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『そんなに働くなんてムリぃ、意味わかんない』

『そんなに働くなんてムリぃ、意味わかんない』


 は?

 私は酔っているのか?

 いやいや、アルコールは摂取していない。

 それではこの発言は幻聴ではないということだな。


 その言葉を発したと思われる目の前の女はフワフワに巻かれた長い艶やかな髪を指先に巻きつけている。その指にはラインストーンがきらめくネイルが施されており、滑らかな頰にぷりぷりの唇、パサパサと瞬きの度に影を落とすエクステまつ毛、その姿は同性の目から見ても美しく、手間暇をかけていることが明らかだ。


『えー、お休みの日に研修?有給が取れないなんて、ありえないよ〜』


 眉を下げて、口を尖らせる。

『もしかして、残業とかもあったりするの?』


 いや、定時で帰れることなんて滅多にありませんから。

『信じらんな〜い。えー、そんなに仕事してどうするの?』


 ……どうするんでしょうね、私。





 世間では、シルバーウィークという大型連休があるらしく、私は地元の友人に呼び出され、駅前の居酒屋にやってきたのだ。

 アルコールに耐性のない、下戸の私を誘ったのは、きっとドライバーが必要だったのだろう。

 久しぶりに顔が見たいし、話もしたいなぁと呑気なことを考えて安請合いしたことを、今とても後悔している。


 友人と呑んでいる人たちの中には、知っている人もいて、私は楽しく、ジンジャーエールを飲んで、やたらと大きく衣がガリガリするオススメの唐揚げを嚙っていた。


 綺麗だなぁと思っていた女の子が気さくに明るく話しかけてきた。

 中小企業で事務員をしているという彼女は看護師の知り合いはいないらしく、看護師の仕事について知りたがった。

 私はただ、ありのままを答えたのだ。


 休日は4週間に8日。祝日は関係ない。

 年休を使ったのは、インフルエンザで休んだ二年前の2日。病院勤務して4年目になるが、年に一度のお楽しみであるリフレッシュ休暇以外で年休を使うのは指定感染症に罹患した時くらいだ。

 残業は月に20時間以上(業務終了後休憩室で動けなくなっている時間は含まない)

