白い世界
どう見てもアレが固まって出来る赤褐色の汚れや数十年単位でないと出来ない程の苔、そして赤青緑黄色とやたらと色鮮やかなカビの生えた石作りの通路を抜けた先にある階段を登ると、さっきまでと違い綺麗な石と鉄で補強された通路に二人は到着した。
ガラス窓の先の景色からここが一階であり、また木々を周辺に置いた立地であると見てとれた。
その怪しげな建造物を誰とも会わないまま二人は更に走り、そのまま二階に上る。
すると一気に建造物の雰囲気が変化し……その不気味さに二人は足を止めた。
白、白、白、白。
二人の視界にはそれしか映っていない。
そこは眩いばかりのホワイトで埋め尽くられた通路だった。
そこには窓すら付けられていない。
床も壁も天井も白一色で、天井からは白く輝く光が降り注いでいる。
通路から見える扉も当然の様に全て白である。
木製の扉に金属製のドアノブが付けられた、ごく一般的な鍵付き扉。
それすらも何故か、白に染められていた。
とにかく安心させる為だけに作られているというのが二人は理解出来た。
ここにいると、自然と敵意の様な強い感情が消え心が穏やかになってくるからだ。
ここは安全だよ。
ここには敵はいないよ。
だからゆっくりと……いつまでもここで休んでいて良いんだよ。
そんなありもしない声が聞こえてきそうな程ただ優しさのみが詰め込まれた世界。
安心を伝える為の白以外全てを拒絶した穏やかな世界。
別に魔法の力が働いているとかそういう訳でもなく、ただそうあれと作られた建造物。
だからこそ、クロスはこの白い世界に恐怖を覚えた。
「リベル。次はどっちだ?」
険しい顔でそう言葉にするクロスを見て、惚けていたリベルは我に返った。
「あ、ああ。あっちだ」
「……俺が戦う気持ちを削いで来る奴が一番怖い」
「全くもって同感だ」
リベルはそうとだけ答え、その心から安心させられる白い世界の奥を目指して進んだ。
ただ白一色で前に進んでいるのか後ろに戻っているのか、それとも上や下に行っているのか。
ただまっすぐ進んでいるだけなのに平行感覚が狂いそうになってくる。
それでも、リベルはずっと目には見えない目印を追い、進む事が出来ていた。
だが……。
ごん。
そんな音を立て、クロスは壁に激突する。
リベルはリリィという目印を頼りに進めている為、迷う事はない。
だが、クロスは白に埋め尽くされた世界の所為で壁すら認識出来ない位迷いに迷っていた。
「大丈夫かい?」
リベルの言葉にクロスは苦笑いを浮かべ頬を掻いた。
「すまんな。壁が見えなかった」
「無理もない。歩けそう?」
「ま、おっかなびっくりで進んでいくさ」
そうクロスは答えた。
白に見慣れ過ぎて壁どこか床すら見えなくなっている状態ではそうなるのもしょうがないだろう。
そうリベルは考えた。
実際リリィという目印を感じられなかったら自分もきっと同じになっている。
そう思う程にはこの穏やかさしか感じない建造物からは隠された悪意に満ちている様に思えた。
リベルはすっとクロスに手を差し出した。
「……ん?」
クロスが良くわからず首を傾げるとリベルは再度、手の平を上に向けクロスに差し伸ばした。
「私が引っ張るから手を」
「え、あ……ああ」
クロスはおずおずと手を差し出し、リベルの手を握る。
そのままリベルはクロスを引っ張る様に先に進みだした。
「……良いのか?」
そうクロスが尋ねるとリベルは首を傾げた。
「何がだい?」
「いや。俺の事嫌いだっただろ?」
そう言われ……リベルはぴたりと足を止めた。
「……元々嫌いじゃない。ただ妬ましいだけだ。ただ……今は気にならないな。たぶん……」
「たぶん?」
「手を握られないとまっすぐ歩けない情けない君を見てると溜飲が下がる思いだからだろう。私はそういう君を見下さなければ生きていけない情けなくも低俗な存在だから」
そう呟き、リベルは悲しそうに微笑んだ。
「そうか。それはそれとして俺はリベルと手が握れて嬉しいぞ」
そう言ってクロスが握られた手をにぎにぎと動かすと、リベルは得も言われぬ不快感と恥ずかしさを覚え、そのまま反対の手でクロスの脳天に垂直に手を振り下ろしチョップをかました。
「あいてっ」
「次変な事言ったらその場でくるくる回し目を回させるよ。スイカ割りの要領で」
