老舗呉服店浅黄家
蓬莱の里特有の古風な建物。
いかにもな歴史のありそうな感じで、それでいて小さな平屋というのがいかにもな感じだった。
老舗、あるいは名店という空気と言えば良いだろうか、そんなものが醸し出されている。
そんな雰囲気のある店なのだが、その店に入ろうとする客は見える範囲では誰もいなかった。
店の名前は『浅黄家』。
決して品物が悪い訳ではなく、また値段が高い物しか置いていないという事もないのだが……近所の住民は決して入ろうとはしない。
そんなどこか面倒そうな店に、久方ぶりに四名の客が来店した。
「邪魔するぞー。おっさん生きてるかー?」
そんな気楽に、気さくに、無礼な言葉を吐く雲耀。
その声を聴いてか、中年の男が店の奥から姿を現した。
その男は誰が見てもそうだと思う程今にも死にそうな姿をしていた。
背格好に合わせたはずの着物がぶかぶかになる程その身は細く、頬は痩せこけ、目元は酷い隈。
病に陥ったとしか思えない程に肌の色も白い。
見るだけで不安になってくる。
それ位、病弱な印象を持っていた。
「何だ貴様か。……おい、俺の用意した着物がどうしてこんなボロボロになってんだよお前。殺すぞ」
小さな声ながら重低音が響く力強い声。
そんな声で、男は雲耀に殺気満々の視線を叩きつけた。
「わりぃわりぃ。でも着物ってのは汚れるもんだろ。んでこれもう無理っぽいし新しい着物くれ」
「死ね」
「良いじゃねーか。どうせ暇だし余ってるんだろ?」
「余ってねーよ。余っててもてめぇにどうしてやらなきゃならん」
「仕事働きで頼むわ」
「せめて金払え」
「ない」
「てめぇ門番長だろうが」
「ないもんはない」
「……糞が。死に晒せ」
そう言葉にしてから、男は雲耀に綺麗に畳まれた着物を投げつけた。
「奥借りるな」
「勝手に行くな。……おい、古い着物は置いて行け」
「あいよ」
そう言葉にし、雲耀は奥に消えていった。
「……という感じでして、口が悪く売る気がなく、それでいてやけに風格が殺し屋の様で恐ろしいという事でクロス様やエリー様にはあまり見せたくない部類のお店だったのですが……」
そう、ひそひそ声でハクは二人に伝えた。
「……ですね」
クロスやエリーに目も向けず、話しかけもしないその様子からエリーがそう同意した。
「物は良いんだろ?」
そんなクロスの言葉にハクは頷いた。
「はい。私はあまり詳しくありませんがそれでも良いとわかる程には。どうやら一部界隈では非常に人気が出ているそうです」
「それなら性格もまあそういうもんだ。職人ってのは気難しいのが基本だしな。という訳でたのもー!」
そう、大きな声でクロスはその男に声をかけた。
「……煩い。そんな声出さなくても耳に入る」
「すまん。という訳で着物売ってくれ」
「……あ? どうして俺がお前の為に用意しにゃならん」
その言葉に、ハクはさーっと顔面を真っ青にした。
大分気安くなったとはいえ、クロスは魔王名代としてこの里に来ている。
その彼に無礼があったなんて事が外に漏れたら、魔王の耳に入れば。
それはこの里の滅びを意味すると言っても過言ではない。
多少気難しいとは思ったが、まさか初見の客にまでこうだとは思っていなかったハクは死では済まない程の恐怖を感じた。
「外から来たから良くわからないんだわ。何かオススメとかない?」
「だから……どうして俺が……めんどくせぇ」
「どうせなら良い物買いたいからさ。頼むよ」
「……ちっ。何もわかってない余所者が」
「わかってない余所者だから頼むんだよ」
「……ああ、面倒なのがまた増えやがった。……お前、偉い立場か?」
「ん? 今はそうなるな」
「……公的な場に着ていくつもりか?」
「その予定はないが……宣伝とかでそうして欲しいなら着ていくぞ? 王都の方で」
「逆だ。絶対着ていくな。お前ら余所者が他所でちゃんと着られるとは思えんし、それに俺はお前らに一々教えたくもない。時間の無駄だ。お前らは着流し程度で我慢しとけ」
「着流しってのは?」
「お前ら風に言えば「らふ」な着方だ」
