セルフィッシュ
『もっと自分に正直で我儘じゃないですか』
エリーの声は、クロスに届く。
クロスは、自分が自分を否定していた事に気が付いた。
なんだかんだ言っても、クロスはレンフィールドに対して敗北感を抱き、敬意を払っていた。
クロスはレンフィールドの様に、真摯に平和を望んでいた訳じゃあない。
だからこそ、レンフィールドの気持ちと願いを否定出来なかった。
もっと言えば、その願いに引っ張られていた。
自分と同じ願いに。
だけど、違う。
結果は……まあ同じだろう。
クロスだって平和を望んでいる。
その為に命を賭けてきた。
だけど、クロスとレンフィールドでは過程がまるで異なる。
むしろ、正反対であると言っても良い。
それを、思い出した。
自分は自分、相手は相手なんて当たり前な事を、忘れてしまっていた。
レンフィールドの平和という呪いの呪縛に、クロスはようやく解き放たれた。
「おらぁ!」
ガラ悪く叫びながらの拳が、レンフィールドの頬にめり込む。
その拳は今までの様に無視出来る程、軽いものではなかった。
「なっ!?」
痛みを覚え、レンフィールドは驚きを持つ。
未だ力の差は歴然であり、クロスの拳が届く訳がない。
精神世界では影響力がその力に繋がり未だその影響力の大半を持つのは、デザイアを使いこなせているレンフィールドの方。
クロスの影響力は甘く見ても一割程度位だろう。
それでも、殴られた頬は何故か痛かった。
レンフィールドは慌て、手を前に出す。
「待った。話し合おう。戦う必要はないはずだ!」
時間もないし、痛みを覚えたという事はデザイアが覚醒する可能性が残っているという事。
だからレンフィールドは常識的に説得を試みるのだが……。
「うるせぇ! 御託はいいからかかってこい!」
全くもって、話を聞いてくれないクロスにレンフィールドは困惑する事しか出来なかった。
虹の賢者、勇者達を調和させ世界平和に導いた偉人。
間違えない者と呼ばれ、そう慕われる彼と、今の姿はまるで一致しなかった。
「いや、クロスが気に食わない理由はわかる。勝手に体を乗っ取られたんだ。その怒りも正当性がある。それでも、話を――」
「そんな事はどうでも良いんだよ!」
再度のパンチも、やはり痛かった。
むしろ、一発目よりも痛い。
「ちょ!? いや、そんな事って」
「体を奪われた事とかじゃねぇ。さっきから言っているだろうが! 俺は、お前が気に食わないんだよ!」
「君を通じて見るまで人類を蛮族と思っていた事かい?」
「ちげぇししつこい! 人とか、平和とか、んな御大層なもんじゃなくててめぇの存在そのものが気に食わん! その――諦めきった面がな!」
三度の拳が当たった時、どこからか、ピシリと、何かが罅割れる音が聞こえた様な気がした。
イラっとした気持ちが、レンフィールドから湧いて来る。
それは、本当に久しぶりな事だった。
目的の為に、徹底して私を殺してきたレンフィールドにとって、怒りならともかくイラつきというのは。
「……殴り合いが、ご希望ですね」
「おう! やっとその気になったか」
「ええ。付き合います――よ!」
レンフィールドは、思いっきり拳を振るった。
今まで殴れた仕返しとばかり同じ横っ面を殴り、思いっきりクロスを吹き飛ばし、地面に叩きつけられバウンドする。
多少はクロスも己を取り戻したが、その差はまだまだ歴然としたものが残っていた。
「……いってぇ……。なんだよ。やりゃあ出来るじゃねぇかよ!」
クロスは仕返しとばかりに殴り返す。
どれだけ距離が空いた様に見えても、ここは精神の世界。
距離という感覚はなく、常に、お互いの拳が届く状態だった。
クロスは何も考えない、お互いの殴り合いがしたいのだろう。
だが、レンフィールドはそれに付き合う気はなかった。
クロスの拳を軽々止めて、ボディに一発お見舞いをする。
少しだけ、気分が良かった。
「ぐふっ」
息が抜ける様な悲鳴の後、膝から崩れるクロス。
それでも、クロスはまた立ち上がり、何も考えていない見え見えのテレフォンパンチを叩きこんで来た。
「……はぁ。やれやれ」
