先輩と後輩
今回はルリアーナ視点の回想です。
ヴィオラ・イブローラン。私が彼女と出会ったのは学園に入学してからのこと。彼女を見かけたのは学園の図書館でした。学園図書館は奥に行けば行くほど、難解で専門的な書籍が並んでいます。最奥にもなれば学者レベルの知識が無いと読み進められないような研究書やマイナーな書籍ばかり。ですから、図書館の最奥に生徒が寄り付くことは滅多に無いと聞いていました。
そんな場所に彼女はいました。一般的な令嬢が読まないような難解な書籍を黙々と読む姿を今でも鮮明に覚えています。始めは、どこかの家の次期女当主なのかと思いましたわ。けれど、それなら私が知らない筈はありません。同世代の貴族の子ども達は、ほぼ顔見知り。次期女当主であれば、確実に王子の婚約者である私と交流を持つ筈。胸元に付けたバッジの色から二学年上の先輩であることはすぐに分かりました。背中まで伸びた真っ直ぐな黒髪、分厚い眼鏡、制服の上からでも分かる痩せた身体。彼女は一体誰?私は彼女に興味を持ちました。ですが、その時は声をかけませんでした。とても集中して本を読んでいるのに邪魔をしては悪いと思ったからです。
その一週間後、また彼女を見かけました。その日も彼女は図書館の最奥で本を読んでいました。声をかけてみたい、でも邪魔になるかもしれない。私はずっと迷っていました。そんな時、図書館で黒髪の令嬢と目が合いましたの。こちらにお辞儀してその場を去ろうとする彼女を呼び止め、私は気持ちを告げました。あなたとお話しがしたいと。すると、彼女は小さくも厳しい声でこう返したのです。
「図書館は話をする為の場ではありません。場所を変えましょう。」
これが私とヴィオラ様の出会い。
私達は図書館の裏手にあるベンチに移動して話をしました。そこで初めて、彼女がイブローラン子爵家の令嬢だと知ったのです。彼女は昔から体が弱かったため社交の類もしたことがないという令嬢でした。通学時間を減らすために、王都の屋敷ではなく学園の寮に住んでいるのだと言っていました。ヴィオラ様は歴史学や薬学や古語学などの書籍が特に好きだそうで、平民や商人目線でまとめられた王国の歴史書「民の眼」の話をしている時は特に盛り上がりましたわ。あの本を私以外にも読んだ女生徒がいることに私は感動しました。それぐらい貴族にとってはマイナーな書籍なのです。別れ際にまたお話し出来ませんかとお願いしたら、ヴィオラ様は少し悩んでこう言いました。
●月曜日なら図書館にいつもいるので声をかけてくれて構わない
●図書館の裏手のこの場所で話しをするなら構わない
●図書館以外で自分と関わりを持たないで欲しい
●イブローラン家の者に自分と関わっていることは秘密にして欲しい
それがヴィオラ様の要望。疑問点はありましたが私はこれを受け入れ、また月曜日に会いましょうと言って別れました。それから毎週月曜日に二人でこっそりと会っていましたの。話をする時もあれば、二人で静かに読書にふけることもありましたね。その時間が私は大好きでしたわ。彼女は私に取り入ろうとする素振りを全く見せなかったから、気持ちがだいぶ楽だったのだと思います。私の周りにいる人の多くは次期王妃となる私と繋がりを持ちたいという下心を持っていますから。それ自体は悪いことではないのです。ただその気持ちが行き過ぎて、なんでもかんでも私をもてはやそうとする人がいます。ヴィオラ様はそういう類の人ではありませんでした。もちろん私の方が身分が上なので私を立てるように接してくれていたけれど、書籍の討論に関しては自分の意見をハッキリと述べる人でした。互いの意見を真剣にぶつけ合えることが私はとても嬉しかった。
ヴィオラ様と関わるようになって、私には気になることがありました。随分前に聞いた『イブローラン子爵の長女は出来損ない』という噂。長女は伯爵家の血を引いているというのに容姿も悪く教養も無い。しかも身体も弱い。故に出来損ないと呼ばれていると。確かに彼女は身体が弱い。分厚い眼鏡と前髪で目も隠しているから容姿も悪く見られるのでしょう。けれど、私には彼女が出来損ないになんて見えません。私は知っています。ヴィオラ様は本当は誰より高い教養を持つ方だと。王妃教育を受けた私と書籍の討論が出来る令嬢は中々いません。調べたところ彼女の学園での成績は下の上。それも、わざとそうしているのではないかと思うのです。そんな成績では古語で書かれた歴史書や薬学書なんて読める訳がありませんから。
そして一番気になったのは、その噂は彼女が学園に入る前からあったということ。殆ど社交をしていないヴィオラ様と面識のある人はそういない筈。その噂を流すとすれば使用人か家族か親族。私の頭に浮かんだのは一人の令嬢。ヴィオラ様の義妹で私と同じ学年に在籍しているミーチェ・イブローラン様。ミーチェ様は学園に入る前から社交の場に現れていました。平民の母を持つが、とても可愛らしい容姿の方だと一時期話題になっていました。私がヴィオラ様の噂を聞いたのも確かその時期。もしかして、父親であるイブローラン子爵がミーチェ様を紹介する時に姉であるヴィオラ様を貶すような話をしたのではないか?そうすることでミーチェ様の評判を更に上げようとしたのではないか?子爵が庶子である次女を可愛がっているのは有名な話なのです。
では長女は?
