酒に飲まれてやらかして
誰かに責められる人間の頃の自分と、それに怒る魔物の自分。
良くわからないそんな矛盾した夢を、今日もクロスは見ていた。
『あれだけ酷い目に遇ったのに、どうして怒らない』
そんな声が、脳内に響く。
人間は誰一人クロスという存在に感謝していない。
世界を救うという偉業を為したその中核であるという事実なんて、知ろうとさえしなかった。
皆勇者クロードという光ばかりを目で追い、それを支えたクロスという存在なんて、目にさえ入れていない。
そして数少ないその事実の理解者であるはずの貴族共さえ、クロスという存在に感謝するどころかその名誉と金銭を横から奪い、そして謀殺した。
何故怒らないのか……いや、違う。
これはむしろ、俺は怒っているんだというアピールの方が近いだろう。
もう一体のクロス、魔物であるクロスから、そんな雰囲気が伝わってきていた。
そう言われても、クロスは困る事しか出来ないが……。
むしろどうしてそんなに怒る必要があるのかさえ分からない位である。
確かに、馬鹿にされる事は悔しいし腹が立つ。
認めて欲しいという気持ちもあったし何もしてない奴に文句だけ言われるのは気に食わない。
だけど……そんな事もうどうでも良いじゃないか。
それはとうに終わった事なのだから。
そもそも、クロスは人間だった時の事を、その人生を十分過ぎる程満足している。
幸せだったと胸を張って言える位に。
短く感じる程楽しかった、あの仲間達との旅路。
あの時間の幸福さに比べたら、彼らと肩を並べる名誉に比べたら、外野がどうこうするとかそんな事、どうでも良い。
「むしろ、あんたが俺ならどうしてそんなに気にするんだ? 楽しかっただろ?」
そう、人間のクロスが話しかけても魔物のクロスは返事をしない。
ただ、その表情は怒りに満ちている。
人間体クロスは小さく溜息を吐き、頬を掻いた。
その時、クロスはぴりっとした何かを感じた。
今までの夢とはちょっとだけ違う、何か。
言葉に出来ない程の小さな違和感。
いつもの夢のはずなのに、何か違う様な……。
これはただの夢で、あまりにも不甲斐ない自分を夢の中で自分が叱っている。
本当に、そうか?
クロス・ネクロニアとして生まれてからもう数十回は見て来た、同じ夢。
怒り狂う魔物クロス・ネクロニアと向き合う時間。
自分と触れ合う時間。
本当に、それで合っているのだろうか?
クロスはこの時初めて、夢に疑問を抱いた。
疑問を持つ事が出来た。
ちくりと、腰辺りを刺す棘の様な痛みのお陰で。
目を覚ました瞬間――クロスは、この世の地獄を味わった。
夢の内容がうろ覚えとか、何故か椅子に座ったまま寝ていたとか、そんな事はどうでも良くなる様な、苦痛。
頭が……割れる様に痛い。
寝る前の記憶が曖昧で、吐き気と共に頭痛に襲われる。
こんな事、魔物になってから初めての経験である。
とは言えこれがどういう事なのかは、人間の頃の経験によりクロスは理解している。
何なら既視感さえ覚える位。
これは……要するに……。
「二日酔いとか……久しぶり過ぎるんだけど……」
そう呟き、呼吸すら苦しくなる頭痛に頭を抑えた。
「あー、すまん。誰かいないかー? いるなら水くれないか?」
目頭を抑えながらクロスはそう言葉にした。
その後、とてとてと小さな小走りの音が聞こえてきて、そしてクロスの手前で立ち止まった。
「はい。どうぞ。大丈夫です?」
そう声をかける可愛らしい声。
それはアウラの声だった。
「あー。すまんアウラ。助かった」
そう言葉にし、アウラに水の入ったグラスを渡され一気に水を飲み欲し……そして頭痛を堪えながらそっと目を開ける。
目の前にいるアウラは、いつものローブ姿ではなかった。
赤と黒のチェック柄のスカートにお洒落なフード付き上着。
そして、長い髪がばっさりと短くなっている。
クロスはその姿を、知っていた。
通称ラフィーちゃんモード。
アウラフィール魔王様がストレスやら何やらで限界になった時こっそり下町に行く為の姿である。
「……あー。アウラ? それともラフィー?」
「ラフィーですよ魔王様ー」
「ああうん……その……一体何が……。ん? 今何と?」
ニコニコ顔をするラフィーちゃん。
そこでクロスや、今自分がどこにいるのかようやく気が付いた。
今クロスが座っている椅子はやたらと派手で……まあつまるところ……玉座である。