イラつきと面倒な気持ちを抱えながら、レンフィールドはクロスをあしらい、殴りつけた。
大体、体感五分位だろう。
精神世界であるこの世界の時間は地上程早く進まない。
それでも、時間はもうあまり残されていない。
クロスの肉体が願望機に吸われ切るまでの時間は、こちらの世界で考えても十数分さえ残っていなかった。
「こんな無駄な事をしている時間はもうないんですよ? わかってます?」
「知るか」
ぶっきらぼうな態度で、そう答えるクロス。
レンフィールドは、クロスが同じ存在である事に疑問を抱く程度には、クロスという存在がわからなくなっていた。
「気に入らない気に入らないって、一体何が気に入らないんですか?」
「てめえのそのわかってますって面が気に入らねぇ。何でもかんでも受け入れますっていう態度が気に入らねぇ。何よりも……俺の顔で! 諦めている事が、気に入らねぇんだよ!」
そう叫び、クロスは怒りを燃やし、またあいもからわず拳を振るってくる。
その拳をレンフィールドは受け流そうとする。
だが、はじかれたのは、自分の拳だった。
払おうとしたクロスの拳は、おそろしく重たかった。
「え?」
気づいた時には、クロスという存在は、自分と同じ位に、大きくなっていた。
「やりてー事投げ出してんじゃねーぞ卑怯者がぁ!」
そう叫び、容赦なく殴りかかって来る。
吼える、吼える。
好き勝手、吼える。
何も知りもしない、理想に殉じて死んだけの奴が、勝手に否定する。
レンフィールドは、仕返しにクロスを殴りつけた。
「……なるほど。確かに……その気持ちは理解出来た。確かに、これは不快だ。気に入らないと言っても良い」
レンフィールドはそう言葉にし、クロスを睨みつけた。
殴られたクロスは、何故か楽しそうに笑っていた。
「なんだ。わかってるじゃねーか」
「何がだ? それと、どうして笑っているんだ?」
「わからないのはお前が馬鹿だからだよ!」
そう言って、クロスは殴る。
何故か避ける気がせず、素直に殴られた後、レンフィールドは殴り返した。
「馬鹿はお前だ! こんな事してる場合じゃないってわかっているのですか!?」
「そうだろうよ! だがそれよりも先にてめぇだ! 俺の中にいやがるてめぇから先だ!」
「煩い! 何も出来ない癖に」
暴言を言い合いながら、クロスとレンフィールドは殴り合い続ける。
意味のない行動であるとわかっていても、虫唾が走って我慢出来なかった。
どうしてこんな気持ちになるのか、わからない位に。
「何故だ! どうしてこんなに腹が立つ! どうして嫌悪を覚える。お前は私だろう!? 私はお前だろう!?」
レンフィールドは、そう叫ぶ。
デザイアとは、心の根源そのもの。
そのデザイアが混ざり合う程類似した。
願いは同じ物だった。
であるならば、おかしい。
嫌悪ならばまだわかる。
レンフィールドは自分を嫌悪しているのだから。
だが、腹が立つ理由がわからなかった。
「何を言ってるんだお前は? 俺達が同じ訳がないだろう」
「良いや同じだ! 貴様だってそうだろう! 平和を作りたい。違うのか?」
「……いいや、違わないな」
「ならば、何故私達はこんなに違う!? 私達はこんなに離れた!?」
「知るかよ。そもそも、同じと思った事は一度もない」
「貴様だって、悲しむ子供は見たくないだろう」
「ああ。泣く子を見るのは、心が痛いな」
「戦乱に燃える街を見たのは一度や二度ではないだろう!?」
「ああ。そうだな。数えきれない程見てきて……数えきれない程、救えなかったな」
「ならば、ならば何故!?」
「……ああ。わかったわ。てめぇが気に食わない、一番の理由が」
クロスはそっと目を閉じ……何かを思い浮かべた後、レンフィールドの方をまっすぐ見た。
「目を閉じろ」
「は?」
「良いから」
レンフィールドは素直に従い、目を閉じた。
「それで?」
「お前の思う平和を思い浮かべろ」
言われるがままに、思い浮かべる。
自然に満ちて、誰も飢えず、どの家庭でも家族が共に暮らせ、皆が平和に暮らせる世界。
理想の世界、それを作る為ならば、何でもすると誓った……原風景。
