二体と二人
過去の経験という物はそうそう無くなるものではない。
良くも――悪くも――。
それは、部外者であるクロス達にとっては一瞬のまたたきの様な時間であったが、体験したエリーにとっては比喩でも何でもなく永劫と言える時間だった。
邪神崇拝の狂信者が引き起こした……いや、いかれた狂信者をアリスが利用し引き起こしたその騒動。
目的は、クロスの排除か……クロスに自身を恨ませる事。
それにより、エリーは外宇宙に飛ばされた。
宇宙という事すら理解出来ないエリーは、世界の外である外宇宙という言葉を、理解してしまった。
狂気しか存在せず、正気を保つ事が出来ない、外なる神々の世界。
魔王や勇者というあの世界最上級の存在すら、紙屑の様に吹き飛ばされる世界。
いいや、そうではない……そうではないのだ。
外宇宙にいるおぞましき邪神、存在してはならない邪悪。
それらは、撫でるだけで魔王や勇者どころか、その世界そのものを壊す。
存在としての格が、違い過ぎるからだ。
そんな世界で精霊という種族的特徴を最大限に利用し、エリーは生き続けた。
肉体が消滅しても死なないという特性、元の世界と比べて何倍も強力な魔力がある世界だからこそ、エリーは擬似的な不死を得られていた。
生き続けたというよりも、殺してもらえなかったと呼ぶ方が正しい狂気の世界であったが、それでもエリーは諦めずに生き続けた。
何度壊れても、何度忘れても、何度失っても。
その果てに、再会があると信じて。
そして、エリーはやり遂げた。
その後に自らの記憶をデフラグし、あの世界で覚えた事の大半を、エリーは捨てた。
覚え続けていると発狂してしまう記憶なので、忘れる必要があった。
この世界よりも大きな邪神がいて、その邪神が住まう世界があり、そしてそんな世界すらも無数に存在しその全てが泡の様に生まれては消え……。
そんな事実は、小さな世界に住むエリーには重すぎた。
とは言え、ここで最初の言葉に戻る。
過去の経験という物は、そうそう無くならない。
例え、記憶を捨てたとしてもだ。
過去の記憶を消去したとは言え、エリーが地獄すらも生ぬるい狂気の世界を幾度も渡り歩いたのは事実である。
あの生きる事に絶望を覚える吸血鬼の純血、ピュアブラッドの生涯よりも何倍も長い時間を、地獄に塗れて生き抜いた。
今この世界で最も永劫に近い過去を持つといっても決して過言ではない。
そんな経験だったからこそ、エリーの精神は長らく不安定なままだった。
クロスから離れようとせず、失う事、奪われる事に怯え、独りとなる事が出来なかった。
酷い時には一日中クロスの傍に居続け、トイレ等僅かでも離れると体を震わせ顔を青ざめさせた。
しかも、エリー自身は自分がおかしいというその自覚すらなかった。
とは言え、経験と生きたその功績を考えるなら、その程度で済むのならむしろ軽すぎる位である。
一生涯認識がイカレても、外見そのままで内面をぐちゃぐちゃにいじられてもおかしくなかったのだから。
その事をクロスもアウラもわかっている為、しばらくエリーには皆が優しくした。
腫物を扱うと言っても良い位に。
その所為でクロスは『お姉様』なんて悲劇としか言えない存在を生み出すなんて一生涯の後悔を手にしてしまったが。
傍を離れる訳にはいかず、かといって男のままではあそこではエリーの傍にいられなかった。
故に、何者にもなれず、最も愛する者は絶対に手に入らないという悲劇のまま終わった彼女、レイアを生み出してしまった。
と言ってもまあ……現在レイアは普通に生きており、ごく普通に学園生活を謳歌しているのだが、それをクロスが知る術はなかった。
エリーの精神がおかしくなったとは言え……実のところ、エリーの精神は徐々に安定を迎えつつある。
そこそこの濃い経験に元々の騎士としての矜持。
そして、愛される事の喜び。
生きる事が誇らしい事、楽しい事であると教えてくれる主のお陰で、エリーの精神は既に七割方回復している。
だからこそ、エリーは今……少しだけ……ほんの少しだけ思った。
もう少し、もう少し自分が壊れていたら……。
こんなにも苦しい理性的な選択を選ばずに済んだのに。
例えこの後がどうなっても、クロスと一緒に最後を迎えるという選択を選べたのにと。
エリーは僅かな後悔と歯痒い想いという自分の気持ちと、騎士としての矜持とを天秤に掛けながら考えた。
