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ロッカー室は男女別に分かれている。
場所は経理課のオフィスの脇なので、出入りすれば嫌でも目立つから、異性のロッカー室に入ることはほぼ不可能。男性がやろうとしたら今の私並みに視線を浴びると思われるので、机と同様に誰かが私のロッカーに細工をしたとしたら、犯人は女性だろうと言うことになる。
狭いので課長二人と私、山野さん、松田さん、芳賀さん、あと二人くらい高山課長の指名で社員を連れてロッカー室へ行った。
高山課長が、その指名した二名の男性社員に向かって何か耳打ちをしているのを横目に見ながら、私はロッカーから一歩下がって見守るにとどめる。扉から何かがはみ出しているようなことはなかったけど、また指紋云々の騒ぎになるのは分かっているので、検分するのは柏木課長にお願いしたのだ。
なぜ今この時期に仕掛けて来たかと言えば、先日、広田の件を踏まえて様々な面でセキュリティーを強化する発表がされたからだと思う。
元々会社の玄関と廊下の一部に防犯カメラが設置されてあったものを、数を増やして死角をなくし、オフィス内にも同様に配置する事、社員証をICカード化して会社の出入りだけでなく、オフィスの入退室をチェックすると会社側が通達してきたんだよね。
カメラは勿論のこと、入退室まで記録するようになれば、どこで誰が何をしていたか遡って調査ができるから、物を盗んだとかの不正はほぼ不可能になる。
工事は順調に進んでいるようで、予定通り来週頭からシステム運用が始まるというのも通達が来ていたから、今のうちに誰かに分かりやすく犯人になってもらおうという魂胆で、こんなことをしでかしたんだろう。
噂の中心人物に仕立て上げて、自主退社に持ち込む為に噂を撒き散らしたんだろうと分かっていても、濡れ衣を着せるために直接的に狙ってくると思わなかったから、そういった方面で警戒していなかったのが悔やまれる。もうちょっと身の回りに気を配れたんじゃないか、こんな窮地に立つ羽目にならなかったんじゃないか、と。
「ここが水野さんのロッカーですね?」
柏木課長は私を見て、更に周りに確認してから扉を開けた。
私はロッカーの中にあまり物を置いていない。どうやっても中が他の人にも見られるからで、ツワモノの社員さんなんかはドライヤーやら化粧品やら、アフター用の着替えや下着まで入れている人がいるけど、そういう事実を女性社員さん全員に知られるのって、心臓が強くないと出来ないからね。
だから中にはエコバック代わりに使っているトートバッグと、寒くなった時に着る用のカーディガンだけのはずが……やはり、というか、見慣れない大きめ紙袋が一つあった。
いや、見慣れないと言うのは語弊がある。社用で作っている紙袋だから、見たことがない訳じゃない。その紙袋を入れた覚えがないだけだ。
「その紙袋は私が入れた物じゃありません」
私がそう告げると、 柏木課長がトートバッグの中をちらっと確認してから、紙袋を取り上げた。
「印紙と切手の他に、給湯室から持ち出したと思われるお茶やコーヒーが入っていますね」
やっぱりそうか、と何か冷たくて苦いものがお腹の中に落ちたような気がする。無実の私に罪を着せてまで保身を図る、その神経が理解できない。今のこの状況を作り出した人は、内心で大笑いしているんだろうなと思うと、拳を握りたくなる。……もちろん、ぐーで殴ってやりたいからだ。
「さて、水野さん。何か言う事はあるかな」
また同じセリフを振られたけど、返す言葉は大して変わらない。いろんな感情で波風が立つ内心を押し殺して、努めて平坦な声を出した。
「余程私を陥れたい人がいるんだな、というのが正直な感想です。身に覚えはありません。……私は盗っていません」
「水野さん、同じ言い訳は通用しないんじゃないの?もういい加減白状したら?」
山野さんが勝ち誇ったような顔をして私を見るけど、やっていないものはやっていない。
「やっていない罪の告白なんてできませんし、するつもりもありません」
「ここにいる人で、何か知っている人はいないかな」
柏木課長が先に周りに問いかけるが、誰も何も答えない。──その時。
「──松田、何か言う事はないか?」