魔王様専用の。
クロスは別の理由で頭痛を覚えだした。
まずい。
何がまずいかわからない事が、一番まずい。
とにかくまずい……。
今、このタイミングで不用意な言葉を放つのは危険な香りがする。
冗談みたいな状況だからこそ、それが冗談でなかった場合の最悪のケースの可能性も否定出来ない。
そう考え、クロスは現状を理解しようと必死に痛みを覚える頭を働かせる。
せめて、寝る前何があったのかを思い出さなければこの状況を理解出来ない。
そう考え記憶を深く探る。
確か……昨日は何時もの様に魔王城の中で暇を謳歌していて……そして、グリュンに久しぶりに飲んで良い日だから晩酌を一緒にと言われて……。
そしてそこでいつもの様にほどほど飲んでいたところまでは覚えているが、そこから先の記憶が一切なかった。
クロスは元々酒に強くない。
この体ではどうか知らないが人間だった時はあまり強くなく、失態を犯してしまった事も数度ある。
だから酒に溺れない様味わうだけに努めていたはずなのだが……。
だが、記憶がないという事は混濁するまで飲んでしまったという事。
そして……それにより現状があるという事なのだろう。
思ったよりも不味い状況を作ったという現状が……。
まあ要するに……何も覚えていないし思い出せないという結論しか見いだせない。
悲しい事に、どうやらド級のやらかしをしてしまったらしい。
「クロス魔王様。薬とか要ります?」
ラフィーのそんな言葉に眉を顰めながら、クロスは首を横に振る。
「いや、良いよ。そこまで酷くないし。ありがとう」
「いえいえ。それじゃ失礼しますね。何かあったら呼んで下さい」
そう言葉にし、ラフィーはクロスを置いてその場を後にする。
玉座に座るクロスを置いて。
「どうしよう……」
クロスが今出来る事は、途方に暮れる事位だった。
そして悩むままに朝食を取り……そのまま、クロスの元に多くの魔物達が姿を見せた。
「魔王様ー。ハンコお願いしまーす」
「魔王様ー今日のパトロール表確認お願いしまーす」
「魔王様ー。今日の昼食何が良いですかー」
「魔王様ー」
「魔王様ー」
「魔王様ー」
朝から色々な魔物が玉座に現われ、割とフレンドリーな態度で仕事を頼み、去っていく。
何がまずいのかと言えば、二点。
一つは、簡単な物だけだがマジモンの魔王としての仕事をこなしているという事。
そしてもう一点……それは、意外と何とかなってしまっているという事。
それの何が不味いがわからないが、確実に自体が不味い方向に進んでいるという事を直感でクロスは理解していた。
「魔王様ー。この書類確認してもらえませんかー?」
やたらとぷよぷよしたスライムから書類を渡され、クロスはそれに目を通す。
何てことはない予算の申請書。
クロスが見ても理解出来る程、簡単な内容。
とは言え、今のクロスがどうにか出来る物でもない
「あー。ちょっと待ってくれ。ラフィー」
「はーい」
呼び声一つで現れるラフィーに書類をクロスは見せた。
「んー。大丈夫だよ。特に問題ない感じ」
「わかった」
クロスはハンコをぽんと押し、スライムに返した。
「ありがとうございまーす」
「いや。構わないよ。いつも汚れ仕事ありがとう。君達のお陰でこの城と城下町は清潔に保たれている様な物だからね。何かお礼が欲しいなら言ってくれ。俺で出来る事ならするからさ」
そう言葉にしクロスが微笑むと、青いスライムは若干赤くなりながらうにょうにょ退出していった。
「悪いなラフィー。仕事押し付けて」
「いえいえ。困ったらすぐ呼んで下さいねー」
そう言葉にしラフィーはすぐにその場を後にする。
それを見届け、クロスは返却せず預かった書類、ハンコではなく確認するだけで良い書類に目を通す。
少しでも理解出来る様に、魔王としての仕事がこなせる様になる為に。
「……思ったよりも……何か……上手く行ってるんですけど……」
ひそひそと部屋の裏でラフィーはそう呟いた。
「うむ……。私も少し思った以上の結果で驚いている。あたふたしたり失敗しそうな辺りでネタばらしをしようと思っておったけど……これこのままの方が都合良くないかの?」
アウラ―フィールの父、グリュンの言葉にアウラは頷く。
アウラの眼から見ても、今のクロスの魔王としての仕事は百点満点だった。
実のところ、クロスは魔王としての仕事なんてほとんど出来なくても全く構わない。
