第1話 不運な男、死因はドン尻
「パンパカパーン」
目を開けるとそこは真っ白で何も無い空間でした。
無駄に陽気なファンファーレを口にするお爺さんが笑顔で立っています。
たわわな白い顎鬚を先端でまとめ、白い布を身に纏い、白い杖を持った青白い肌の爺さん。
目の前にいるのは完全無欠のに白い爺さんでした。
「おめでとう。お主は記念すべき1000000000000人目の流転者じゃ。特別に勇者として剣と魔法の世界に転生させてしんぜよう」
「……はい?」
ハイテンションではしゃぐお爺さんを前に戸惑うばかりで、何を言っているのか理解できませんでした。
その日の私は浮かれていました。
いつもよりは早めの退社でしたが、ロビーの受付嬢に「お疲れさん」とにこやかに声をかけると、いつもニコニコと対応している受付嬢の表情が固まっていました。
わずかですが、私のほうを見て目を見張る者もいます。
ジロジロ人のことを見るなんて失礼だと思います。
自分で言うのもあれですが、60歳を迎えて多少後退はしたものの禿げ上がるというほどではない白髪交じりの頭、実年齢よりは若く見られるもののその容貌は十人並みだと思います。
何もおかしいところは無いはずです。
しかし、今日は許しましょう。
中には私のことを見て空を確認し「今日は雨降るのか」なんて言いながら傘を捜しに戻ってしまった人もいましたが気にしません。
『出る杭は打たれる』をモットーに、いつもひっそりと部屋の片隅に控え、目立たず騒がずを貫く真人が浮かれるということは、それくらい珍しいことだった。
和仁真人という人間はどちらかと言えば不運なおとこだった。
ギャンブルにのめりこんだ父親は幼い頃に借金だけを残して蒸発し、母は女手一つで真人を育てあげた。
幼少の頃から運動は割りと得意で、近所のおじさんが師範をやっている道場で剣道を始めるとメキメキと力をつけていった。
中学に上がるころには、国体で準優勝になったことがあるらしい師範とも五分五分の勝負を繰り広げる強さは身につけていた。
だが、部活動では真人を目の敵にする同級生の叔父が顧問であったために、部内でも群を抜いた実力を持っていながら万年補欠で3年間一度も試合に出ることは無く終えることになった。
地元公立高校に入学し再び剣道部に入部した真人の前に現れたのは、またしても彼と彼の親類だった。
彼は有名私立高校に推薦入学を決めていたはずであったが、飲酒、喫煙、乱闘騒ぎを起こして合格を取り消されていたのだ。
案の定、真人を待っていたのは飼い殺しの日々だった。
2年進級時に退部すると、一般の大会に参加しようとするも、そのたびに彼が目の前に現れ、あの手この手で真人の邪魔をした。
結局、その実力が近親のもの意外に知られることは無かった。
その後はバイトに明け暮れるも、学業はそつなくこなし、成績は上の中~下をキープしていた。
高校卒業後は就職するつもりだったのだが母の猛烈な反対にあい、しぶしぶ地方の国立大学に入学した。
大学卒業後は少しでも母の負担を減らすため実家から通える企業を探すが、すでに例の極潰しの手が回っており全滅。
地元就職をあきらめ上京し、彼らの手が届かない大手ゼネコンに就職した。
真人はこれまでの鬱憤を晴らすように働き、その誠実な働きぶりでいつの間にか同期の中では一番の頭角を現すようになっていた。
持ち前の努力と誠実さでスピード昇進した真人だったが、身のうちを黒いもので満たす者にとっては目ざわり以外の何者でもなかった。
上司と同僚に嵌められた真人は大切な打ち合わせに大幅に遅刻し、大口の取引を奪われた。
誠実さを売りにしてきた真人のその失敗は、成功に驕ってしまったという印象を他のものに与えるものとなった。
一度失った信頼を取り戻すには十倍の努力が必要とも言われるが、真人にはその機会すら与えられず、転がるように窓際へと追いやられていった。
このとき真人は『出る杭は打たれる』というこの世の真理を胸に深く刻みこんだ。
以降、評価を上げるような大きな現場を与えられることは無く、現場代理人、所長になる頃にはどんなに切り詰めても赤字が確定しているような現場にしか配属されなかった。
