第2話 崩壊の地
「ここ……は?」
未来が辺りを見回すと、そこは今朝、夢で見たあの荒野―砂漠だった。
「どこ……?」
『荒れた大地―wilderness、人はこの場所をそう呼ぶ』
半ば独り言に近い未来の問いに答えたのは、夢に出てきた青年の一人。
「カムイ……」
声のしたほうにゆっくりと視線を巡らせた未来は、困惑気な表情を浮かべたまま神威を見つめた。
『この場所は古き都。栄華を極め、人の中心として栄えていた場所でさえ、今は跡形も無く全ては荒廃した大地の下……人の造りしモノのなんと脆いことか』
神威の言葉はどこか“人”を蔑んでいる。それに気付いた未来は、無意識のうちに鋭い視線で神威を見据えた。
「……あなたは、“何”?」
畏怖とも嫌悪とも思えるような未来の表情と声音に、神威は初めて反応らしい反応を示した。
神威の表情は、何か面白いものを見つけたかのように輝いている。未来の表情にそのことに対する嫌悪を見た神威は、嘲笑とも思えるような笑みを張り付かせた。
『名は、知っているのではないのか? ……まぁ良い、神威だ。神の威を借る者―気紛れな神からこの地上に遣わされた、七の石碑の中の一つ……お前は?』
闇を写し撮ったかのような漆黒と、深海を思わせる深い青。オッドアイの瞳に射抜かれた未来は、無意識のうちに告げていた。
「藤島、未来」
告げられた名前に覚えでもあったのだろうか、神威は一瞬、その目を瞠らせると楽しそうに未来を見つめた。
『未来、ね……覚えておくよ』
その口から紡ぐ言葉は「特別」な意味など持たない言葉であるはずなのに、神威の言葉は、その声はどこか甘い。
背筋が粟立つような低い声を耳元で囁かれながら、未来の意識はゆっくりと浮上していた。
「っん……」
自身の声がきっかけになったのだろうか、気だるげに目を開いた未来の視線の先にあったのは一面の青。
神威の瞳の青とは違う、水色にも近い空。
寝起きだからだろうか、まだ起ききっていない頭を働かせるかのように頭を軽く振った未来は、頬に冷たい雫が触れるのを感じた。
「……冷たい……」
ぴちゃん
ゆっくりと体を起こして周囲の状況を確認すると、視界に飛び込んでくる風景は壊れた壁や柱。どこか古い神殿が壊されたような、そんな場所。
「神殿、の……跡地?」
何もわからないながらも自分のいる場所を理解しようとしているのか、未来は困惑気な表情を浮かべながらも壊された壁や柱に視線を走らせる。
そんな未来の耳に微かな声が届いたのは、周囲があまりにも静かだったせいだろうか。
「っう……」
「声?」
呻くような声に驚いて周囲を確信しながら声のした方向―その部屋の中心部に視線を向けた未来は、目を瞬かせた。
そこに倒れていたのは、未来と同い年くらいの制服を着た一人の少女と、三人の少年。
「っ!!」
彼らに視線を向けた未来は、驚愕して息を呑んだ。
その場所に倒れていたのは、未来が夢で見た“あの部屋”に倒れていた四人とあまりにも酷似しすぎていた。
「う……」
驚きにただ彼らを凝視していた未来は、彼らから発せられたのであろう呻き声にようやく我に返った。
「あ……あの、大丈夫ですか?」
慌てて駆け寄った未来の声に反応したのか、その中に倒れていた一人の少女がどこかぼんやりとした様子で顔を上げた。
顎の長さで切りそろえられた黒い髪は、少女の動きに合わせてサラサラと揺れていた。日本人形のような少女は、目を覚ましたばかりのせいかぼんやりと周りを見つめている。
少女を見つめながら、駆け寄ろうとしていた未来は思わず足を止めた。
「な……んで」
未来は呆然としながら、胸元をきつく握り締めて「彼女」の名前を呼んだ。
「……る、り……?」
「ぅ……った……」
微かに零れた少女の声と、視界に飛び込んできた少女の漆黒の瞳を目にした未来は軽く頭を振った。
目の前の少女の相貌は、驚くほど「彼女」に似てはいたが、零れた声音も瞳の色彩も未来の知る「彼女」のものではなかった。
「あ、あの、大丈夫ですか?」
ぴしゃぴしゃと水溜りを踏みながら少女に駆け寄り、未来はそれが当然であるかのように少女の傍らに膝を付いて手を差し出した。
まだぼんやりとしているのだろうか、逡巡すらせずに未来の手を取った少女は、上半身だけを起こすとあたりを見回した後、未来の顔を凝視した。
「ここ、どこ……あんた誰?」
「藤島未来です」
漆黒をまとう少女の言葉に、その鋭い眼差しに、未来は考えるより先に自分の名前を告げていた。
「ここ、どこ?」
重ねて問われた少女の言葉に、未来は困惑気な表情を浮かべて少女を見た。
「どこ……でしょうね?」
「……アンタ、未来? も目が覚めたらここにいたってヤツ?」
呆れたような眼差しと声音で告げられた言葉に、未来は困惑したまま頷いた。
「はい。いつもと同じように学校に向かっていたら、突然視界が光で覆われて……つい先ほど目を覚ましたばかりなので」
「そっ」
どこか落胆したような声を零した少女は、軽く息を吐き出した周りを見回すと未来に視線を戻した。
「あ、私は澪よ……で、そっちの三人は?」
「えっ?」
澪の言葉に、未来は驚いて先ほど少年達が倒れていた場所に視線を向けた。
起きだした少年達の一人、端整な顔をした茶髪に緑色の瞳を持つ青年は澪の言葉を聞いてどこか面倒くさそうに、苦々しげな表情で溜息を吐いた。
「神谷孝介」
「……MOVEMENTのコウ?」
隣にいた少年に指摘された言葉に、孝介は僅かに眉を寄せて端的に返した。
「バイト……そういうお前は片桐礼央か?」
「そう」
淡々と頷いた礼央は、自分の周囲に視線を向けて散らばっていた書類―実際は楽譜だった―を集めると、順番を入れ替えながら枚数を確認していた。
「で、そっちの関西の制服着てるアンタは?」
起き出してから岩や柱の影をに顔を突っ込み、何かを探しているそぶりを見せていた青年は、澪の言葉に軽く驚いたように顔を向けた。
「毛利誠一朗……それより、関西の制服を来た腰までの長い黒髪の女の子を見なかったか? ユキという名前の」
焦りながら訊ねられた澪は眉を寄せながらあたりを見回し、未来に視線を向けた。
「私はここに倒れている四人以外は見ていません」
首を横に振った未来から視線を誠一朗に戻した澪は、腕を組んで溜息をついた。
「そのユキって子、ここに来ていないってことは?」
「……わからない……でもあの時、声が聞こえた。だから多分、ユキも一緒にこっちに来て――」
ドン-ッ
誠一朗の言葉の途中で、立っているのが困難なくらいの揺れが神殿跡を襲った。
「っ」
「ぅわ」
「ひゃっ」
座っていた孝介と礼央以外の三人はその揺れに絶えられず、手近な石柱や岩にしがみついた。
「地震……!?」
驚いたような礼央の声が聞こえたのを最後に、未来の意識はそこで途絶えた。
光の届かない、暗闇の底。
カラカラと乾いた音を響かせながら、それは廻り続けていた。
運命の歯車――
それは戸惑う彼等をよそに、廻りはじめていた。