タチキレナイオモイ
フレイヤ・スメラギはただの学生とは思えない程に責任感が強い。
放っておけば良いのにわざわざ問題を抱え込み、クラスを纏め上げ、その上でクラスとして最良の結果となる様導こうとする。
そんなフレイヤだから少々以上に個性的なヒルドクラスがまとまりを見せ、フレイヤに極力逆らわない。
そもそもの話なのだが、アシューニヤ女学園での各学年におけるクラス分けは、真っ当なクラスと真っ当でないクラスを分ける為に存在する。
要するに、腐った蜜柑を出来るだけ外に漏らさない様にする為だ。
生徒の保護者は基本的に地位が高い金持ちである為、例えどの様な学生であっても入学を断りにくく、また魔物というのは一括りにするのが難しい群像集団的生命体である為、種族的差異が広い魔物同士でトラブルが起きない訳がない。
そしてヒルドクラスは、そのトラブルの発生が予想される悪い方のクラス、腐った蜜柑の方のクラスだった。
大半はそうなのだが、皆が皆厄介な生徒という訳ではない。
後から入って来たルーンの誓いの契約者やフレイヤの様に自主的にクラス移動を申し出た様な真面目な生徒も混じっている。
そう、フレイヤは元々ヒルドクラスではなかった。
ではどうしてそんな真っ当な感性で問題のないフレイヤがヒルドクラスに入ったのかと言えば……一言で表すなら……イラの所為だ。
高等部初日、フレイヤと相部屋であったクラスメイトが夜戻って来ず、フレイヤは心配になり探しに向かった。
そこで、フレイヤは自分の常識では信じられない物を目にした。
フレイヤは割と夢見る乙女趣味であり、それは自分も自覚している。
この女性しかいない学園で恋愛的な意味も込め親しくする誰かを見ても別に忌避感はなく、むしろ多少の憧れはあるが、それでもやはり男性の方に巡り合いたい。
それも、王子様の様な素敵な方に迎えに来て欲しいなんて考える位には。
そんな夢見る少女であるフレイヤが見たのは……自分と相部屋のクラスメイトとイラとの生々しい行為の現場跡と、それを発見し激昂し怒鳴り散らす教師という図だった。
夢見る少女の幻想をガラス細工の様にぶち破るその現場はフレイヤにとって限りなく絶望に近いショックだった。
生物とは、絶望し追い詰められる時本性が発揮されるという。
その時までは、フレイヤはただの夢見る少女であって。
ただの、少女でしかなかった。
『退学も覚悟してもらいますからね!』
そんな教師の一言が、フレイヤを覚醒させる。
フレイヤの本性、その中心にあるのは、責任感だった。
礼もいらない。
感謝されたい訳ではない。
ただ、おせっかいを焼くという行為が、彼女の中にある当たり前であり、それをこの時、フレイヤは初めて自覚した。
翌日フレイヤはさっそくイラに声をかけ、相部屋の相手に声をかけ、教師に根回しをし、ありとあらゆる手段を持って退学を撤回させた。
撤回するまで、執拗に教師に迫り続けた。
その時から、フレイヤの生き様は決定付けられた。
問題児達の面倒をひとまとめにして見るという貧乏くじを引き続けるなんて方向に。
それでも、フレイヤはこの生き様を選んだ事に後悔していない。
自分らしく生きられているし、問題児だらけのクラスメイトも嫌いではない。
むしろこの問題児だらけのヒルドクラスに自分が来るのは運命だったとさえ思っている。
確かに迷惑受けまくりである事は間違いないが、フレイヤはそれを不幸だと思った事はこれまで一度もなかった。
フレイヤはこのクラスに移動した事を本当に幸運と思っていた。
と言っても……貧乏くじである事は間違いなく、トラブルが起きる度にそのしわ寄せが全て押し寄せて来る。
ただでさえ日々問題児達の尻ぬぐいで忙しいのに先日はエリーさん、本日はレイ様の加入と予定外の事態によりフレイヤの就寝前入浴は、日付が変わってからとなってしまっていた。
だが何も入浴が遅れる事は悪い事だけはない。
この時間になる事がちょくちょくあるフレイヤは知っていた。
この時間になると浴室には教師すらおらず、広い浴室を自分だけで独占出来ると。
そんな訳で鼻歌を歌いながらバスタオル一枚となり大浴場に向かったフレイヤだったのだが……どうやら今日は先客がいるらしく、自分以上にご機嫌な様子で鼻歌を歌う少女の声をフレイヤは耳にした。
