ペパーミントが苦すぎて~前編~
都市にたどり着くまでには、途中で小さな町で一泊して、二日間かかるらしい。乗客は私の他に数名、幼い女の子と両親、吟遊詩人風な青年に、大荷物を抱えた女性だ。
特にすることもないので、ひたすら眠って時間を潰すことにした。しかし、馬車はひどい揺れで、とても眠れそうにない。それどころか、酔いと吐き気が止まらず、荷物に突っ伏して、呻き声をあげてしまう有り様だ。
「お兄さん、大丈夫かい?」
大荷物を抱えた女性が話しかけてきた。呻き声が耳に障ったのだろうか。
「ああ、すまない。駅馬車に乗ったことがなかったものでね。こんなに揺れるとは思わなかったよ。」
「この辺りは街道が整備されてないからねえ、もう少し都会の方だと、こんなことはないんだけど。」
もしかして、もう少し我慢すれば舗装された街道で、揺れから解放されるのだろうか。
「そうだねえ、あと六時間くらいかな?次の町からは、わりとちゃんとした道になってるよ。」
六時間。笑い事ではない。六時間もこんな揺れでは、とても耐えられそうにない。
「そうか、そんなにもか・・・。」
絶望が押し寄せてくる。こんなことなら、歩いて移動した方が楽だったのではないだろうか。
「しかし、本当にしんどそうだねえ。よかったら、これ、どうかな。」
そう言うと彼女は、懐から小袋を取り出した。
「ペパーミントでつくったオリジナルのキャンディなんだけど、乗り物酔いに効くはずだよ。」
「ああ、助かるよ。すまないな。」
「いやいや、こう見えてあたし、薬師なんだよね。お代は結構だからさ、しっかりしなよ。」
なんだか独特の味がして全然おいしくはなかったが、清涼感があって、少し楽になった気がする。
「ありがとう、おかげで楽になってきたよ。私はジークフリート、ジークって呼んでくれ。君は?」
「あたしはフローラ、よろしく、ジーク。」
そう言ってフローラは手を差し出してきた。少し照れ臭い気もしたが、断るのも変だろう。私は彼女と握手を交わした。
「ところで、ジークはどこまで行くのかな?」
「とりあえずは、この駅馬車の終点までかな。大きな都市があるって聞いたものでね。」
大都市なら、仕事も出会いもあり、悪目立ちすることもないだろう。問題がなければ、しばらく滞在するつもりだ。
「この先の都市っていうと、エアフォルクだね。実は、あたし、普段はエアフォルクに住んでるんだよね。」
「そうなのか、そこで商店か何かを?」
「いやあ、あたしみたいな駆け出しじゃあ店なんてもてないよ。色んなところに、薬草を卸してるんだ。今回は、薬草採取に出掛けてきたってわけさ。」
なるほど。確かにあの村の周辺には、様々な薬草があったように思う。あちらこちらにハーブが自生していて、最初は驚いたものだ。本職のフローラほどではないにせよ、騎士として受けた座学などで、私もそれなりに知識はあるつもりだ。
「私も、森で薬草を採取してたな。宿屋の仕事の手伝いで、引き換えに夕飯が豪華になるんだ。」
ふと、ビアンカの笑顔を思い出した。二人で歩いた森の香りと、私に向けられた笑顔が、まだ忘れられない。
「食べられるハーブを探して、サラダを一品追加したりかい?身体には良さそうだけだねえ。」
「いやいや、豚肉の香草焼きなんかを出してくれたよ。酒が進んで仕方がなかったな。」
笑顔のビアンカと、エールの香り、いや、やめよう。終わったことをいつまでも女々しく思い出して、どうしようというのか。
「お、ジーク、結構イケる口かい?次の村についたら、一杯付き合ってもらおうかな。」
「それはいい。酔い止めのお礼に、一杯奢らせてもらうよ。」
「やりぃ!人には親切にするもんだねえ。」
ペパーミントの香りとフローラとのおしゃべり、楽しい時間を過ごしていると、あんなに辛かった揺れも気にならなくなり、あっという間だった。
「「乾杯!」」
村の特産品というエールで乾杯する。近くに鉱山があるらしく、酒場の中はそれなりに賑わっていた。
「エアフォルクについたら、ジークはどうするんだい?」
「まずは、宿を探して、それからどうしようかな。そうだな、とりあえず街を見て回ろうと思うよ。フローラは?」
明日にはエアフォルクに到着する。せっかく知り合えたフローラとこのまま別れるのは、さみしいし、惜しい気がする。
「あたしは、まずは今回採ってきた薬草を卸しに行かないとね。その後でよかったら、街を案内するよ?」
「本当か?それは助かるよ、楽しみだな。」
