お目覚めクロス
なんとなくだが、クロスはその本質を理解していた。
この、夢の様な世界の本質を。
このぼやけた世界はクロスが見ている夢の世界として成り立ってはいるが、決して夢だけという訳ではない。
夢という物を独りで見る物だと仮定すれば、この世界は夢でさえないだろう。
自分と、そして目の前で自分に覆いかぶさる女性。
この世界には最低二つの魂が影響し合っている。
夢ではなく真として、クロスは彼女という存在を感じていた。
じゃあ、二名で見る夢は何と仮定すれば良いのだろうか。
起きている時は忘れていたが、こうして今見ると何となく状況が理解出来る。
吸血真姫……と呼ぶのが正しいかどうかはわからないが、目の前の女性はそれに準ずる存在だと考えて間違いないだろう。
クロスは彼女の事を親であると本能的に受け入れていた。
吸血鬼として、彼女が自分にとっての親であると。
自分の変化は彼女がそうした物であり、そしてその結果自分は彼女に近い存在に変わって行く。
本質が、本能によって伝わる。
魂に導かれ血液によって記憶が伝達させる。
塗り替えられる己と共にクロスはそれを理解した。
とは言え、起きたらどうせ大半は忘れるだろう。
何となくだが、そうなるだろうという事もまたクロスは不思議と認識出来ていた。
今この瞬間は彼女と精神的な距離が近いが故に理解出来ているだけであり、また目が覚め彼女と離れたら、この時感じた事、理解した事もまたわからなくなると。
組み伏せ、覆いかぶさる様にしている女性。
まるで情事前の様な大層魅力的な状況だが、その雰囲気はそんな類の物ではない。
少なくとも、上になっている女性の顔は今にも泣きそうな程悲しそうな物となっていた。
生きるのが辛くて辛くてしょうがないという顔。
世界中の全てに絶望にしてしまい終わりを求める顔。
だからこそ、クロスはそれを何とかしてあげたかった。
美女が目の前にいるなら笑ってもらいたい。
それこそがクロスの信条である。
そしてそんな軽い理由で命をかけられるのがいつものクロスなのだが……。
「悪いな。負けちまったんだ。あんたを優先する事が出来なくなった」
本来、吸血鬼という種族は親に逆らう事が出来ない。
吸血鬼にとっての親というのは絶対隷属の契約と同等だからだ。
状況的にも心情的にも親に従う様になる。
それが本来の在り方であり、そしてその力はクロスに効いていない訳ではない。
それでも、クロスはその隷属に逆らって見せた。
逆らえた理由は、そう難しい物ではない。
ステラの泣き顔が頭から離れなかった。
ただそれだけ。
「負けちまったんだ。だから俺は我儘が言えなくてな。すまんな本当」
そう言って、クロスは微笑む。
と口では恰好つけてみたものの、この夢の世界においてクロスが出来る事は何もなかった。
今この瞬間のクロスは蜘蛛に捕まえった餌の如く身動きが何も取れないだけの塊でしかない。
だけど……そんなクロスにも一つだけ、こんな状況でも出来る事があった。
いつだって、クロスはそれで危機的状況を乗り越えて来た。
自分に出来ない時はどうするか、それをクロスは痛い程理解していた。
そう、これは本当に今気づいた事だった。
ずっと違和感だけは感じ続けていた。
何か忘れている物があった様な気がし続けていた。
ハーフブラッドの血に目覚めた時から……前回彼女との夢の邂逅があった時から、何か小さな違和感が。
そしてそれを今、クロスは自覚した。
「あー。えっと……レン――すまんが助けてくれ」
その一言で、世界にノイズが走る。
バチバチと視界が歪み、世界が明滅する。
女性の顔が一瞬だけ驚いた直後――彼女との世界が壊れ、クロスはいつもの自由な夢の世界に戻された。
そこには、当たり前の様に彼がいた。
先代魔王、レンフィールドが。
「よっ。久しぶり」
立ち上がりながら、明るい様子でそう返事をするクロスを見て、レンフィールドは恨み事を吐くかのように盛大に溜息を吐いた。
「んで、なんで今まで隠れてたんだ?」
呑気にケラケラ笑うクロスを見てレンフィールドはジト目で睨んだ。
「……隠れてはいない。出て来れなかっただけだ」
「何で?」
「クロスの精神が急激に広がったからだ。その結果私は飲まれ奪われ自我を失いかけていた」
「良くわからん」
「今こうして話が出来ているのはある程度精神が均衡だからだ。それが崩れたらどっちかに吸い尽くされる。普通精神という物は一つの器に二つも入らない」
