『熱とか測って、注射するだけだろ?』
やっぱりお食事中の方はご注意下さい。
後半、若干でてまいります。
『熱とか測って、注射するだけだろ?』
私は目の前の唐揚げにかじりついている男をまじまじと見つめてしまった。
私は箸で持ち上げていた、揚げ出し豆腐をボチョンと落としてしまい、出汁がはねてテーブルを濡らす。手元にあったおしぼりでその染みを拭き取りながらも、私はまたその男を見つめてしまう。
あり得ない大きさの唐揚げを頬張り、モグモグと咀嚼しながら、男は続ける。
『しんどい、きついって言うけど、ぶっちゃけ、看護師って何してんの?』
ーー何やってんですかね?
ほんとのことを言われると腹が立つのは思春期だけじゃないらしい。三十路目前になっても私の頭の中はティーンのままなのか?若いのは肌年齢だけでいいのに。
知らない人はほんとに何も知らないことを再確認。私は乾いた声で笑ってしまった。
ハハハハ〜、はぁ。
こんなことなら、部屋で寝てた方がよかったな。
ブラック企業なんて言葉があるけど、病院もかなりブラックだと思う。
三交代勤務に、残業、勉強会や委員会や研修、カンファレンスで休日出勤。
資料作成などの持ち帰りの仕事もある。
記録や書類の整理が多いことはあまり知られていないのは、想像がついていた。
何してるってね、病院にいるのは患者さんなわけで、患者さんは病気なわけで、身の回りの介助するわけですよ。
そういう想像って難しいんですかね?
核家族の増加に伴って高齢者の暮らしというものは、若い独居男性には全く想像することができないものなんですかね。
まぁ、こんなもんだよね。
地元の友人の結婚式の二次会の幹事なんてものを引き受けたばっかりに、打ち合わせと表した飲み会は駅前の居酒屋で行われている。
訳のわからないことを言う男はあまりアルコールには耐性がないらしく、赤い顔をして、眼も充血しており、きっと頭の中はすでに酔っ払い、自分の発言にも責任を持てない状況にあるのだ。うん、きっとそう。わかってないのよ、自分が何言ってるのか。
早、日、深、準、休、日、深、準……。
ありがちな勤務で対して珍しくもないが、後半の日、深は虫の息になることは想定内。
全く乗らないファンデーションを無理やり塗りたくる。
結局、病棟ではマスクを着用するので口元は見えないし、頬の辺りも擦れてとれてしまう。誰かに見られるわけでもない。
私の化粧は10分もかからない。
三十路目前でどうかとは思うがもはや、どうでもいい。
朝の申し送りを終え、マスクの下でこっそりため息をこぼす。
汚物処理室で、私は畜尿瓶に24時間かけて貯められた2リットル弱の黄色い液体をぐるぐるかき混ぜる。
そこから12ミリリットルだけをシリンジ(注射器)で吸い取り、専用のスピッツ(試験管)に移す。
朝イチで、おしっこをかき混ぜてるってないよね。
スピッツを検体ボックスに入れて検査室まで持っていく。
病棟に戻ると、次は清拭の介助にまわる。
背中を拭くだけのごく軽介助の患者さんもいれば、看護師が二人で介助をする全介助の患者さんもいる。
山崎さん(仮)は、79才の男性。病気の詳細は省略、イレウス(腸閉塞)をおこして、鼻から胃管チューブが入れられている。簡単に抜けてしまわないよう右の頬にテープでしっかりと固定されているけれど、少しかさついた肌のせいか、若干剥がれやすい。
山崎さんの体は、さほど身長は高くないものの、がっしりとした首回りとぽってりとしたお腹まわり、短いけれど太い手足はとても力強い。
認知症があり、彼に道理は通用しない……。
鼻から入れられた管の違和感はとてつもなく強い。また、頬から延びる管は視界に入りやすく、頬に貼られたテープも気になってしまうらしい。
大事な管だから触らないで下さい。
話してわかる山崎さんならいいのだけれど、全くわからないのだから仕方ない。
「離せーーーー!!」
響きわたる罵声は防音機能は全く備わっていない病棟にこだまする。
そう、抑制帯で彼の手はしっかりと固定されているのだ。
安全のため、治療のため、家族に了承を得て行動を制限する、つまり、手足を括るのだ。
「離せぇーーーー!!」
ガシッガシッと抑制帯と繋いだベッド柵が軋むように鳴る。
山崎さんは大きく目を見開いて、頬を強張らせて、髪は逆立ってのではないかと思うくらい、敵意を剥き出している。
「山崎さん、大事な管が入ってますからね〜」にっこり微笑むけれど、彼は言い終わらないうちに、やっぱりまた、大きな声をあげる。
ここからは、体力勝負。
抑制帯を外して、体を拭き、陰部洗浄を行い、寝間着てオムツを交換する。
彼にとってみれば、私達は鼻に管を入れ、手を縛り付ける者たちなのだ。
嫌なことをする私達を信じることなどできはしない。
入院していること、治療のために管を入れていること、体を拭いて着替えること、そんなことは全く理解できないのだ。
鼻の管を抜かれまいと、私は彼の自由になった腕をつかむ。するとやっぱり、大きな声をあげ、腕を振り回す。
「離せーーーー!!」
あまりの力に振り払われてしまいそうになるけれど、ここは負けられない。手に力を加え、少し体重をかける。
「山崎さん、大丈夫ですよー」
声をかけてはみるけれど彼の心には届かない。
暴れてわめき散らす彼をなだめ、押さえつけながら、体を拭き着替える。
体力も神経も消耗する。
首筋と額に汗が滲み、心の中でこっそりため息を溢す。
ガシッガシッと軋むベッド、山崎さんの怒声、力では敵わないときっと思ったのだろう。
カツっ!カツっ!
