踊り子の憂鬱~中編~
孤児院でミリーと別れた後、明日のために必要な荷物、陳列台代わりの木箱などを購入し、宿にもどる。
簡単に夕食をすませると、ミリーに会うためにテンツェリンへと向かう。
店内に入ってきた私を見つけると、ミリーは笑顔になり、駆け寄ってこようとする。
「おい、嬢ちゃん。」
店の中央、テーブル席に座った中年の男が、突然ミリーの腕を掴んだ。
「嬢ちゃん、いくらだ?」
「え?え?」
突然のことにオロオロするミリー、それに、いくらだってのはどういうことだ?
「あー、すまないが、彼女は私の知人でね。何かトラブルでも?」
状況は飲み込めないが、ミリーは困っているようだし、助けてやらねば。
「んん?なんだ兄ちゃん、順番くらい守りな!」
立ち上がり、私の肩を突き飛ばしてきた。ずいぶんと酔っているのだろう、薄暗い店内でもわかるくらい、顔が真っ赤だ。
「おっと・・・!順番?なんの話だ。」
話が噛み合わない、この男は何を言っているのか。
「だから、順番だよ、順番。ここは女を買いにくるところだろうが!酒を飲んで、ダンサーの女と値段の交渉して、店の二階の個室に行く、何からんできてやがんだ!」
「なんだと?」
それではまるで売春宿ではないか。驚いてミリーの方を見ると、涙目でクビを横に振るばかりだ。
もしかして、ここはそういう店で、ミリーはそれを知らずに?
前にマスターが、娼館にでも行けばって言っていたのは、自分で交渉しなくていいからって意味だったのか。
「そうか、すまない。勘違いがあったみたいだ、その子はそんな店だと知らなかったんだ。離してやってくれ。代わりといっちゃなんだが、一杯ごちそうしよう。」
男の腕を掴み、ミリーと離そうとする。
「ふざけんな!ぶっとばすぞ!俺はガキが相手じゃねえと興奮しねえんだ!やっとまともな女がいたら思ったら、勘違いだと?俺はそいつを抱くって決めたんだ、他にはろくな女がいねえじゃねえか!邪魔するならぶちのめすぞ!」
くそっ、ヘンタイの方だったか。
強引に二人を引き離し、ミリーを庇うように男の前に立つ。
「なんだよ・・・、やんのか?」
私が睨み付けると、男は少し怯んだようだった。店中が私たちに注目している。ミリーが私の服の裾を掴んだ。
「ミリー、大丈夫だから、少し下がって・・・。」
食器やイス、凶器になるものはいくらでもある店内だ。いつ男が飛びかかってくるかもわからない。ミリーを少し遠ざけようと視線をそらしたのがまずかった。
「うあぁぁぁぁぁぁぁ!」
奇声に反応して視線を戻すと、いつ手にしたのか、男はテーブルナイフを振りかぶっていた。
咄嗟に左腕で受ける。激痛が走る。顔をしかめながらも、男のナイフを持った手首を掴み、捻りあげる。
「あぁぁ!あっ!あっ!」
ナイフを取り落とし、痛みに悲鳴を上げる男。そのまま男の姿勢を崩し、取り押さえる。
「痛っ・・・。」
自らの左腕に視線を落とすと、切れ味がよくなかったのか、厚手の服がよかったのか、切り傷は負っていないようだ。それでも、鉄製の棒で殴打されたようなものだ。ジンジンと痛んでくる。骨折まではしてないだろうが。
「マスター。」
騒ぎの仲裁に入ろうとしていたのか、カウンターから出て側まで来ていたマスターに声をかける。
「騒がせてすまなかった。事情は聞こえていたと思う。ミリーは辞めさせる、構わないな?」
「え、いえ、はあ。」
「それと、この男だが・・・、動くな!」
マスターとの会話中、拘束を逃れようと男が抵抗してきたので、更にきつく腕を捻る。
「あぁぁ!わかった!わかったから!離してくれ!」
「二度と私にも、この子にも近づくな!わかったな?」
「わかった!わかったから!」
そう言うと、男は抵抗しなくなった。自力では抜け出せないと悟ったのだろう。
「マスター、この男の処遇は任せる。ミリーは辞めさせて、構わないな。」
「ええ、もちろん。昨日話したとおり、うちは場所を提供するだけの商売ですから。」
「そうか、ありがとう。騒がせてすまなかった。」
