えた。


 サキュバスだからだろう。

 何となくわかるのだ。

 今目の前に起きている液状化は、余波に過ぎない。

 本質はもっと悍ましい物で、天使の精神が変化した影響でそうなっていると。


 理解出来ない……いや、理解したらいけない。

 魂の変化で肉体がこうなるなんて理解しようとする事さえ烏滸がましい事だ。

 サキュバスだからこそ、それを知るべきではないと本能が警報を鳴らしていた。


 何となく……何となくだが、SQの本名が脳裏に宿りそうになる。

 ただ横にいるだけなのに名前が浮かびそうに。

 名前に力がある。

 その本当の意味をメディは理解しそうになる。


 知ろうと思えば、触れればSQの名前を知る事は出来ただろう。

 だが、知るべきではない。

 知ったらきっと、戻れなくなる。


 正直言えば、舐めていた部分があった。

 サキュバスとしての娘であり、そして成長したからそこまで差はないと思っていた。

 クロスとの夜の時間を得て自分もサキュバスとして相当高いレベルになっていると。


 だが……それは単なる思い上がりだった。

 確かにメディは成長したが、SQは文字通り別次元だった。


 そもそもの話だが、世界を敵に回して殺せなかった、死ななかったという時点で今この世界に生きている誰よりも強い。

 この世界で言えば、クロス陣営にバッカニアにいる全員にピュアブラッドと五龍総出に加えアリスが味方になっても勝てなかったという事になるのだから。


 しかも殺せず封印された状態からずっと今まで、飢え続けてただ生き続けた。

 その渇きを抱えて世界でただ独りで。


 同じ生物と思う事自体が、烏滸がましい事でしかなかった。


「ご馳走様でした」

 そう呟くと同時に、一際大きな液体の音が。

 そして天使は、誰もいなくなった。


 くぅ……と、小さな音が鳴る。

 それが腹の音だと気付いたSQは、恥ずかしそうにはにかんだ。

 その全てが、軽い口調が、メディはとても恐ろしかった。


「私、マムの事好きだけど怖いって気持ち消せそうにないわ」

「……好きでいてくれたら、それで十分……十分過ぎるわ。後は頑張ってね。当分……数年は出て来れないから」

「ええ。今度は会いに行くわ」

「……ありがとう。本当に」

 そう呟き、SQはゲートの奥に戻っていく。

 そしてゲートが消え、世界の色が戻って……謎の粘液だけが世界に取り残された。


 誰にも見られない様すぐメディは自分の姿を元の人間体に戻し、そして腕を組んだ。

「これ……放置して良いのかしら?」

 わからないなりに悩んで……わかりそうな人に相談しようと思っていたら……メリーが外に出て来た。


「障壁八割消し飛んだんだけど? 一体何したのよ? エリーが絶対外見るなって言ったら誰も見ない様にしたけど」

「え? ちょっとマムの力を借りただけよ」

「劇薬過ぎるわ」

「んでそんな事よりもさ」

「そんな事って何さ」

「いや、この水たまりって放置して良いと思う?」

「……ちょっと待ちなさい」

 メリーはその水の正体が特殊な分泌液であると理解し、顔を顰める。

 しかも単なる分泌液ではなく、若干だがサキュバスの影響を帯びていた。


「こんなもん放置したらエロい気むんむんで出生率跳ね上がるわ!」

「子供が増えるなら良い事じゃない?」

「頭サキュバスかよ!」

 そう言って、メディは解せぬという顔のままメリーに頭をはたかれた。

ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 出生管理出来ないような戦時中でなければ、子供が増えるのは基本良いことなんだけどね……現状だと手が足りない状況なのに、此処から子供が増えても手間が増える一方で、更に戦災孤児が大量に発生しかね…
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