黄色く煌めくデイリリー(前編)
ある種想像通りであり、ある意味想像以上。
アシューニヤ女学園の風呂場はその様な場所だった。
これだけ豪勢なお嬢様なの学校だから、まあ豪勢だろうとエリーは思っていた。
だが、まさか魔王城よりも豪勢だとは流石に思わなかった。
極端なまでに広い湯舟が幾つもあり、百人や二百人程度入ってもまったく狭いと感じず、むしろ広すぎて落ち着かない位。
足湯や温度違い等の種類もあれば効能違いの湯もありサウナさえも存在している。
当然、風呂上りのマッサージやネイル、エステサービスも。
風呂に関する事なら何でもあっただろうとさえ思っても良いだろう。
そこでイラの苛烈なボディタッチを受け流しながらエリーは風呂を堪能する。
あまりしつこかったら叩いても良いとフレイヤ含めた元犠牲者のクラスメイト達から言われていたが、正直そこまでうっとおしいとは思わなかった。
もしクロスが女性になったらこんな感じなんだろうなと思ってしまえば、嫌いになる事なんて出来る訳がない。
まあ……その口だけであり誰にも手を出していないクロスと違い、イラはそのチャンスがあれば逃さないタイプの獣の様には見えるが……。
そして風呂が終わり本日の予定を全て消化した後……エリーは用意された豪勢なベッドのある寮室ではなく、訓練室に向かう。
ダミー人形と遠方の的の用意された、ハイロウ練習用の訓練室。
フレイヤに教わった道を進み、そこに到着した時……そこには一体だけ、生徒がいた。
アンジェと名乗った、金髪の少女が。
「待っていた……いましたわ」
そう言葉にし直し、アンジェはぺこりと頭を下げた。
「……アンジェさん。どうかしました?」
「いえ。苦労してるだろうから手伝ってあげようかと、あげましょうかと……お手伝いしようかと思いまして」
そんな風に使い慣れない敬語を使おうとするアンジェにエリーはくすりと微笑んだ。
「言葉遣いは気にしなくても構いませんよ。むしろただの同級生として扱って下さい。少なくとも私はそう思っています」
「じゃあそうするわ! ああ良かった気難しいのじゃなくって。じゃ、苦労してるだろうし可愛い私が少しだけだけどお手伝いしてあげますわ」
ドヤ顔プラス胸張りでの偉そうな態度。
その様子を見て、エリーは再度、噴き出す様に笑った。
「アンジェさん。貴女大物になれますわ」
その切り替えの早さに感動しながらエリーはそう呟いた。
「ええ。私の可愛さは世界級ですもの。さ、私の睡眠時間の為サクサクいきますわよ。ハイロウを用意なさいませ」
「はい。よろしくお願いします可愛いアンジェさん」
「ええ。よろしくてよ!」
そう、当たり前の様にドヤ顔で頷くアンジェ。
その様子にエリーは楽しそうに微笑んだ。
「まっすぐ、腕を出して」
さきほどまでと異なり、真面目な表情でそう言葉にするアンジェ。
それに従い、エリーはまっすぐ腕輪をつけた左腕を前に出す。
その手をアンジェは掴み、エリーの手の人差し指と親指を立てピストルの様な形にして見せた。
「ハイロウは本来使用者以外の魔力を流さない仕組みだけど使用者の権利譲渡があれば別なの。だからさ、私に腕輪預ける様意識してみて」
言われた通り、エリーは腕輪をアンジェに差し出す様イメージする。
アンジェは頷き、腕輪をそっと指でなぞりエリーのハイロウを起動してみせた。
腕輪は魔法銃の形になり、エリーの手に握られていた。
「……どう? わかった?」
そう、アンジェはエリーに尋ねた。
「……えっと、何がでしょうか?」
「そうよね。そんな簡単にわかったら苦労しないわよねぇ……。もう一回行くわ」
そう言葉にし、アンジェはエリーのハイロウを腕輪に戻り、もう一度銃の形状に変化させた。
「魔力の流れ、掴めた?」
エリーはふるふると首を横に振った。
「……そうよね。んー、じゃあこっちからしてみるか。ちょっとハイロウ貸して。魔力抵抗限界まで高めてみるから」
アンジェはエリーの腕からハイロウを抜き、細長い金属の棒を使いカチカチと音を立ていじりだす。
そしてエリーの腕に再度通し、再度魔法銃に形状を変化させた。
「……あ、今のは何となくわかりました」
ごく少量の魔力が腕輪からぴりっと返ってきた様に感じ、エリーはそう呟いた。
「ん。んじゃそんな感じで今度は自分で腕輪に魔力を流してみて」
アンジェは腕輪の形状に戻し、エリーから少し離れた。
「はい。やってみます」
そう言葉にした後、エリーはさっきのアンジェと同じ様に、魔力を流し変化させる。
だが、同じ物が現れない。
洗練されたデザインの魔法銃なんか姿を見せず、そこに現われたものは精々メガホン。
百歩譲っても、鋳造に失敗したラッパ。
そんな形状の不思議な道具だった。
「ま、最初はそんなもんね。んじゃ次にそのまま魔力を流して剣に変えてみなさい」
「その前に、これって弾出るんです?」