そう言葉にするリベルの頬は少しだけ赤くなっていた。
「そ、そうか。……ところでスイカ割りって何だ?」
「……今初めて、私は君が本当に人間だったんだなと理解したよ」
そう言葉にした後、クロスが何度スイカ割りについて訊ねても無視してリベルはクロスを引っ張りながら先に進んだ。
「ここかな」
そう言葉にしてからリベルは真っ白なドアのノブを握り、そっと捻る。
鍵もかかっておらずドアは簡単に開かれた。
通路と同じ様に白に埋め尽くされた世界。
ただし、その中にリリィの姿は見つからなかった。
「……すまない。どうやら部屋二つ分位ずれたようだ」
「いや。ある意味当たりを引いたらしいぞ」
そう言ってクロスは真っ白い部屋の真っ白い机の上に置かれた物を指差した。
一つは鞘に仕舞われたショートソード。
それが机に乱雑に転がされていた。
更にその横にはガラスケースに短剣が丁寧に飾られている。
それは二人の武器だった。
「おや。これは運が良い。……で、それは君の武器かい?」
そう言ってリベルはガラスケースに厳重に保管された武器を指差した。
「ああ」
「……これでも結構業物なのに私のはむき出し……。そして君の武器は丁寧に鍵付きか。ちょっと悔しいね」
「そこ嫉妬するんだ。まああれだ。これ色々と曰く付きの武器だから」
「曰く?」
「リビングソードの一種で持ち主に合わせて成長するらしい」
「……またそれはずいぶん珍しい代物だな」
「浪漫だろ?」
「わかりかねる」
そう言葉にした後でリベルは自分のショートソードを抜き放ち、ガラスケースの上部を切り落とした。
「さんきゅ」
そう答えてクロスは自分の相棒を手に握る。
「持った感触だけはしっくりくるんだよなぁ……」
そう呟いて苦笑いを浮かべた後、クロスはその武器を懐にしまい込んだ。
「さて、それじゃあ部屋を探そう。通路の反対側に行けばたぶん――」
「いや時間が惜しい。どっちにリリィがいる?」
その言葉にリベルは壁の方を指差した。
「なるほど。そうすれば早かったか」
そうリベルは壁の方に拳を握りしめるクロスを見て呟いた。
クロスは魔法が使えない。
人間であった頃魔力が乏しく、また学もないクロスに魔法というのは手が届く事ではなかった。
ただ、全く触れなかったかと言えばそう言う訳でもない。
仲間のメディールに個人授業を受け、そしてたった一つだけ、魔法と呼ぶのも烏滸がましい手品程度の事だがクロスは身に着けていた。
クロスは痛みを堪え、無色の魔力を生み出す。
それを右腕に集め……そしてクロスは壁をぶん殴った。
ざしゅっ……。
殴りつける音はそんな砂を抉る様な音だった。
それと同時に壁に大きな穴が開いていた。
「……今のは……」
リベルは顔をしかめながらそう呟いた。
「辛そうだがどうした?」
「いや。こう……予想外で不快な魔力振動が……。いやそれよりさっきのは」
「ま、手品みたいなもんだ。そんな事より、急いだ方が良いだろ」
そう言ってクロスは向こう側の部屋を見る。
そこは今まで通り白に染まった世界。
ただし、今までの世界とは根本的に異なっていた。
目玉や脳味噌が液体の入ったケースに浮かび、その周辺には多くの理解出来ない機械が立ち並ぶ。
そして中央には人を寝かせる簡易式ベッドが備え付けられてあり大きなライトに照らされている。
その傍に、ぴかぴかと光る機械とメスが並べられた状態。
どうやらここは手術室……と言うより作業室の様な部屋らしい。
「間に合って良かったよ。……本当」
明らかに今から何かが始まる様な雰囲気の部屋を見てリベルはそう呟く。
クロスは心から同意した。
「……て。こ……。出し……」
壁の向こうから何やら叫んでいるらしいリリィの声が聞こえ、二人は顔を見合わせる。
そしてクロスは慌てた様子で目の前の扉を開こうとした。
だが、今度は何故か鍵がかかっていた。
「めんどくせぇ!」
そう言って扉を壊そうとするクロスを、リベルは手を出し止める。
「君。よく見てみようか」
そう言ってリベルはドアノブについたサムターンを指差し、そしてそこを捻りロックを解除した。
「……あ、こっち側で鍵開けられたのか」
今更に気づいたクロスにリベルは苦笑いを浮かべ、そして扉を開く。
