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『裏では患者のこと、ボロクソ言ってんだろ?』

『裏では患者のことボロクソ言ってんだろ?』


 ダメか?

 私達は24時間、365日、白衣の天使でなきゃダメか?


 そりゃ、言うよ。

 言わせてくれよ。


 休憩室での会話は誰にも聞かせられないよ?

 そんなの当たり前じゃないですか?



 愛想笑いは年々スキルアップですよ?



 あんたたちは、私達にいったい何を求めてるのかしら?




 きっと、私は不快感を全く隠すことができなかったのだろう。


 目の前の男は鼻で笑い、吐き捨てるように言った。


『だよなっ』


 いやいやっ、ほんとに何言ってくれるんですかね?



 私はあまりのことに、笑ってしまった。

 きっと、その笑みもカラカラに乾いていたんだと思う。


 でも、私にも意地がある。(何に対する意地なのかは、よくわからないけれど)

 しまってあったニャンコちゃんを取り出して、すっぽりと被る。


「うふふ、愚痴をこぼしちゃうことはあるけど、そんなボロクソにはいわないよ?だって一番大変なのは、患者さんだしね?確かにキツイ人もいるけど、みんながみんな、そうじゃないよ」


 ニャンコちゃんを被って、早くも十年。年々、分厚くなるそれは、取り外しも自由自在。

 心にもないことを言葉にすることも、心とは裏腹に微笑みを浮かべることも造作もない。


 目の前の男はあきらかにほっとした表情を浮かべ、ジョッキを傾けている。



 ーー馬鹿だな。




 うふふと

 だめ押しの微笑みを浮かべておく。



 駅前の居酒屋の奥まったテーブルを挟んで、空気がよどんでいくことにため息をこぼしたのは友人。その瞳はあんたが男を紹介しろって言ったくせにっ!とじっとりと私に向けられる。



 きっと、もう次はないな。



 はにかむ友人から彼氏が出来たと報告を受け、ではその友人をと、紹介してもらったのが目の前のお馬鹿さん。


 もう少しなんとかならなかったのかと思うけれど、私も三十路を歩みはじめて、すでに数年……。もう、同年代は売れてしまい、ろくなのは残っていない。

 でも、それは私にも当てはまることで、贅沢は言ってられないとわかってはいるが、馬鹿は嫌だし、妻子持ちなんてもってのほか、するともう、年下かバツイチなんてことになる。


 結婚願望がないわけではないが、まだいいかなと思っている。

 まだいいかなとずっと思っていたら婚期なんてさらりと過ぎてしまうのだろう。

 なんだか、それでもいいかなと本気で思う。誰が聞いても遠吠えにしか聞こえないんだろうけど、言いたいヤツには言わせておけばいい。






 毎年、ソメイヨシノの開花を聞くと、お花見に行きたいと思う。

 けれども、いつもあっという間に散ってしまう。

 今年もやっぱり、お花見に行き損ねた。

 すでにソメイヨシノの木は青い若葉が煌めいている。



 春は新人の季節だ。

 私の勤める市民病院の外科病棟にも新人はやってきて、教育担当の看護師の手厚い指導のもと、ゆったりと育てられる。


 青葉のように笑顔を煌めかせ、期待と不安の入り交じった瞳をしている。


 真新しい白衣、まだ幼さの残るあどけない顔立ち、肌がツルツルしているのは夜勤を知らないからだけじゃない。



 ーーおー、まさに白衣の天使!


 そう、

 いるにはいます、白衣の天使!

 ピチピチの新鮮な白衣の天使!!


 今まさに、旬と言っても過言ではない。


 新人さんこそ、天使なのです。


 彼らの微笑みや寄せられる眉、様々な表情に裏はない。優しい言葉もそっと添えられる掌にも、温かさが滲む。

 足りない知識も及ばない技術もすべて覆い隠し許される、その温かさ。


 少しずつ、冷えていくのだ。



 患者さんの心ない言葉は氷の刃、やりきれない思いは氷の礫。人が生きるということ、人が死ぬということ、そしてその意味を、腐るくらい悩んで、少しずつ背中の羽は抜け落ちて、頭上のワッカは光を失い、心は少しずつ、冷えていく。

