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気が付くと洞窟のようなところにいて、王子とシスルの向こうにものすごく綺麗な女の人が立っているのが見えた。騎士さん達もちゃんといるけど、なぜか凄く緊張した様子で表情が硬い。
黒いドレスを着たその女性は……なんというか、女王様と呼びたい感じだった。敬語で話さないとダメな雰囲気とでもいえばいいのだろうか、タダモノではない気配がビシバシとしていて、慌てて私は座っていた椅子から立ち上がった。
そう、ちょうどダイニングテーブルに肘をついて座っていたせいで、今回は椅子と机と机の上に置いていたもの全部セットでこっちに呼び出されたのだ。
服装が最初と同じでパジャマなのが非常に心もとない……というか、失礼千万な気がしていたたまれない。赤毛の美女にすっと上から下まで見られ、それが何となく値踏みされているというよりは、初めて見る珍獣を観察しているようだったし。
居心地が悪くて身じろぎしたら、視線が私ではなくて、後ろのダイニングテーブルにあるって分かった。コーヒーを飲もうとしていたから、机の上には淹れる道具が一通り揃っている。お茶の道具には見えないだろうから、珍しいと言えば珍しいかもしれない。
「あづさ殿こちらは……」
シスルが紹介しようとしたのを遮って、女性は私の方に歩いて来た。
身長がかなり大きい。王子と比べて少し小さいくらい。王子の身長が低い訳じゃなくて、この人の身長がモデル並みに高いからだ。
近くで見ると金色の眼が人の物ではないと分かったけど、柔らかく微笑んだので、近寄りがたい印象はだいぶ薄れた……と思ったら、顔を寄せて首の辺りの匂いを嗅がれたので、思わず一歩離れてしまった。
「ああ、すまぬ。よい匂いがしたのでつい……私はダリアという。そなたの名前は?」
「あづさです……」
もしかしてこれはアレでしょうか。今までさんざん言われてきた、おいしそうな匂いというやつでしょうか。
命の危険を感じてもう一歩距離を開けるけど、その時、女性は既に私の前を通り過ぎて机に向かっていた。
「ああ、これか。とても……蠱惑的な香りがする」
恍惚とした顔をして取り上げたのは件のブラック・アイボリーのパッケージで、もう一つの普通のコーヒー(一杯飲みきりのやつ)にも鼻をよせている。
「うむ。これも悪くはない……。だが、こちらには負けるな」
女性が示したのは、ブラック・アイボリーの方だった。今から袋を開けようとしていたからどっちもまだ未開封状態なのに、匂いが分かるの?やっぱりあれか、人じゃないから?
そんなことを考えると、少し潤んだような陶然とした眼差しで女性はこちらを振り返った。
「これはいったい中に何が入っている?」
「コーヒーっていう飲み物ですよ。今から飲もうと思っていたので……もしよかったら一緒にどうですか?」
陶然とした眼差しがきらっきらしたものに代わる。あー、はいはい、返事しなくても分かります。欲しいのね。
コーヒーを淹れる準備をしながら、唯一ないものを用意してもらおうと、王子たちの方に言った。
「熱湯が欲しいんだけど、このポットにいっぱい入れてくれない?あと、各々、水を飲む時用のコップかなんかがあったら持ってきてほしいんだけど」
騎士さんたちの分もとなると結構な量が必要になるからと思って言ったんだけど、シスルが首を横に振った。
「あなたの持って来たものは、すべて効果が異常です。試してみるのならば、少量からにした方が良いと進言します」
前半は私に向かって、後半はダリアさんに向かって言った言葉だと思うけど、いつもながら「効果が異常」って言い方が酷い。……でもまあ、カフェインに慣れていない人はちょっと飲んだだけで眠れなくなったりするし、カフェインだけじゃなくてコーヒーの苦みも飲みなれていない人は苦手かもしれないから、大人しくその進言通りにするよ。
ブラック・アイボリーは大体三杯分だっていうから、心情的にはアレだけど、みんなで一口ずつ味見ってことでいいよね~?飲もうか飲むまいかって思っていたから、フィルターも何もかも一緒に来ているし。
「じゃあ、たまたま手に入った超高級コーヒーを飲ませてあげるね。これは今回特別に譲って貰ったやつで、もう二度と手に入らないと思うから、心して味わって」
嘘は言っていないよ、黙っているだけで。
ブラック・アイボリーのパッケージを開けて、好奇心で豆の香りを嗅いでみる。
コーヒーの匂いじゃないな、なんて思いながらふと横をみると、さっきから目をうるうるさせていたダリアさんの様子がいよいよおかしくなった。
頭がふらふら、足もふらふら、円を描くように頭をぐらぐらさせて後ろにひっくり返りそうになったので、慌てて支えようとしたんだけど、ちょっと遅かった。
「あぶな──!」
ぐったりと崩れ落ちる体を掴もうと一歩寄る私に、びっくりしてそちらを見るシスルと王子。
どこか具合でも悪かった?と思っていたら、シスルからの鋭い声が飛んだ。
「匂いだけです。長殿に何もしていません!」
私は、ここにはダリアさんの他は王子やシスル、騎士さん達しかいないのかと思っていた。でもそうじゃなかったようで、風圧?の様なものを感じて後ろを振り返ると、音もなく滑空してきたグリフォンが私めがけて鋭い嘴を向けて来ていた所だった。
ガヂン!
