三匹の馬鹿王
それは、恐ろしく贅沢な事の様にクロードは思えた。
美しい、穢れが見えない広大な海と砂浜。
そしてそれらを照らす月光。
その至高の芸術とも言える風景を、全て台無しにするのだから、贅沢以外の何者でもない。
静寂が似合う芸術は、混沌に支配されていた。
品のないはしゃぎ声と、焼ける肉の匂い、ソースの香ばしい香りなんていう混沌に。
とは言え、ある意味ミスマッチしているとも言える。
夜空の中、自然溢れる世界で炎を使い全力で騒ぐのは、どこか原始人らしくて。
なんて事を考え、クロードは一人苦笑いを浮かべた。
賑やかなのは嫌いなはずだった。
だけど、今は別に嫌ではない。
ちやほやもされず、ゴマも擦られず、それどころか皆肉に夢中になっていてクロードに目さえ言っていない。
誰も、特別扱いをしていない。
それはむしろ、嬉しい事だった。
「黄昏てんな。食わねーのか?」
そう、クロードに背後から声をかけてくる。
クロードはその相手、ヘンリーがいる後ろを振り向いた。
「いや。食べるよ。でも忙しそうだから少し待とうかなって」
「はは。幾ら待っても変わらねーよ。肉目当てにどんだけ大勢来てると思ってるんだ。ま、そんな事だろうと思って先に取っといてもらったぞ」
そう言ってヘンリーはクロードに皿を渡す。
肉が大量に乗った皿を。
「ありがとうヘンリー。フォークは……」
「手で食え手で」
「骨付きの肉ならともかく……普通の切れ肉を手で食べるのはちょっとね」
苦笑しながらどこからともなくフォークを取り出し、クロードは上品に食べだす。
その横にヘンリーも座り、対照的に乱雑に肉を齧りだした。
「……何と言うか……馬鹿馬鹿しかったな。俺らが必死こいて競争するの」
ヘンリーのやるせない言葉にクロードはふふんと自慢げな表情となった。
あの後の狩りで何があったかと言えば……まあ、両者共にあまり芳しくない結果であった。
いや、成果で言えば決して悪くないのだが……思ったより狩れなかった。
何故かわからないが雪に苦戦し小型を数匹しか取れなかったクロード。
怪我が思ったよりも酷く中型を一匹しか狩れなかったヘンリー。
そして戻って五十歩百歩で俺が上俺が勝ちと争っている最中に戻って来たクロスの一言。
「すまん。ちょっと運べないから手伝ってくれ」
そう言ってクロードとヘンリーを連れ出し、その現場にいたのは、高さ五メートルを超える大型のイノシシと数十メートル級の超大型マンモス。
しかもどちらも生きたままの捕獲。
殺したら、肉の質が悪くなるからと。
大型一頭超大型一頭。
それ以外にも中型も無数に乱獲されていた。
まあつまり、そう言う事。
クロード、ヘンリーの戦果も決して悪い物ではなく、小型中型でも体格優れる動物である為十数体程度の魔物を賄うに十分な量ではある。
だが、クロスの成果とはあまりにも桁が違う。
難易度も、量も、味も、質も。
これを目の当たりにして俺の方が凄いなんて口に出来る訳がなく……クロードとヘンリーの競い合いは今回もまた引き分けという結果に収まった。
そしてそんなクロスは現在肉パーティーの最中……その持ち帰った大量の肉を必死に焼いていた。
何故主賓であるはずのクロスがと言われると、一番技量があるのだから仕方がない。
この国の食事の質は、人間よりも下というかなり悲惨な事になっているのだから。
「俺達が肉を食うって言えばさ、大体焼いた後塩付けるかソース付けるかなんだ」
ぽつりと、肉を食いながらヘンリーは呟いた。
「普通じゃない?」
「そうだな。普通だと思ってた。だからさ、タレ付けて焼くだけでこんなに美味くなるなんて考えた事さえなかったわ」