渡りに船とはこのことか。まさか、フローラの方から申し出てくれるとは。
「じゃあ、案内料ね、おじさーん!」
元気よくマスターを呼びつけると、フローラは追加の料理を注文した。
「豚肉の香草焼きと、ソーセージ追加ね!あと、お酒もおかわり!二人分ね!」
随分とペースが早い。誘ってきただけあって、フローラはかなりの酒好きみたいだ。
「飲み過ぎて、明日辛くなっても知らないぞ?」
「ジークみたいに酔ったりしませーん!」
「あ、こいつめ!」
まさか、出会いの乗り物酔いをいじられるとは。それを言われては、こちらも言い返せない。私はぐいっとエールを呷ると、空の容器を見せつけて言った。
「あいにく、揺れには弱くても酒には自信があってね。」
そう挑発すると、フローラもエールを呷り、マスターにもう一杯注文した。
「あいにく、揺れにも酒にも強くてね。」
そう言ってニンマリ笑うフローラと張り合っているうちに、次々とエールを飲み干し、やがて私は意識を失うのだった。
頭が割れるように痛い。昨日は、フローラと酒場で飲んで、飲んで、飲んで、それから・・・。
「まずい!」
私は飛び起きた、駅馬車の出発時間は早い。急いで荷物をまとめ、駅へと走る。息を切らせながら、私は駅近くにいた青年に尋ねた。
「すまない、エアフォルクへの馬車はもう出たのだろうか!?」
「エアフォルク?ああ、それならとっくに出ちまったよ。エアフォルク行きなら、次は三日後にあったと思うけど。」
馬車はもう出た。馬車は行ってしまったのだ、私を置いて。
「そうか、すまない。ありがとう。」
青年に礼を言うと、私はトボトボと宿への道を引き返した。フローラはどうして私を起こしに来てくれなかったのか、待っていてはくれなかったのか。
宿に戻り、延泊する意向を伝え、部屋に荷物を置く。なんて自分は馬鹿だったのかと、後悔の念が押し寄せてくる。やるせない気持ちと、二日酔いの辛さから逃れるように、一階の酒場へと向かう。
「エール、ください。」
昼間から、死にそうな顔で酒を呷る私に、マスターは怪訝な顔をしていた。
「おかわり・・・。」
「おかわり・・・。」
「おかわり・・・。」
次から次へとエールを飲み干していく。昨日はあんなに楽しかったのに、今は絶望の中だ。
「フローラ、なぜ私を置いていったんだ・・・。」
優しくしてくれた薬師の女の子の名前を呟くと、不意に涙がこみ上げ、飲みすぎた私はテーブルに突っ伏した。
「おい、兄ちゃん。大丈夫か?その辺にしときな。」
心配したマスターが、ミルクを差し出してくれた。
「・・・甘い。」
ハチミツの味がした。愚かな自分と、マスターの優しさに涙が出てきた。
「昨日も飲み過ぎだったろ。連れの姉ちゃんも大概だったが、予定があるなら、少しはセーブして飲むようにしないとな。」
「すいません、ありがとうございます。」
ハチミツミルクを飲み干し、支払いをすませる。
「ありがとう、マスター。少し休むよ。」
「おお、若いんだから、しゃんとしろよ!」
マスターに礼を言い、部屋に向かおうとすると、ドタドタドタっと音がして、二階から一人の女性が駆け下りてきた。
「マスター!エアフォルクへの駅馬車!まだ出てない!?」
駆け下りてきたのはフローラだった。
「あ!ジーク!なんで起こしてくんないのさ!?馬車の時間は!?」
こちらに気付くと、フローラは怒鳴ってきた。
「いや、私もさっき起きたところで。えっと・・・。」
なんてことはない。フローラも飲み過ぎて寝坊していただけだったのだ。むしろ、私も寝坊してよかった。そうでなければ、フローラを置き去りにして、一人で馬車に乗っていたかもしれないのだから。
「とりあえず、馬車の時間は過ぎてしまったし、次は三日後らしいよ。」
「あちゃー!」
荷物を取り落として、フローラは天を仰いだ。
「予定が狂っちゃったなー、って、ん?」
フローラは目敏く空きグラスを見つけて、私を睨み付けてくる。
「で、起こしてくれもしないで、ジークは昼間からお酒を飲んでたと。」
「いや、これは、間に合わなかったやけ酒というか・・・。」
「なぜ置いていったんだ・・・。」
咄嗟に言い訳しようとした私と、とんでもないことを暴露しようとするマスター。
「ん?なんだって?」
小首を傾げるフローラ。
「マスター、ちょっと!」
さっきまで落ち込んでいたのに、今はこんなに楽しい。これからの数日と、エアフォルクでの生活に期待しながら、私は懲りずにエールのおかわりを注文した。