思惑重なる Last dance(前編)
教室の中、相変わらず独り読書をしながらレイは思った。
何とか、ボロが出ないままで終われそうだと。
憧れのお姉様。
そう周りから思われている事をレイは理解している。
それは偽りの仮面であり、自分ではない。
実際はそんな性格とは全然違う。
それでも、そう思われている事は紛れもない事実なのもまた、確かな事だった。
清楚で家柄も良いお嬢様?
何でも出来る憧れのお方?
綺麗で瀟洒な皆のお姉様?
全部全部、偽物だ。
中身はもっと適当で、粗雑で、俗物で。
どこにでもいる……という訳ではないが、少なくとも……完璧お嬢様からは限りなく遠い。
どちらかと言えば育ちは悪い方であり、善か悪かで言えば悪に近い。
だが、それでも、お嬢様のフリをする事を止めるつもりはなかった。
きっかけは、エリーの為。
適応の試練をエリーが達成しやすい様にする為、学業に関係する総てを出来るだけ優秀な成績でこなそうとした結果が、このお嬢様像だった。
学業の中にマナーや礼節もあるのだから、優秀を目指すと自然とそうなってしまった。
その試練ももう終わり……残りは数日間、クラスメイトとエリーの思い出作りの時間の為、レイが仮面を被る必要はなくなった。
それでも、レイは最後の最後まで仮面を被るつもりでいた。
最後の最後まで、少女達にとって憧れのお嬢様として終わる。
少女達の憧れを壊さないまま、有終の美を飾ろう。
その為に、する必要もない予習をレイは行っていた。
傍から見れば、優雅に読書をしているだけ。
だが実際は、白鳥のバタ足の如く必死に明日の授業の予習をして足掻いているだけ。
かっこつける為だけに、必死にもがいていた。
そもそもの話だが、レイは別に読書家という訳でもなく、むしろ本を読まない方。
読んだとしても精々料理本位。
だが、そんな事に最後の最後まで少女達は気付かなかった。
「あの……レイ様……」
クラスメイトの少女から声をかけられ、レイは本をぱたりと閉じその方角に優しく微笑みかけた。
「ごきげんよう。シャラさん。どうかしましたか?」
レイの言葉に少女はぱーと輝かんばかりの笑顔を浮かべた。
「ほとんど話した事のない私の名前を憶えていて下さったのですね!」
「当然でしょう。クラスメイトの名前を覚えない程、私は薄情ではないつもりです」
「感激です!」
「ふふ。それは良いですから、どの様な御用でしょうか? エリーさんなら今は……」
「あ、大丈夫です。エリーさんが他のクラスメイトと共に学食に移動しているのは知っていますから。というよりも、クラスメイト皆でそうなる様にしてもらいました」
「……ふむ。つまり、エリーさんに内緒で何かをしたいという事ですね?」
いつの間にかレイの周りに十体程の少女が集まり、こくりと頷いた。
「あの……エリーさんの好きな物を教えて頂けないかと思いまして!」
少女の一体が、意を決しそう声を荒げる様言葉にした。
「……好きな物……ですか?」
「はい! その……エリーさんとのお別れをする前に、クラス皆で贈り物を……」
「……なるほど」
レイはそう言葉にし、本をカバンに仕舞った。
「そういう事なら喜んで力になりましょう。と言ったものの……おそらく皆様が思っている様な方法でエリーさんを喜ばせるのは難しいと思いますよ」
「そ、そうなのですか?」
「はい。おそらくですが、花やドレス、または……宝石ですかね。その辺りを贈ろうと考えていませんか?」
「……ご名答です」
少女達はそう言葉にする。
本音を言えば、エリーにどこかに行ってほしくない。
だけど、あの模擬戦で少女達は負けた。
力にではない。
気持ちで、負けたのだ。
エリーは、どうしても帰らないといけない場所がある。
何よりも大切な、帰るべき場所がある。
その気持ちに負けたからこそ、せめて――自分達の事を覚えておいて欲しい。
一生忘れない様な贈り物をして、記憶に残し続けて欲しい。
そんな切なく寂しい自己中心的な感情を持ち贈り物を考える少女達を、愛ゆえの我儘をレイは責めるつもりはない。
責められる訳がなかった。
「私達は、皆それなりに……いえ、それなり以上に恵まれた家に生まれました。苦のない生活だったとは言いません。ですが……世間一般の生活と比べると羨望される様な暮らしだったのは確かです。籠の鳥として、私達は可愛がられていましたので……」
「そうかしら? 少なくとも、私の眼から見ればこのクラスで鳥籠程度に満足してる子なんていなかった。皆雛だけど、飛び立とうとしている。立派にね」
「レイ様……。ありがとうございます。つまり、その……私達の言いたい事は……レイ様とエリーさんを喜ばせる事なんてそんな私達ではとても思いつかなくて……」
「……あれ? 私もですか?」