古城の中に入り、スニーキングで進んでいく最中、エリーはある事実を察知する。
今までと完全なる別格の存在が、四将軍や魔王クラスの存在が城の外からまっすぐ自分達の方に向かって来ているという事実を。
もし、もう少し自分の精神が不安定であったのなら、このままその敵を迎え撃つという選択肢を選んだ。
このまま、三体のままで。
それが、今のエリーの心からの望みだった。
主と共に戦い、護り、そして共に死ぬ。
それはきっと、誉れであっただろう。
だがそんな気持ちとは裏腹に、主に忠義を尽くす者として、全てを捧げた者として、頭が勝手に働き、最善の選択肢を自身に提示してくる。
自分が、心から望まない選択肢を。
絶対に選びたくない、選択肢を。
だが、その選択は、間違いなくクロスの為になる。
だから……。
「クロスさん、アウラ様。敵が来ます」
ぽつりとエリーがそう呟くと、クロスとアウラは足を止めた。
「状況をもう少し、詳しく教えて貰えますか?」
アウラはそう尋ねた。
「手練れ……いえ、適切ではないですね。圧倒的な格上が来ます」
「……私よりも?」
一級の実力があり並の人間相手なら一対一で遅れは取らないと自負があるアウラはそう尋ねる。
それでも、エリーは迷わず頷いた。
感じて来る気配は、その敵の強さはアウラと比べて尚、そう言い切れるだけのものだった。
「間違いなく、格上です。ですので提案があるのですが……」
「問答する時間さえ惜しいです。結論を先にどうぞ」
アウラの言葉に、クロスも頷く。
それを聞いて、エリーは少しだけ悲しそうな顔でクロスを見た後、アウラの方を見つめた。
「私とアウラ様で足止めをして、クロスさんが目的を達成する時間を稼ぎましょう」
「いや待て。格上なのにエリーとアウラだけならやばいんじゃ……」
「やばいですね。でも、クロスさんが止まる事、捕まる事はもっとやばい事ですので」
そう、エリーは苦笑いを浮かべながら言葉にした。
「いやだが。エリー達を置いては……」
「クロスさん」
アウラは、責める様な口調でクロスの名を呼んだ。
「…………」
「クロスさん。エリーは本当は、クロスさんと共にいたい。クロスさんを護りたいし、最悪死ぬ時も一緒でいたい。そこまで想っているのに、別行動の提案をする。その意味を、理解してあげて下さい。更に言えば、時間がありません。クロスさんがぐだぐだ言う度に、残される私達の時間が減り、そして危険度が増していきます。わかってますか?」
「アウラは賛成なのかよ……」
「賛成も何も、目的の事を考えると他に選択肢なんてありませんよ。どうして今、クロスさんが魔王なのか。そして私達は命さえ賭けて何をしようとしているのか。忘れてませんか?」
「……………ああもう! わかったよ! だがな、命だけは諦めるなよ! 絶対死ぬなよ! 捕まっても、怪我しても、死ななきゃ何とかなる! 死ぬ位なら俺の方に逃げて来い。良いな!」
クロスの言葉にアウラとエリーは同じ様な表情で、見つめ合う。
苦笑という言葉が良く似合う、呆れ顔という表情で。
そしてのその後、二体はクロスに顔を向けはっきりと頷いた。
それが、嘘であるとお互いにわかっていながら。
クロスは最後まで、納得していなかった。
納得出来ないという表情のまま、エリー達を残し、走っていった。
「……運命というような事を、クロスさんは言っておりました」
エリーはぽつりとそう呟いた。
「運命?」
「はい。剣が覚醒したのも、勇者の力を得たのも、魔王となったのも、全部運命が収束し今があるんだと」
「クロスさんにしては随分メルヘンな……いえ、不思議な物言いですね」
「私もそう思います。らしくないなって。でも……案外、それが事実だったのかもしれませんね」
「どうしてです?」
「だってクロスさん。どこに行けば良いかわかっていないはずなのに、まっすぐ自信たっぷりに目的の方角に走って行きましたから。まるで……運命に導かれる様に」
「……だとしたら、その運命での私達の役割は何でしょうね」
「ここで時間を稼ぎ、悲劇にも命を落とす……とならない事を祈りましょう」
「祈る相手が私達魔物にもいれば良いのですがねぇ……」
アウラは苦笑いを浮かべそうぼやいた。
「では、私と同じ方に祈りましょう」