「なるほど。んじゃ着流し一丁!」
「死ね。……奥行ってあの馬鹿と一緒に着替えて来い」
そう言葉にし、男はクロスに地味な色合いの布を投げつけた。
「おう。あんがとさん」
そう言葉にし、クロスは笑顔で奥に向かっていった。
「……クロス様。凄いですね。あんなに気に入られるなんて……」
ハクの言葉にエリーは心底驚いた。
「え!? あれで気に入られたんですか!?」
「はい。本当に気に入らない客は無視しますから。……腕と目だけは、確かなんです。誰かと付き合う事が心の底から嫌いみたいですが」
そう、ハクはぽつりと呟いた。
「おい」
そんな店主の声を聴き、エリーは誰に呼び掛けたのかきょろきょろと周囲を探した。
「おい。お前だお前。きんきらきんの」
そう言われ、何とも言えない表情でエリーは自分の金色輝く髪を手にした。
「そうだ。お前、さっきの馬鹿の知り合いか?」
「え、あはい。ご主人様です」
「ああそうかい。それにしちゃ親しそうだったけどな」
「敬愛している主様ですから」
「んな事はどうでも良い。ただ、俺はあの馬鹿共に何か好き放題されたみたいな事が気に入らん。俺の店で好き勝手して良いのは俺だけだ。そこでだ……お前、着物を着てみる気はないか?」
「え? わ、私がですか?」
さっきまであれだけ嫌がっていた様子の男が唐突にそう言いだし、それにエリーは驚いた。
普段の男を知っているハクはそれ以上に驚いた。
男が自分から誰かに着物を勧める事なんて今まで見た事がなかった。
「ああ。別に嫌ならどうでも良いぞ。所詮嫌がらせだ」
「あの、どういう意図の嫌がらせなのでしょうか?」
「あん? そりゃお前……。あんだけ嫌がった俺が自分から……いいや、もっと単純な答えで良いな。戻ってきたあいつらを驚かしたい。ただそれだけだ」
その言葉を聞き、エリーも何となくこの男の事が理解出来た。
偏屈で、面倒くさがりで、そして、悪戯好き。
要するに、クロスの事がとても気に入ったから、雲耀の事が気に入っているから、驚かせたいのだ。
それに気づいたエリーはくすりと微笑んだ。
「ええ。私で良ければその悪戯に乗りましょう」
「……ちっ。そのわかってるって顔は腹立つが……まあ良いだろう。ハク。あんた着付け出来るだろ?」
突然声をかけられ、慌てた様子でハクは我に返った。
「あ、はい! 簡単な物なら」
「ちっ! ちゃんと勉強してろボケ。ちょっと待ってろ……」
そう言葉にしてから男は今までの動きでは想像も付かない程いそいそと動き、恐ろしく丁寧な所作で畳まれた着物と帯などの小物をハクに手渡した。
「ちょっ。これ……安物じゃ……」
一目で良い物とわかる着物を見てハクは驚き呟いた。
「だから驚くんだろうが。それにこれ位しにゃこの煩い髪には似合わない。早く行け。あいつらが戻ってくるまでに終わらせないと殺すぞ」
「男と女の着付けでどれだけ時間が違うと思ってるんですか!? しかもクロス様に渡したのただの甚兵衛じゃないですか!?」
「文句を言う前に早く行け。あっちだ」
その言葉に、ハクは半泣きになりながらエリーの手を引っ張り指示された部屋に入っていった。
クロスの渡された着物は思った以上にラフな物だった。
布を巻いている様な他の人と違って本来の服の様に上下に別れ、ズボンの方はほぼそのまま。
上着は両脇腹付近についた紐を結ぶという独特の形状をしているが概ね服と同じ。
ただ、少々以上に軽く風通しが良すぎて服を着ている実感が薄く、少し気恥ずかしさの様な物を感じていた。
「こんな感じで良いのか? 変じゃないか?」
そう尋ねるクロスに雲耀は笑いながら答えた。
「おーおー似合ってる似合ってる。ま、良く考えたら背高いし片角とは言え鬼だし俺らの仲間みたいなもんだわな」
「そいやこの里やけに鬼が多いな」
「おう。蓬莱の四割位は一見で鬼とわかるような連中だ。角のない鬼も含めたらもっといるぞ」
「角のない鬼とかいるんだな」
「そっちで言えば……吸血鬼とかも鬼の仲間じゃね? あいつらそう言ったら嫌がるけど」
