純粋なる邪悪(前編)
駆けまわって怪し気な男達に捕まっている魔物達を皆助け、ついでとばかりに周囲のレーサー達にもある程度事情を話して捕縛や救出に協力してもらい。
そしてそちらが一区切りついた辺りで、クロスはオーナー室に向かった。
だがそこにはオーナーはおらず、どこに行ったのかを調べ、その先に向かったクロスが目にしたのは、手刀により腹部が貫かれるメルクリウスの姿だった。
「メルクリウス!」
そう叫び、クロスは慌ててそちらに駆けだす。
だが……。
「来るな!」
そう、怪我をしたメルクリウス自身に叫ばれクロスは足を止める。
その顔はクロスに心配をさせない様にといった顔ではなく、邪魔だから来るなという顔だった為クロスは足を止めざるを得なかった。
メルクリウスはクロスがこちらに来ない事を確認した後、自分の身体を捻り腹の傷を広げながら回し蹴りを背面に放つ。
ずりゅ。
そんな肉がこすれる様な音がメルクリウスの腹部から鳴るのと同時にその血液が周囲にまき散らされる。
だが、肝心の蹴りは空を切っただけだった。
いつの間にか、少年の容姿をした男の隣にその少女が立っていた。
分厚い毛皮のコートをまるでここが雪国かと錯覚するほど着こんだ少女。
生気を感じない少女の、メルクリウスを貫いたはずのその手は何故か一切汚れていなかった。
「まさか本当に来るとはね。少々驚いたよ」
そう、少年はしゃがれた声で言葉にした。
「ちゃんと行くと言ったじゃない」
少女の声は酷く冷淡で、そして鋭かった。
「そうであるな。だが、これは立派な契約違反ではないかね? 私のスカウトする者を途中で横取りするというのは」
「あら。彼女はあのアウラフィールの配下よ? つまりスパイみたいなもん。それなら問題ないんじゃない?」
「私には、彼らがどんな仕事をしてどんな生活をしているかは関係ないよ。等しく、同胞となるよう語り掛けるだけ。彼女がどんな種族でも……もちろん、人間でもだ」
少女はその言葉を聞き、顔を顰めた。
「この後もう一回場を用意してあげるわよ」
「悪いけど、次があるかどうかわからない君の次を待つ事は出来ないよ」
少年の言葉を聞き、少女は怒りに顔を歪める。
だが、何も言い返さない。
いや、言い返せない様子だった。
「……わかったわよ。あんたのソレ、一日だけ手伝ってあげる。それで良いでしょ? 何なら数十体位拉致してきても良いけど」
「おお。アリス、君の一日をくれるなら文句などある訳がないではないか。君の一日は私達の千日よりも価値がある。それならそこのメイド姿の女性は喜んで君に譲ろう!」
「はいありがとう。全く……契約を盾にしてなかったら殺してたわよ」
「無論、わかっておるとも。君は私の同志ではなく、そして君は私なんて見てすらいない。それでも私達が協力出来ているのは契約という繋がりがあるから。でなければ、君の様な破綻者とは付き合えないとも」
「あんたも破綻者の癖に」
「破綻者だからこそ尚、君の狂い具合がわかるのだよ」
そう言葉にして、少年少女はにこりと微笑む。
歳相応に見える微笑みだがその瞳は笑っておらず、そして、その雰囲気は酷く不気味で、不安定で。
そんな二体は――くるりと首を回し、メルクリウスの方を見つめた。
クロスはメルクリウスの隣に立ち、ショートソードと相棒の短剣『アタラクシア・ 』の二刀を構える。
「捕まってた奴ら片っ端から助けた。救援も呼んだ。そんでそっちの事情は!?」
クロスはメルクリウスにそう叫んだ。
「流石ご主人。あっちのお子様二体組ぽい化物共が首謀者とその協力者だ。ぼっちゃんが首謀者でその横にある変なのが時計人間、まあペットに類する物だが何か曰くがありそうな感じでアレを壊すのが最優先事項。んで嬢ちゃんの姿をした化物が、あのアリスだ」
メルクリウスの言葉を聞き、クロスは強く身構え身体を硬直させる。
出会う可能性は低いと言われていたが、それでも出会ったら逃げろとアウラから言われていた、厄災の化生。