同期、後輩がいくらの利益を上げたと競い合う中、一人だけどれだけ損害を抑えたかという別ステージで戦っていた。
当然数字だけ見れば毎回赤字を出す人間が上から評価されることも無く、出世とは縁遠くなっていった。
しかし、苦楽を共にした部下や職人達からの信頼は厚く、例えどんなに劣悪で評価にならない仕事しか与えられなくても腐らず真面目に取り組む姿勢は、一部の人間には好意を抱かせ、また一部の人間には嫌悪感を与えた。
足を引っ張られるような大きなミスなく仕事をこなし、火の粉の降りかかりそうな同僚の失敗は誰にもばれないように水面下で処理していった。
25歳の時に大学時代から付き合っていた女性と結婚するも、妻とは子を成すこともなく30歳の時に死別した。その後は女性と付き合うこともあったが、結局結婚するにはいたらなかった。
50歳をまじかに控えてなお元上司の現重役や元同僚の現上司の呪縛から逃れることはできず、現場視察と言う名目で現れては部下の前で罵倒され、カツカツの現場でありながら彼らに接待と言う名の経費を搾り取られる日々に、真人はうんざりいていた。
そんなある日、ふらっと立ち寄った本屋で何気なく雑誌を手にした。
母の訃報が届いたのは、そんな時だった。
苦労をかけた母に楽させるためにだけに働き続けていた。毎月仕送りはしていたが、日々に忙殺され何もしてやることができなかった。
母はいなくなってしまったのに、何か重たいものが肩にずっしりと圧し掛かっていた。
人生の目的が無くなった時、真人は胸にぽっかりと大きな穴が開いているような気がした。
剣道は今も続けており、仕事の鬱憤を晴らすように竹刀を振り続けた。体が衰えた今でもそこらの若造には負けない自身はあった。
しかし、それだけだ。何一つとして輝ける結果を残したことは無い。
子を成すこともなく、次世代に何かを残すことも成してこなかった。
何かを生み出すこともせず、ただただ忙しく生きてきた。
そんな寂寥感に浸る日々を繰り返しているとき、部屋の片隅であのとき手にしていた雑誌『老後のスローライフ』を見つけた。
何気なく手に取っただけの雑誌だったが、真人は心に何かが燈るのを感じた。
自然の中で土を耕し種を蒔き、作物を育て、家畜を育て、釣りをして過ごす。
育てて食す。
食してまた育てる。
命を育て、命を奪い、自然に感謝して日々を生きていく。
それが途轍もなく素晴らしいことだと思えた。
何度も何度も読み返し、真人はスローライフに引かれていることに気がついた。
それからは、スローライフをおくるための軍資金を稼ぐために働き、空いた時間は知識を吸収するため専門書の読破に没頭した。
畑を耕し作物を育てるために叩いた畑作の門はいつの間にか品種改良にまで進み、家畜を育てるために叩いた酪農の門は害獣駆除の狩猟に発展し解体からの道具作りと多方面に広がっていた。
同様に釣りのための漁業の門は養殖から造船、建築の門は製図、製材から製鉄、鍛冶と、今まで抑圧されていたものが弾けてしまっていた。
そして今日60歳の誕生日。
早期退職を希望した真人は影ながら何度もフォローしてきた後輩社員達から控えめな花束を受け取り、久しく心弾ませながら帰宅の路についたのだった。
浮かれていたのだ。
おそらくニヤニヤしているのだろう。
花束を持ってニヤニヤとしながら歩く老人に、すれ違う人達が向ける奇異な視線にも気がついていた。
しかし、そんなことも気にならない。
信号待ちで、隣に黒縁眼鏡をかけた小太りの男が真っ赤なマントをつけていたとしても、気にならない。
その腰によく切れそうな薄い金属を納める筒がくくり付けられていたとしても、その男が「俺は勇者になる」と叫んでいても気にならない。
前方から信号無視した車がぶつかった衝撃でこちらに進路を向けても、マントをつけた男が「みんなは俺が守る」と変なポーズを決めても、そのとき男の尻で押されて車道に倒れこんでも気に……。
「ちょ…まっ…」
真人は右から走ってきていた車をみたあと、目の前が真っ暗になった。
「パンパカパーン」
目を開けるとそこは真っ白で何も無い空間でした。
無駄に陽気なファンファーレを口にするお爺さんが笑顔で立っています。
たわわな白い顎鬚を先端でまとめ、白い布を身に纏い、白い杖を持った青白い肌の爺さん。