「それは……いえ、答えなんて決まり切ってましたね」
そう言って、アウラはクロスが走り去っていったその通路の方を困った顔で見つめた。
それから、十数秒ほど後、待ち構えるエリーとアウラの前に、クロスを追う刺客が姿を見せた。
エリーもアウラも、その女性二人とは面識がなく、一度も顔を合わせた事がない。
だが、その二人の事をとても良く知っていた。
最も新しい最新の人魔大戦。
その最大の功績者である、彼女達の事を、アウラフィールとエリーが知らない訳がなかった。
厄災の魔女、メディール。
サイレントキラー、メリー。
それは、あらゆる意味で最悪の相手だった。
実の所だが、彼女達はまだ何もわかっていなかった。
一体何が起きていて、そしてどんな事をすれば良いのか、何一つわかっていなかった。
幾ら勇者だ天才だ才能溢れるだ色々言われても、所詮半隠居生活を続けていた枯れ木でしかなかったのだから。
わかっている事は、ただ一つだけ。
クロスは、今この世界で生きてくれている。
クロスを勇者と認定した時、墓でも家族の元でもなく、全く関係のない方角……魔物世界の方角に、その力は消えていった。
それはつまるところ、そう言う事。
メリーとメディールはそれしかわかっていなかった。
だが、それだけわかっていれば十分だった。
だから、一人欠けた懐かしき勇者パーティー達はいつもの事を始めた。
良く言えば、仲良くの喧嘩。
実態は、足を引っ張り合いながらの協力し合い。
そんな酷く矛盾した関係。
だがそれは仕方のない事でもあった。
何故なら、全員が全員、出し抜いてまっさきにクロスに会おうとしているのだから。
あいつにまっさきに会わせたくない。
クロスに会うのは自分が先だ。
クロードやメディール、メリーは当然、ソフィアでさえそう考えている。
だから邪魔しあいながらも協力体勢を敷き、情報交換を行いながらも各自互いに出し抜きクロスを探していた。
その結果何一つ情報が見つかっていない事もまた、良くも悪くも彼ららしい行為と言えるだろう。
クロスなき彼らはバラバラに行動し互いを疎ましく思い足を引っ張り合うのは何時もの事。
クロスのお陰で仲良く喧嘩する事を覚えたが、本質の足の引っ張り合いが変わる訳がなかった。
そんな感じだったぐっだぐだな状況は、自然とペア同士が組む様な流れとなってしまう。
きっかけはソフィアの所為だった。
ソフィアは勇者派閥と親しい存在である為組む事が問題のない聖女であり……いや、そういう建前はこの際どうでも良いだろう。
その建前を残りの彼らは全く信じていないし、ソフィア自身も一ミリたりともそんな事思っちゃいない。
ソフィア自身の本当の目的はクロードの邪魔とならない為、クロードとソフィアは組む余地があり、そして同時にソフィアにもクロードにもその同盟には大きなメリットがある。
組んだ理由は、ただそれだけだった。
かつての勇者パーティーである彼らは、その外面と内面が全くかみ合わない。
クロードは微笑を浮かべる優しい勇者、笑顔の似合う金髪碧眼の好青年と言われているが、中身は下種以下のヘドロよりも濁った何かである。
勇者という奴隷制度の犠牲者であるからか、それとも元々腐っていたか腹の底は真っ黒で、他人の人生に一ミリたりとも興味がない。
そのクロードの唯一の例外がクロスであり、クロスと共に居る時だけ、クロスの願いを受け取った時だけ、クロードは正しく、勇者である事が出来た。
とまあそんな感じに、彼の性根は外面と比べ、まるで真逆である。
そしてそれはクロードだけでなく、全員がそうだった。
三角帽子が似合う妖艶な美女。
黒いローブの上からでもわかるほどのグラマラスな体付きは、男性が見ると思わず頬を赤らめ生唾を飲み込む程。
露出はほとんどない。
だが、そんなの関係なく色気に溢れ、サキュバスであるとさえ言われても納得出来る程。
サバトさえも平然としていそうな彼女、あらゆる事に抵抗がなさそうな姿、誰が見てもわかる魔女らしい魔女。
そんなメディールは勇者パーティー女性陣の中で、内面が最も純情な乙女だった。
誕生日プレゼントに手作りのお菓子を作ってみたけど恥ずかしいのと出来栄えが良くないのを気にして渡せず、適当に選んだと言いながら三日三晩考え抜いた既製品のアクセサリーに真心こめてエンチャントを施しプレゼントする。
