嫉妬と呼ぶには可愛らしく、最期の我儘にしては優しくて
例えそれが未来と過去という間柄であったとしても、世界線が異なる以上与える影響は直接的な物とはならない。
クロスが過去にいたという事象によりあちらの世界が大きく変化したとしても、元の世界でそれが史実になる訳ではない。
むしろあちら側の世界でさえ、その修正力によりクロスは存在しなかったという風に修正されるだろう。
それでも――それは全く影響がないという事ではない。
クロスという存在が世界に与えた影響は修正されたとしても確かに残る。
例えば、世界線における修正力の影響を受けにくい様な存在。
例えば、バタフライエフェクトの様な効果で修正力に見逃された場合。
影響こそ少ないものの全く影響がないという訳ではない。
特に、今回の騒動で大きな影響を与えた、修正力の影響を受け辛い存在、所謂『特異点』に関しては相当大きな修正を受けたと言える。
だから、クロスが元の世界の洞窟に戻った時、彼女はクリスタルの中にいなかった。
いや、そもそもクリスタルそのものが消失していた。
茫然とした様子で、クロスの方を彼女は見る。
そのタイミングで、クロスが手に持っていた一冊の本が彼女の体に吸い込まれた。
ミネの想いが詰まったクロスの情報を、彼女は受け取る。
そして……楽しそうに笑い出した。
くすくすと無邪気に……。
クロスは自分の勘違いに気が付いた。
笑い方だけじゃあない。
顔立ちも、雰囲気も……彼女はあまりにも、自分の知るミネに似ていなかった。
「まさかこんな方法で殺して貰えるなんて……」
そう呟く彼女の体からは、光の粒子が溢れていた。
「俺、まだ何もしてないんだけど……」
「してきたからよ。私じゃない私を貴方は大切にしてくれた。幸せにしてくれた。そして……彼女に幸せな最後を届けてくれた。ミネを本物にしてくれたのよ。貴方が」
それは、数少ないあちらの世界での影響。
クロスがミネを大切にした。
仲間として友として、パートナーとして扱った。
その幸せな時間の後、彼女はトロンと共に生き、そして彼女に看取られ幸せな最後を迎えた。
そう……ミネという女性の最後は、文句なしのハッピーエンドとなったのだ。
クロスが投げ出した事をトロンが受け継ぎ終わらせたという形で。
あまりにもそれが理想的過ぎて、幸せな終わり過ぎて全ての世界線のミネがそうである様になった。
その幸せな終わりを迎えたミネこそが本物であり、それ以外は紛い物で存在しない物に書き換わる。
そう……ミネこそが特異点であった。
正しく言えば、クロスの影響を受け特異点に変質したという方が正しいが。
だから、ここにいる彼女は存在してはいけない物に変わる。
ミネではなく、不幸でしかない彼女は存在さえ許されない。
既に本物のミネは幸せな終わりを迎えているのだから。
だから、消えていく。
苦しみもなく、誰の記憶にも残らずに。
終わりを迎えたかった彼女にとって……それは、何よりも理想的な終わりであった。
「でも……ミネ。そんな終わりで……」
「良いのよ。とても気分が良いわ。そもそもの話だけど、私ミネじゃないし」
「えっ?」
「世界には無限の私がいて、その一つがミネだった。だけどミネが幸せになりすぎてミネ以外の私はいない物とされた。だから消える。そう言う事よ」
「あー。すまん! さっぱりわからん」
「わからなくても良いわ。どうせすぐ消えるんだもの」
「……じゃあ、君の名前は……」
「私はただの、貴方を殺そうとした悪い吸血鬼よ。長生きし過ぎて自死さえ選べなかった卑怯で臆病な愚か者。ただそれだけで良いじゃない」
「せっかくだからさ、君の事を記憶に残しておきたいんだけど」
「残されたくないから名前を言いたくないのよ。私じゃなくてミネを覚えてあげて。それで皆幸せだから」
「絶対にノゥ!」
「なんでよ」
「俺を見てくれた美女を俺が忘れる訳ないじゃないか!」
「馬鹿ね……本当。貴方は馬鹿よ」
「知ってる。ま、それはそれとして何かして欲しい事はない?」
「最後の晩餐的な?」
「そんな感じ」
「本当、お人よしね。……だったらお願いがあるわ」
「ん? 何かな?」
「文句を言いたい訳じゃあないの。だけど……思うところがないという訳でもないのよ」
「つまり?」
「あっちの私が羨ましいなって、狡いなって思ってたの。だから……今から私が消えるまでで良いから。それまでの貴方の時間を頂戴?」
「もちろん良いよ。さて、何を話そうか」
「お話より、私は――」
洞窟の入り口付近で、はっとクロスは意識を取り戻す。
記憶が混濁とし、頭を抑え思い出そうとする。
何となくだが、記憶はある。
正しく言えば、忘れた事を覚えている。
嫉妬と愛情に染まった彼女がクロスの持つ記憶を抜き出した。
この時間は誰にもやるもんかと持っていった。
たった数時間だけの間。
だから、クロスはその間彼女と何をしていたか全然思い出せなくなっていた。
ただ、覚えてなくても一つだけ確かな事はあった。
彼女は満足したまま逝った。
それだけは、記憶を失っているクロスでも確信が持てた。
後ろを振り返り、洞窟の広場を見る。
彼女がいた場所にはもう何もない。
彼女がいたという痕跡さえ。
そっと、クロスはモノクルを外す。
あの狂おしい血の渇きを感じない。
むしろその反対に体が空腹を訴えていた。
健康体になったから、肉を食わせろと叫ぶ様に。
「……ばいばい。名前もわからない綺麗な吸血鬼さん」
それだけ呟き、クロスは外に向かう。
しばらく味わい続けた血の呪いからようやく解き放たれて、少しだけ寂しいという気持ちを抱きながら。
――かちっ。
「えっ」
入口付近で、クロスは足に何か固く軽い感触を覚える。
それが地雷であると本能的に察したけれど、一切反応が出来ずクロスに爆風が襲い掛かる。
鼓膜をつんざく激しい爆発音。
そして爆風は連鎖的に無数発生し、入り口に大量の落石が生じクロスと共に通路は完全に押しつぶされた。
しばらくして……。
「あー死ぬかと思った」
そう呟き、軽く咳き込みながらクロスは岩を退ける。
クロスの周りには、その身を護る様赤い糸の様な物がまとわりついていた。
六角形一塊で構築された赤い線が球体上にクロスの周りを取り囲む。
まるで蜂の巣かの様に。
その赤い線の正体は血液だった。
「……これ、何だ?」
自分が発動した訳じゃない自動発動の能力に首を傾げながら呟く。
口にしているが、クロスは自分で理解していた。
これが血液魔法で、そして無意識化で自分が行った物だと。
『貴方の記憶を貰っちゃった分隙間が出来たから、代わりに私の力を入れておくわ。安心して頂戴。記憶が消える訳でもないし寿命が縮む事もないから。むしろ伸び……まあそれはどうでも良いわね』
ふと、数時間前の彼女の言葉が耳に浮かび上がる。
どうやら、何か変な置き土産があったらしい。
実際理解してみれば、これが吸血鬼の本能で使える吸血魔法の初歩であると理解出来る。
本能的に使える側面を持つ吸血魔法だから、魔法としての知識がないクロスでも問題なく扱う事が出来ていた。
「……俺、今種族的には一体どうなるんだろうか」
そんな疑問を持ちながら、岩を血液でどかしながらクロスは外に出る。
外はあちらの世界と同じく、涙が出そうな位綺麗な晴天だった。
ありがとうございました。