 そして、天使は堕ちていく。


 磨かれていく技術、増えていく知識、愛想笑いと社交辞令のスキルも身に付いていく。

 それに伴って、お腹の中と胸の内は、どろどろに腐っていく。


 隠しきれない腐臭は、肩からゆらりと立ち上り、吐き出す言葉も毒を含み、誰にも聞かせられない。


 そんなもんだ。




 二年生の看護師、安藤ちゃん(仮)はついこの間まで新人さんと呼ばれていた。ふっくらと柔らかな頬にきっちと丸められた黒い髪、円らな瞳は困ったように揺らいでいる。


「どうしたの?」

「山下さんのナースコールが頻回で……。布団をかけてとか、携帯が見当たらないとか、カーテンを少し開けてとか、些細なことなんですけど」

「まぁ、仕方ないんじゃない?日曜日の午後だしね」

「はい?」

「山下さんだけでしょ?あの部屋で面会の家族さんが来てないの」

「……あぁ、そうですね。他の人がみんな来てたら、さすがにさみしいですよね。ナースコールしたくなりますよね。山下さん……かわいそうですね。……お嫁さん、来てもすぐに帰っちゃうし、息子さんはみたことないです。どうして来てくれないんですかね、お仕事なんですかね」

「うふふ」

 答えは教えるべきじゃない。私は曖昧に笑っておく。



 ーーそういう生き方をしてきたということなのだ


 晩年は人生の集大成というらしい。今までどんな風に生きてきたのか、どんな風に人に接してきたのか、すべてが返ってくるときなのだろう。

 つまり、お嫁さんに優しくしてもらえるような、仕事を持つ息子が足を運ぶような態度ではなかったということなのだろう。







 最近、腐臭が肩から立ち上る佐藤ちゃん(仮)は色素の薄い明るい鳶色の瞳をつり上がらせ、唇を噛み締めている。


「どうしたの?」

「井上さん、飲水の許可が出てないのに、勝手にお水を飲んでたんですっ!全然、離床しないから、イレウスになるしっ!あれしろ、これしろって!ここは病院なんだから、ホテルじゃない、私はコンシェルジュじゃないっ!お手伝いさんじゃないっ!指示が守れないなら帰ればいいのにっ」

「あぁ、勘違いさんだよね」

「先生には、何にも言わないんですよっ!ホントに腹立つ!傷が痛いから、なんとかしろとか?!管が邪魔で嫌だから、なんとかしろとか?!そんなの何とかできるわけないじゃん?」

「ホイミ!とか、言っちゃう?」

「……笑えません」

「うふふ」



 ーー病気をこじらせて、しんどい思いをするのは患者さん自身。



 私たち、看護師は患者さんに不利益になるようなことはしないのだ、必要があるからするのだけれど、患者さんはそうは思わない。

 リークしたり、イレウスをおこしたり、肺炎をおこしたり、寝たきりになったりして、困るのは患者さんとその家族なのだ。





 私はきっと、看護師として大切なものをすっかり無くしてしまったのだろう。

 私はきっと、人としても大切なものをすっかり無くしてしまったのだろう。


 もしかして、もともと人として初めから持ってなかったのかもしれない。


 時々、自分の冷たさに震えてしまう。





 パタパタと足音を響かせて廊下をダッシュしてきた安藤ちゃん(仮)は丸い頬を真っ白にしている。


「山野さんがっ!ちょっとおかしいんですっ!」

「見に行こうか?バイタルは?」

「血圧もSpO2もいいです、でも問いかけに返事がないし……」

 安藤ちゃんは唇を震わせて、瞳は少し潤んでいる。

 連れだって足早に山野さん(仮)の部屋へ向かう。


 山野さん(仮)は乳癌の終末期の患者さんだ。ちなみに62才の女性。肺にも肝臓にも転移があり、化学療法をしていたけれど、体力の消耗が著しく、脱水と食欲不振で……。やっぱり省略。