それは、いつだって、何度だって、思い浮かべる事が出来た。
「……思い浮かべたよ」
目を開き、レンフィールドはそう言った。
「その中に、お前はいたか?」
レンフィールドは、首を傾げた。
「? 何を言っているんだ? これが終われば消える私がいる訳がないだろう」
「もし消えなかったらだよ。もし消えないと仮定して、いたか?」
レンフィールドは、どうしてそんな無意味な事を聞くのか、意味がわからなかった。
「何を言っているんだ? 平和に最も相反した男が、平和な世界にいる訳ないじゃないか」
クロスは一瞬、見下す様な目を見せる。
その直後、怒りを顕わにし殴りかかって来た。
「この馬鹿野郎が!」
「意味がわからないんですけど!」
そう答えながらも予想していたたけ迎撃し殴り返す。
だけど、何故かわからないが、レンフィールドは徐々に押されていた。
「何が気に食わない! 何がおかしい! 世界を平和にすると願う事が、そんなに悪い事なのか!?」
そう叫び、レンフィールドは殴りつける。
クロスは、殴られても一切目を反らさず、睨みつけて……。
「愛がないんだよ!」
「私は世界を愛している!」
「てめぇ一人愛せない奴が、世界を愛せる訳ないだろうが!」
そう叫びながらの拳が、顔面に強くめりこむ。
受け止める事さえ出来ない。
その拳は今まで一番痛くて……。
また、ぴしりと何かが罅割れる音が聞こえた。
それは、産声。
クロスはようやく、己の本当の願望を理解する。
人間であった時から変わらなかった、心の奥の声。
それは、誰よりも欲深く、醜く、それでいて傲慢。
確かに、結果で言えば世界で最も高潔なレンフィールドの願望とそっくりだ。
『それは美しき新世界の為に』
レンフィールドの常時展開型デザイア。
誰よりも美しい未来を信じ、その為に生きると誓った心からの渇望。
自己犠牲の末の究極の他者愛。
それは、確かに、確かにクロスの願いと酷似しているだろう。
クロスも、平和を心から願っている。
その為に無茶をしてきた。
だが……残念な事に、一致するのは結論だけ。
過程に関してで言えば、正反対だった。
「……私は、平和な世界を作りたい」
「俺は、平和な世界を見たい」
「子供が泣かずに済む世界を」
「俺の目の前でガキが泣かない世界を」
「親が子を失い悲しまない世界を」
「親子が仲良くしている所を」
「争いのない世界を」
「争いのない世界を」
「私は、作りたい」
「俺は、見たい」
問答が呼び水となり、クロスの心が、渇望が、願いが、溢れ言葉と変わっていく。
「この世で、最も大切なのは誰かと聞かれたら、俺は迷わず俺と答える。俺は、普通の人間だ。賢者でもなければ勇者でもない。欲深い、自分が一番大切なただの人間だ」
そう、クロスは自分の事をそう思っている。
だからこそ……エリーは、クロスに惹かれた。
「俺は、見える範囲誰もが不幸になって欲しくない。だってさ、嫌な気分がするだろ?」
結局のところ、それだけなのだ。
クロスが人助けをする理由なんてのは。
どれだけ辛い目にあっても勇者の仲間で居続けたのは、どれだけ周りに迷惑をかけても旅を続けたのは、ただ自分の為。
自分が、最高の仲間である彼らと一緒にいたかったから。
心の底から、彼らとの旅を望んだから。
少しでも平和な世界にしたかったのは、目に付いた人を助け続けたのは、目覚めが悪いから。
「だってさ、これは俺の世界だぞ? 俺の世界の不幸ってのは、俺が傷付く事と同意だ。だから、そんなの認められる訳ないじゃないか」
クロスは、自分が一番大切である。
だからこそ、目に映る世界も大切で、共にする誰かもとても大切で……。
つまるところ、最低最悪の我儘野郎なのだ。
『クロスという男は、目に見える世界全てを、自分の物であると考えている異常者である』
それが、全て。
究極の自己愛を持つ、唯我独尊男。
クロスはそういう男である。
だからこそ、誰もが心を折る様な苦難であっても、クロスは耐えられた。
心が強い訳ではない。
それが、自分の為の行為だからだ。