その声、その姿、浴槽に浮かぶ燃える様な赤い長髪。
フレイヤはそれが誰かすぐに理解した。
「……イラさん。こんな時間にどうしたんですの?」
浴槽にいたイラは空を見る様フレイヤの方に目を向けた。
「あらフレイヤさん。こんな時間にごきげんようですわ。お背中流しましょうか?」
「セクハラされそうですので結構です。それで、どうしたんですこんな時間に。誰かに手を出したのなら早めにおっしゃって下さいね」
手を出すなという事が無駄とわかるフレイヤの理解ある言葉にイラはにんまりと笑った。
「ご安心を。昨日は誰も手を出しておりませんし今日もその予定はございませんわ。ちょっと調べものをしていましたら遅くなりまして」
「珍しいですわねイラさんが調べものなんて……。お手伝いしましょうか?」
「……フレイヤさん。貴女これ以上案件を抱え込むつもりですの……もうパンク寸前でしょうに」
呆れ顔でそう言葉にし、イラは溜息を吐く。
その素行や問題行動をイラは改めるつもりは一切ない。
花を愛でるのが当たり前の様に、イラにとって少女を愛でるのや愛でられるのは当たり前の事だからだ。
だが、その所為でフレイヤに迷惑をかけている実感もあるし、同時にその面倒を見てくれている事に感謝も覚えている。
その事以外に迷惑は極力掛けない様にしようとイラにしては殊勝な心掛けをする位には。
だからこそ、フレイヤの言葉にイラは呆れるしかなかった。
「貴女が調べものとか何か特別な事情があるんでしょう。それならクラスメイトとして当然手を貸しますわ」
「当然……ねぇ。本当、偏屈と思える程にまっすぐな方です事。まあご安心下さい。特に問題があったとかではありませんので」
「本当に? イラさんが調べものの時点であり得ないのにこんな時間までかかっているのに?」
「ええ、本当に何でもありませんわ。……今のところは」
「……今のところは?」
「ええ。……ただ……もし、問題となる様でしたら、申し訳ありませんが巻き込ませて頂きますわ」
「そうなさってください」
そうフレイヤが返した瞬間、ガラガラと浴室と脱衣場を区切る扉が走る音が鳴った。
「……っと、今日はこんな時間に多いですわね。全く……皆さん不良なんですから」
そう言ってフレイヤはくすると微笑み、誰が来るかイラと共にその方を見つめる。
現れたのはエリーとレイだった。
「あら。ごきげんようフレイヤさんイラさん」
レイがそう言葉にした瞬間、イラは浴槽から飛びあがりレイの方に向かって突撃する。
「レイ様ごきげんよう素敵なお体ですわ是非ともそのお体をお流しさせて頂きたく存じますわ!」
「結構よ」
そう答え、レイはイラの腕を軽く掴み、くるっと一回転させ、浴槽の中に投げ入れた。
どぼんと音を立て、浴槽に落ちるイラ。
イラは顔をひょこっとあげ、ジト目でレイの方を見た。
「ああんいけず……」
「貴方もこりないわねぇ。それで、貴女達はいつもこんな時間に入浴しているの? 体に悪いわよ?」
レイの言葉にフレイヤは苦笑いを浮かべた。
「私はクラス委員として、フレイヤさんは調べものをしていて遅れたそうです。普段はもう少し早いですわ。レイ様とエリーさんはこんな時間にどうして?」
「ああ、そうなのね。私は……他の方に迷惑をかけたくないから」
そう言葉にし、レイは自分の目を指差した。
「……失礼しました。ですが、それならどうして契約者用のお風呂をご利用なさらなかったのです?」
フレイヤの言葉に、レイとエリーは首を傾げた。
「……契約者、用?」
「はい。ルーンの誓いを交わした方限定の個別の浴室がございますわよ? 完全予約制ですが取れない事はないはずです」
…………。
フレイヤの言葉の後、沈黙が流れた。
「……あの、お姉様?」
エリーがレイの顔を見ながらそう尋ねる。
レイはそっと顔を反らした。
「上級生だからと言って、何でも知っていると思わないで頂戴」
そう答えるレイがどこか拗ねている様で、それが面白くてエリー、フレイヤ、イラの三体は揃ってくすくすと笑う。
レイはそんな三体に何も言えず、苦笑いを浮かべ小さく溜息を吐いた。
「お隣、宜しいかしら?」
ご機嫌な様子で浴槽につかるイラの隣にバスタオルを巻きながら浴槽につかり、レイはそう言葉にした。
「ええもちろん。ああ、私もエリーさんの様にレイ様の体をお流ししたく御座いましたわぁ……」