そして扉が開かれた瞬間……リリィが二人に襲い掛かって来た。
言葉にならない慟哭を上げ、涙を流しながら殴り、蹴りと死に物狂いで暴れるリリィ。
今まで丁寧に、大切にしていた自慢の翼から折れた羽は抜け落ち、鳥特有の形状をした足先や爪から暴れた反動で血が流れている。
一体どれだけ怖い思いをしたのか、二人には理解する事も出来なかった。
「大丈夫。俺達だから。ね? リリィちゃん。もう大丈夫だから」
そう言って宥めようとするクロスだが、リリィにはその声が届いていないらしく、泣きながらクロスを殴り、蹴りつけていた。
「ハルピュイアの足には気を付けた方が良い。君が思う以上に強いから」
「うん。身をもって理解してる」
踏まれながら掴まれた足がメリメリと音を立てている状況でクロスはリベルの言葉にそう返す。
そしてそのまま、そっとリリィの頭を撫でた。
「大丈夫。大丈夫……」
それでもリリィは落ち着いた様子を見せず、そのまま撫でてきたクロスの腕にかみつく。
クロスは噛みつかれた手をそのままに反対の手で再度リリィの頭を撫でた。
「大丈夫、大丈夫だから……」
何度も何度もそう繰り返し、子供を宥める様に優しい手つきでクロスはその頭を撫でる。
そこでようやく……リリィは目の前にいるのがクロスとリベルであるという現実を理解した。
「あれ……? 私……」
リリィは茫然とした様子でそう呟き、おろおろとクロスの方を見つめる。
目の前には血が出るまで噛まれたクロスの右腕。
そして口には何かを強く噛んだ感触が残っている。
それはどう考えても、自分がやった事だった。
「ご、ごめんなさい! 手当をしなきゃ……ってここどこです? あれ? 私家に帰ったんじゃ」
「はいはい落ち着いて。あんまり時間ないけどとりあえず落ち着いてー」
そう言って頭を撫で続けるクロス。
それでゆっくり深呼吸をして、リリィは自分が誘拐された事を思い出した。
「……そうだ……急いで逃げないと! もうすぐあの人がこっちに戻ってきます!」
そう、リリィははっきりと言葉にした。
「……あの人って言うと……あのクソジジイ?」
「ええまあ……。さっき来まして。今から……」
そこまで言葉にした後、リリィは真っ青な顔となり口元に手を当てた。
「言わなくても良いよホワイトリリィさん。ただ、悪いんだがこれだけは聞いておかないといけない。何か体をいじられたり酷い事をされたりしたかい?」
「……正直長い間寝ていたのでわからないのですが……」
「起きている間だけで良い」
「じゃあ何も……たぶんまだ……」
「失礼。ちょっと調べさせてもらう」
そう言ってリベルはリリィの肩に手を当て目を閉じた。
「……うん。大丈夫そうだ。機械が埋め込まれた痕跡も魔術的にいじられた痕跡もない。それなら話は早い。さっさと逃げよう」
リベルの言葉に二人は頷いた。
「んじゃ二人は先に逃げてくれ」
クロスはそう言葉にした。
「え? 皆で逃げるんじゃないんですか?」
状況がわからずリリィは不安そうにそう呟く。
その声にリベルがその訳を説明した。
「誰かが一人ここでホワイトリリィさんが逃げる時間を稼がないといけないんだよ」
「でも……」
「それに、残念な事に私とホワイトリリィさんで逃げる方が早い」
「でもそれじゃクロスさんが……」
「なあに後で逃げるさ」
そう言ってクロスはにこっと微笑んだ。
「むしろ、今ホワイトリリィさんが逃げて安全圏まで移動しないと彼はずっと逃げられない。だから本当に彼の事を考えるならすぐに動いてくれ。頼むよ」
縋る様な声でリベルはそう言葉にする。
それで、リリィはどこまでも自分が足を引っ張っていると理解しながら頷いた。
「……また、後で会いましょう」
「ああ。その時は笑顔で頼むよ」
泣きそうな顔のリリィにそう伝えるクロス。
それにリリィが頷いた後リベルとクロスはお互い見つめ合って頷く。
その後に、リベルとリリィはさっきクロスが開けた大穴の方に歩きだした。
直後――激しい轟音が鳴り響く。
何か大きな物が壊れる様な衝撃と鼓膜が震えるのが理解出来る程の大きな振動。
その時クロスの目に映ったのは……細いワイヤーと金属で構成された機械の腕。
それとその腕に吹き飛ばされ紙屑の様に飛ぶ二人の姿だった。
ありがとうございました。