「当たり前じゃないですか。……はっきりおっしゃって下さい。レイ様も……いなくなるんですよね?」
その答えを、誰もはっきり聞いていない。
だがそれでもわかりきった事でしかなかった。
レイがここにいるのは、今だけだという事なんて。
それはエリーとルーンの契約を解消して元のクラスに戻るという意味ではない。
エリーと同じか、または別の理由でレイもいなくなる。
そう、少女達は確信していた。
考えたくないが、レイのそのいつもの表情、儚さ、遠くを見る目から、少女達はそう理解していた。
レイは、自分達とは見ている世界が違う。
クラスメイトであるのは確かである。
だが、レイの世界は自分達と別の何かであり、本来ならこの場にいる様な存在でさえない。
エリーという特別がいたからこそ、あり得ない奇縁と奇跡が重なり合い自分達は巡り合う事が出来た。
少女達は、レイのこの世ならざると感じる程の儚さからそう考えていた。
少々乙女チックな考えだが、そこまで外れてはいないだろうとも。
「……ええ。エリーさんがここを出る時に、私もこの学園から……いえ、イディスから姿を消します。そして二度と会う事はないでしょう」
レイはそう断言した。
そう、レイア・エーデルグレイスとはそういう存在だった。
ここにいるべきでない、いてはならない、存在してはならない……。
ユイ・アラヤの娘となったからこそ今許されてるだけ。
お嬢様学園に居るべき存在ではなく、もっと下賤でもっと野蛮な、そんな世界が似合う存在であるはずだった。
「……レイ様。今だけ……レイお姉様と呼んでも宜しいでしょうか? 私達にとって、貴女はエリーさんのパートナーというだけでなく、皆のお姉様でした。……いえ、お姉様です」
「――好きに呼んで頂戴。……話を本題に戻すわ。私なんかの事はどうでも良いの。皆エリーさんを喜ばせたいのですよね?」
少女達は揃って顔を縦に振った。
「なら、私について来なさい。……あまり猶予はないからスパルタになりますが……その覚悟があるのなら――エプロンを持って、私の背を追いなさい」
そう、レイは言葉にし席を立つ。
レイアという存在は嘘つきで、紛い物のお嬢様である。
だが、料理の腕だけは確かだった。
当然だが、少女達は皆レイに付いて行った。
本当に地獄の様な訓練の時間が始まり、授業よりよほど過酷な目に遭っていたが、誰独り文句を言わずレイに従い続けた。
「――お姉様の好きな物ですか?」
食堂でフレイヤやイラを含むクラスメイト達に囲まれながら騒いでいる時、エリーはそう呟いた。
「ええそうです。あの方ははっきり仰いませんがレイ様もエリーさん同様お別れするのでしょう?」
「ええ。そうですね」
「だからレイ様に何か贈り物をしたいと考えたのですが、何が喜ばれると思います? 希少な本なんか良いかと思ったのですが」
フレイヤの言葉にエリーは首を横に振った。
「お姉様別に本が好きという訳ではありませんよ?」
その言葉を聞き、クラスメイト全員はくすりと笑った。
エリーが冗談を言ったと思って。
「……むしろお姉様、本を読むの辛いと感じているはずですよ。お姉様、あの目で必死に本を読んでいるんですよ? 遠くが見えず、疲れを感じやすいあの眼で、それも毎日毎日何時間も。楽しいと思います?」
少女達は笑顔を固まられ、無言になった。
「で、ではレイお姉様は一体何故読書を……」
「強いて言えば、私の為ですかね」
エリーはそう寂しそうに呟いた。
エリーはレイが今までずっと予習をしていたのだと、今になってなら理解出来ている。
だが、それを少女達に告げたいとは思わない。
必死に少女達の憧れるお姉様を演じるレイの気持ちを、踏みにじる事を良しとは考えられなかった。
「んでお姉様の好きな物ですけど……申し訳ないのですが、一つしか知りません」
「その一つとは何ですのエリーさん」
イラの質問に、エリーはぽつりと呟いた。
「私」
「……はい?」
「だから、私です」
「……それは皆さんもご存知です。そうではなく、もっと趣味嗜好性癖の話を――」
「――私は、お姉様の事を何も知りません」
そう、言葉にするエリーの表情、雰囲気。
それは決して、冗談を言っている様なそれではなかった。
少女達は、口が開けない。
追及する事も、尋ねる事も出来ない。
エリーに、何を言えば良いのかわからなかった。
「お姉様は私の事を良く知っています。私が好きな物も、嫌いな事も。私はその理由さえ、知りません。お姉様がどういう方で何を目的にしているかすら。当然、お姉様の好きな物や趣味などもね」
「尋ねようとは……」
「聞きませんでした。お姉様は私に知っておいて欲しい事は予め話してくれますから。そしてその中に、自分の事はありませんでした。つまり、聞いて欲しくないのだろうと思って、何も。……先代泉守との関係すら、私は知りませんでしたからね」