自分の世界だから、皆に幸せになって欲しい。
自分が幸せになりたいから。
一緒に、笑っていたいから。
皆が幸せになってくれたら、自分も気兼ねなく幸せになれる。
やりたい事をやって生きて、好き放題して、その上で、世界が平和になって欲しいと願う。
クロスが願う平和な世界は、いつだって、自分が中心。
皆に囲まれて、自分が――笑っていた。
「俺は俺が大切だ。だからこそ……俺は、世界を愛している。誰よりも――」
強い自負、目覚めの時。
眠っていた渇望が言葉を通じて溢れかえり、形を取る。
デザイアという、極致の形を。
『素晴らしきは我が世界』
世界は、自分を中心に回っている。
「……く……クロス! 貴様ぁ!」
溢れ出るデザイアに触れ、激昂する。
レンフィールドにとって、それは認められる訳がなかった。
自己犠牲の末の世界平和を望むレンフィールドとは、完璧なる対比。
己という存在の重さを知るからこそ、世界を尊いと知るクロス。
自分が何よりも大切なんて考えは、レンフィールドにとって最も打破すべき醜い感情だった。
「ようやくこれで対等だ! 気に入らねぇんだよ自虐趣味の自己犠牲野郎が!」
「煩い、唯我独尊男が!」
そうして再び、殴り合う。
もう、これが無意味な事だなんて考えはレンフィールドの中にない。
相手が立っているという事でさえ我慢がならない。
敵を倒されなければ、自分の渇望さえも否定される。
お互い同じ結果を求めるデザイアなのに、不俱戴天の仇であり、共存を許さない。
犬猿の仲なのに体を共有したというのは、まさしく喜劇である。
『お前だけは認めない』
その気持ちで、殴り合うクロスとレンフィールド。
だけど、どっちも相手を排除しようと考えている訳ではない。
ただ、マウントを取りたいだけ。
俺が正しい、お前が違う。
そう言いたいだけ。
つまるところ……恰好つけてきどっておきながら、これはただの――喧嘩だ。
何の社会的意義も持たず、何の道徳的理由もない。
究極的に言えば、無駄に傷つけあっているだけでしかない。
いや、傷つけあっているという表現もおかしい。
ここは精神世界である為物理的な傷には一切意味がなく、更に言えば、お互い何の能力も使っていない。
クロスのデザイアとはそう言う物だった。
クロスのデザイア『素晴らしきは我が世界』の効果は、否定の力。
世界で最も価値があるのは自分。
そんな強い意思があるからこそ、相手のデザイアを破棄、並びに弱体化させる。
だからこそ、ある意味対等だった。
お互いデザイアに覚醒しているのに、お互いデザイアが使えない。
精神世界であるにも関わらずお互い何も考えず、ただただ殴り合っているだけ。
つまるところ、これは純粋なる意思の勝負だった。
レンフィールドは、負ける訳にはいかなかった。
なにせレンフィールドが背負っている物は世界である。
素晴らしき世界、誰もが不幸にならない世界。
その為だけに今日まで生を繋ぎ、生き恥を晒して来た。
その目的だけが、レンフィールドの生きる意味。
背負っている物は、何よりも重い。
だから……。
お互いボロボロのボコボコ。
精神世界なのに何故そんな事になっているのかという位に惨状となっている。
何故疲れているのか、何故傷付いているのかわからないまま、お互い肩で息をして、お互い相手を睨みつけ続ける。
気に入らない。
ただ、それだけの理由で。
そしてまるでお互い予定調和であるかのように右手を振り、思いっきり相手の顔面に拳を、同時に叩きつけた。
クロスカウンターの様な状態。
しばらくお互い動かずにいてから……どちらかが、ばたりと崩れ落ち、そのまま地面に倒れ込む。
立っていたのは……。
「俺の……勝ちだ」
鼻血を垂れ流し、目をぱんぱんに腫らせ、膝を笑わせながら、クロスは見下し勝ち誇った。
レンフィールドの背負っている世界は、確かに重い。
だが、クロスが背負っているのは、自分が見ている世界。
世界から自分を抜いた分だけ、レンフィールドの方が、軽かった。
自分という、ただ独り分だけが、両者の想いの差だった。
ありがとうございました。




