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!虫注意!
「大体、さっきから命令ばっかしてくるけど、あんた何様なのよ」
召喚獣呼びもそうだけど、上から目線に倒せって、こういう時は小娘よりも戦える男の出番でしょう!腰にある剣は飾りかって言いたい。
「む。私はラヴァーン国第二王子にして近衛騎士団団長、ライドだ」
王子?王子だと?
「は!じゃあ、血筋で地位を買った役立たずって訳ね。か弱い私を矢面に立たせて、自分は安全な所でぬくぬくしている臆病者なんだ。王族の七光って一番性質が悪いじゃない」
「七光りではありませんよ。ライド殿下は、名実ともにこの国一番の騎士です」
フォローのつもりなのか、魔導師の青年がそう言うけど、さらに腹が立っただけだ。
「それだったら余計にあんたが特攻かければいいでしょ、その無駄に立派な筋肉使って」
「無駄ではないわ!」
「あー、そろそろ襲われますよ。迎撃した方が良いんじゃないでしょうか」
「……え?」
青年ののんびりとした警告に振り返ると、はっきり一匹一匹の蚊の大群が見て取れた。大きい分、飛行速度が早いらしくて、気が付けばすぐ目の前まで来ていたのだ。
「ぎゃー!大きい、近い!寝る前に悩まされてて、夢の中でもこれってどういうことよ」
そこまで叫んではっと思い出した。
足元に落ちている存在を、だ。
「外なら問題なくこっちが使えるもんね」
拾い上げたのは殺虫剤。うなりを上げて襲って来たヤツ等に、思いっきりノズルを押した。
シューっと吹き出る殺虫剤に、蚊はなす術もなくぼとぼとと落ちていく。……消火器?ってくらい遠くまでかつ大量に噴き出しているような気がするけど、気にしない。ここが夢だとしたら、もはや何でもアリだ。こっちに近づけないように、ひたすら噴射し続ける。
「おお、やればできるではないか。なかなかの威力だ」
王子が実にのんびりと感想を口にした。
「ええ、ここまで効率の良い魔法は初めて見ます」
いや、魔法じゃないから。心の中で突っ込む。私が気になるのはもっと別なところだ。
「あんた達、なんで見てるだけなの。そもそもなんで襲われないの?」
蚊の大群は、仲間がぼとぼと落ちていくのが分からないみたいに私の方に突っ込んでくる。対して男二人は涼しい顔だ。まるで見えていないみたいに素通りして、蚊はまっすぐに私の方へ飛んできているからなんだけど、働きなさいよ。
「結界を張っているので寄って来られませんが、それ以前にあなたは召喚獣ですから」
「私は召喚獣じゃないって何度言えば理解するのかしら?」
私がブチ切れると、魔導師は肩をすくめた。
「……まあ、とにかく。あなたの周りには魔力が渦巻いていますから、あの魔物はその魔力に惹かれて襲いかかって来ているんですよ。それだけの魔力が流れる血を取得したら、さぞかし力が漲るでしょうからね。……因みに、一匹に血を吸われると、それ自体ではなんとか命は助かりますが、その後病気になって死ぬ可能性が約三割、三匹以上に吸われた場合は、失血死します」
「命がけじゃないの!」
「ええ、ですから、魔物だと申し上げています」
「手伝いなさいよ!」
すごい勢いで死んでいくけど、だんだん足元近くにまで落ちる蚊が多くなってきて、心情的に焦ってきた。ええい、こうなったら蚊取り線香も導入してやろう。
視線は上を向けたまま、片手で落ちていた缶を拾い上げた。
「ちょっと……それ、開けてくれない?」
蚊を無双していく私をただ見ているだけに飽きたのか、王子が缶の中身に興味を持ったようだ。結界も、生きていない「物」は普通に通すらしく、蚊取り線香の入っている丸い缶を拾い上げると、くるくると回して見ている。
「この絵といい、形状といい、随分精巧な作りだな。開けるとはどうやって……ああ、このひっかけ部分を掴んで引っ張ればいいのか」
「どうでもいいから早くしてー」
ぱかっと音を立てて缶を開けて中に入っている物を見た王子は、
「これは……一体何なんだ?」
と不思議そうにしげしげと見つめている。見たことのない人には深緑色の渦巻き状のものは、どんな使い方をするのか分からないだろう。
「それ、力を入れすぎると壊れるから、慎重に一個出して……そっちのお兄さんは魔法使えるんでしょ。真ん中の所じゃなくて、その端っこの所に火を付けてくれない?ああ、あくまでもほんのちょっとの火でいいの。長い時間燃えるようになっているから、一度に全部燃えちゃうような火力は必要ない」