冗談でも好きなんて言葉が言えず、別に嫌いじゃないと伝えるのが精いっぱいだった事を今でも後悔している。
夢でクロスの事を見た時は自然と口元が緩み、その顔を見る度に、この表情で話したかったと悔やみ涙を流す。
クロスが好きだったから、子供達を護ろうと孤児院を幾つも設立し信頼出来る人に託し莫大な資金を配るなんて日々を今でも送っている。
それが、メディールという女性の姿だった。
同じ様に、ソフィアも内面と外面は非常に異なる。
メディールの様な可愛らしい物とは打って変わって……それは非常に言葉にし辛い。
それでももし言葉にするならば……酷いと言うのがまあ適切であるだろう。
隣国の姫であり聖女、教会にて神のお声を聞く事さえ出来ると言わしめた奇跡の結晶。
清純であるべき事が当たり前な風貌で物腰は柔らかく、いつ誰が見ても嬉しそうに微笑むその姿は、穢れ無き無垢なる少女の姿そのもの。
傍若無人に振舞う盗賊さえ汚してはならないと考えてしまう程の神聖なオーラと乙女らしさをその外見は表している。
そんな素晴らしいという言葉を幾つ重ねても足りないソフィアの外見と……真逆の部分というのが……所謂、性的な物。
それも、少々過激な被虐体質である。
別にストレスとか溜め込んだ鬱憤とか、そういう物ではない。
彼女は純粋に、性的な意味で嬲られたいのだ。
暴力を振るわれたい訳でもなく、酷い目にあいたいとか無関係の他人にどうこうされたいという物とも異なる。
具体的に言えば、何者にも代えられない程愛しているクロスと、ついでに他の男性よりも少しだけ好感度の高いクロード。
この二人に、少々(ソフィア的な意味で)乱暴に挟まれる(意味深)事こそがソフィアの長年の願望?
野望? だった。
だから、ソフィアはクロードの婚約者である事を否定しなかった。
だから、ソフィアはクロードとクロスが仲良くなる事に賛成だった。
何故なら、挟まりたい(意味深)からである。
いやらしい外見ながら最も乙女であるメディールと真逆に、ソフィアは清純な外見でありながら、倒錯した性癖を抱えてしまっていた。
それは非常に馬鹿馬鹿しい事であり呆れかえる事なのだが……そんな酷すぎる事実は今のメリーとメディールには大きなマイナスを与えているのだから笑う事が出来ない。
クロードとソフィアに組まれてしまえば、パワーバランスが偏ってしまう。
四人全員のバトルロイヤルにペアが生まれてしまえば、ソロではどうあがいても勝てず、最悪情報を出し抜かれ先を越されてしまう。
そして……ソフィアの最低最悪な野望が叶ってしまうかもしれない。
乙女的な理由でメディールは、穢れて欲しくないという理由でメリーは、それを阻止したい。
だから、メリーとメディールはしょうがなく組む事になった。
クロード、ソフィア組の様に利益が噛み合った正しい同盟ではなく、いざとなったらお互い切り捨てる気満々の砂上の楼閣どころか波打ち際のマンボウ位の脆さしかない儚い同盟だが。
そして今、二人は何もわからないままにクロードの城で何か変な動きがある事を感知し、クロード達に出し抜かれる前にその正体を探りに来た。
あまりにも馬鹿馬鹿しい適当な理由でクロードの古城に来たメリー、メディールが見たのは……女性型魔物二体の姿だった。
それがどういう事なのか、どういう意味なのか、まるでわからない。
どうしてこんな場所に魔物が入り込んで来たのか、何が目的なのか、クロードの暗殺なら是非協力しよう。
そんな事を考えながら、メリーはメディールの方をちらっと見た。
「……足止めね」
そう、こちらを睨む様に見る魔物二体を見ながらメディールは言葉にした。
「んな事わかってるわよ」
メリーはそう返した。
まるで少女の様な幼くも可愛らしい容姿のメリーだが、その表情はガラスの様に冷たく、鋭い。
そんないつものメリーを気にもせず、メディールは二体の様子を見た。
「あっそ。……んでメリー、どうするの?」
「なーんもわかんない。だから……」
「そうね。だから……」
二人は、そこにいる警戒し構える魔物二体の方を見つめた。
そう、何もわからないのだから、聞けば良い。
事情を知ってそうな二体がいるのだから。
二人は話したくなる様にする為、何時もの様に魔物に襲い掛かった。
ありがとうございました。




