祈る母と、祈る息子
普通の馬車のまま一旦近場の獣人の町に止まる。
そこで馬車の車体から馬が解放され、その代わりに、セントールがその車体に入る。
そしてセントールが馬車を引き、目的の場所付近まで速攻で運び、皆を下ろし馬車事彼らは去っていく……。
流れる様な作業感。
セントールの引く馬車は、恐ろしく早かった。
代わりに、乗り心地は最悪だったが……。
そして目的地であるその獣人の集落、パルスピカ達が住んでいるその場所を見て、クロスは唖然とした。
長閑で、平和そのものだったその集落……だったはずの場所。
そんな場所に、折れた武器が散らばり、地面がところどころ赤く染まり、そして幾つかの家が破壊されているなんて戦乱の跡が刻まれていた。
それと同時に周辺を殺気立った様子で集落を取り囲み、見張る獣人達。
かつて共に酒を飲んだ気の良い仲間達だとクロスでさえ気づかない程に、彼らは切羽詰まった様な様子で警備をしていた。
「これ、通れる?」
メディールは思わずそう呟いた。
別に厳重という訳ではない。
だが、その様子はあまりにも殺気だっており、とてもではないが余所者を入れる余裕があるとは思えなかった。
「いや、むしろ来てくれにゃ困る」
そんな声が聞こえ、そしてクロス達のすぐ前にその男は姿を現した。
その姿を一言にしたら、毛むくじゃら。
全身灰色の毛で、ある一点を除けばまさしく犬そのものの。
その一点、二足歩行をしている事から獣人だとわかる男の名前はタイガー。
グレイウルフのタイガーである。
名前やら、存在やら、絡み癖やらで普段なら色々とふざけるところなのだが……お互いそうは言っていられない程に余裕がない。
タイガーの姿は、腕や足の毛が一部千切れ、肉事抉られ、見るも無残な程ボロボロになっていた。
「久しぶり。……その姿、大変だったみたいだな」
クロスの言葉にタイガーは首を横に振った。
「両方の意味で否定しにゃならんな」
「両方?」
「俺は戦闘にゃ参加していないからそいつらに比べりゃ大変って訳じゃあない。ただし……そのだったという過去系の部分も否定せにゃならん。現在進行形だからな。先に一つだけ、事後報告だが言いたい事がある」
「なんだ?」
「パルのおっかさんだが、元の住居が破壊された上に遠すぎて守れないからこっちにあるパル坊の家に移した。外に出したらいけないって約束破ってすまん」
そんなこの辺りの獣人らしからぬ律儀さに少し驚いた後、クロスは首を横に振った。
「いや、それは構わないんだが……その怪我は一体どうしたんだ?」
「それは来てくれたらわかる。今は落ち着いているが……いや……残念だが、起きてしまったみたいだ」
そう、タイガーが言葉にした瞬間、クロスは女性の叫び声を耳にした。
金切り声で、狂乱という言葉が似合う様なその声は……アマリリスの声。
それは、パルスピカの住居の方から響き続けていた。
それを見て、クロス達は絶句した。
パルスピカの家の中、それはまるで、室内で台風が起きたかのような程の荒れ具合だった。
理由はわかる……というよりも、目の当たりにしている。
狂乱という言葉さえ生ぬるい声にならない悲鳴を上げながら、大荒れの原因であるアマリリスが家財を破壊する程暴れていた。
成熟した男の獣人複数体でアマリリスを外に出ない様、自分を傷付けない様に押さえつけているが、それでもアマリリスの力は異常で自分の体が傷付くのさえお構いなしに暴れ、押さえつける獣人達の方もみるみる傷を増やしていく。
その負傷は、爪の跡や指が食いこみ抉った跡はタイガーが今ボロボロになっている姿とまったく同一の物だった。
「何か手ないかクロス。俺達が怪我をするの全然構わないんだが……パルのおっかさんの体が心配で……」
そんなタイガーの言葉を聞いてクロスははっと我に返り、とりあえず叫んでみた。
「アマリリス!」
その声を聞き、ほんの一瞬だけ……アマリリスは動きを止める。
そしてすぐさま、周囲の獣人を振り払い避けてクロスにしがみついた。
「お願い助けて! 私のあの子が、可愛いあの子が……」
「わかってる。それで俺もここに来た!」
「お願い! あの子を……あの子を!」
そう叫び、再びヒートアップして発狂しそうになったのを見て……メディールはとんと、アマリリスのおでこに小さな杖を振る。
アマリリスはとろんとした、穏やかな顔に変わったかと思うとその場でぱたんと倒れ、穏やかな寝息を立てだした。
「……メディ。何したんだ?」
「眠らせただけよ。……余計なお世話だった?」
「いいや。助かったよ。ありがとう」
「どういたしまして。少なくとも二時間位は寝ているはずだからあんたらも休んだら?」
そう、つっけんどんな態度で言葉にするメディが、獣人は神よりも神々しい存在に見えた。
「……はい。これで良しっと! 他に気になる場所はありますか?」