都市食らいのアリス。
クロスは現時点でも過去人間であった時の経験によりかなりの戦闘力を持っている。
それこそ、四将軍と呼ばれる役職、所謂魔王軍四天王に入る程度の実力は。
そのクロスに対し、アウラが絶対に勝てないから逃げろと伝えたのがこのアリスだった。
「ところでご主人。全てを放り投げ、私に任せて逃げるという閣下の御命令に従うつもりはないか?」
「あると思うか?」
「やれやれ。命令違反とはなんと悪いご主人だ」
そうメルクリウスは両手を広げ溜息を吐いて言葉にするが、それが当然だと言わんばかりに楽し気な笑みを浮かべていた。
「それよりメルクリウス、傷は大丈夫なのか?」
クロスはメルクリウスの腹部を見ながらそう尋ねた。
「こんなのはかすり傷だ。それよりも……アリスの手が長時間体に入っていた事の方がまずい。とは言え……泣き言を口にする余裕などないがな」
そう言葉にし、メルクリウスはアリスの方を見た。
メルクリウスがアウラからアリスと会った場合にどうすべきか命じられたのは二つ。
一つは、クロスを逃がす事。
危険度の高い相手が出た場合クロスを遠ざける事を第一とするのがアウラの方針である。
それこそ、過保護としか言いようがない位に。
そして第二、クロスが逃げられない場合、命をかけてアリスと相対する事。
その第二の命に、メルクリウスは従うつもりだった。
「メルクリウス。アリスってのはどの位強いんだ?」
「閣下と同等。タイマンでなら本性で戦わないと私はかなりきつい……というか勝ち目がほとんど見えない。特に先制攻撃でがっつり吸われた今の私では」
「じゃあドラゴンに……」
「そうね。なれたら良いわね」
アリスはくすくすと笑いながら、そう言葉にした。
「それはどういう……」
「貴方、あんまり頭良くない感じかしら?」
「残念だがな、あんまり頭が良くないんじゃない。単純に俺は馬鹿だ」
「そう」
アリスはそれだけ答え、興味なさそうにクロスから視線を逸らした。
メルクリウスは現在自分の本性を出す事が出来ない。
この地下空間で巨体に変身するという事は、クロス達を生き埋めにする事に繋がる。
それがわかっているから、アリスが自分の前に相対したのだとメルクリウスは思っている。
アリスの行動原理は非常にシンプルだ。
確実に勝てる相手以外とは絶対に戦わず、そしてあらゆる状況から逃げられる策を用意している。
病的なまでに臆病な事、それこそがアリスの最大最悪の特徴で、未だに捕縛すら出来ていない最大の理由だった。
「……んじゃどうするんだ? 俺も協力して二対一で戦うのか?」
「いや。それはむしろ不利にしかならない。それに……アレをフリーにするのもまずい。逃げられたら次誰が犠牲になるか……」
そう言って、メルクリウスは少年と時計人間を指差した。
「……作戦は?」
「ない訳じゃあないが……しばらくはご主人があれらの相手、私がアリスの相手という感じになるだろう。相手もそう望んでいるだろうし」
「オーライ。悪いが俺はこの状況をどうにか出来る方法を思いつかん。あの変なのを潰すよう努力してみる。何かあったらすぐ呼んでくれ」
クロスはそのまま少年の方にまっすぐ突っ込んでいく。
アリスはふわっとしたステップで微笑みながら、何もせずクロスとすれ違いメルクリウスの方に向かって行った。
「ふむ……。アリスはご主人に興味はないのか?」
こちらに来るアリスにメルクリウスはそう尋ねた。
「ないわね。私、失敗作に関わっていられる程暇じゃないの。それに……貴女みたいなご馳走から目を離すなんてもったいない事出来ないわよ」
そう、アリスは楽し気に微笑みながら言葉にする。
普段のアリスを知る者なら今のアリスの様子に少々驚くだろう。
アリスは病弱……いや、そんな言葉が甘い程病に蝕まれている。
その為、日常生活すら満足に送れない。