唐突に高山課長が松田さんの顔見て言った。無表情なのにどこか凄みのある気配をまとっていて……私は何となく、ミミズもどきと対峙した時の王子と同じ空気を感じた。殺気と言うほどではないんだろうけど、スーツを着た体が一回り大きく見えたような気がする。
獲物を捉えた時の眼差しに似た高山課長の視線に曝されても、松田さんは何も感じなかったのか「なんで私に訊くのよ」みたいな顔をした後、
「何も知りません」
と答えた。
正直に言えば、山野さんも松田さんも非常に怪しい。
机に入っていた切手を見つけた山野さんと、ロッカーへ誘導した松田さん。
二人は仲がいいから、どちらかが主体でやったのか、あるいは片方だけなのか、それは分からない。証拠は何もないので糾弾もできないけど……と思ったところで、はたと気が付いた。
紙袋があるじゃない、と。
「あの、今度こそ、その紙袋に指紋が残っているかどうか調べてもらえませんか?少なくとも私は触っていませんから」
そうすれば、少なくとも私が入れたんじゃない事だけは立証される。
そう思ったんだけど、間髪入れずに山野さんから失笑された。
「嫌ねー。しらばっくれちゃって。どうせ手袋してたんでしょ。それでやってませんなんて、厚顔もいいところ……」
「山野、お前はさっき柏木課長に注意された事を忘れたのか?少し、黙れ」
「っ!…………すみません」
怒気交じりの叱責に、今度は蚊の鳴くような声で謝罪する山野さん。
……あれ?さっきは叱られてふてくされてた様子を隠さないくらい強気だったのに、随分しおらしいような気がする。部外者の柏木課長にやんわり叱られるよりも、高山課長に怒られる方が堪えている感じ?
柏木課長は外見も話し方も柔和な印象だからかもしれないけど、高山課長の場合、フラットな眼鏡が光を反射して視線が見えなくなる時ってあるじゃない?表情が読めなくて怖いのは、私も仕事で怒られたことが何度もあるから分かるんだけど、私は外部の管理職に怒られた方が、後々の事を考えて怖くなるけどな?
口頭だけならともかく、
「経理課の誰それは、こういう態度でした」
なんてことを書類で通達して来るような叱責のパターンもある訳で、そうなると部署の上司の管理責任も問われることになる上に、書類が証拠として残るので、巡り巡って自分の社内評価までに影響が出ることになるから、まだ部署内で叱られている方がマシだと思うんだけど。
そんなことをぼーっと考えていたせいか、高山課長がどっかからタブレット端末を取り出したのに気が付かないでいた。
いくつかの操作をした後にこちらに画面が向けられて、どこかの廊下の俯瞰映像を見せられる。
誰もいない廊下だけど、これ見て何をしろと?
あ、でも、なんか見覚えがあるな。どこだったろう?って首を傾げたけど、なんてことはない、今いるロッカー室の入り口付近だ。
「防犯カメラが導入されるのは既に皆が知っていると思うが、これはそこからの画像だ」
高山課長はロッカー室の扉を開けて、廊下の天井を差した。
声にならない「えっ?」という呟きが聞こえたような気がしたけど、誰の声か分からない。ただ、松田さんの顔色がさっと変わった。
タブレット端末の画面には今まさに扉を開けた課長の姿が写っていて、カメラの画像が転送されているらしい。
「伝えていなかったが、設置された防犯カメラの試験運用が始まっていて、数日前から既に経理課周辺のカメラは作動している」
「どういうことですか!」
「どういうも何も、上層部がそう判断したからだ。新規システムが構築された後、いきなり本格的に運用しないで、試験的に動かしてみるのは当然のことだろう?特に経理課の近くを重点的に配備して、運用開始の前に試験を実施することになったのは、事件の影響が大きいからだ」
柏木課長が「何か問題でも?」と声を上げた松田さんに向かって言う。
「問題なんてあるに決まっているでしょ!人権侵害です!」
松田さんがぶるぶると震えながら柏木課長を睨み返した。その目つきは恐ろしく険しくて、普段はおっとりした印象だったのに別人のような形相に、私もだけど、皆一歩引いていた。
「人権侵害?何それ」
思わず漏れてしまったみたいな口調で、芳賀さんが呟く。うん、私も何それ、だ。
勝手に撮られて嫌だって言うなら肖像権の侵害だろうけど、防犯カメラは外を歩いていると良くあるよね?公共の場所では肖像権の侵害に当たらないって聞いたような気が……っていうか、それ以前に、写っている心当たりがあるからそんなに騒ぐんだよね?