「たぶん出ないわ。出たとしても魔力的にとんでもない威力の弾が出るでしょうし最悪暴発するから辞めた方が良いわよ」
アンジェの言葉に頷き、エリーはそのラッパを剣に切り替えようとしてみる。
そして変化し出来た物は、昼過ぎに見た懐かしのバナナ棍棒だった。
「やっぱりうまく行かないですね……」
エリーはそうぼやく様呟いた。
「最初にしては上出来よ。私よりも全然マシ。とりあえずしばらくの間は武器変更を繰り返して。慣れて行けば自然と武器の形になってくるから」
「わかりました。ありがとうございます」
エリーはそう言って微笑んだ後、ハイロウに集中し銃から剣に、剣から銃にを繰り返す。
一度の変更に数分掛かり、しかもその形状はあやふやで不安定。
それでもエリーは言われた通り、変更を繰り返した。
「あんまり言いたくないけどさ、諦めるって選択肢もあると思うの」
唐突に、アンジェはそう言葉にした。
「……と、言いますと?」
「ヴァルキュリアにならないという選択肢。たぶんですけど、貴女潜入的なアレなんでしょ? だったら別の方向に進むのも手だと思うわ。例えばノルニル。例えば護衛。この学園だとしても教師側とか。それ位なら実力的に容易いでしょう?」
「あはは……そう出来たら良いのですが残念ながら逃げるという選択肢は……」
「そう……。時間の猶予は?」
「決まってないですけど……たぶんあまりないですね……」
アンジェの眉間に皺を寄せ眉を顰めた。
「……当面の目標は?」
「一年生の内で上位の成績になる事。あらゆる分野で。それが当面の目標ですね」
「それで一つ目って……。とりあえず、私は寝るけど……困った事があれば私に頼りなさい。可愛い私は忙しいけど……空いた時に手を貸す位はしてあげても良いわ」
そう、ふんぞり返って言葉にするアンジェ。
正直、頭が上がらなかった。
「ありがとうございます。私はもうしばらく練習して寝ますね」
アンジェはエリーの言葉を聞いた後、ちらっと時計を見る。
時計は既に夜十一時を指し示していた。
「……明日が眠くない程度に戻りなさいよ。それじゃあ、ごきげんよう」
「はい。ごきげんよう。おやすみなさいアンジェさん」
そう言ってエリーはアンジェの背を見送った後、訓練に戻った。
剣から槍、槍から剣、剣から銃、銃から棒、棒から剣、剣から槍……。
延々と、武器を変化させ続けるエリー。
その形状は各種の武器だと認識する事が出来ない程拙いもので、一度の変化で数分という時間もかかる。
そんな訓練を何度も何度も繰り返したのだが……何一つ成長が見られない。
武器が洗練される事もなければ時間が早くなる事もない。
試しに一度作った剣でダミー人形を切ってみたのだが……剣の方がパンと音を立てながら弾け、腕輪に戻るだけだった。
どうやら、外見以上に中身は武器としての体を成していないらしい。
それでも、繰り返す。
これが出来なければ、試練が終わらないから。
優秀とは言えないから。
試練を終われないから。
主に、先に行かれてしまうから。
従者である、意味がなくなってしまうから。
時計の針はここに来てからもう五周もした。
もう二、三時間もすれば日が出て来るだろう。
それでも、何一つ成長出来ず、ただただ焦燥感だけが積み重なるだけとなった。
「……駄目駄目。折れたら……何も出来なくなる……」
体力が切れるのも、集中力が切れるのも良い。
だが、心が折れるのだけは許されない。
この程度で諦める様な奴が、あのクロスの従者を名乗って良い訳がないと、エリーは自分に言い聞かせた。
クロスは生前、もっと大きな壁を見続け、足掻き続けた。
無様と言われ、悪意の瞳に晒され続け……それでも勇者と共に居続け、絶対に追いつけないのがわかっていながら諦めず、最期まで役割を全うした。
そんな主を敬愛するエリーだからこそ、どれだけ苦しくても諦める訳にはいかなかった。
焦燥感と不安、苦痛と絶望。
嘆きと後悔。
そして……寂しさ。
エリーは今、自分がどれだけ足りない存在なのかを実感していた。
「……独りになった瞬間に、こんなになるなんてなぁ……」
そう、天井を見ながら呟く。
折れたら、いけない。
そう思っている時点でもう駄目なのだと……エリー自身が一番理解出来ていた。
クロスに会いたい。
頼りたい。
縋りたい。
それでも諦めず、腕輪に魔力を流し続ける。
その腕がぴくぴくと痙攣している事を無視しながら。
そして何度かいつもの単純作業を、何の意味も感じ得ない訓練を繰り返すある時……ふと、自分の手の震えが止まったのをエリーは感じる。
気づけば、エリーのその手は、暖かくも優しい手に包まれていた。
その手の持ち主である相手の顔を、エリーは見る。
それは、確かに、エリーの全く知らない顔だった。
学園生にしては少々大人びた顔立ちの、美しいと言える様な容姿の女性。
きっとクロスが見たら迷いなく口説くだろう。
