あの日の顛末
「私がヴィオラ・イブローランだと、いつから気付いていたのですか?」
「…一番最初に違和感を覚えたのは、オリヴィエ・カリーナ卿と初めてお会いした時ですわ。」
オリヴィエ・カリーナとしてルリアーナ様と会ったのは彼女が三年生になった春。私が学園を訪問した時に必死に走る彼女を見かけて、思わず声をかけてしまった。確か野鳥が彼女の栞を咥えて飛んで行ってしまったのよね。それを私が取り返してあげたのだった。そんな前から勘付かれていたなんて、自信を無くしてしまうわ。私には人を騙す才能は無いみたい。
「初めてこの栞を見た人は、これを定規と間違えるのです。私もヴィオラ様が使うところを見なければ定規と間違えたでしょう。ですが、カリーナ卿は最初からこれを栞だと断言していました。そのことが、小さな違和感として心に残りまし
た。」
「そういえば、『ヴィオラ様の栞は淵に細かい線の模様が入っていて、まるで小さな定規のようですね』と仰っていましたね。失念しておりました。」
普通は定規だと思うのよね。忘れていたわ。ずっと私が使っていた物だから、何の躊躇いも無く栞だと言ってしまった。
「それに…カリーナ卿と学園や生徒の話をしていると、時々ヴィオラ様の姿が重なるのです。声も体型も雰囲気も違うのに、どこか懐かしさを覚えてしまって…。もう一つの違和感は先日のパーティーでのこと。カリーナ卿のミーチェ様に対する態度でしょうか。他の方は気付いていなかったようですが、私はあなたの言葉に棘を感じました。あれは、私を殺そうとしたドルトーニに対するものとは別種の敵意でしたよね?カリーナ卿とイブローラン家。どちらも特に接点があるとは聞いたことはありません。ですが、カリーナ卿がヴィオラ様なら話は別です。二人が同一人物であれば、あの敵意にも納得出来ます。」
「……ふふふっ。流石ルリアーナ様ですね。自力で私の正体に気付いた人は、あなたが初めてです。」
本当に詰めが甘い。こういうところは父親に似たのかしらね。あの父親に。
「流石というなら、ヴィオラ様もでしょう?まさか在学中に魔法公爵の地位に就いているなんて夢にも思いませんでしたわ。」
「イブローラン家の出来損ないが、そんな要職に就いているなんて誰も思いませんよ。まぁ…勘付かれないように、そう振る舞っていたのですけど。」
私が魔法公爵になったのはルリアーナ様が入学する直前のこと。ちなみに、在学中に魔法公爵になった貴族は殆どいない。貴族で魔公の力を持つ者は、その力が目覚めるまでに時間がかかる場合が多い。過去の統計では、学園に入学して一、二年で力に目覚める。それから修行をするので、大体の者は学園を卒業した後に魔法公爵となる。だからこそ、ヴィオラ・イブローランの在学中に魔公となったオリヴィエ・カリーナが、学園に通う生徒と同一人物だと考える人はいなかった。
「身体が弱いというのも演技だったのですか?」
「ええ。ガリガリに痩せた体型を維持するのは中々大変でした。本当は眼鏡も必要無いくらい視力も良いんです。ですが、魔法公爵になった時に瞳の色が変わってしまう可能性があったので、他人に目を見せないようにしていました。実際、瞳の色は変わってしまいましたし。」
強い魔法をかけられると髪や瞳の色が変化する者がいる。特に魔公はその傾向が顕著だ。それは魔法公爵になる為の儀式で、強い魔力に当てられるから。幼少期、私の瞳は母親譲りの漆黒だった。だが、今では全く違う色に変化している。
「……。今も顔を隠しておられるのは、あの火事が原因なのですか?」
ルリアーナ様が少し俯く。私は、ヴィオラ・イブローランは世間では火事で死亡したことになっている。酷い火傷を隠すために包帯を巻いていると思ったのだろう。