そう言葉にし、イラはそのレイのスタイルの良い体を舐め回す様見つめた。
「あら。私自分の体は自分で洗いましたよ? 別にそこまで介護が必要な程私の眼は弱っておりませんわ。……偶にシャンプーとボディソープとリンスを間違えますけど」
「ああ。それは私もやりますわ。それでそのエリーさんは今どこ……いえ、良いですわ。良くわかりました」
遠く見える浴槽で説教されるエリーと説教するフレイヤを見ながらイラはそう答えた。
「今日はたるんでいましたからね、ちゃんと叱ってくれる同級生がいるというのはあの子の為になります。もうしばらく叱られた方が良いでしょう」
「まあそこはしょうがないですわよ。レイ様の様な素敵なお姉様が出来たら誰だってたるみますわ」
「……私は別に自分を素敵だとは思えないのですけどね」
「その自己肯定感が低い事にびっくりですわ。私の中の素敵なお姉様ランキングを完全に塗り替えてベストワンに輝いていますのに」
「そう。……一応だけどお礼を言っておくわ」
「そうしてくださいまし。これでも見る目は確かなんですから」
「ふふ。そりゃあそうでしょうね。愛でるのが趣味みたいですもの」
「ええ。最良で最高の趣味ですわ。誰にも譲れない様な。レイ様もどうです? エリーさんと一緒に楽しみません? 逆に私を楽しんで下さっても構いませんよ?」
「遠慮しておくわ。あの子にはそんな余裕はありませんし」
「あら残念。また振られてしまいましたわ」
そう言ってイラはやれやれと両手を横に広げ首を左右に振った。
「ふふ。本気な様に見えませんけどねぇ」
「ダメ元でいってますから」
「そ。……イラさん。先程調べものをしていて遅くなったとおっしゃってましたわね」
「ええ。まあ私用で大した事でもありませんのでおかまい――」
「それ、私の事ですわよね?」
レイの言葉に、イラは言葉と共に顔色を失う。
一瞬だけの無言、無表情。
要するに……声につまってしまった。
あまりのタイミングの切り込み方に、誤魔化す事を忘れるなんてイラはらしくない凡ミスを犯した。
「……やっぱりレイお姉様は油断ならないお方ですわねぇ」
「これでも見る目はありますのよ。まあほとんど見えませんが。このクラスで何かあった時、正攻法で問題を解決するのがフレイヤさんで、非正攻法で問題点を見つめ解消するのがイラさん。そう見えましたので、お二方をお食事に呼びました」
イラは風呂場にもかかわらず冷たく感じる汗を掻いていた。
「……本当、怖いお方ですわ」
「それで、何か見つかりました?」
「いえ、びっくりするほど何も見つかりませんでした。まるで昨日突然学園に現われた様に……。エリーさん以外に転入生の姿は見受けられませんのに……」
「そうね。……まあ、それは別に隠しておりませんの答えても宜しいのですが……せっかくご自身で色々調べていらっしゃる様なのでヒント位にしておきましょう。『エーデルグレイス』の名前を調べてみてくださいませ。きっとすぐわかりますので」
「レイ様のファミリーネームですか?」
「ええ。とは言え、私のと言って良いのかわかりませんが。貰った物ですので」
「……悔しいですが、思うがまま動かされるしかありませんわねぇ。まあ、その悔しさもちょっと気持ち良いのですが」
「貴女そういうところ本当無敵ね」
「それが私ですの。……もう全部ばれちゃってますしぶっちゃけますわ。このクラスに害を及ぼすつもりはありませんの?」
「ありません」
そう、レイは断言した。
「目的を尋ねても?」
「あの子を……私のエリーを助ける為よ。その為に私はあの子と契りを結び、あの子の傍にいる事を決めたの」
「……ぞっこんじゃないですか。妬けてしまいますわ」
「ええ。そうね。……期間限定での契約なんてありえない事象を引き起こす位には、あの子に夢中よ」
そう、小さな声で呟くレイ。
その言葉は、イラの耳に届かない程小さかった。
「レイ様。何とおっしゃいました? あの子に夢中としか聞こえませんでしたわ」
「それだけ聞こえたら十分よ。……さて、そろそろ私は上がるわね。少しのぼせてしまったわ」
そう言葉にし、立ち上がるレイ。
その手を支えようとイラが立ち上がろうとするその時には、レイの手はエリーによって握られ支えられていた。