若干紫がかった灰色のロングヘア―で、凛とした顔立ち。
その制服から二年生だとわかる彼女は、透き通った声でエリーに話しかけた。
「貴女は、何がしたいの?」
その意図や意味はわからない。
だが、その答えだけはわかっていた。
「……やらないと、いけない事です」
「それは本当に、やらないといけない事?」
「はい。出来ないと、終われない事なんです。私にはもうそうするしか……」
女性は、小さく溜息を吐いた。
「もう一度……今度は聞き方を変えるわ。貴女のやりたい事というのはその腕輪を使う事なの? それとも、別の事?」
エリーはぴたりと動きを止める。
腕輪を使う事は目的までの過程ではある。
だが、目的そのものではない。
もし、その過程をはぶけるのなら……。
そこまで言葉にした後、エリーはその女性の顔を再度見つめる。
その顔に見覚えはなく、当然名前も知らない。
けれど……。
「貴女が腕輪を使う事を諦められるのなら……私は貴女に戦う術をあげられるわ。その代わり、私の目的に手を貸しなさい」
そんな悪事に加担するような甘い罠の囁き。
女性は底が見えない不気味な程優しい笑みを浮かべ、その手をエリーに差し出した。
「要するにね……私は探してるの。私の共犯者を。悪い事を一緒にしてくれる。とっても悪い子を」
それは、怪しいという言葉ですら言い表せない誘い。
名前も知らない。
素性もわからない。
どうしてこんな明け方なんて時間に、こんな場所にいるのかすら知らない。
彼女には、怪しさしか存在していない。
しかし……。
気づいた時には、エリーはその手を取っていた。
無意識の内に。
まるで、それがエリーにとって本当の答えであるかの様に。
翌朝のヒルドクラスの教室は喧騒に包まれていた。
それは、いつもの楽し気な少女達の談笑とは異なり、非常にざわついた、不穏さに溢れた物となっている。
というのも、少女達はある事に対し非常に心配していた。
朝食の時間姿を現さなかった、エリーに対して。
心配になりクラスメイト達はホームルーム前にエリーの部屋を見ていたが、そこはもぬけの殻。
ベッドを使った痕跡がないどころか鍵すらかかっておらず、部屋に入った痕跡さえ見られない。
時間になれば教室に来るかとも思ったが……もう授業開始五分前。
クラス皆の顔に陰りが見えていた。
「……エリーさん。大丈夫かしら……」
フレイヤの呟きに答える者はいない。
どうして、とは誰も言わない。
昨日の戦闘訓練時の様子を見れば、理由なんて考えなくてもわかる。
クラスメイト全員、エリーを支える覚悟を持っている。
クラスメイトとして、友としてその手を差し出す気持ちを持っている。
だが、エリーが挫けてしまえば、何も出来ない。
せっかくのクラスメイトとがいなくなるかも。
誰も言葉にしないが、そんな不安がクラスにひしめいていた。
ガラガラと、扉の音が聞こえる。
皆が期待を込めその先を見るが……そこにいたのは担任の先生。
その顔を見て、全員がしゅんと小さな落胆を覚えた。
「……ごきげんよう。ホームルームを始めます。その前に……その……エリーさんから連絡がありました」
教室の眼は、担任に一気に注がれた。
「エリーさんがどうかしたんですの!?」
イラが叫びにも見た声でそう問い詰めた。
「イラさん。淑女としての慎みを……」
「そんなもの後からでも何とかしますから今はエリーさんの事を……」
「……はぁ。エリーさんは少々予定が入りましたので午前中は来られないと。午後過ぎの戦闘訓練からは参加出来るそうですわ」
その一言により、クラスの雰囲気が一新される。
重苦しい不安がどんよりと張り込めていた空気はどこかに霧散し、安堵の息に切り替わる。
そして現在の天気の様に朝の陽ざしが心地よい穏やかな物へと変わった。
「昨日来たばかりのクラスメイトをそこまで気に掛ける貴方達の様な生徒を持てて私は嬉しいです」
そう言って、先生はにこりと微笑んだ。
「だってエリーさん可愛らしいんですもの」
そんなイラの一言。
「貴女は例外ですイラさん。頼むからもう少し慎みを持って下さいませ」
「それは無理な相談ですわ。ですが、私は一度たりとも無理やりに迫った事は御座いませんのでご安心を」
満面の笑み、やらかす予感しかしないその顔、いつものイラの顔。
それを見て、先生ははぁと盛大に溜息を吐いた。
「先生。それでエリーさんは一体何があったんです? 午前中来られないという事は体調不良ですか?」
フレイヤの言葉に担任は困り顔を浮かべる。
そこで、フレイヤは初めて気が付いた。
担任の顔に、明らかな程疲れが見えている事に……。
「いえ。そういう訳では……。まあ、午後にはわかる事ですから。では、今日の予定を伝えます。全員席について」
その言葉より、ヒルドクラスはエリー抜きのいつもの平穏な日常に戻された。
ありがとうございました。




