Who are you 合わせ鏡
「あらー。本当に治ってますねぇ」
エリーは自分の傷を見て驚きそう呟いた。
じりじり、じくじくと、傷口が蠢き塞がって行くそれを興味深そうな目で、平然と見るエリーが、アンジェは信じられなかった。
「……普通は……もっと……こう……あるでしょう……が……」
アンジェは傷口を抑え、俯きながら絞り出す様言葉にする。
真っ赤なポーション。
傷薬というよりは高速治癒薬と呼ぶ方が近いそれは、飲んでから五分もしない内に傷口の治癒が始まるという代物。
しかもこれは魔法の類ではない為、イディス内でも気にせず使用出来る。
連続使用こそ出来ないものの、それでも相当優秀な治療薬であると言えるだろう。
幾つかのマイナス要素に目を閉じれば。
例えば、治療中傷を受けた時と同等かそれ以上の痛みが走る事など……。
「あるって……何です?」
だが、そんな事気にもせず、痛がった様子も見せずけろっとするエリー。
正直、意味がわからなかった。
ただの刺突の傷ですら、めちゃくちゃ痛い。
アンジェが笑顔を失い泣きそうになる位。
可愛い顔をし続けられない位。
そしてアンジェの傷と比べてエリーの受けた傷は軽くない。
いや、軽いとかそういう話ではなく、痛みで言えば何倍も強い。
叩き、擦り、抉るという鞭の性質に魔力の熱で肌を焼き、衝撃で骨を傷つける。
傷の強弱はともかく、その痛みは尋常な物な訳がない。
アンジェが俯き震える痛みの、倍では効かない程には。
だが、エリーはあっけらかんとしていた。
まるで痛みが感じないかのように。
「……痛く、ないの? もしかして痛覚ない感じ?」
「いえ、痛いですよ? でも……別にこの程度うろたえる程では……」
そう、当たり前の様にエリーは言葉にする。
自慢とか、マウントとか、そういうのではない。
そういった嫌味などの行動をエリーが好まない事は何となくわかっている。
かと言って、感覚が鈍い様には思えない。
それはつまり、十分なだけの痛みを受けた上で、エリーはこの程度と言葉にしているという事だった。
それが、エリーにとって当たり前の事だという事をアンジェは理解出来た。
理解出来るからこそ、エリーそのものが理解出来くなっていたが。
「……魔王の周辺って……貴女みたいなのがゴロゴロいる様な、そんな魔境なの?」
「いえいえ。私なんてまだまだ。本物はもっと……こう……場外戦がね……」
エリーは疲れた顔でそう言葉にした。
これまで、エリーは色々な体験をしてきた。
先代魔王軍として戦い、裏切りアウラに着き、騎士となり、そしてクロスの元に辿り着いて……。
そのお陰で、今は決して不幸ではない。
不幸だと思い込んで自分を慰めないといけなかった頃の事なんて、もうエリーはほとんど覚えてすらいない。
最近会えていないのは確かだが、その大切な主との繋がりは、今この瞬間でさえ感じられている。
会えていないはずなのに寂しいという感じはなく、むしろ、より感じられている位。
たしかに、エリーは幸せになる事が出来た。
日常を愛しいと思える様になっていた。
だがそれはそれとして、アウラに対してはいまでも苦手と恐怖が残っている。
エリーにとってアウラフィールという名は、間違いなく歴代最恐の魔王の名であった。
「良くわからないけど、次の決闘をするんでしょ? それなら早く行きなさいよ。後になるほど相手が見つかりにくくなるわよ」
アンジェの言葉エリーははっと我に返り、気持ちを過去から今に戻した。
「あ、はい! わかりました。それで、どこ行けば良いんです?」
「受付に戻れば良いわ。ついでにレイ様に勝利報告でもしていらっしゃい」
そう言葉にし、アンジェは手をひらひらと振る。
「ありがとうございました!」
エリーはぶんぶんと大きく手を振り、笑顔でそのまま走り去っていった。
「……負けた事よりも、この事の方が悔しいかもしれないわね」
そう、平然と走り去るエリーの背中を見つめながら、痛みから歩く事も出来ないアンジェはそう呟いた。
ラウンジに戻って来た時、エリーの眼に真っ先に映ったのはレイの姿だった。
いや、それは何もエリーだけではない。
たぶん、このラウンジに来た全員が必ずレイの姿を最初に目撃し、そして自然と、その姿を目に映し続ける。
それはきっと、見惚れるという程強い感情ではないがそれに近い感情なのだろう。
そう、見る者に思わせた。
レイは何も特別な事をしている訳ではなく、ただ――紅茶を飲んでいるだけ。
それだけなのに、何故かその姿が目を離さない。
確かにレイは綺麗だが、この学園の中でなら特別という程ではなく、周囲の少女達も決して負けていない。
それでも、くすんだ灰色の、まるで灰被りの様な髪をしたレイが、この中では最も美しく映る。
それだけ、その所作が様になっていた。
だからだろう。
演奏が最初見た時よりも恐ろしく力が入っていたり、周囲の少女達も背伸びをしたかのように必死にお上品を取り繕っているのは。
「……お姉様、勝ちましたー」