「……本当、相思相愛で羨ましいですわ」
イラは心からそう思い、楽しそうに微笑みながらそう言葉にした。
「それではフレイヤさん、イラさん。お先に。ごきげんよう」
「あ、ごきげんようですフレイヤさんイラさん。おやすみなさい!」
そう言葉にし、レイとエリーは浴槽を出て行った。
「……今出たらレイお姉様の生着替えが見られますわね……ごくり」
「そうおっしゃるイラさんを私が引き留めないと思いますか?」
フレイヤの言葉にイラはちょっとだけ拗ねる様な演技をし、くすりと微笑んだ。
寮の寝室はクラス行動をスムーズとする為、個室という形を取らず、基本的にクラス同士でのペア部屋となっている。
更に、ルーンの誓いを結んだ者同士は、そのペアで部屋を取るのが習わしである。
ルーンの誓いは一種の契約であり、そして特権でもある。
それは個室の浴槽や他よりも多少豪勢な寮部屋である事など、物理的な利点がある故に、特権とさえ称されていた。
そういった贔屓としか見えない特権が許され、尚且つその特権が維持出来る程度には、学園内で契約を結べた者は少ない。
指輪には誰も嘘を付けない。
偽りの契約が出来ない以上、それは結婚よりも潔癖……そして重たい契約であるとも言えた。
「エリーさん。まだ寝ないのですか?」
レイは隣のベッドで本を読みながら、ベッドで上体を起こし外を見るエリーにそう尋ねた。
「星が、綺麗ですので」
エリーは窓を開け、ベッドからじっと星空を眺めていた。
「そう――」
「お姉様も、まだ寝ませんの?」
「ええ。もう少し、覚えなければならない事がありますので」
「勉強熱心ですね。……ところでお姉様、一つ尋ねても良いですか?」
「ええ。何かしら?」
「お姉様は眼鏡をかけないのですか?」
「……そうね。そう見えてもしょうがないですが……これはそういう物なんです」
「そういう物? つまりどういう事です?」
「眼鏡をかけても無意味なんですよ。私の眼は」
「呪いか何かです? それなら私何とか出来るかもしれませんけど……」
「いえ。ただ、私はそういう風に出来ているというだけです。そして、私はこれを改めるつもりはありません。……見たくないんですよ。この世界を」
そう言葉にするレイの気持ちはエリーには理解出来ない。
だが、言葉の割に悲しんでいない事だけは理解出来た。
「……お姉様、それは私も見たくないという事だったりします?」
レイはぱたんと本を閉じた。
「……エリーさん。そちらに行ってもよろしいですか?」
「もちろんです」
レイはベッドからベッドに移り、そしてエリーの背後から手を回し抱き着いた。
「貴女だけは例外よ。私のエリー……」
エリーはレイの手を握る様にして、嬉しそうに微笑んだ。
「じゃ、私を沢山見てください。……でも、お姉様と一緒に星が見られないのだけは少しだけ悲しいかな」
「……ごめんなさい。でも、いつかきっと見られるわ。約束します」
「――はい。それを信じています。今だけの私のお姉様、私の共犯者様」
「ええ。それは信じて頂戴。私のエリー。今だけの、共犯者さん」
エリーは、レイの事を何も知らない。
一体どういう事を考えていて、何が目的なのか、何もわからない。
そして同時に、話さない以上何も聞くつもりはない。
だが、わかる事はある。
エリーがこの学園にいるのは極々短い間である事を、レイは知っている。
つまり、レイはエリーと短期間でお別れする事を受け入れているという事だ。
だからといって愛がない訳ではない。
絆がない訳ではない。
もし双方向の強い繋がり、家族同然の絆がなければルーンの誓いを結ぶ事など不可能だからだ。
一生共に居たいという強い祈り。
それに相反する、短い間だけの共犯者契約。
擬似的な姉妹の契り。
そんな絶対に叶う訳がない絶対の矛盾が、二者の中には出来上がっていた。
この関係の終わりは、そう遠くない。
だけど今だけは、全てを捧げても良いとさえお互い思っている。
それはお互いにとって少しだけ寂しく、少しだけ切なく、それでいて――非常に心地よい物だった。
「……お姉様、今日はこのまま一緒に寝ませんか?」
「……ええ。貴女が良いなら」
そう言葉にし、お互いベッドに倒れ込み、おでこを当てながら微笑み――そのまま目を閉じた。
ありがとうございました。