そんなアリスが、まるで普通の少女の様に笑って、健康そうに歩いている。
血や腫瘍を吐き出す事もなければ全身から血を流す事もない。
それほどに、今日アリスは調子が良い日だった。
「……シンカ。グラノスの護衛をしろ。そして二体共アリスには絶対に手を出すな。邪魔にしかならない。何か出来そうならご主人の方を手伝ってくれ」
ぽつりとそう呟き、メルクリウスは肉体を本来の姿に近づけるよう変質化させる。
縦に割れた双眸は銀に煌めき、鋭利に伸びた爪はまるで刀剣の様に輝く。
この時点で、メルクリウスの戦闘力は魔王クラス、アウラと対等に戦える位。
だがそれでも、アリス相手にならこれは付け焼刃にしかならない。
そんな事は当然、メルクリウスは理解していた。
「ああ全く……。我ながら中途半端な行動しかとれないものだ!」
メルクリウスは叫びながら、その狂爪をアリスに向け振り下ろした。
「まあ長いお爪。お手入れも出来ないのかしら?」
くすくすと笑いながらアリスはゆるやかなステップでその爪を回避した。
「本当に今日は調子良さそうだな全く……」
アリスは普段ほとんど笑わず無駄口を叩かず、そしてしょっちゅう世界に対して罵詈雑言をまき散らす。
そんなアリスが今日だけはまるで普通の少女の様ににこやかである。
とは言え、その肌はゾンビよりも色が悪く、その瞳はどす汚れた血の色。
調子はいいかもしれないが病が治っているという事はなく、いつものアリスである事に違いはなさそうだった。
メルクリウスはクロスにもシンカ達にもアリスと自分との戦いに手を出すなと命じた。
だが、本来そんな言葉は不要だった。
とてもではないがその戦いに介入する事が出来る者はこの場にいない。
ひとかどの実力者であるクロスですら、その戦いに介入する事は不可能だと感じていた。
確かに、メルクリウスは全力を出せていない。
本来の肉体での戦いではないからだ。
それでもメルクリウスの単純な戦闘力は現時点でアウラよりも上である。
そんなメルクリウスが出来る限り本気で戦っているのだから、その戦いのレベルが高い事など当たり前でしかなかった。
その戦いはまさしく常軌を逸していた。
隣で必死に戦うクロスが幼稚に見える位に。
繰り返すが、クロスの実力は決して低くない。
メルクリウスとアリスの実力がとにかく異常なだけである。
たった一振り。
メルクリウスはその腕を振るう。
それだけで暴風と共に無数の斬撃がアリスを襲った。
四方八方、一見無作為に飛んでいる様に見えるが、その飛来する斬撃全てが計算されきった動きをしている。
ドラゴンという戦う為だけに生まれ生きる種族の本能的な攻撃、一つでも当たれば確実に絶命させる必殺の暴力。
それを、アリスはステップ一つで回避する。
逃げられる場所などなかったはず。
そんな簡単に避けられる様な温い攻撃な訳がない。
だが、アリスにとってはそうではなかったらしい。
ドラゴンという理不尽すらも、今のアリスにとってはただの供物に過ぎなかった。
「せめて防げ!」
まるで一瞬だけ存在を消した様な避け方をされたメルクリスはそう叫び、再度爪を振った。
どれだけ遠くにいようと、その爪の斬撃はアリスに襲い掛かっていく。
一つ、二つ、三つ、四つ。
全てが相手を絶命させる為に放たれる、殺意の一撃。
その全てを、当たれば死ぬ本来恐怖でしかないそれを、アリスは笑いながら、嘲る様に避けていく。
ステップを刻み、くるくると回り、ダンスを踊りながらメルクリウスに近づき……そして……、その爪を、腕をやさしく愛撫する様に撫でる。
ぞわり。
不愉快さと嫌悪が入り交じった感情と同時に、何かを吸われたと感じたメルクリウスは怒り任せにアリスに噛みつこうとする。
が、そこに既にアリスはいなかった。
「まあ。がぶり! と一口なんて怖い怖い。まるで狼さんね。私は赤ずきんじゃないわよ」
「どちらかと言えばお前の方が狼だろうが」
「大口開けて噛みつくなんて私はそんな野蛮な事しないわよ」