タイガーに包帯を巻いた後、エリーはそう訪ねながら微笑んだ。
「いや、大丈夫だ。ありがとう」
「いえいえ。……ずっとああなんですか?」
「ああ。起きている間ずっと暴れまわって、糸が切れたみたいにぱたんと倒れて……かと思ったら起きあがってパル坊がいない事に気づくと暴れまわって……もう、不憫でな……」
そう言葉にし、タイガーは涙を流す。
自分達の怪我よりも、自分達にとって大恩あるアマリリスの事が彼らは心配だった。
「あ、先に言っとくけど着替えとか治療とかそういうのは男はしてないぞ! ちゃんと女性にさせてるからな」
タイガーの言葉と同時に、真っ白い髪に真っ白い服を着た女性がぴょんと背後から顔を出した。
少々露出度の高い服装で、真っ白い肌をこれでもかと出したその女性の耳は、兎の様になっていた。
「ども。アマリリス様のお着換えとか担当したウサタニでっす」
「あ、ども」
そう返し、クロスがぺこりと頭を下げると女性に同じ様に頭を下げた。
「うぃうぃ。ちなみに未婚で子作り相手募集中年中発情……」
言い終わる前に、ずりずりと他の獣人女性にウサタニは連れていかれた。
「あー……待ってー。何となく性欲強そうだからいけそうな感じなのにー」
気だるげに、手をばたばたとさせながら連れ去られるウサタニにクロスは笑いながら手を振った。
「……くくっ。こんな状況なのに……。まったく、ここらしいな……」
クロスは笑いをこらえながらそう呟いた。
「ま、馬鹿ばっかなのがうちの特徴だからな」
そう言って、タイガーも得意げに笑って見せた。
「んで、何があったんだ?」
一区切りついてから、クロスはタイガーにそう尋ねた。
厳重な警備に、発狂したアマリリス、それにパルスピカの誘拐。
大体予想は付くが、その現場にいたであろうタイガーに今どうしてこうなっているのか、クロスは聞きたかった。
「……正直、良くわからん。ただ……急に襲撃がめちゃくちゃ増えた。元々襲撃自体はそれなりにあったんだが……こんな規模じゃなかった。今までの様な小競り合いとか喧嘩じゃなくって、本当の意味での襲撃だった」
「パルが連れ去られたのはその前か、その後か?」
「丁度だな。パル坊が拉致られる最中別方向から襲撃が来て……。最初はいつもの喧嘩仲間程度と思っていたが持っている武器が全然違って……まあ、誰も死にゃしなかったが洒落にならん怪我した奴がちょくちょく出て……んでそれ以降も頻繁に襲撃が来て今に至るという訳よ」
「頻度は?」
「一日二度程。最低一回は来るな。後は……パル坊の探索に何体か動いているが今んとこその痕跡はさっぱりだ」
「……わかった。エリー。あのさ……」
「オススメ出来ませんよ?」
クロスが何か言おうとする前に、エリーはそう言葉にした。
「いや、だけど……」
「それが望みなら構いませんが、今そこにリソースを割くのは……」
そのエリーの言葉を聞いて、タイガーは割って入り尋ねた。
「待った。お前ら何の話をしているんだ?」
「クロスさんはこの集落の手伝いをしようと言いだそうとしたのを私が窘めた形です。私達には別の役割がありますので」
そう、平然とした様子でエリーは言葉にする。
例え憎まれても、別に構わないという態度で。
「それってもしかしてパル坊の救出か!?」
「はい。クロスさんの言う通り、その為に私達はここに来ました」
「だったらそれで良い。俺達なんかは後で良いし、パル坊が救われるまで俺達は死んでもおっかさんだけは守ってやる。だからむしろそうしてくれ! パルとそのおっかさんさえ生きれば俺達は死んでも誰も後悔はない!」
そう、タイガーが声を荒げると周囲の聞いていた獣人皆が頷いた。
男女問わず、全員が、同じ気持ちだった。
助けてくれたこの集落の生みの親であるアマリリスを、はみ出し者で馴染めなかった皆を助けてくれたアマリリスを救いたいと願わない者はここにいない。
皆が面倒で放置していた村のあれこれを、管理を全て引き受け子供なのに集落の為に笑顔で働いてくれたパルスピカに恩を返したいと思わない物はいない。
ここにいる獣人は馬鹿で、上手く文明に馴染めず好き放題してきた野性に生きるだけの愚か者である。
だがそんな愚か者でも、その恩義にだけは忘れた事はなかった。
自分達が馬鹿だからこそ、自分達の命よりも優先すべき者がいる事を彼らは知っていた。
「エリー、モーゼが来たら上手く交渉してここに兵力割いてくれ。どんな事しても良いし、俺の名前使っても良いから。頼む。せめてそれ位はしておきたんだ」
クロスの言葉にエリーは頷いた。
「わかりました。出来る事はします」
「頼んだ。俺はちょっとここを離れる」
「どこに?」
「アマリリス達の元の住居を見て来る。何かヒントがあるかもしれん」
そう言葉にし、クロスは十数キロ先にある山の方を指差しそちらに走って行った。
「……追い掛けないんですか?」