目の前にいるのは完全無欠のに白い爺さんでした。
「おめでとう。お主は記念すべき1000000000000人目の流転者じゃ。特別に勇者として剣と魔法の世界に転生させてしんぜよう」
「……はい?」
ハイテンションではしゃぐお爺さんを前に戸惑うばかりで、何を言っているのか理解できませんでした。
「どうしたんじゃ? こういうの好きじゃろう?」
「……えーと…こういうのとは?」
「いや、だからその転生とか勇者とか……」
こちらの反応を見て、先程までハイテンションだったお爺さんがなぜか困惑していますが、困惑しているのはむしろこちらの方です。
「…転生とは輪廻転生のことですか?」
「あ…あぁ、新しい体になって生まれ変わるという意味なら、そうじゃな。じゃが生まれ変わる世界はおぬしが今まで生きてきた世界とは別の世界となるがの」
「ということは自分は死んでしまったということですか。……ハハ…」
呆然自失と天を仰ぐとただただ真っ白な天井が広がっていました。
今まで何のために我慢して、耐えて、泥をすすって生きてきたのか。
全てが馬鹿らしくなって、目元が熱くなり何故だか喉の奥から笑いが込み上げてきました。
「なんじゃ、どうしたんじゃ? おぬしの望んだ勇者になれるんじゃ。嬉しいじゃろ?」
「勇者というものが何かは存じませんが、嫌な思いをしながらも勤め上げ、やっとで自由になったところだったのに」
熱い何かがこみ上げ、次第に視界がぼやけました。
理想を求めて何件も見学に行き、ついに出会った理想の一軒家。
買い物や病院に行くのは少し遠くて不便だが、庭、畑つき一戸建てでその広い敷地内には湧き水が流れ、小規模ながら川魚を育てる生け簀つき。
庭には果樹を植え、実った果物を使って季節のスイーツ作り。
色とりどりの果実で自家製の果実酒を仕込む。
春には畑を耕し、種を蒔く。
夏は暑い中草をむしり水をまく。
収穫した野菜はもぎたてをかじり、ご近所さんと今年のできについて語り合う。
冬は積もった雪をよけ、冷えた体を広い風呂で温め、コタツで熱燗をちびちびと・・・。
「2年間検討に検討を重ねて理想のスローライフが送れる、庭、畑つき一戸建てを買ったのに……明日には…夢の…ロー…なのに。まだ…もやって…のに」
身体中から力が抜け膝から崩れました。
ここが甲子園球場なら今にでも砂袋に土を集めだしそうな私の肩を白い爺さんが軽く叩いて首を傾げました。
「ちょっと待て……おぬし岩見勇雄じゃよな?」
「…………」
必死に作り笑顔を貼り付けている爺さんが何を言っているのか理解できず、しばらくお爺さんと見つめあうことになりました。
終ったことは仕方がありません。
未練が無いわけではありませんが、いつまで突っ伏していても仕方ありません。
努力をしても報われない。
なんだ、いつもと同じじゃないですか。
気持ちを切り替え、それからどうしたら被害が最小限に抑えられるか考える。
いつだってやることは変わりません。
たとえそれがどんな理不尽なことでも。
「……おぬし岩見勇雄じゃよな?」
お爺さんが再び問いかけてきました。
「…自分の名前は和仁真人です」
お爺さんの目を真っ直ぐ見つめると、白いお爺さんは目を見開いて驚いていました。
「ちょっ…えっ…それホント?」
「ええ、間違いなく和仁真人です」
混乱して取り乱したお爺さんがさらに詰め寄ってくると、気持ちが少し落ち着きました。
相手が混乱すると冷静になれるって本当なんですね。
「えーと、信号無視して事故った車に轢かれたんじゃよな?」
「いいえ、事故を起こした車が突っ込んではきたのは本当ですが、それを見てハイテンションになった男の尻に押し出されて道路に倒れこんだところを違う車に…ですね」
順を追って思い出すことで、改めて自分が本当に死んだことを理解しました。
「ということは、ドンケツで押し倒されて轢かれたと?」
「……そうですね、ドンケツで死んだことになりますね」
白いお爺さんと目を合わせると笑えない冗談を聞かされたそんな苦笑いを浮かべていました。
「それでは、改めて自分は和仁真人です。今日で60歳になりました。趣味は剣道と書籍の読み漁りです」
「気がついているかもしれんが、わしは神じゃ。年はもう忘れたな」