そう言って、アリスはくすくすと笑った。
「ああ全く……そんなご機嫌なお前は見た事がないし聞いた事もない。本当に今日は調子が良さそうだな……ああ、最悪だ」
アリスはきょとんとした顔をした後、くすりと微笑んだ。
「あら。まだわからないの? 私言ったよね? おかげ様でって。それとも自分の身体の事なのに忘れちゃったの?」
メルクリウスは顔を顰めた後、自分の腹に空いた穴を見る。
ドラゴンの生命力ならふさがっていないとおかしいその体の穴は、未だぽっかりと開いたままとなっていた。
「ああ……本当に最悪だ。そこまで吸われていたのか……。それならもう……初手で詰んでいたではないか」
だからアリスは酷くご機嫌で、そしてこの場から脱走せずまだ残っている。
それに気づいたメルクリウスは悪態をついた。
アリスが現在、普段では考えられない程ご機嫌で体の調子が良い理由は二つ。
一つは、たっぷりとメルクリウスの血を吸ったから。
戦う為の存在、最強種であるドラゴンは生命力に溢れている。
それは肉や内臓だけでなく、当然血液も。
故に、その血液は毒である。
生命力で溢れすぎている為、薬としては強すぎるからだ。
種族にもよるが、耐性のない者がその血を飲めば心臓が激しく脈動し、まもなく停止する。
その程度にはドラゴンの生命力とはすさまじいものだ。
しかもただのドラゴンではなく、ドラゴンの上澄みであるメルクリウスの場合はなお酷い。
ただの魔物がその血を大量に浴びたら全身が爆発し、肉片すら残らず地面に真っ赤な花火を残す事となるだろう。
だからメルクリウスはその可能性を、アリスが自分の血液の生命力を使って生きているなんて考えてもいなかった。
病に陥ったアリスが自分の血を直に吸うと即座に死亡するだろうから、こっそり収集して後で使う為にどこかに保管していると考えていた。
メルクリウスの血を大量に吸ってもアリスが死んでいないのは単純な話で、一言で言えばアリスが天才であるからだ。
医術や化学といった知識的な事から魔法的な事、それだけでなく肉体操作術や肉体調整術といった不可思議な能力。
その全てを、アリスは習得している。
他の何のためでもなく、ただ生きる為だけに。
そんなアリスにとって体を爆散させないようドラゴンの血を体に巡回させる事など児戯程度に感じる位容易い事だった。
そしてもう一つの理由。
それはアリスの能力によるもの。
アリスの能力は非常に悪辣で、複雑で、凄惨で、厄介で、悍ましい。
その上用心深い為、アリスは自身自分の能力を誰にも話していない。
その為、推測部分も非常に多く、いまいち正体が掴めていない。
それでもわかった事と実際に起きる事をどうにか分かりやすく纏め言葉にするなら……『簒奪』となるだろう。
アリスは戦う相手からあらゆる物を奪い取る。
それは力や魔力だけでなく、命すらも含めて。
故に、アリスは多数と戦う時は絶対に負けない。
相手の数だけアリスの戦闘力が上がるからだ。
今現在、アリスは攻撃魔法を使っておらず、武器での攻撃すらしていない。
その理由は考えなくてもわかる。
メルクリウスの生命力を最大限吸う為に。
自分の命の糧とする為に。
その為だけに、アリスは今この場に立っていた。
「それで、詰みと知ったならどうするの? 私としてはもちろん吸い尽くしたいからまだまだ続けてくれたら嬉しいんだけど。それが嫌ならせめて血液もっと流していって」
にこやかに、まるで友達の様にそう語るアリスを見てメルクリウスは鼻で笑った。
「はっ。何が続けたいだ。ここで私が本性を解放したらすぐ逃げる癖に」
「そりゃあ当然でしょう。私まだ死にたくないもの」
そう、アリスは真顔で言葉にする。
他の言葉は軽いが、その言葉だけは非常に重い。
死にたくない。
アリス以上にそう強く思っている者はこの場に――いや、この世界にいなかった。
ありがとうございました。