「そう」
それだけ言葉にし、レイはエリーに優しく微笑む。
「それだけです?」
エリーは少し残念そうにそう言葉にした。
「勝つとわかっていましたから。……いえ、すみません。これは私の悪い癖ですね。良く、戦いましたね。お疲れ様です」
その答えがお気に召したらしく、エリーはにこやかに微笑んだ。
「それで次の試合を組もうと思ったんですけど……お姉様は何をしているんです?」
レイは紅茶を置き、真剣な表情で、エリーの方を見つめた。
「エリーさん。良くお聞きなさい」
「は、はい。何でしょうか?」
「残念な事に……放課後からの決闘は五度までと決められているそうです」
「は……はぁ……。いや、時間的に五度でも多くないです?」
そうエリーは呟いた後……レイの言いたい事を、理解した。
「もしかしてお姉様……もう、五回戦い終わったんですか?」
レイはそっとカップを持ち、残念そうな顔で紅茶を飲んだ。
「……一体、どうやったんですお姉様。この短期間に……」
「別に特別な事はしていないわ。貴女はまだ一度目よね? それならすぐ応募しておきなさい。私はここで待っていますから」
「は、はい。では申し訳ありませんがお待ち下さい」
「ええ。……腑抜けた戦いはしない様に。実力では貴女に勝る相手が出るとは思いませんが……だからと言ってそれに気を良くし増長するようなら、私が直々に、貴女を叩きのめしますので」
ぴりっと棘のある、厳しい言葉。
それこそがレイの愛だとわかるからこそ、エリーはだらけた笑顔で嬉しそうに頷き、ニコニコ顔で受付の方に走っていった。
「まったく……。しゃんとした顔出来ないのかしら私の妹は……」
そう言葉にしながらも、レイの口角は先より少しだけ、上がっていた。
「……にしても、先程から時折聞こえる『尊い……』という言葉は何の事なのかしら……。フレイヤさんかイラさんに聞けばわかるでしょうか……」
そう呟いた後、レイは本を取り出し読みながら優雅に冷めた紅茶を口に運んだ。
三戦程終え時間が来た辺りで、エリーはレイに合流し、そのまま帰路についた。
「すいません。三戦しか出来ずに。中々対戦相手が見つからなくて……」
そんなエリーの言葉にレイは首を横に振った。
「良いのよ。ちゃんと気合を入れて戦った様ですし。それに、相手が見つからなかったのは私の所為かもしれませんから」
「お姉様の? 一体何したんですお姉様」
「別に大した事はしていないわ。そうね……エリーさん。あそこにいた方々って、どういう方だったと思いますか?」
「え? どうとは?」
「勝っていけば上の階層に行けるあのユグドラシルで、一階層にいる方々です」
「私達みたいな新規参入者と、勝てずにその場に留まり続ける方々ですね」
「そうね。それに加えて……目的を見失った方々」
「目的ですか?」
「ええ。己を高めるではなく、勝利する事が目的になった場合。まあ、一言で表せば……初心者狩りね」
「……ああ。そういう目で見られてましたね確かに」
「そんな彼女達上級生の方々を、ちょっと釣ってみただけです。……残念でした。一日五度の制限がなければ十回は勝てていましたのに……」
「はー。どうやって釣ったんです?」
「最初に試合で適当に時間を稼いでいかにも弱い風に偽装しながら戦っただけです。いかにも辛勝で疲労困憊みたいな感じで。それで次の相手を募集したら……こう……わっと現れまして、そんな方々が……」
視力が弱く、ハイロウの扱いもそこまで上手くない二年生。
その二年生が疲れた感じで対戦を募集している姿を、彼女達は勝ち点を稼ぐチャンスであると考えた。
例え格下狩りであっても勝ち点を稼ぐメリットもあり、また己の気分も良くなれる。
そんな事をしようと思って現れた数十体の彼女達は……独り一射でレイに打ち倒されて行く。
惜しむらくは、それだけ集まったのにたった四体しか倒せなかった事。
そして、そんな事をした所為でエリーにも警戒の目が行き格下狩りが息を顰めた事。
わかっていた事ではあったが、そこだけはレイは少しだけ残念に思っていた。
「という訳で、三戦しか出来なかったのはたぶん私の所為でもあります。ごめんなさいエリーさん」
「いえいえ。そのお陰で気持ち良く戦えましたし。良い子ばかりでしたよ。本気で戦って、本気で悔しがって」
「そう、じゃあその子達は伸びるわね。本気になれる子は、絶対強くなるわ」
「お姉様もそうなんです?」
レイはその言葉を聞き、眉を顰め考え込んだ。
「……どう……でしょう。私は……あまり本気になれていないのかもしれませんね」
「そんなに強いのに?」
「……難しい話ですね。なので、エリーさんは私を見習わず一生懸命頑張って下さい。……特に、礼節と調理を」
「お姉様。礼節はともかく、調理は頑張ってこれなんですけど」
「……どこの世界に……本気の料理でチョコレートを溶かす為に直接火にかける乙女がいますか」
「少なくとも、ここにひとりは」
レイは小さく、溜息を吐いた。
ありがとうございました。