山崎さんは、私の手に噛みつこうと体を起こして、必死の形相で歯を剥き出している。
ーーヒぇーー!怖い。
少し黄ばんだ丈夫そうな歯がいっぱいにずらりと並んでいる。カチンカチンと鳴るそれは、ハチマルニイマル運動の賜物。
私は怯んでしまった……。
少しのけぞってしまい、掴んでいた山崎さんの手がパッと私の手から離れ、しまった!と思った次の瞬間……、
バシーン!!!
ーー星が飛んだ。
怖かったんだと思う、怒ってたんだと思う。
わからないのだから仕方ない。
それでも、やっぱり頬は痛い。
マスクの上からでも、パワフルな平手のダメージは大きかった。
負傷にてテンションだた下がり、ナースコールで応援要請。人員増にてなんとか終了し、私は山崎さんの部屋をあとにする。
山口さん(仮)は、68才の男性。病気の詳細は省略。手術の後の傷の治りが悪く、傷の洗浄のため、毎日シャワー浴をしている。
山口さんは65才のときに、脳梗塞を患い、左半身に麻痺がある。
なんとか立位はとれるものの、ふらつきがあり、日によっては、立位が全く保てないこともある。天気の加減かモチベーションの加減かは、わからない。
中途半端な広さのシャワー室、介助するにはいまひとつ狭く、一人で入るには広すぎる。
チクショウっ!手抜きな工事しやがって!とぼやきたくなる。
山口さんをシャワー室に案内し、寝間着を脱がし、オムツを外し、シャワー椅子(介助用の椅子)に移乗させる。
しかし、山口さんはいつも以上に体に力が入らないらしく、私は山口さんの正面に立ち、脇から体をしっかりと支える。
「こちらの椅子に移りますよ」
少し腰が引けた山口さんの顔は、私の胸の辺りにくる。というか、埋めるように押し付ける格好になっている。
もう、三十路は目前。騒ぎ立てるほど若くもないが、嫌悪を感じないほど年を経てもない。
ーーここで手を離したら転けるよな
転けて怪我でもしたら目も当てられない。事故報告書はもちろんのこと、骨折なんてしてしまって、手術にてなったら、本当に大変だ。
妄想の中で、内股を炸裂させてから、私は山口さんをシャワー椅子にゆっくりと座らせるのだ。
確信犯?!頭にふんわりと浮かんだ考えをぎゅっと押し出し、長靴を履いて、入浴介助用のエプロンを身につける。
山口さんの髪を洗い、体を洗っていく。
骨の目立つ細い肩、それなのにぽってりと丸い腹部、足は枯れ枝のように細く、自らの重みを支えるのが、やっとであることは明らかだ。
体を洗い、シャワーで流していく。
ふんわり香るボディソープ、あり得ない臭いが混ざっているような……。
ちらりと目のはしに映り込んだ茶色いモノ……。
ーーあー、落とし物……。
排水溝には、決して流れていかないサイズのそれ……。
後で拾って然るべき場所に処分するのは、やっぱり私。
ーー何やってんだ、私。
そう、私は熱を測って注射をしているだけではないのです。
尿をかき混ぜ、噛まれそうになり、平手打ちをもらい、胸に顔を埋められ、便を拾うのですよ……。
蓄尿はCCrの回収です。
シャワー椅子、どんな形状かご存知ない方はググってみて下さい。どうして落とし物があったのか、よくわかっていただけます( ´∀`)
別に知りたくないって?(;゜∇゜)