「ああ……。言われてみればそうだわな」
「後は……まあ結婚した女も鬼に分類して良いと思うぞ」
冗談めいた口調でそう雲耀が言葉にした。
「ほう。その心は?」
「いつもこーんな立派な角が生えている」
そう言葉にし、人差し指を立てて自分の角以上に立派な角のジャスチャーをする雲耀。
それを見てクロスはゲラゲラ笑った。
「俺らの世界でも世界最強はいつだって母親だったわ」
「どの世界でも共通の事だわな」
そう言葉にし、再度クロスと雲耀はゲラゲラ笑った。
「さて、鬼より鬼らしい女を待たせるのも怖いしさっさと行くか」
そう雲耀が言いながら移動の準備を始めた。
「ハクってそんな怖いの?」
「冷静に、冷徹に理詰めで相手を追い詰めるタイプ」
「ああ……そりゃ怖いわ」
「逆にそっちの従者のエリーは何かほんわかして優しそうだな。ちょっと羨ましい」
そう言われ、クロスは昔の事を思い出し苦笑いを浮かべた。
「あー否定はしないんだが……まあノーコメントで」
そのクロスの言葉で雲耀も何となく何かがあったのだと察した。
「やっぱり女はこえーや」
そんな雲耀の言葉にクロスは何も否定出来なかった。
簡単な服とは言え着替えるのに少々時間がかかり、同時に雲耀との雑談に時間を費やしたクロスは慌てて店に戻り、そしてエリーに声をかけた。
「すまん待たせた。どうだ? 似合……」
そう尋ねようとしたのだが、クロスはその光景に対してあっけに取られ、声を失ってしまった。
「えっと……その……似合います?」
逆に、エリーはもじもじと恥ずかしそうにそう尋ねた。
だが、クロスはあっけに取られ頷く事も出来なかった。
それは、見惚れているという部分も多いにあった。
それだけ、エリーの着物姿は綺麗で、新鮮で、そして現実離れしていた。
クロスの様に物は良くてもシンプルかつ地味な安物なんかではなく、あらゆる意味での本物の着物。
それも、どぎついと言える程の赤の着物をエリーは身に纏っていた。
普通そんな物身に付けたら派手過ぎて悪目立ちするのだがそんな事はなく見事に色合いが調和され、まるでこの世の物とは思えない様な浮世離れした美しさを醸し出している。
見慣れ過ぎて気づいていなかったが、エリー自体元々外見のレベルは恐ろしい程に高い。
高身長に整った目鼻立ち。
そして金色の長髪。
その蓬莱らしからぬ髪の色は赤の着物にも負けてはいなかった。
だから本来なら帯を黒にして色合いのバランスを取るのだがその必要もなく、帯も白地に金刺繍という非常に派手な物。
そこまでしてもエリーは着物の派手さに負けておらず、エリーの美しさはいつも以上に引き出されていた。
「あの……クロスさん。変、ですか?」
そう言葉にするエリーに気づき、クロスは我に返りながら小さく溜息を吐いた。
「エリー。わかってて言ってるだろ?」
その言葉にエリーはいたずらっ子の様に舌をぺろっと出した。
エリーは決して鈍い訳でもない。
むしろあらゆる事に対して聡い方である。
そのエリーがクロスのぽーっとした様子を見て分からない訳がなかった。
「でも、やっぱり言ってもらいたいという部分はあると思うんですよ」
「……本当に変わったなぁ。あの頃とは嘘の様な」
「え? あの頃の方が良かったです? そういう趣味でした?」
「んな訳あるか。……いや、あれはあれで可愛かったけどな」
「ふふ、ありがとうございます。それで今は?」
「もちろん超綺麗だ。思わず見惚れちまった。着物ってすげぇんだな」
「ありがとうございます! 最後に一言余計でしたけど、事実ですからしょうがないですね」
エリーは着物にも負けない様な満面の笑みを浮かべた。
「……あれで付き合ってないどころか恋愛感情すらないらしいです」
雲耀の隣に移動し、雲耀にしか聞こえない程度の声でハクはそう言葉にした。
それに対して雲耀は何も答えない。
茫然とした様子で、ただただエリーを見つめていた。
「……はぁ。雲耀さん。貴方まで見惚れてしまって。いえ、確かに凄い綺麗ですけどね。着物がさほどな私でも本当に綺麗だと思いましたし」