「どうして……」
何に対してのどうしてか、言葉にしたフレイヤすらわからない。
だが、それがどんな意味での『どうして』だとしても、エリーの答えは決まっていた。
「私のお姉様だからですよ。心から信頼し頼り、縋る事が出来ます。どんな命令でも聞けますし、どんな事だってあの方の為ならしたいです。そういう物でしょう? ルーンの誓いとは」
そう、エリーは言葉にする。
その言葉には間違いはない。
自分の片割れ、半身。
そう呼べる程の関係がルーンの絆。
故に、その言葉は正しい。
だが、普通はそこに行きつくまでに、絆を結ぶまでに深い深い、交流がある。
それを飛ばしてのルーンの絆というのはありえない。
それこそ、もう一体の自分というようなあり得ない存在でない限りは。
「という訳で私ではお姉様の喜ぶ物はわかりませんが……お姉様は風情をとても大切にする方です。なので……お別れパーティーを開きましょう。盛大に、派手に!」
そう、エリーは言葉にした。
それを聞き、イラは微笑んだ。
「それは良いですわね。特に派手にというのが良いです。そうですわ。メソメソしてるなんて私らしくありませんわ。盛大に、豪快に、これ以上ないという位の贅沢なパーティーを、二度と忘れないと思える様なパーティーを開きましょう!」
イラは立ち上がり、皆にそう叫ぶ。
そこにいる少女達だけでなく、周囲で聞き耳を立てている他クラスの少女達にも聞こえる様に。
「良いじゃない! そういう事なら私の出番よね! 世界一可愛い私が歌ってあげるわ! 思いっ切り派手に、それでいて可愛らしくね!」
そう、唐突に金髪ぱっつんの少女がドヤ顔で現れ叫んだ。
自信に溢れるその顔は、少しだけ無理をしている様にも見えた。
「……アンジェさん。貴女……まあ普通に可愛いのは認めますが……貴女別に歌唱力は本当に普通でしかないじゃないですか。授業でもまあ真ん中より少しだけ上程度の……」
イラの言葉にアンジェはかーっと顔を赤くした。
「じゃあイラさん。貴女も一緒に歌いなさいよ! 貴女歌の成績悪くなかったでしょう?」
「へ? いやそうですが……どうして私が……」
「良いから来なさい。ついでに奏者も探すわよ! 私に似合う様なグレイトでゴージャスな音楽隊を作らないと!」
そう叫びながらアンジェはイラの手を引っ張り、その場から姿を消した。
「……大丈夫でしょうかイラさん」
エリーの言葉にフレイヤは苦笑いを浮かべた。
「大丈夫ですわ。本当に嫌ならその手を振りほどいていますから。……さて、パーティーという事ですが……どうしましょう? イラさんの様に派手にするのは私あまり得意では……」
「あ、私それが出来そうな方に心当たりがあります」
そっと、エリーは手を挙げてそう言葉にした。
「それとは?」
「思いっきり派手にして、それでいてお姉様が喜ぶ様なパーティーに出来そうな方」
「その方は、どなたです?」
「ユイ・アラヤ様です」
少女達は下品に噴き出し、咽た。
「ちょ! 先代泉守様じゃないですか!? そんな方を呼べる訳が……」
「ですが、お姉様のお母さんです。家族の事大切にしていますしこういう行事も派手にする事もサプライズパーティーも嫌いじゃなさそうでしたし」
「いや……そうかもしれませんが……どうやってあの方を巻き込むのですか?」
「それは私に考えがあります」
そう、エリーが微笑みながら言葉にする。
それとほぼ同時位に、エリーを中心にした少女達の集まりの前に二体の魔物が姿を見せる。
最上級生の少女達。
片方は淡い緑色の髪をした、整った中性的な顔立ちながら少々雰囲気のいかつい少女。
もう片方は、美しいエメラルドグリーンの髪、翼を持った笑顔に愛嬌がある翼人種。
どこか似た様な雰囲気の二体は、エリーの方をじっと見つめていた。
「ストーム様。ラーネイル様」
「その考えってのは、お――私の事だよな?」
親指で自分を刺しながら挑発的な笑みで、ストームはそう言葉にする。
そのストームに対し、ラーネイルはぺしんと翼で叩いた。
「あいてっ。何するんだよ。ちゃんと私って言ったじゃねーか」
「先に挨拶でしょう? ほら、どういうの?」
ストームはバツの悪そうな顔でかつ恥ずかしそうにぽつりと呟いた。
「ごきげんよう」
「はい、良く出来ました」
そんなストームを揶揄う様、ラーネイルはニコニコした顔で拍手をした。
「勘弁してくれ。一年の前で……」
「でもこれ位しないとストーム怖がられるわよ? ただでさえ顔怖くて誤解されるんだから」
ストームはしょんぼりしながら後頭部を掻いた。
「……ストーム様。お願い出来ますか?」
エリーの言葉を聞き、ストームは自分の胸をドンと叩く。
そのお嬢様らしくない仕草を見て、ラーネイルは再度、ストームを羽でぺしんと叩いた。
ありがとうございました。