それ以前に他者の魂をそのままの形で取り込み残すという事自体普通ではないのだが……そこまではレンフィールドも指摘しない。
クロスが馬鹿で規格外であり、そして言っても何の意味もないという事なんて、内からずっと見ていたレンフィールドにとってもはや常識だった。
「ほーん。まあ消えずに良かったわ。俺としてもレンが俺の中に溶けるってのは何か嫌だしな」
そんな呑気なクロスにレンフィールドは苛立ちさえ覚える。
自分が消えるのは良い。
自分は歴史の敗者であり今の余生はクロスによる無意味な感傷でしかないからだ。
だが、今回消えかけたのはレンフィールドだけではない。
だからこそ、レンフィールドは苛立った。
「クロス。気づいているのか? 君の変化は今収まっているが終わった訳ではない。このままだと近い未来に記憶は――」
「わかってるさ」
そう言って笑い、クロスは片目に触れる。
きっと赤くなっているであろうその右目に。
「レン、何か情報はないかい?」
「すまない。吸血真姫なんて名前さえ初めて聞いた位だ」
「元魔王なのにー?」
「魔王だからだ。魔王とピュアブラッドは盟約を結んではいたが決して親しい関係ではなかったからな」
「ほーん」
「……まあ、クロスにはわからない事だろうけど」
「そうやって俺を馬鹿扱いするー。まあ馬鹿だけどな」
そう言って笑うクロスを見て、レンフィールドは苦笑した。
「助けたい気持ちはある。身代わりとなり私が消えて何とかなる問題ならば喜んでこの身を差し出そう。だが、すまないが事前情報がまるでない為何も出来ず、手助け出来るという確証はない。だから――」
「おう。俺は俺を助ける為に動く。それで良いんだろ?」
「ああ――。さっきみたいに、私が出来る事があるのなら手伝おう。だから、もう二度と自分を見捨てる様な選択肢は取るな」
「わかってるさ。ステラを、あいつらを泣かせたくないからな」
「……君は何もわかっていない。君の価値は今どれほどの物かという事を――」
「んな事言ったって、俺は俺でしかないぞ?」
「……一つ、過去に失敗し負けた私からの忠告だ。どうして君はステラ嬢に負けたかわかるか?」
「向こうが強かった」
「違う。実力ならば君の方がよほど上だった。あの時の君の潜在能力は私さえも凌いでいた」
「勇者として覚醒してばーんと強くなったじゃん」
「違う。ステラ嬢が強くなった訳ではない。あの時の君がただ弱かったからだ」
「それ、何が違うんだ?」
「……力なき信念はただの無力。だが信念なき力はただの暴力でしかない。あの時の君は君らしくない事に、ただの暴力でしかなかった。だから信念を持つ力に負けたんだ」
「……すまん、何を言いたいのかわからない。だが俺を心配している事は伝わってるぞ」
「君の思い描く理想の姿はただの暴力でしかない。かつてクロードという名の暴力が正しき勇者と成り得たのは、ひとえにお前がいたからだ。お前を失えば彼女達は全てを失い破滅へのピースとなる。だからこそ、お前が優先すべきは心だ。その心をお前が捨てた時、お前に価値はなくなる」
「わかりやすくプリーズ」
「自分だけで何でも出来ると過信しただろ? それが間違いだとお前は知ってるはずなのに。どれだけ強くなっても、誰かは必ず犠牲になる。思い上がるな」
その言葉は、クロスに突き刺さる。
言われてみれば、否定出来ない。
全部出来る様になって、皆に頼られて……そうすれば、自信をもってあいつらの隣に立てると思った。
勇者達の仲間になれると思った。
全てが幸せに繋がると考えた。
だけど、そうじゃない。
欲しかった物なんてのは、最初から持っていた。
むしろクロスはそれを捨てようと――。
「そう……か。俺、お前になる所だったんだな」
「ああ――。私みたいに失う所だった」
「そかそか。そりゃ間違いだな。ああ――そうだな。ありがとうレン。ようやく、ちゃんと反省出来たよ」
「それなら良い。――後は私の仕事じゃない。出来る事はあれば手を貸すが……」
「そうだな。これは俺の問題だ」
「違う。お前達の問題だ」
「……わかってるさ」
「だろうな。……そろそろ、私は消えるべきかもしれん」
「何でだ?」
「君にプライバシーが必要だろうからな」
「そんなの今更じゃん。気にするなよ」
「いや気にするさ。君の逢瀬や情事を見る趣味は私にはない」
「――はっ! あんたも冗談言えんだな。今年一番の驚きだ」
「冗談となるかどうかはお前次第だがな」