そこにいて、顔を出し、又聞きの命令を下しハンコを押す。
それだけで十分。
中身が空っぽであっても、傀儡でさえあれば十二分。
何故ならば、歴代の中でも為政者として特に秀でたアウラが傍にいるのだから。
ただ実権を持ちクロスが仕事をし、裏にアウラがいる。
それ自体に価値があり、それだけで完璧な状態と言えた。
クロスは嫌うだろうが、虹の賢者という称号はそれだけの意味を持っていた。
だからそれだけで、実際誰も期待していなかった。
クロスが魔王としてうまくやるなんて。
誰も、想像さえしていなかった。
なのだが……クロスは意外としか言えない程に魔王役がハマっている。
しかも何故か理解出来ないなりに意欲を見せ成長までしているのだから、もう文句のつけようがない。
元々コミュニケーション能力に問題はなくそれを部下相手に遺憾なく発揮し……部下のモチベーションがアウラの頃よりも上がっているのが目に映る。
特に……シェフやらメイドやらのモチベーションは目に見える程。
今のところだが、このまま本当にクロスが魔王になっても問題ない位には上手く事が運んでいた。
どうして今魔王クロス様になっているかと言えば……まあ、ぶっちゃけグリュンの所為である。
度数が非常に高く飲みやすいお酒を軽いお酒と言って飲ませ、意識を失わせてから玉座に座らせた。
ただそれだけ。
だからクロスがまだ魔王になっている訳でもなく実際は魔王代行として権限を行使してるだけ……なのだが、アウラやグリュン、エリーはもうこのままクロスを魔王にした方が良いんじゃないかと思っていた。
カリスマとは違うが、馴染みやすく威厳もそこそこある魔王。
人間の事を正しく理解し、強い権限を持つ人間融和派。
それは、アウラにとっての理想像そのものだった。
「……どうしよう? しばらくこのままで経験積ませてみる? それでも問題ない訳だし……」
アウラの言葉にグリュンは少し考える。
「……それも良いのだが……幾つか、不安要素がある」
「それは?」
「我が愛しの妻が、この状況を見たら何をしでかすかわからない……」
「ああ……それは……確かに……」
斜め下六十三度位の意味不明な行動をハチャメチャな規模でする母親の事を考え、アウラは顔を顰めた。
「……本当に……惜しかった。もしクロスに愛の呪縛がなければ……あの忌々しい呪いがなければ……」
本当に、本当に悔しそうにそう呟くグリュンにアウラは首を傾げた。
「なければどうしたんです?」
「酒に酔ってる間にラフィールと既成事実を作らせてた。ラフィールのベッドに寝させて隣にラフィールを置くとか。ついでに本当に魔王にして」
「……あの……お父様?」
ふるふると震えながらのアウラの言葉に、グリュンは真面目な顔で答えた。
「気持ちはわかる。父親にそう言う事を言われるのを嫌がる事も理解しよう。だがの……他に婿に迎えられそうな相手いるのかね? 愛し合う相手、迎えるに足る相手、見初めた相手、惚れた相手。何ならビジネスパートナーでも構わない。それで、そんな存在がいるのかね? 私の可愛いラフィールや」
アウラはそっと顔を反らした。
「……元々そういうのに向かぬ性格なのは知っておる。魔王になどなったからには並の相手を選べぬことも。だからこそ……彼ならと思うのだよ。私は」
「気持ちはわかりますが……つり合いませんよ。私と彼では。もちろん、彼の方が格上という意味で。それに、クロスさんに責任を全て投げ出す事は私にはちょっと……」
そう、アウラは呟く。
アウラの根源にあるのは、罪悪感。
魔王としての職務だけでなく、先代魔王との関係もありアウラはクロスに対し決して軽くない罪悪感を抱え持ってしまっている。
それがわかるからこそ……グリュンもこれ以上強く言えなかった。
親の眼から見ても、クロスが優良株であるとわかっていても。
というよりも……アウラの腹があまりに黒すぎるから多少品性がなく色に弱いとは言え腹の内が真っ白なクロス位でなければ結婚生活なんて上手く行くわけがないとグリュンは危惧していた。
「まあとりあえず……しばらく様子見しておこう。何にしても婿ど……クロスに魔王としての経験をさせるのは悪くないはずじゃ」
グリュンの言葉にアウラと、そこにいたけど気まずくて何も発言出来なかったエリーは頷いた。
ありがとうございました。




