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『どーせ、夜勤なんて、寝てるだけなんだろ?』

あくまでこれはフィクションです(;´д`)

『どーせ、夜勤なんて寝てるだけなんだろ?』


 わたしは手にしていたジョッキを危うくおとしてしまいそうになった。

 目の前で、赤い顔をして枝豆に食いついた男に殴りかからなかった自分を誉めてやりたい。


 まぁ、ごくありがちな発想なのかもしれない。

 腹立たしいことではあるが。


 男は続けて言った。

『だって、患者は寝てるんだから、やることなんてないじゃん?』


 そうであればいいのに。

 一般市民(医療関係者以外の人)の二十代半ばの独居の男性に高齢者の暮らし、入院生活を想像することは、非常に難易度の高いことなのだろうか、それとも、目の前の男の想像力が乏しいのだろうか。





 更衣室で久しぶりに顔を合わせた同期に声をかけられたのは、つい三日前のことだった。

 金曜日の夜に病棟の先輩の友人と飲み会があるが、来るはずだった人が急遽、勤務交代、やむなく欠席。一人足りなくなったらしい。

 そうして、たまたま、更衣室で居合わせたわたしがやり玉にあがった。

 その日は早出、そして次の日、土曜日は休みで、特に予定もない。

 わたしが飲み会に参加することを不快に思うような相手がいるわけでもなく、断る理由がなかった。

 同期となかなか飲みに行く機会もなかったので、安く請け負った。



 駅前の居酒屋で定刻通りに始まった飲み会。同期の先輩の同級生らしく、年齢は1つ上、職業はばらばらだったが、医療関係者はいなかった。

 看護師が非常に珍しいらしく、そして、妙に偏ったイメージを持っていることは、開始早々から、はっきりと感じていた。


 ーーナースキャップなんぞねぇよ!!

 ーーサンダルなんて履いてたらあぶねぇんだよ!!いろいろ飛んでくるんだよ!!!

 ーーワンピースの白衣なんて着てられねぇよ!!

 ーー乳触られたりなんてしねぇよ!!ってかセクハラなんてかまってられないんだよ!!


 同期の先輩の同級生ということで、つっこみ所は満載だけれど、心の中にとどめ、曖昧に笑っておく。


 興味深い相手がいることもなく、適当に話をあわせて、料理を貪り食らう。

 明日は日勤だという同期が快くドライバーを引き受けてくれたため、心置きなく生ビールを喉に流し込む。


 宴もたけなわ、わたしはすっかりいい感じで酔いが回り、お腹も満たされ、油断していたのかもしれない。


 一般市民はとんちんかんであることを思いさらされた。


 それが、『夜勤寝てるだけ』発言だ。



 わたしの勤める病院は首都でもなければ、県庁所在地でもない、人口も30万に満たない小さな市にある。間違いなく地方なのだ。

 そんな地方の市民病院は、ベッド数は約500床、看護師は常勤、非常勤で500人を超える、このあたりでは知らない人はいないくらい大きな病院ではある。


 もっと大きな都市の病院や、慢性期の病院はきっと違うのかもしれない。

 いや、わたしの勤務する外科病棟だけなのかもしれない。




 夜勤で寝たことなんて一度もない!!

 断じてないっ!!


 うつらうつらと一瞬、意識が飛んでしまうことはあるかもしれないが、それはすでに残業突入中だ。






 真っ暗な部屋に明かりをつけると、目が眩む。

 シングルのベッドから転げ落ちるようにして起き上がり、目を覚ますためにシャワーを浴びるのは、23時すぎ。


 静まり返ったアパートを後にして、車にのり、閑散とした道路を一気に走る。

 夜勤看護師専用の駐車場に車を止める。ありがたいけれど、患者さんが優先されるので、とにかく遠い。まばらな外灯の下を小走りに病院を目指す。


 暗い病院内は、夜勤の看護師たちでにわかに賑わいをみせるけれど、みんなの足取りは一様に重い。昼間はしっかりと塗り固められた顔も、さっぱりと素っぴんであることが多い。

 わたしももちろん、つるつるの素っぴんで眼鏡使用。


 日勤ではコンタクトレンズを使うので、夜勤では眼鏡にしなくては、わたしの眼はもたない。


 日勤、それは朝の8時30分から夕方17時15分まで。そして、準夜勤が16時30分から1時15分まで。そして深夜勤務は0時30分から9時15分なのだ、いわゆる、三交代勤務、それに早出と遅出という勤務が加わり、不規則極まりない生活を余儀なくされるのだ。

「早、日、深、準、準とかないよね?」

「私、準、休ばっかりだよ?」

 看護師以外には、暗号にしか聞こえないのだろう。


 深夜勤務はもれなく日勤の後だ。(勤務を決める師長の腕と心意気にもよるがわたしの勤務する外科病棟ではめったにない)

 仕事を終え、アパートに帰ったのは19時すぎだった、コンビニで調達したおにぎりとヨーグルトを掻きこんで、シャワーを浴びて、ベッドにもぐり込み、スマホを片手にテレビを眺め、うとうとしたと思ったら、アラームが鳴る。


 看護師となって三年目、いい加減慣れてはきたけれど、しんどいものはしんどいのだ。



 準夜勤の看護師から申し送りを受け、担当患者さんの記録を読み、病気の状況を正確に把握していく。点滴や内服薬が間違いなく処方されているか確認をし、2時と4時には巡回に行く。もちろん、見て回るだけではすまない。オムツを交換し、体の向きを変え、ドレーン(体の中に留置されている管)の排液を観察、回収し、点滴を交換して、必要があれば熱や血圧など観察を行うのだ。その間、ナースコールが鳴れば、そのもとへ駆けつける。