私はひたすら蚊に向けて殺虫剤を噴射しながら、二人に指示を出した。蚊取り線香に火をつけるのは、さすがに両手を使わないと無理だし、なによりマッチもライターも持っていない。働かない二人も、それぐらいだったらやってくれるだろう。
渦巻きが二つ重なっているうちの一つを取り出して、魔導師の青年がマッチの炎くらいの火をつけてくれた。
煙が棚引いて行くが、なんか私の知っている蚊取り線香と違って、煙の量がすごく多い。
──まあ、夢だ。
そう割り切った。なにせ、殺虫剤と蚊取り線香のコンボは、かなり効果的だったから。
殺虫剤の時はかなり近くまで寄せてしまったけど、蚊取り線香に火をつけた途端に、近寄って来れる範囲がぐっと広がった。さっきまではせいぜい半径数メートルってところが、今は十数メートル。……もっとあるかな。近寄ろうとしているみたいだけど、力尽きて足を上にして痙攣している。
もしかしてあれかな。サイズは大きいけど、今まで殺虫剤みたいなものに接したことがないからよく効くんだろうか。普段薬を飲んだことがない人が、たまに薬を飲むと耐性がないのでものすごくよく効く、みたいに。
「これは……ものすごい威力だな。一体何でできているんだ?」
「えー?燃やすとこれと似た様な匂いを出す木ってない?そういうのを砕いて水と一緒に練って、細く絞り出して乾かしたら似た様なのができると思うけど、詳しくは知らない。知りたければ、そこにある物、好きに使って。分析でもなんでもしてみればいいじゃない?」
正確な成分なんぞ知らんがな。というか、企業秘密の類だと思うから分からなくて当たり前だと思う。
蚊の入って来れない範囲が一気に広がったので、私は一度噴射するのをやめた。それでも空白地帯の半径はどんどん広がっていく。蚊取り線香様々だ。
「それにしても異常な発生量だけど、こんなになる前にボウフラでもすくっておけば、もうちょっとマシだったんじゃない?」
近寄って来なくなったので、なんでこんなことになったのか興味で聞いてみたら、二人の顔色が変わった。
「ぼうふらとはなんだ?」
「ボウフラって言うのは、あれの幼虫の事。ほんのちょっとの水があるだけでそこに卵を産むんだけど、幼虫の間は水の中でしか生きられないから、水から引き上げるだけで死ぬよ。気配悟って中に沈むけど、呼吸しに絶対水面に上がって来ないといけないから。魚みたく動きは早くないし、少なくとも成虫のあれよりも退治しやすいと思うんだけど」
ついでに「この後、水面に卵が産みつけられてないか確認した方がいいんじゃない?」と続けると、二人して真剣そのものの顔をしていた。
「詳しいな」
「いや、普通だよ」
おばあちゃんの田舎に遊びに行った時に、ボウフラすくいをやったしねー。田舎がなくても蚊が発生する地域の子供なら、やったことがあるって言うと思うよ。
「……で、蚊はもう大丈夫っぽいけど」
風に乗って煙が広範囲に広がっていく。死屍累々と言う感じで黒い山が幾つも出来ていた。さすがにここまで来ると壮観だけど、これを後始末すると思うと、気が遠くなりそうだ。そんなことを頼まれる前に、とっとと夢から覚めたいのだよ。
「……そうですね。魔法陣がかなり薄くなってきていますし、時間切れですね」
そう言われて足元を見下ろすと、回転がゆっくりになった模様の大きさが大分小さくなっていた。光も弱い。これがタイムリミットの目安なのか。
「──あれ、漢字?おまけに字、間違ってる」
招聘と書くつもりだったんだろう箇所の「聘」の字が、似て非なる物になっている。外国人の人が見よう見まねで書いたけど、間違っちゃいました、みたいな。
「え、読めるんですか?」
魔導師の青年がそう言った所で、またくらりと視界が揺れた。
気持ち悪さに思わず足元に手を付くと、手をついた先はフローリングと思しき冷たく平らな感触。
慌てて周りを見回すと、見慣れた家具や室内の様子が見て取れる。間違いなく自分の部屋だった。
やっぱり夢オチか。疲れすぎて立ったまま寝たとか?
その後、足が土で汚れていたので洗う羽目になり、ついでに殺虫剤と蚊取り線香がなくなっていたので、蚊に悩まされたまま無理やり眠ることにして、結局睡眠不足。
次の日は遅刻こそしなかったものの、昼休みの半分を昼寝に費やし、課長に怒られつつも終電まで頑張って仕事をこなしたのだった。