「おう。まあ見てな。完全無欠のハッピーエンド見せてやるからさ」
そう言って、クロスは拳を向ける。
レンフィールドは小さく溜息を吐き、しょうがなさそうにその拳に己の拳をこんと当てた。
目覚めたクロスが最初に見たのは、ステラの顔だった。
ステラはきょとんとした後、そっと柔らかい笑みを浮かべた。
「おはよ」
それにガラもなく、クロスは照れる。
だが表情を悟らせない様クロスはそっと目を反らした。
「うん、おはよ」
「どしたの? どこか悪い?」
「んー別に悪くはないかな」
「そか」
「――あのさ」
「ん?」
「ありがとう」
「えっと……何の事?」
「間違った俺をぶん殴って止めてくれた事」
「――別に気にしなくても良いよ。クロスの為じゃないし」
「おっ。ツンデレかな?」
「はは。そんなあの子じゃないんだから。違うよ」
ステラは顔を近づけ、じっとクロスの顔を見つめた。
「私がそうしたかったから。私がクロスともっと一緒に居たかったから。だからクロスがどれだけ嫌といっても止めてあげない。離れてあげないから」
そう言って、ステラはクロスのおでこに自分のおでこをこつんと当てる。
それは、成長の証。
人として真っ当な気持ちを知り、そしてまっすぐ気持ちをぶつけるという勇気の証明。
ステラは自分で自分の在り方を証明してみせた。
紛い物で仮初の空っぽの勇者ではなく、クロスの為の勇者であるというかつてからの在り方を、その心を持って。
クロスの為だけの勇者となって――。
少しだけ、それは意外だった。
いつも自分の言う事に従って我を見せないステラとは思えない程真っすぐな感情。
だからだろう。
心臓が、何時もよりも激しく動いている様な気がするのは。
目前に顔があり、その瞳に視線が動かされる。
自分を映す可愛らしい瞳に、整った鼻筋に。
そして――以前触れた事のある、唇に――。
届く距離だと思ってしまったのが、間違いだった。
クロスの瞳が自分の唇を釘付けにしているとステラは気付いてしまう。
気づいたから……ステラはそっと瞳を閉じた。
『自分が気持ち悪くない?』
そう思う気持ちはまだなくなっていない。
だが、それ以上にステラもまた――。
そっと唇の距離が縮んでいき――。
ガチャ。
「クロスさん! 目覚めました!?」
部屋に入って来るエリーの声に気付き両名は慌て距離を取った。
「エ、エリー! 久しぶり。元気だったか?」
「へ? え、ええまあ……お久しぶりです。ところで雰囲気が少しおかしい様な……あっ」
あわてるクロスを見て、エリーはそれに気づいてしまった。
その雰囲気に、流れる色のついた魔力に、それを見てしまった。
「もしかして……お邪魔でした?」
「そそそそそそんな訳ないだろう我が騎士よいつだって君を隔てる壁は持ち合わせて――」
「うっわもったいない事をしてしまいました。すいません次は邪魔しない様にしますので。……お話合いは一時間位後にしましょうか?」
「い、いや大丈夫。ただ十分で良いから顔とか体拭かせてくれ。何か気持ち悪い」
「了解です。ステラさん本当にごめんなさい。ではクロスさんまた後で――」
そう言ってエリーは邪魔しない様さっさと部屋を出て行って、気まずい空気だけが取り残された。
どっと、冷汗を掻いた。
それほどに、変に意識してしまった。
今まではこんな事なかったのに。
今回は、本当におかしくなっていた。
今までと何か違って強い流れがあって、このままだと行くところまで行ってしまいそうな位……。
何が今までと違うのか、クロスにはわからなかった。
あの時のステラのデザイア以降、ステラがクロスに自分を叩きつけて以降、クロスの中にあった四人への憧れを理由にした壁がなくなっているという事にクロス自身を含め誰も気づいていなかった。
少しだけ、クロスは我に返りもしかしてドキドキしたのは自分だけじゃないのかと考えた。
ステラは普段割と受け身であり拒絶しない。
だから嫌じゃなかっただけでそれを望んでいなかったのではないだろうか。
一瞬そう思ってステラの顔を見る。
ステラは、クロスと目を合わせようとせず俯いきそっぽを向いている。
だがそれでもわかる程、頬と耳が真っ赤になっていた。
意識していのが自分だけじゃなかったという事が何だか妙に照れ臭くて、クロスは気恥ずかしさから頬を掻く。
おそらく、自分も同じ様真っ赤になってるんだろうななんて思い苦笑しながら。
ありがとうございました。