 休日も研修やカンファレンス、委員会や勉強会があって出勤する。


『えー、私、どんなにお給料が良くても、そんなに働けなーい』


 ……私のありのまま、全否定。





 私の勤務する市民病院、外科病棟はどんなに祝日があっても、休みにはならない。

 しかし、もちろん外来は休診、外来が休みだと検査もない。また業者が休業のため予定の手術はない。


 手術と検査の予定のない病棟は、勤務者も少ないせいもあって、朝からどこか穏やかな雰囲気が漂う。

 ちなみに、空気を引き締める役割の師長さんの勤務はカレンダー通りのため休み。


 午後になると増える見舞い客、同時に増えるナースコール。

 私は通常業務を黙々とこなす。




 外来は休診でも、救急外来は動いている。

 鳴り響くサイレン、いつもに増して多いが、連休中は仕方がない。

 救急搬送の約半数は軽症というデータもあるくらいだ、ほとんどの人が入院となることなく、帰宅するのだろう。

 実際に外科病棟に緊急入院となるケースは多くない。


 私は祈るような思いで、サイレンの音を聞いていた。


 これが不味かった。

 ーー緊急入院あったらやだなぁ

 そう思うと、そうなるのだ。


 詰所に響く内線電話。

 パソコンをポチポチしていた当番(当番以外は基本ちらっとしか来ない)の医師が救急外来へ呼ばれた。

 医師が呼ばれたということは、救急医が外科的処置が必要と判断したということで、つまりそれは、手術ということで、それから、入院ということだ。


「仕事、どんな感じ?」

 頼れる先輩看護師の斉藤さんがにこりと微笑みながら問う。


「え、はい。だいたい…」


「記録は?バイタルはみんな測ってある?点滴のミキシングは?」


「それはまだです」


「16時の点滴のミキシングと交換、バイタルはやるから、記録と緊急入院、できる?コールは私と佐藤さんで対応するから」


「はい」

 ここで頷かない人がいるなら、会ってみたい。的確な状況判断と斉藤さんの有無を言わさない笑顔。

 佐藤さんはターミナル期の患者さんを担当している。今すぐどうにかなるような状況ではないようだが、緊急入院の時間は割けない。


 斉藤さんは佐藤さんの業務をフォローしながら、私の業務もフォローして、日責(日勤責任者)の業務を行い、かつ、自分の業務もそつなくこなす。

 しかも、結婚していて、子供ちゃんが二人いて、プライベートも完璧だ。



 このまま、白衣で走り回って、私はどこに行くのだろう。

 子供を持つことができるのだろうか、その前に結婚できるのだろうか、そしてその前に彼氏を見つけることが……。

 同年代の女の子達が身を飾って、楽しんでいる間、私は働き続けるのか。

 不規則な勤務で荒れた肌、いつも短い爪、プライベートなんて力尽きて寝てばかりだ。


 たぶん斉藤さんも4年目のころは、今の私のように毎日毎日、走り回って働いていたのだろう。

 それでも、斉藤さんは結婚した。きっと素敵な恋愛をして、素敵な結婚をしたのだ。


 でも、きっと私は斉藤さんのようになれはしない……。




 緊急入院、緊急手術とあったものの、斉藤さんの采配により、慌ただしくも定時を1時間ばかり過ぎた頃にはすべての業務を終え、休憩室に来ることができた。


 斉藤さんはカバンを掴み、家族の待つ家に風のように帰っていった。

 二人して独居の私と佐藤さんは、力尽き、動けずにいた。またすぐに深夜勤務のため、ここに来なければならない。早く帰り食事をして風呂に入り、少しでも体を休めなくてはならないけれども、立ち上がることができない。帰宅するための体力と気力を回復するべく、誰かのお土産のクッキーを嚙りながら、茶を飲んでいた。


「斉藤さんはすごいですよね。仕事も出来るし、結婚もして子供もいて」

 佐藤さんは三年目、私のひとつ下だ。年も近いせいかよく話をする。

 休憩室の冷蔵庫にいつもストックしてあるらしい、お気に入りのプリンを、頬張りながらポツリと呟いた。


「本当だよね、私は斉藤さんの年になって結婚して子供がいて、それで看護師続けてる自分を想像できないもん」


「私もです。斉藤さんは凄すぎですよ。あぁ、仕事辞めたい」


「佐藤さんは、辞めて何したい?」


「えー、ダラダラしたいです。朝起きて、夜に寝たい」


「いや、そうじゃなくてさ。看護師じゃなかったら、仕事、何したい?」


「……」

 佐藤さんはカップの底のプリンをかき集めていた手を止める。


「ぶっちゃけ、ないよね。他にやりたいこともやれることもないんだよね。今だって、ちゃんと出来てるとは言えないし、じゃあ、いつになったら、出来るようになるのかな」


「……前に斉藤さんが、一生看護師でいたいって言ってたんですよ」


「一生、看護師…」


「……私、無理です。はぁ、マジで無理です。こんな暮らし、一生続けるなんて…。私は結婚して、パートでクリニックとか、診療所とか、ちょっと働くだけでいいですよ」

 プリンはもう残っていないけれど、カップの底を見つめたまま、佐藤さんはスプーンを握っていた。


「本当だね」

 私は曖昧に笑って、夜勤よろしくねと声をかけ立ち上がる。


 白衣を脱いで、外に出ると辺りは暗く、風はひんやりと冷たく感じた。

 秋は深まっている。



 私は一体、どうしたいのだろう。

 私が看護師という職業を選んだのは、叔母が看護師だったことが大きい。


 いつも、明るく元気で、タバコを片手にカラカラと笑っていた。

 ーー看護師って、面白いで?なんぼ長く働いてもやり尽くして、飽きることなんかあらへんし、いくつものドラマがあるしな。欲しいもんも自分で買えるで!


 フーと口の端から煙を吐き、また笑う叔母は、豪快であった。

 そして、会うときに面白おかしく語る看護師の話を聞くことが楽しみだった。


 ーーいっつも枕元に風呂敷に包んだ札束を持っとる婆さんがおってな、家族がみーんな入れ代わり立ち代りきて、優しくすんのや。でもその札束な、新聞紙やねん。婆さんが死んだ時、怒って投げとったわ。


 叔母のようになりたかったわけではない。タバコは吸えないし、……アニマル柄は得意じゃない。


 それでも、看護師という仕事に興味を持ったことには違いない。


 人の役に立ちたい、そんな思いもあったと思う。誰かのためになる仕事、今となってはどんな仕事も誰かのためになっているとわかる。

 私はどうして看護師になってしまったのだろうか。




 有名スポーツメーカーのスニーカー、颯爽と風を切ってランニングするために作られたもののはずであるが、病院を駆け回る私の足元で頑張っている。おそらく、スニーカーは不本意であろう。