後始末をマスターに任せると、ミリーを連れて店を出る。
「大丈夫か?少しは落ち着いたかな。」
店を出ると、ミリーは泣き出してしまい、大変だった。そのまま孤児院に連れて帰る訳にもいかなかったので、とりあえず金獅子の微笑み亭に戻り、食堂で落ち着くのを待っていた。
「ぐすっ・・・、はい・・・、ごめんなさい・・・、ありがとうございます・・・。」
「もう大丈夫だから。さあ、ミルクでも飲んで落ち着いて。」
泣いているミリーを連れて帰った時の、宿の主人とウエイトレスの驚いた顔ときたら。主人なんて、今にも殴りかからんとする勢いで、何してやがると掴みかかってきて大変だった。弁解して、ミリーが肯定してくれたから事なきを得たが・・・。
「ごめんなさい、ごめんなさい。でも、本当に知らなかったんです。わたし、何も変なことしてないです。嫌わないでください・・・。」
「わかっているよ、大丈夫だから。ミリーのことを信じているし、こんなことくらいで嫌ったりしないから。明日はお菓子を作って、一緒に売りに行くんだろう?」
背中をポンポンと叩いてやると、ミリーは私の胸にもたれかかってきた。先程の中年男が脳内に現れ、同志よ、と語りかけてくる。
このまま抱き締めて、部屋まで連れて行ってもいいのだろうか・・・、いや、周りがこちらを見ている。いや、見ていなくてもダメなんだけれども!
「ありがとうございます・・・、落ち着きました・・・。」
私が自分の中の天使と悪魔と会議していると、ミリーは少し恥ずかしそうにしながら、私から離れた。
「そ、そうか。それならよかった・・・。明日は早いんだ、送っていくよ。」
「・・・ありがとうございます。」
孤児院までの道中、ミリーに袖を掴まれながら歩いた。手を繋いだ方がいいのか、それとも変に思われるだろうか。悩みながら歩いたが、結局答えは出なかった。
「売れないな。」
気合いを入れて早起き。広場で入り口付近の良いスペースを確保し、ミリーと合流。地面に食べ物を拡げるわけにもいかないだろうと、木箱を用意してお菓子を並べてみたが、中々売れない。朝から昼過ぎまで居て、買ってくれたのはたったの二人。それでも、ミリーは嬉しそうだったが。
「ただのクッキーでは、目を引かないのか?」
おいしいのに。食べてみればわかるはずなのに。たかがクッキー、されどクッキーだ。
「ご、ごめんなさい・・・。」
私の呟きを聞いて、しゅんとして謝るミリー。
「ああ、すまない。ミリーが悪い訳じゃないんだ。どうしたらもっと売れるかと思ってね。」
「もっと売れる方法・・・ですか?」
看板でも作るか。看板娘は、ちょっと暗いかもしれないが、ミリーがいるし。
「な、名前を付けてみるとか、どうでしょうか?」
「名前?」
おずおずと、ミリーが提案してきた。
「は、はい。例えば、エアフォルクッキー・・・、とか・・・、えへへ・・・。ご、ごめんなさい!忘れてください!」
まさかのダジャレ。ミリーは、耳まで真っ赤にして、うつむいてしまった。
「エアフォルクッキー、エアフォルクッキーか。」
割れてしまうものだし、旅のお土産には向かないだろうが、街の名物だと思って旅人が買ってくれるかもしれない。旅人でなくたって、名前で面白がって買ってくれる人がいるかもしれない。
「いや、面白いんじゃないか?やってみよう、エアフォルクッキー。」
信じられないとでも言いたげな顔で私を見つめるミリー。いやいや、自分で言い出したんじゃないか。
「エアフォルクッキーですと?」
ふと、声がして顔を上げる。一人の恰幅のよい紳士が立っている。
「一ついただけるかな?」
「あ、はい。ありがとうございます。」
クッキーを一枚食べると、うーんと唸っている。しばらく考え込んでいたが、やがて口を開くと紳士は言った。
「私は、そこの通りでカフェを経営しているトーマスという者なんだがね・・・。」
紳士は、フローラが教えてくれた、ミリーを連れて行った、パンケーキを食べたカフェのオーナーだった。