 朝、6時になると、一人一人、熱や血圧を測り、必要な観察や処置を行う。食事や排泄の介助をし、記録を行う。


 そんなのすぐに終わるだろうってきっと思うのだろう。休む暇もないなんて大げさなって。

 わたしだってそう思ってる。でもなぜか時間はあっという間にすぎていく。


 そんな通常業務だけなら、ほんとにいいのに。





 申し送りの看護師と意見が一致した。

 今夜のヒーロー予備軍は『アルパカ鈴木さん』


 鈴木さん(仮)は76歳の男性、病気は省略、認知症のある、柔らかな眼差しが草食動物を思わせるとても愛らしい男性だ。

 完全に昼夜逆転しているため、完全に夜行性となっている。日勤中に可愛らしい寝顔と見とれていた自分を殴ってやりたい……。


 大柄でがっしりとした体は若い頃、とても働き者だったのだろう。

 今でも、足腰は弱ってはいない。しっかりと立って、ふらつくことなく歩みを進めるのだ。


 照明の落ちた廊下には、わたしの持つ懐中電灯の光だけが、足元を照らしている。


 鈴木さんが眠るベッドを囲むカーテンをそっと、引くと、そこには、にっこりと微笑む鈴木さんが立っていた。






 ーー全裸で。




 なぜか脱いでしまうのだ、それでも鈴木さんはまだマシなのだ、リハビリパンツをはいているから。




 右手からは、ポタリポタリと鮮血が床を濡らしている。



 ーー点滴、抜いちゃったのね。



 気をつけて、そう思っていたからこそ、こうして見に来たのだ。しかし、時すでに遅し……。


 ーー事故報告書だな……。



 わたしは、とりあえず止血をし、鈴木さんをベッドに休ませた。

 血まみれの右腕を拭いて、寝間着を着せる。血のついたシーツを交換し、床を拭く。改めて、点滴を確保しておく。

 満面の笑みを浮かべる鈴木さんを寝かすことは諦め、車イスにとりあえず座らせて、詰所へと同伴。

 パソコンの前に座るわたしのとなりに、アルパカ鈴木さんは、モナリザのごとく優雅に座っている。

 一緒の夜勤の二人とも、微笑みに癒されながら、パソコンに向かう。




 こうしている間にもナースコールは鳴る。

 夜になると、トイレ介助が多くなる。

 照明の落ちた部屋から廊下に行き、トイレで用を足して、また部屋に戻る。

 これは慣れない病院では、転倒の危険が増すのだ。

 転けてしまうと、骨粗鬆症とかなくても、やっぱり高齢者の骨はもろい。ほんとに簡単におれてしまう。そのため、夜間のみ、介助をすることでが多い。

 そして、高齢者は夜のトイレが多いのだ。一晩に三度、四度なんてこともあったりする。


 佐藤さん(仮)は82歳の男性だ。認知症はないが、前立腺肥大症があり、やたらと夜間のトイレが多い。

 歩行もふらつくので、夜間はベッドサイドにて尿器(尿瓶)を使う。


「あー、すまんのぅ」


 若干、耳の聞こえの悪い佐藤さん(仮)は声が大きい。部屋は四人部屋、カーテンで仕切られているとはいえ、声までは防げない。誰かのため息が聞こえるようだ。


 佐藤さん(仮)のズボンを下ろし、尿器をそっとあてがう。


「もう、してもええかぁ?」


 わたしはコクコク、うなずく。

 しかし、すぐには出ないのだ。


 草木も眠る深夜に、尿器を手にして、じっとその時を待つのだ。それはきっと、30秒もないのだろう、けれど、わたしにはとても長く、長く感じる。そう、一瞬意識を飛ばしてしまいそうなくらい。



 じょ、ジョジョ……


 よしっ!来た。

 しかし、それは続かない。ピタリと止まり、しばしの休止の後にまた、出てくる。それを何度か繰り返し、佐藤さん(仮)は


「もう、ええかな、何度もすまんのぅ」


 と言う。


 入れ歯は夜間洗浄中のため、くしゃっとした口元がこれまた素敵な方なのだ。


 トイレが近いのも、耳の聞こえが悪いのも、仕方がないことで、悪気は全くないのだ。

 同室の患者さんには、全くもって迷惑ではあるが、ついてなかったと諦めるか、師長さんに直談判をしていただかなくてはならない(ベッドコントロールは師長さんの仕事)



 詰所に戻ると、アルパカ鈴木さんが立っていた。


「おかき……」


 何?!

 どうやら、小腹が空いたらしい。おかきをご所望だ。しかし、彼に食べていただくようなお茶うけはあいにく、病院にはない。

 話してわかっていただけないのが、認知症のつらいところだ。


 とりあえず、朝ごはんの用意をしているから、待っていただくように説明する。


 ーーまだ、四時間くらい後だけど。



 アルパカ鈴木さんをなだめつつ、佐藤さんのトイレ介助に行きつつ、他の患者さんの検温やケアに回る。


 東の空が白み、突き刺さるような朝日が見えるころには、病棟を駆けずり回っている。早出の看護師がやってきて、アルパカ鈴木さんをスルーパス。その頃、うとうとしはじめるんだけどね……。


 息つく間もなく、日勤に申し送る。


 ホッとしたときにはすでに9時を回っている。



 月に何度もある夜勤なんて、毎回こんなもんだ。


 いったい、眠る時間がどこにあるというんだ!

 どこの馬鹿が寝てるなんて言うんだ!


 ちくしょー!

 次は絶対にしばいてやる!!





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