「まあ、クロスだからね。と言っても俺もびっくりしてるけど。人間だった時よりも、何倍も、何十倍も腕上げてるから」
「だよな。魔王国の中でも結構な腕してると思うわ。……なあ。まじでさ、お前らこの国に住まないか?」
その眼は、真剣そのものだった。
真剣に、飯目当てでそうスカウトしていた。
「……食事目当てでそこまで熱意込められるとは思ってなかったよ」
「飯だからだよ。だってお前らいなくなったらこれ食えなくなるんだぜ?」
「まあ気持ちはわかるよ。俺もクロスの料理が二度と食べられないなんて事になればきっと死ぬから」
「いや、お前のはちょっと意味合い違うかな」
ヘンリーは若干引いた様子でそう呟いた。
「はは。そうだね。まあ、俺に決定権はないよ。どっちでも良いし。クロスが望むならそうするけどそうでないなら何も言わない」
「……はぁ。ま、そうなるわな」
そう言ってヘンリーは諦めた顔で苦笑する。
わかっているからだ。
クロスがこの国に残る訳がないという事が。
何故なら、この国には……。
「……女が、いないもんなぁ……」
ヘンリーは悲しそうに、そう呟いた。
「あのさ、一つ聞いて良いか?」
ヘンリーの言葉に、クロードはフォークを置いて頷いた。
「何?」
「別に食いながらでも良いぞ」
そう言って微笑むヘンリーの言葉に従い、口に肉を含むクロード。
ヘンリーの持って来た肉は見た目以上に盛りが良く、いくら食べてもなくなる気配がなかった。
「……あのさ、クロード。どうしてさ、そんなに……クロスに罪悪感を抱えてるんだ?」
ぴたりと、フォークを動かす手が止まった。
ヘンリーは大方の事情をアウラから聞いている。
いかに人間がクロスを蔑ろにしていたか。
いかに人間が勇者という存在を持ち上げ利用してきたか。
クロスという存在が壊れた人間四人を繋ぎ留め、真っ当な存在としてきたか。
そしてその果てに、クロスという人間がどの様な終わりを迎えたか。
勇者という輝かしい旅におけるクロスの役割が、調律者であり調停者でもあり、そして最終的な決定者であるクロスがどれほど重要であったのかを、ヘンリーは知っていた。
それらを聞いた上で、ヘンリーは自分の目で見て、そしてそれに気づく。
クロードに中にある心に『クロスがいなくては生きられない自分』以外に、『クロスに対して罪悪感を抱え続ける自分』が存在していると。
だが、それが何に対してなのかまではわからなかった。
ただ一つ言える事は、そんな罪悪感抱える必要なんてないという事。
それは間違いないのだが……何も知らない身でそんな事は言えない。
例え正しい事であろうと、理屈が通っていようと、そう言う事ではないからだ。
心という物は。
「……罪悪感……か。うん。言い得て妙だね。俺達は、皆、クロスがいないと生きていけない。だけど同時に、クロスに対し負い目を感じている」
そう、呟き、クロードはクロスの方をそっと見つめた。
「クロスさーん。まだですかー」
酒を片手にした行列からぶーぶーと不満の声があがる。
その声を聞き、クロスはキレた。
「うるせぇ! だったらお前やってみろよ! ほれ来い! 教えてやる!」
「いや、俺料理とかした事が……」
「肉焼くだけだよ! 食いたきゃやれ。 お前もじゃい! さっきからうるせぇんだよ! 騒ぐ元気があるなら口じゃなくて手を動かせ! 覚えるつもりねーなら食うな!」
クロスはそう叫び、不満の声が大きい相手を片っ端から焼き手要員に代えていく。
自分だけでやる方がよほど早いのに、あえてゆっくり焼きながら皆に手伝わせて。
皆でやった方が、楽しいから。
叫びながら不満たらたらで、ぶちぎれた様に叫び続けているがクロスの顔は笑顔で固定されている。
心から楽しそうなのが、誰が見ても理解出来る程に。