エリーはメディールにそう尋ねた。
「……追いかけたいけど……こっちに残った方が私は役に立つでしょ。負傷者の治癒とモーゼとやらが来た時の威嚇要員。後は襲撃が来た場合の戦力。……まあ、治療と言っても誰の体にも触れるつもりはないけど」
「クロスさん以外の男性の肌に触れたくないんですねわかりますよ」
「言わなくてよろしい」
否定せず、メディールはそうとだけ言ってエリーの側頭部をつんと突いた。
目隠しとさるぐつわを噛まされ、両手両足を縛られたままパルスピカはどこかに運ばれ続けている。
状況は全くわからない。
ただわかる事は、自分はほぼ常に馬車荷台に積まれていて、そしてその馬車はほぼ常に移動を続けているという事位。
後は……五、六回ほど馬車を変える事となったという事はそれだけの数の馬車を用意出来る程の相手に誘拐されたという事位か。
ふいに、さるぐつわが外される気配を感じる。
どうやら食事の時間らしい。
目隠しと馬車移動の所為で時間間隔はとうにバラバラとなっていた。
「ほれ。食え」
そんな声と同時に、口元にパンを突っ込まれる。
最初の内はぱっさぱさだし硬いし手使えないしで困っていたが、流石に何日も繰り返せば馴れて来る。
自分でも器用だなと思う位には恐らく食べられているだろう。
「おい。油断するなよ。そいつ今まで何度も暴れて逃げようとした事を忘れたのか?」
もう一体の魔物はパルスピカを見ながらそんな事を口にした。
拘束が緩い内に何度も逃げ出そうとして、そして失敗する度に扱いが悪くなり現状は両手両足を拘束されながら目隠しにさるぐつわとなってしまった。
ついでに言えば逃げ出そうとする度に殴られ痛めつけられた為そこそこ体がボロボロで未だに全身に痛みが走っている。
だからといって脱走を諦めた訳じゃあなくて……ただ、機を待つ様にしただけ。
この状態でも、パルスピカはまだ逃げる事を諦めていなかった。
「……いや、別に油断してないけどよ……」
そう言葉にし、その魔物はパルスピカがパンを加える姿を見て、ごくりと……喉を鳴らす。
「……おい。そいつガキだしそもそも男だぞ?」
「だけどよ、顔だけは良いだろ? だったら……」
「止めとけ。頭に見つかったらやべぇぞ」
「お前が黙っていたら良いだけだよ。……チクんなよ?」
「……代わりに混ぜろ」
「お前も乗り気じゃねぇか。しゃあねぇ俺の後な」
じっとりとした、嫌な気配。
パルスピカは自分に向けて何やら気持ち悪い感情をぶつけて来るのを感じる。
それが何なのかは、パルスピカはわからない。
言葉で言われたら理解出来るだろうが、その感情自体を知らないパルスピカでは理解しきる事は不可能だろう。
劣情混じりの悪意など、あの集落で馬鹿騒ぎをして暮らしていたパルスピカにわかる訳がなかった。
だけど……この後どうなるかだけは知っているパルスピカは、悲鳴を上げようとする。
それを察知し、男達はパンを取りさるぐつわを噛ませた。
息が詰まって死んでも良いかと思う程乱雑に。
パルスピカは、必死に声なき声を出し暴れようとする。
死に物狂いで、必死に……。
この後どうなるか……良く知ってしまっているからだ。
だからパルスピカは、必死に訴えた。
お願いだから、止めて。
何をしようとしているかわからないけど……それをしようとしたのは、貴方達で五組目なんです。
だから……。
そんな、パルスピカの祈りもむなしく……彼らは、過去パルスピカに不埒な真似をしようとした者達と、全く同じ運命をたどってしまった――。
目隠しをされるパルスピカの目には、何も映らない。
だけど、その獣人特有の聴覚が、嗅覚が何が起きたのか理解したくないのに理解してしまう。
二つの大きな球体……丁度、頭部と同じ位の物が地面に落ちたその音を聞き、その直後水が勢いよく噴き出す音が響く。
そして……吐き気さえするほどの生臭い程の鉄の香りが充満した。
さっきまで動いていた心臓が二つ、動きが緩慢になり……そして……。
「ごめんね。怖い思いをさせて。でも大丈夫。俺がいるからには君には暴力を震わせないし不埒な真似もさせない。だから……うん、逃がしてあげる事は出来ないけど、安心して良いから」
そんな優しい声色の声が聞こえ、優しく、頭を撫でられる。
気配も、心音もないのに、そこに誰かがいるとわかるその不気味さ。
優しい声色のはずなのに、触れられる部分から己の体が冷えていく様な錯覚に陥る。
あの人の様に荒々しいのに暖かい手とは、正反対。
優しいのに……背筋が凍えそうになる。
理由はわからない。
わからないけれど……とにかく、パルスピカは自分を善意で助けてくれているであろうその相手が、暴力をふるってきた相手より、劣情をぶつけてきた相手より……誰よりも、何よりも恐ろしかった。
体の震えが、止まらない位に。
ありがとうございました。