普通なら病弱な娘を寮になんて住まわせないでしょう。…それにヴィオラ様も。公爵令嬢と繋がりが出来たとなれば家の者に報告する筈。クラウダス家とイブローラン家は今まで私的な交流がありません。次期王妃と私的な繋がりが出来たとなれば、普通は親に『よくやった』と褒められるのではないか?けれどヴィオラ様はそれをしない。もしかして…。ヴィオラ様が寮に住んでいる本当の理由は、家に居場所が無いから…?イブローラン子爵は敷地内にも入れたくないぐらい娘を嫌っているのかもしれない。もしそうだとしたら…学園卒業後に子爵がヴィオラ様をどう扱うか怖くなった。私はヴィオラ様に学園卒業後どうするのか、それとなく尋ねました。
「家を出るつもりです。どうせ父は私を追い出すつもりでしょうから。変な相手と結婚させられる前に、こちらから出て行きますわ。」
ああ、やはり。私の推測は間違いではなかったようです。家を出る。それが貴族の女性にとって、どれ程大変なことか。身体の弱い彼女が働き口を探すだけでも大変なことでしょう。だから、私は彼女にある提案をしました。
『王太子妃付きの女官となってくれないか』と。
私が学園卒業後に王太子妃になれば、話し相手として親しい者を推薦出来る。彼女の身分は完璧だし、身体が弱くても、この仕事ならやっていけるでしょう。私はヴィオラ様と話すことが本当に楽しい。それに彼女はイエスマンではない。もしも私が道を逸れそうになったら、きっとハッキリ言ってくれる。そういう女性を傍に置きたい。
「私が王太子妃になるまでの期間は公爵家の侍女として働く。どうでしょうか?考えてみてくれませんか?」
「………。ありがとうございます、ルリアーナ様。ですが、あなたに迷惑をかけることは出来ません。申し訳ありません。」
「どうしても駄目ですか?」
「…申し訳ありません。私には為さねばならないことがありますから。」
彼女の為さねばならないこと。それは何度聞いても教えてもらえませんでした。
ヴィオラ様の卒業まで残り二ヶ月。寒くなってきたせいで、図書館裏のベンチでお話しすることは出来なくなってしまいました。図書館の最奥に設置された椅子に座って、二人並んで静かに過ごすようになっていました。そんなある日の金曜日。月曜日にしか図書館を訪れない彼女とばったり会ったのです。珍しいこともあるものだと思いながら、いつものように二人で本を読んでいました。その日読んだ本はとても難しい内容の物で、普段より読み進めるのに時間がかかって途中までしか読めませんでした。なので借りて帰ろうとしたら、いつも鞄に入れている栞が無かったのです。きっと家に忘れてしまったのでしょう。仕方ないと思っていたら、ヴィオラ様が自身の栞をページの間に差し込んできたのです。
「どうぞ使って下さい。」
「ですが…。」
「月曜日に返してくだされば構いませんから。」
そう言ってヴィオラ様は帰って行きました。そして、これが彼女と交わした最後の言葉。以降、彼女と会うことは二度とありませんでした。何故なら彼女は…ヴィオラ・イブローラン様は…亡くなってしまったから………。
ご拝読ありがとうございます。