馬鹿相手に馬鹿をやり、ただただ肉を焼き指導するだけ。
なのに、その様子は心から楽しそうだった。
「面倒見良いなぁ本当」
ヘンリーはその様子を見てそう呟いた。
「ヘンリーも一緒じゃないか」
「おう。つまり俺と一緒な程面倒見が良いって事だな。流石賢者様だよ」
「本人はその呼び名嫌ってるけどね」
「はは。希望と実体が一致しないってのは誰でも一緒だな」
「……楽しそうだよね。クロス」
「ああ。そうだな」
「……あれが、俺達が奪ってしまった理由だよ。俺達勇者の旅が奪ってしまったんだ。クロス元来の生き方を……。だからこそ、負い目を感じるんだ」
そう、クロードは自嘲気味に呟いた。
「だが……それはクロスが望んでいたからでは……」
「そう。クロスが望んだ事だった。だから……止められなかった。止められなかった。苦しい思いをしているとわかっていても、誰よりも辛い旅路となっていると知っていても、……誰も」
「それはしょうがないだろ。言っちゃ悪いけど人間が愚かだっただけだし」
「そこは否定しないよ。だけど同時にね、俺達は嬉しかったんだ」
「嬉しかった?」
「ああ。クロスが必死に、俺達勇者の仲間として、その旅に全力を出し尽くしてくれる事が……心地よかったんだ。クロスにとってそれが辛いとわかっていても……止められない程に……」
自分の全てを捨てて、旅の為に尽くしてくれる。
心の底から、自分達の事を想ってくれている。
自分達の為に、全てを投げうってくれている。
どれだけ辛かったか、どれだけしんどかったか、どれだけの地獄であったか。
人間として破綻した四人では、心を痛め続けるという真っ当なクロスの苦しみは全く理解出来ない。
ただし、理解出来ないなりにそれが常人なら壊れる程苦しかった事は、知っていた。
根が不真面目なクロスが、心を鉄とし、体を鋼とし、ただ目的の為に全てを費やした。
誰にも認められず、蔑まれ、時に助け損ねた遺族から何故か一人責め立てられ……。
それが、地獄でない訳がない。
だけど、それを止める事は出来なかった。
クロスが望んでいるからというのも理由ではある。
諦めなかったというのも大きな要因だ。
だけど一番は……誰もが抗えなかったからだ。
勇者と呼ばれる人類最強の男クロードも、聖女ソフィアも、魔女メディールも、盗賊メリーも、誰もが抗えなかった。
クロスが自分達の為に尽くしてくれるという、麻薬よりもよほど魅惑的で蠱惑的な、その快感に。
そしてその果てがクロスの孤独死なんて最悪の結果。
故に、彼らは皆クロスに対し強い負い目を抱えていた。
クロスの為に命を投げ出さないと、自分で納得出来ない程、大きな負い目を。
「……そか。それならしょうがないか」
そう、ヘンリーは話を締めくくる。
その負い目に意味がない事位、クロード自身理解している。
四人全員が分かっている。
例えそれをクロスに言ったところで、帰って来るのは『許す』『気にしない』『楽しかった』といった、そういう答えになるだろう。
それがわかっていても、いやわかっているからこそ、その負い目を消す事は、誰にも出来なかった。
「なーに辛気臭い顔してんだよ。味付け気に入らなかったか?」
そんな風に、背後からかけてくる話題の主、クロード、ヘンリーはびくっと反応し慌てて振り向く。
「よっ」
そう言って、クロスは笑顔で手を挙げた。
「ク、クロス。忙しそうにしてたんじゃ……いやまあ任せた俺が言うのも何かひでー話だけど」
ヘンリーの言葉にクロスは微笑んだ。
「ん? 任せてきた」
そう言って、クロスはさっきまでいた場所を指差す。
そこでは、十数体の魔物があくせくと肉を焼き、配っている姿があった。
「嘘だろ……」
ヘンリーは、そう呟く。