「そりゃそうだ。いや……そうか、お前、気づいてないのか?」
そう言葉にする雲耀の声は震えていた。
その様子でハクも少しだけ、雲耀が変な事に気が付いた。
エリーを見つめるその視線は見惚れているというよりも、恐れおののいているという方が近い。
雲耀は門番長という立場であり、またおおらかかつ自由な性格である為ちょっとやそっとの事では驚かない。
その驚きようは長い付き合いのあるハクでもめったに見た事がない様な驚き方だった。
「どうしたんです? 何かありました?」
その声を無視し、雲耀はやけこけた頬の男に目を向ける。
男は『してやったり』という様な顔で震える雲耀を楽し気に見つめていた。
「おいおっさん! お前、あれ……あれ……」
「ああ。似合うからくれてやった。まあまあだろ? おいお前! こっちにいる内にハクに着方教わっとけよ」
そう男はエリーを指差し言葉にする。
それにエリーは嬉しそうにぺこりとお辞儀を返した。
「お前……あれをやったって……わかってて言ってんのか……」
「お前のその顔が見れただけで甲斐があった。ざまあみろ。震えてやがれ」
それだけ言葉にすると男は雲耀にも興味を失ったのか眼鏡をかけ、本を読みだした。
「まじかよ……おい……おい……」
そう言葉にする雲耀はどこか泣きそうな顔をしていた。
「一体どうしたんです雲耀さん?」
「……ハク。お前が着せたんだよな?」
「え? エリーさんの着物ならもちろんです。同性私だけですから」
「そうか……。知らないって幸せだな……」
「知らないって……。いや、そうですよね。考えたらわかる事でしたね……」
ハクはそう言葉にし、再度エリーの着物を見る。
エリーは楽しそうにくるくると回り、服の模様や動く様を楽しんでいた。
それを雲耀はハラハラというよりも心臓に悪そうな怯えた表情で見ていた。
転んだら大変だと言わんばかりに。
つまり、そういう事なのだろう。
名家の生まれである雲耀が気にする程、あの着物は高いらしい。
「……どの位するんですか?」
今までよりも更に声のトーンを落とし、ハクはそう尋ねた。
それに対し、雲耀は指を五本立てて見せた。
五万という事はない。つまり……。
「五十万ブルード……ですか……」
それは一般的な年収よりも遥かに高いだけの金額であり、そういう地位にいる雲耀やハクですら気軽には決して手が出ない値段だった。
その答えに、雲耀は鼻で笑った。
「はっ。その程度染み落としの値段にもならねーわ。桁が二つ違うんだよ」
「……は?」
言葉の意味が理解出来ず、何度も繰り返し指を折るハク。
だが、何度やっても言われた言葉は五千万ブルードにしかならなかった。
五千万。
家どころか小さな城位なら建てられるし、何なら村どころかちょっとした町すら一から作れる額。
当然だが、ハクの持ちうる全財産よりもはるかに高い値段である。
ハクの顔はさーっと青ざめた。
「……何で、そんな物が……いえ、何でそんな物を……」
「そういう奴なんだよ。あのおっさんは」
そう答え、雲耀はエリーから目を離さない。
いや、離せない。
もし転びでもしようものなら……もし汚れでも付けようものなら……。
考えるだけでも恐ろしかった。
確かに、雲耀は普段衣服に無頓着で小さな事は気にしない性質である事は確かだ。
だが、これはあまりに度を越えている。
そういう文化などに興味がない雲耀ですらそれを失った事による文化的喪失が想像出来る程だった。
「……聞きたく、なかったです」
知ってしまった以上引き返せず、またこの事をどう説明したもんかと悩むハク。
それを見て、雲耀は久方ぶりにハクに対し本気で申し訳ないと思った。
そんな雲耀とハクの気持ちを知らず芸術品を見る様な穏やかな目でエリーを見つめるクロスと、新しくも美しい服を着て楽し気にするエリー。
そしてそれを渡した男は本の影からちらっとエリーを見つめ、高い着物であっても見事な程に見合っている自分の鑑識眼に満足し、独りほくそ笑んだ。
ありがとうございました。