鈍い音を立てて嘴が重ねあわされる。
噛み付こうとしたのに失敗した……というか、グリフォンの方が失速したんだと分かった。びっくりしすぎて全然動けなかったのに、続けて振り上げられた右脚もあえなく空を切って地面に落ちる。踏ん張ろうとしたみたいだけど、私の目の前で見事にべしゃっと顔から突っ込んだ。
全体重が顔にかかったような転び方をしたので、相当に痛いと思う。……それなのに、そのままごろごろと喉を鳴らして転げまわるグリフォン。
これは……あれだ。完全に酔っぱらっている。酩酊状態っていうか、猫にまたたび状態?猫は飼ったことないんで詳しくは知らないし体が大きい分見ごたえがあるけど、地面に寝転がってぐるぐる言いながら悶えているのは完全に猫と同じだ。
酔っぱらっているだけならさほど悪いことにはなっていないだろうと、とりあえず放置してダリアさんの方を振り返ると、微妙に色合いの違うグリフォンがごーろごろとやっぱり悶えていた。ダリアさんは赤毛だったけど、このグリフォンは首のあたりが赤い。
「……これ、ダリアさんなの?」
「そうだ。お前だとて、見たことはないがもう一つの獣の姿を持っているのだろう?魔力の強い獣の類は、人に変化できるのだ」
「ん……?ちょっと待って。私は人間で、獣の姿なんか持ってないよ。何回も言ったよね?召喚獣じゃないって。召喚されてきてるけど、獣じゃないの。あんた達と同じ生き物よ」
王子の言っている意味がよく分からなくて、最近言われなくなったけどまだ召喚獣だと思ってるんじゃないだろうね、と念押しすると、なぜだかやたら驚かれた。
「なんだと?お前は獣化できないのか?」
「獣化って獣の姿になるってこと?そんなものできる訳ないでしょ。元々そんな能力がないんだから」
「退化したという事か?」
ここで猿から進化した生き物だから云々なんてことを言うと混乱必至なのでびしっと否定しておく。
「退化じゃない。元からそういう生き物だって何度も言ってる!……王子の驚きっぷりは分からないでもないんだけど、なんでシスルまでそんなに驚いてるの?さんざん言って来たのに、まさか未だに私の事を自分と同じ生き物だと思っていなかったとか?」
固まったまま動かなくなったシスルに声を掛けると、ようやく復活したみたいでぎこちなく微笑んだ。
「いえ……そうではないかとは思わなくもなかったのですが……と、とにかく先に二人の手当てをしてしまいましょう。とりあえず袋を閉じて匂いを遮断してください」
少し離れたところに何匹かのグリフォンがいて、こちらを伺っている。近寄って来ないのは、当然同じことになると分かっているからだ。
私は慌てて袋を厳重に縛って、シスルが風の魔法を使って匂いを飛ばす様をぼんやりとみていた。普段あまり表情が変わらないシスルの顔がだんだん赤くなってきて、更に青くなっていくのを、めずらしいなーと思いながら観察したのだった。
ブラック・アイボリーは実際にアマ〇ンで販売しています。
そこに書かれている注意文が面白かったですよ。やんわりと「自己責任で」と書いてありました(笑)
活動報告に時期ネタSSを上げています。読んでいない方はどうぞ。
いずれ本編に組み込みますが、連載完結後あたりになると思います。