自己紹介をすると咄嗟に懐の名刺入れに手が伸びかけましたが、すでに退職した見であることを思い出し右手を伸ばします。
自分今日から無職でした。
白い爺さんも自己紹介をすると右手を差し出し握手をしました。
「それで、自分はこれからどうなるのでしょうか?」
神様を名乗ったお爺さんは手元の分厚い書籍をパラパラめくると、一つの頁で手を止めました。
「ふむふむ、本当ならお主は10年間魂を休ませ、療養後に10年後の日本に生まれる予定じゃったんじゃが、こちらの手違いで手続きが終り次第、異世界に転生してもらうことになる。手違いとはいえ一度決まってしまった転生を取りやめることはできんのじゃ、すまんな」
「いえ、過ぎたことを蒸し返しても仕方ないので。ですが、本来10年間療養をしてからというのを今すぐ行っても問題はないのでしょうか?」
「それはおぬし次第としかいえんな。普通は磨耗した魂を回復させ、過去の記憶や経験を取り除いてから新たな体に入れて送り出すのじゃ。そのため、長く生きた魂や強烈なトラウマや深い傷を受けた魂にはそれだけ長い療養期間が必要となるのじゃ」
「つまり、自分は前世の記憶を持ったまま生まれ変わるということですか?」
「そうなるな。じゃが、これから転生する世界は剣と魔法の世界じゃ。魔法があるため科学は進歩せず、おぬしの求めておるスローライフは十分に実践できるじゃろう」
「本当ですか!?」
神の言葉に潰えたはずの野望がムクッと顔を見せたのを感じました。
「本当じゃ。じゃが、前世の記憶があるというのは大変じゃぞ? 過去の例を振り返ってみても特異な存在は排除されるのが世の常じゃ」
「そこは大丈夫です。『出る杭は打たれる』そんなことは十分に理解しています。今度はきっとうまくやれます」
「そうか。まぁ、今さら何を言ったところでどうもしようがないんじゃがな」
にっこりと笑うと神は苦笑いを浮かべました。
「でじゃ、おぬしの新しい体はすでに準備されておるのじゃが…ちーと問題があってじゃな…」
「…問題ですか?」
神は少し目を泳がせたあとこちらを見て「ハァ」と溜息をついた。
「この体はスペックが高すぎるのじゃ。本当は理想と現実の差を理解できず、現代の日本で勇者を目指し生活が破綻している若者を勇者として転生させる手はずだったんじゃ」
「勇者、ですか」
「ああ、勇者じゃ。じゃが、勇者といっても魔王を倒すためとかそういうことではないのじゃ。スペックが高いといっても本人の研鑽無しには本来の力は発揮できん。勘違いした者を多少痛い目にあわせ、大人しく次の転生を受け入れさせるのが目的じゃの」
「…えーと、勇者は勇敢なとか勇気のある人のことですよね? 魔王ってのはよくわからないですが悪い奴ですか? 焼酎のこと…ではないですよね?」
………………………。
神と軽く10秒は見詰め合っていたかもしれません。
気まずくなって軽く目を逸らしてしまいました。
「おぬし、TVゲームをやったことはあるか?」
「いいえ、無いです。ですが、ボードゲームやカードゲームくらいでしたら」
「おぬし、漫画や物語、小説などは読んだことがあるか?」
「いいえ、ないです。ですが、専門書や経済誌は読みますし、新聞は毎日読んでいました」
「…おぬし、アニメは見たことがあるか?」
「はい、見たことはあります。ですが、基本的にはニュースしか見ないものですから、たまたま目に入ったという程度ですね」
「……おぬし、幽霊や妖怪はいると思うか?」
「今自分がこんなところにいるんですから、きっといるんでしょうね」
「……以前は?」
「まったく信じていませんでしたね」
「…いったいどんな育ち方をしたらこんなリアリストに育つんじゃ! おぬし、幼い頃に空を飛べたらとか水の上を歩けたらとか思ったこと無いかの」
「全然。どう考えたって無理でしょう?」
当然でしょという顔で真人が神を見ると、神は一瞬自分の方が間違っているのかも知れないと思ってしまった。
真人を見ていると、自分は違った意味でおかしな人間を捕まえてしまったのではないかと思ってしまう神だった。
初めての投稿。
皆さんの作品を読んで触発され、初めて小説を書いてみましたが、自分の文才の無さにびっくりです。