柵を隔てて
コツン…コツン。この静かで暗い石段を登る度に私の足音が響く。静けさを破るこの音がどことなく気持ち良くて、ついつい大きな音を立ててしまう。石段の先にあるのは、黒い金属の柵で仕切られた牢屋。
「レイナード様⁉︎」
私の足音を聞いて、一人の令嬢が柵に駆け寄ってくる。愛しの人が自分を助けに来たとでも思ったのだろうか。
「ご機嫌よう、フローレス嬢。」
期待を裏切られた彼女の表情がみるみる変わる。甘くキラキラした瞳は輝きを失い、どんどん濁っていく。その変化があまりにも速くて、思わず笑ってしまいそう。ここは戒めの塔と呼ばれる場所。普段ほとんど使われないこの塔は、高位の貴族や王族を隔離する時に使われるもの。この塔は犯罪者を閉じ込める牢屋として使われたり、命を狙われている者を一時的に守る保護施設として使われることもある。なので普通の牢屋より清潔で人権を尊重する造りになっている。柵が無ければ、平民が住む平屋の家と言っても通じるだろう。
「どうして魔法公爵様がここに…?レイナード様は⁉︎彼はどこにいるのですか⁉︎どうして私をこんな所に閉じ込めるのですか⁉︎」
私が来たことで抑えていた感情が爆発してしまったようね。それも無理はない。卒業パーティーの後、レイナード殿下に王宮まで連れてこられた彼女は彼と引き離され、この『別室』に閉じ込められている。どうしてこうなっているのか訳が分からないだろう。折角だし説明してあげましょうか。元々、この令嬢とお喋りするためにここに来たのだから。
「どうしてあなたがここに閉じ込められているのか。理由は二つ。一つはあなたが王族にとって危険人物だから。あなたはレイナード殿下を誑かした悪女として国王陛下に認知されているの。」
「悪女って、そんな酷いです!私はレイナード様を誑かしてなんかいません!私も彼もお互いを好きになっただけなのに!それの何がいけないのですか!」
「少なくとも、人として貴族として守るべき順序があったはずよ。あなた達はそれを怠った。最終的に、一番手っ取り早くて最悪な手段を取ってしまうなんてね。そうそう、今回の公爵令嬢殺害未遂について、国王陛下はあなたの関与も疑っておられるわ。」
「私は何もしていません!ルリアーナ様を殺そうなんてそんな気持ち、私達は一切ありませんでした!」
今のフローレス嬢の姿を見ていると、どことなくレイナード殿下の姿と重なる。元々似た者同士だったのか、殿下が彼女の影響を強く受けてしまったのか。まぁ、どちらでも構わないけれど。
「そうね。殺害未遂に関与していないことは信じてあげる。」
「えっ⁉︎」
私がそう言ったことが意外だったのか、彼女の思考が一瞬停止して勢いが削がれた。
「あの場であなたは何もしていなかったし、ほとんど発言もしていなかったわ。虐められていた事実は述べたけれど、『誰に虐められていたのか』までは断言しなかった。本当に誰がしたのか分からなかったのでしょう?大人しくしていたおかげで命びろいしたわね。」
それに、と私は二つ目の理由を続ける。
「あなたが受けたイジメも賊の襲撃も自作自演ではないと既に調査済みよ。そして今もまだ命を狙われている。だからここに入れられた。勝手に死なれたら困るのよ。」
彼女の命を狙っているのは賊をけしかけた人物だけではないだろう。彼女がいなければレイナード殿下は無事に王太子になれた。彼女がいなければ、国王が実の子を平民落ちさせることはなかった。彼女がいなければ、ルリアーナ様があのような屈辱を受けることはなかった。
『マリア・フローレスさえいなければ』
そう思う者はきっと王宮の中には沢山いる筈だ。マリア・フローレスの命を守る為に彼女を保護している訳ではない。忠義に厚い者が彼女を殺して罪に問われる、なんて事にならないように保護しているだけのこと。
「レイナード様は…彼はこのことを知っているの?知っていて助けに来てくれないの⁉︎」
「レイナード殿下は、もうここには来られないわ。」
「どういうことですか?」
「彼は今回の不祥事で王族の身分を剥奪されたのよ。」
「えっ⁉︎」
「あら、聞き取れなかった?もう一度言ってあげましょうか?レイナード殿下は平民になってしまったの。もうこの王宮にはいないし、あなたを助けに来ることは不可能よ。」
「なんて、なんて酷いことを…!」
「酷い?それをあなたが言うの?」
あまりにも可笑しくて、つい笑ってしまった。彼が平民に落ちるきっかけを作った張本人が何を言っているんだ。
「祝いの場で婚約破棄なんて馬鹿げた騒ぎを起こすだけでなく、公爵家の令嬢を無実の罪で断罪して殺害しようとした。最悪死刑になってもおかしくない不祥事よ。むしろ平民落ちぐらいで済んだことに感謝してもらいたいわね。」
死刑という言葉を聞いて彼女は表情をこわばらせる。そんなに驚くことだろうか?あれは死刑になってもおかしくないことだった。私もそれを覚悟してあの場に臨んだのだから。
「あなたのせいでレイナード殿下は全てを失った。あなたにも相応の罰が下されることでしょうね。」
そう告げると彼女はずるずると崩れ落ちた。俯き小さな声で「レイナード様」と、殿下の名を何度も何度も呼んでいる。レイナード殿下を憐れんでいるのか、自分に下される罰に怯えているのか。どちらかは分からないけれど。震えながらしくしく泣き出して、泣き過ぎて呼吸が上手く出来なくなって一瞬息が詰まっては、また泣き出す。そんな様を三十分は見続けただろうか。
「ねぇ、マリアさん。あなたが好きだったのは第一王子様だったの?それともレイナード様だったの?」
泣き過ぎてむせたところを狙って私は彼女に声をかけた。しばらく黙っていた私が声をかけて驚いたのか、意味が分からないと言うような表情を浮かべている。まるで小さな子どものよう。私は彼女と目線を合わす為にしゃがみこむ。
「別に答えなくても構わないわ。でもね…あなたが本当に彼を愛しているのなら、その罪を、罰を共に背負いなさい。」
幸せを分かち合うように、苦難もまた分かち合う。それが恋愛というものなのでしょう?それが出来るのが愛なのでしょう?
「自分に与えられる罰を彼の為に受けなさい。レイナード殿下が無事に生き抜くために贖いなさい。彼の無事を神に祈り続けなさい。………あなたにはそれが許されているのだから。」
そう。あなたにしか許されていない。レイナード殿下が選んだあなたにしか出来ないことなのだから。
「長居してしまったわね。そろそろお暇させてもらうわ。」
「あっ…。」
彼女が何かを言おうとしたが、私はそれを無視してこの場を立ち去る。お喋りはここまで。どうせ聞いたところで意味なんて無いのだから。
マリア・フローレス。あなたは何を選ぶのかしらね。全てを失った彼を、あなたは選ぶことが出来るのかしら?
ご拝読ありがとうございました。