「社内規範違反と言う事かな?今回はそれに当たらないよ。事前に防犯カメラを導入することは通達済み。君も一斉送信メールを受け取っているはずだ。試験運用をする旨の通達が遅れたみたいだが……」
「すみません、柏木課長。私がうっかり伝え忘れたようです」
「うっかりじゃ仕方がないな。なに、何もしていない社員には何ら問題ないことだから、多少の連絡ミスの責任を追及することはないよ」
「ありがとうございます」
柏木課長と高山課長の会話を聞いて興奮したのか「犯罪だって言ってるの、返しなさいよ!」と、高山課長の持っていたタブレット端末をめがけて手を伸ばしてきた松田さんを、慌てず騒がず、男性社員の一人が後ろから羽交い絞めにするが、松田さんは火でもつけられたみたいに暴れ出した。
「セクハラ!セクハラよ!触らないで、変態!いやあああああ」
狭いロッカー室で金切り声を上げたために、ほぼ全員耳を塞いだ。出来なかったのは、取り押さえている男性社員さんだけだ。後ろからだけど一番近い位置にいるので、多分耳に相当な打撃を受けている模様。二人がかりでとりあえず松田さんをロッカー室から引きずり出した。
廊下でも、もう何を言っているか分からない叫び声を上げる彼女を、外に来ていた警備員に引き渡したけど、振り払って逃げようとして暴れる暴れる。
「落ち着いたら話を聞くが、これ以上暴れるようだったら、問答無用で警察に通報する」
と、高山課長が通告して、ようやく叫ぶのは止めたけど、今度は歩こうとしない。
最終的に両脇から抱えあげられて、どこかへ連れられて行ったのだった。
「さて、山野さんは何か言うことがあるかな?」
警備員が来ていたってことは、既に画像を確認して犯人を特定していたから。それなのにこんな風に泳がせていたのは、やっぱりもう一人の言動を確認するためだったようだ。
あれだけ私を目の敵にして犯人だと連呼した山野さん。従犯なのか主犯なのかを確認するためだったんだろう。
カメラが生きていると知った時の驚きは見ていなかったけど、その後はごく普通の「そうなの?」って感じの虚を突かれたような表情だったと思う。後ろ暗いところがあるような様子には見えなかったし、普通に松田さんの様子に驚いていた。……演技が女優並みに上手くなければ、の話だけど。
「わ、私は……。私は本当に切手を見つけただけで、何もしていません。……個人的に水野さんに思うところがあったので酷い態度を取りましたが、犯罪に関わってはいません」
「あの映像はサーバーに保存されているから、遡って調べられる。嘘をついているのなら、今のうちに言った方がいい。後から発覚した場合、心証はより悪くなるし処分も厳しくなるから、良く考えなさい」
嘘だと分かったら通常の処分よりも厳しくするからね、とやんわりと言われた山野さんは、泣きそうな顔をして柏木課長に頭を下げた。
「今までの態度が酷かったから、信じていただけないのは分かっていますが、本当に私はやっていません。どうか信じてください。指紋採取にも応じますし、どんなことを調べてもらっても構いません」
「……そうですか、分かりました。では、詳しい話を聞きますから、場所を移動しましょう」
柏木課長は高山課長に向かって一礼すると、山野さんを何処かへ連れて行き、高山課長は高山課長で後片付けをしなければいけないらしく、とりあえずの指示を出した後、先ずは経理部長に報告に行ってくるとのことだった。
「芳賀と水野は会議室へ戻っていてくれ。後で事情を説明しに行くが、それまでは鍵を掛けて誰も部屋に入れないように。誰かに何かを訊かれても、何も話すな」
聞きたいことも、言いたいこともあったけど、これは仕事だ。身の潔白を証明できただけ、良かったと言うべきなんだろう。
「分かりました」
とだけ答えて、会議室に戻った。
ちょっと長くなりましたので、どうして?の部分は次回へ。
MF&AR大賞ARに応募中の為、できれば明日も更新したいなーと思っています。
やるやる詐欺になったらすみません。