「山野さん、わかりますか?」


「……。」


「山野さん」


「……はい?」


 声をかけても山野さんと私の視線はすぐには交わらない。山野さんの瞳はつぅっと上に流れていき、ゆっくりと戻ってきて私の声に答え、視線がぶつかる。


 顔色もまずまず、バイタルが問題ないなら今すぐどうにかなることはない。

 けれども、病状が進んだことは確かだ。


「安藤ちゃん、主治医って今日来たかな?」

「今日はまだ見てません」

「じゃあ、報告しとこうか」

「ハイ……。」



 もう、長くはないな。

 もう、家には帰れないな。





 生きている限り必ず訪れる死。

 私はいったいこの十年で何人、見送ったのだろう。


 その死に心を乱されなくなったのは、いつくらいだったのかは覚えてはいない。



 患者さん自身の腫瘍による強い痛みや悪くなっていく恐怖、死への不安、そして家族の身体的、精神的疲労。


 患者さんの死を

『お疲れ様でした』と思ったのは、いつだったか。

 死を悲しみと結びつけなくなったのは、いつだったか。



 私は冷たいのだと思う。人として優しさも温かさも足りないのだと思う。




 涙をこらえるように、きつく奥歯を噛み締めた安藤ちゃんの表情は一年前よりも、凛々しく美しい。


 きっと、安藤ちゃんはいつまでも優しい天使のままだ。

 私の希望的観測だけれど。






 休憩室で安藤ちゃんはおにぎりのフィルムを半分だけめくって、ぼんやりお菓子の箱を眺めている。


「安藤ちゃん?お菓子は逃げないよ?」

「あっ……。はい」

「美味しいよね、そのビスケット、誰かディ○ニーランドに行ってきたんだね」


 休憩室のテーブルにはいつも誰かのお土産のお菓子が置いてある。

 つかの間の休息を思い切り楽しむことができることが、看護師を続けていけるコツなのかもしれない。


「はい……。加藤さんが行ってきたみたいです」

「加藤ちゃん、この前いってなかった?」

「クリスマスの頃に行ってたと思います。年に何度も行きますよね、加藤さん。今回は夜行バスで行ったみたいですよ」

「はー、元気だよね。安藤ちゃんは行かないの?最近、どっか行った?」

「最近、ちょっと身体がついていかなくて、どこも行ってないです」

「ちゃんとリフレッシュしないともたないよ?パーっと遊んでおいでよ?」

「……はい、そうですね」

「……」


 ノロノロとおにぎりのフィルムを剥がし、安藤ちゃんはおにぎりにかじりつく。


 一年目は仕事を覚えることに必死だ。まわりのサポートも厚く、いろいろなことから守られながら、あれよあれよと過ぎていく。


 二年目になると、後ろはぽっかりと空いてしまう。

 ヨロヨロとでも、進むしかない。周りが見えると、様々な思いが心を苛む。


 安藤ちゃんは優しい子だ。心の温かい子だ。



 どうか、優しいままで温かいままでいてほしい。


 これは私の願いなのかもしれない。




 せめて、休憩室でくらい愚痴を溢せばいいのに、それが本心じゃないことくらいわかるから。

 氷の刃も氷の礫も、そのまま心に留めておくと、すっかり冷えてしまうから。



 心を守るために、優しさと温かさを失わないために、


 裏でボロクソに言うことを咎めないでほしい。





 勢いよくドアを開けて、鼻息荒く椅子に腰をかけるのは、佐藤ちゃん。


「あー、もう嫌になりますっ、ホントに!」

「ハハハー、井上さん?」

「いや、笑えませんよ?家族さんにも、ちゃんとみてくれないから、こんなことになったんだって言われちゃって!もうっ!動かないし、勝手するのは井上さんなのにっ」

「明日、師長さんに話しておこうね。少し主治医からも話してもらったほうがいいかもね」


 佐藤ちゃんはレジ袋から大きなお弁当を取りだし、パキリと箸を割り、口に運ぶ。


 佐藤ちゃんの勢いは止まらない。

 お弁当のおかずとご飯はどんどん運ばれていくのに、次々に言葉がこぼれてくる。


「もう、何なんですかね?看護師のこと、何だと思ってんすかね?なんで人の話を聞かないんですかね?」

「いろんな患者さんがいるよね」

「あぁ、もうホントに!」


 レジ袋から大きなプリンを取り出し、これまた大きなスプーンですくって、ガプリと口に入れる。


「おいひっー」


 頬を弛めて、目を細める佐藤ちゃんの肩から昇る腐臭は、少し薄くなる。


 そうして、佐藤ちゃんはまた患者さんに微笑むのだ。




 私たちの休憩室での誰にも聞かせられない会話を咎められれば、看護師は心を守ることができない。



 だたでさえ、冷たくなっていくのに。





 休憩室で患者さんのことをボロクソに言って、

 何が悪いっ!



ひとまず、完結とさせていただきます。


なんだか、中途半端でまとまりがないのは、

思いつきで書き始めてしまったからです(-_-;)


今もどこかで、働く看護師の皆様に愛を!


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