それは、今まで見たどんな事象よりもあり得ない、奇跡でしかない光景だった。
身内だからこそ、ヘンリーは彼ら大馬鹿野郎を良く理解している。
目先の欲に取らわれ、酒と肉に溺れ、かといって自分では努力をせず全力で楽をしようとする。
そんな彼らが自ら肉を焼いている。
しかも、手抜きではなくクロスが教える料理のやり方を正しく覚えて。
その上で、並んでいる方も騒がしくはあるが礼儀正しく並び、喧嘩をするそぶりさえ見せていない。
この知能赤子以下がデフォルト頭ぱっぱらぱーのバラックで、しかも深夜の肉酒祭りという最悪の環境に、礼節という文明を取り入れた。
それは、教育とか学問とかそういう次元を通り越し、正しく奇跡としか表現できなかった。
「やたらとうめーうめー言ってたからタレの作り方教えたけど、良かったよな? わざと飯不味くしてる訳じゃないし」
「そりゃもちろん良いが……良く教えられたな。あいつらそういうのすぐサボるだろ。俺もだけど」
「え? 結構素直に聞いてくれたぞ? 物覚えも別段悪くなかったし」
そう、クロスが本気で言っているのを聞いてヘンリーは絶句する。
あいつらに知性を与える位なら動物や意思なき魔物に芸を教え込む方がよほど楽だと常日頃から思っているヘンリーにとって、クロスの言葉は信じられない物でしかなかった。
とは言え、クロスは本気でそう思っている。
まあ……無意識で相手を子供扱いし、子供に物事を教える様優しく丁寧に叱らない様に説明していたが。
幼稚園児に教えるのと同程度の苦労なら、クロスは苦労と認識さえしなかった。
「……やっぱりお前、ここの長になれよ。俺より全然向いてるわ」
「やだよ。これ以上偉そうな肩書いらねー。俺は冒険者になりたいんだから。それにさヘンリー。お前どうせ王の座から降りたら無茶しまくるつもりだろ? 金とかの為に」
「……ありゃ。バレてる?」
「ダチの考えそうな事位わかるさ。なあクロード」
クロスの言葉にクロードは頷いた。
「そうだね。今そこまで無茶をしていないのは自分が死んだら不味い事がわかっているから。それがなくなったらこのバラックを良くする為に無茶するってのは見えてるね」
そんな、今までのクロードでは絶対にあり得ない観察眼、他者への興味。
それを見て、クロスはにこやかに微笑んだ。
クロードに本当の意味での友が生まれた事は、クロスには何よりも嬉しかった。
喧嘩仲間の悪友であっても……いやだからこそ、クロードにはそういう存在が自分以外に必要だと、ずっと思っていたから。
「クロードにまでバレるとか最悪じゃねーか。……はぁ。ガラじゃねーんだよ。王様とかそういうの」
「俺よりましだ」
クロスはそう言葉にする。
「俺もあんまりそういうの向いてないかな」
クロードもそう言葉にする。
「俺らはもっと気楽な方がらしいわな」
ヘンリーの言葉に、二人はうんうんと頷いた。
魔王代行と、人間の王と、バラックの王でありながら、彼らは本気で、自分は王に向いていないと思っていた。
権力に飲まれる事も溺れる事もなく、心の底から、本気で。
「……とりあえず、飲んで食おうや」
ヘンリーが酒瓶を出しそう言葉にすると、クロスはさっと揚げたて熱々の肉を取り出した。
「流石に全員分は作れないからな、こっそりと食え」
そう、内緒話をするみたい小声で囁く悪い顔のクロス。
それにヘンリーも同様な顔で頷くのを見て、クロードは苦笑をした。
「はは。まるで子供の悪戯みたいだね」
「男はどれだけ生きようと心の奥はガキのままなんだよ。とりあえず、乾杯して飲み直そうぜ」
そんなクロスと言葉と共に、馬鹿三匹は割れそうな程強く、グラスを鳴らした。
ありがとうございました。