「安心して下さい。顔に火傷なんて負っていませんから。魔法公爵になった時からこの姿だったので、そのままにしているだけですわ。その方が都合が良かったので。変な男も寄ってきませんしね。」
「ですが、どうして死んだ振りなんて…。一体あの日何があったのですか?」
ルリアーナ様は聞いてくる。あれは本当に偶然起きた事故だったのかと。目を瞑って私はあの日を思い出す。脳裏に浮かぶのは一つの墓石。
「ルリアーナ様と別れた翌日。私は母の墓参りのために、母が最後に過ごしたファル村を訪れました。その村の教会には古い知り合いのシスターがおりまして…墓参りの度に彼女と共に亡き母へ祈りを捧げてきました。あの日もそう。祈りの後に、私と侍女とシスターの三人でお茶を飲みながら談笑していました。そして火事が起きた…。」
音も立てずに紅茶を啜る。本当に美味しい紅茶。あの時とは違う安全な赤茶色。
「元々、学園を卒業したら行方をくらますなり、死を偽装するなりしてヴィオラ・イブローランは表舞台から消える予定でした。そのための準備も色々しておりましたし。…ですから私は、あの火事を利用しました。幸い、教会内にいたのは私達三人だけ。私は転移の魔法で、王都のカリーナ邸に二人を連れてすぐに避難しました。」
「では、亡くなった三人というのは…。」
「あの三つの遺体は人間ではありません。事前に作っていた、動物の骨を人型に加工した物です。あの火事が事故なのか私達三人を狙ったものなのかは判断出来ませんでした。今後、彼女達が狙われる事のないように私は彼女達の死も偽装しました。その内の一体にイブローラン家の家紋の入ったネックレスと眼鏡をかけさせてヴィオラ・イブローランの死を偽装しました…。これがあの日の顛末です。…私のために色々考えて下さったのに、それを無碍にしてしまい申し訳ありません。」
ふるふると、ルリアーナ様はゆっくり頭を横に振る。
「良いのです。ヴィオラ様の並々ならぬ思いを感じて勧誘を諦めたのは私の方ですもの。それに、あなたが生きていてくれただけで私は嬉しいのです。本当に良かった。」
ルリアーナ様は優しく微笑みながら私に告げる。その微笑みはまるで月の光のよう。そう…誰も傷付けない、慈愛しか感じさせない全てを包み込む淡く優しい光のよう。
「…言いたいことは、それだけではないでしょう、ルリアーナ様?」
その微笑みに対して、私は敢えて冷たく告げる。はっと目を見開く彼女が見れたのは、ほんの一瞬。けれど、彼女の心を揺すぶるのはそれで十分。彼女の言葉は嘘では無いだろう。だが、その微笑みは本心からのものでは無い。
「学園に入学してからの三年間。あなたは次期王妃として立派に振る舞ってきました。知人が亡くなっても、婚約者が他の女性に懸想しても、あなたは人前で決して弱さを見せなかった。同じ女性として、あなたの強さは尊敬します。ですが、今の私は幻のようなもの。」
「幻…。」
「このお茶会が終われば、私はまたオリヴィエ・カリーナとして生きていきます。ヴィオラ・イブローランとして、あなたに会うことは二度と無いでしょう。ヴィオラはこの瞬間、あなただけに見える幻。すぐに消え去る幻影の前でまで『理想の令嬢』を演じる必要はありませんわ。『私』に言いたいことがあるのでしょう?」
吐き出したい想いがあるから『私』を、『ヴィオラ・イブローラン』を呼び出したのでしょう?私はそんな哀しい微笑みを見るために、あの日のことを話した訳では無いわ。ねぇ、あなたはいつまでその仮面を被り続ける?選ぶのはあなたよ、ルリアーナ・クラウダス。
「私は…。」
言葉よりも先に、水滴が彼女の頬を静かに伝っていった。
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