 不満をこぼさないスニーカーは深夜の病棟でキュキュっと鳴った。

 私は懐中電灯を片手に点滴を交換して回る。ポンプの作動を確認し、ルートの確認、刺入部の観察、患者さんの様子を見て回る。


 静かな病棟の詰所には、規則正しいリズムを響かせているモニター、カタカタとキーボードを打つ音、ペラペラと用紙をめくる音だけだ。


 病棟は落ち着いており、頼れる先輩看護師、斉藤さんとの勤務は安心感が抜群だ。


 だからかもしれない、いつもは心の奥にしまってある思いがホロリとこぼれてしまった。


「はぁー」


「どうしたの?ため息なんかついちゃって」


「はぁ、いや、ちょっとくたびれました」


「そう?今日は落ち着いてるから、いらないこと考えちゃうんじゃない?」

 斉藤さんは何でも見透せるのかもしれない。


「……」


「終わったら、ランチでも行く?」


「はい、でも、お子さんはいいんですか?」


「保育園に行ってるから大丈夫だよ」




 珍しく定時に仕事を終えて斉藤さんに連れられてやってきたのは、住宅地にポツリと立つ、レンガの外壁に漆喰の壁、黒い梁に高い天井、大きな窓からは美しく整えられた庭の見えるカフェだった。


「私、パスタランチのBでデザートセットにする」

 斉藤さんは夜勤の時、おにぎりとサンドイッチを食べていたけれど、すっかり消化したらしい。

 もちろん私も、メロンパンと玉子サンドはどこかに消えて無くなっている。


「私、パスタランチCのデザートセット」


 セットのサラダという名の千切ったレタスを大きなフォークで突き刺しながら、斉藤さんは私に問う。


「最近、元気ないよ?どうかしたの?」

「…はぁ、この前、飲み会で会社員の子にそんなに頑張って働く意味がわからないと言われたんです。確かにわからないんですよね。その子、すっごくかわいくて、なんかキラキラしてて、私はヨレヨレで彼氏もいないし、仕事、仕事で…」

 私は先日の飲み会での様子を細かく、斉藤さんに話す。


「あー、まぁ、あるあるだよね」

「あるある?ですか??」

「一般市民には理解できないのよ、私たちの働き方っていうか、仕事に対する考え方って」

「はあ、そうなんですか?」

「うん、普通は体調が悪いと仕事を休むんだって。頭、痛いとか、生理痛とか?私たちってそんなことないじゃない?例え、熱があってもインフルじゃないなら、とりあえず、薬を飲んで出勤して、なんとか乗り切れ!みたいな。やむなく夜勤は代わってもらったり、夜勤は代われないから、もう今日は帰りなさいって感じでしょ。あり得ないらしいよ。朝、上司に電話してオッケーみたいな?私たちなら、急に休むならパートになれって言われるよ」

「明らかに、患者さんより、調子悪いときあらりますもん……」

「腰は痛いし、肩もこるし、いつも眠いし、怠いし、何やってんだろって思うことなんてしょっちゅうよ。……でもね、私の同級生が疼痛ケアの専門になってたんだよね。そういうのって、なんだか焦るんだよね。子供は大きくなると離れていくじゃない。妻じゃなく、母じゃなく、私ね、空っぽはやだなぁって思う」

「空っぽ?」

「うん、私のために、看護師を頑張ってやったなぁって思いたいじゃない。……まぁ、正直なところ給料がいいから辞めるのが惜しいっていうのもある。旦那、金遣い荒いし」


 へへへへと斉藤さんは笑った。

 熱く語っちゃったとパスタを頬張る。


「それにさ、やっぱりこの仕事、嫌いじゃないんだよね。稀に患者さんに嬉しいことを言われたりするしね。辞めたいって思うこともあるよ、もうやってられないって。モチベーションはいつも一定じゃない、上がったり下がったりするもん。でもそんなもんだよ、ずっと高いまま維持できるわけないから」


 完璧に見える斉藤さんでも、嫌になることがある。考えてみれば、当たり前だと思う。誰だって悩みはある、斉藤さんには斉藤さんの悩みがあるだろう。


 パスタソースを口元に付けてはいたけれど、斉藤さんはキラキラと眩しい。




 私はどうしたのかわからない。

 それがわかるまで、目の前の看護師の仕事をやるしかないと思えた。



 年休がなくても、残業が多くても、必死に働いている今は、きっと無駄にはならない。


 普通の女の子からみれば、ありえなくても、きっと無駄にはならないっ!





 ……でも、身を飾ることと彼氏を探すことも頑張りたいと思う。























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