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けれど、せっかくの綺麗な笑顔はすぐ消えて、真剣な──というか、深刻そうな表情に変わってしまった。
「もし、もう一度同じことが起きたとしても、その術式は使用しないでください。今回は運が良かったに過ぎません。いいですか、絶対ですよ。……いえ、助けていただいたことは本当にありがたかったし、うれしかったのですが……」
有無を言わせず二度と使わない事を承諾させられた後、懇々と説明という名の説教されたことによると、私がしたことはシスル本人が言った通り、非常識極まりなかった……らしい。
失った部分は戻らない。
これはこの世界の理で──いや、私の住んでるところだってそうだけど、本来はどうやっても覆せない部分だったようだ。
怪我をしたら、血小板が働いて止血をして白血球が体の中に入った雑菌を殺し、肉の元はタンパク質だろうからそんなものが肉を盛って治すのを、回復魔法は早回しで行うだけのものであるので、流れてしまった血液は元には戻らないまま、体の中にあった物質で回復させるために、どうしても体が弱る。
ところが、シスルの体はその影響がほとんどない。少し体がだるいが、あれだけの血を流したらこんなものでは済まないらしい。
……まあ、単純に考えれば大怪我した痛みに耐えていたんだから、普段使っていなかった筋肉を使っただろうし、あの苦しんでいたとばかりに思っていた痒みも、それなりのダメージがあったんだろう。
問題は、増やした分がシスルの体からではないとしたら、どこから持って来たのか?と言う事。
私は単純に魔力なんじゃないのと思ったけど然にあらず。
魔力は物質として安定する存在を単独では生み出すことはできないので、何処かから腕の元になるものを持って来たことになるんだって。
「どこからというか、何からです」
思わせぶりに言われたのに首を傾げていると、意味深に視線を流された。……私の背後の方へ。
何もない。いや、そこには本当はミミズの死骸があるはずが、綺麗さっぱりなくなっている。……ってことは。
見ていた筈の王子や課長の方を見ると、二人は口をそろえて言った。
「ミミズが蕩けて消えた」
「ついでに、そこいらにあったのも同様だ」
周囲にあったはずの何体かの死骸も、確かになくなっている。残っているのは、生臭い体液だけだ。
「腕を作る元として使用したのでしょうね。痒み出したのと、死骸が無くなるのがほとんど同時でした」
「え゛。じゃあその腕は、元ミミズもどき?」
ある意味そうしてしまったのは私のせいなので、魔物が腕になったことに困惑を隠せないけど、対するシスルは動じなかった。
「使ってみないと分かりませんが、今の所問題なく動きますし、見た目もそのままです。これ以上の結果はなかったでしょう。その点に関しては本当に感謝します」
性質も違う生き物だから、勿論そのままくっつけた訳ではない。死骸を元に、魔力で変質させて腕に繋げたのだろうとシスルは淡々と断じた。
「痒みはおそらく神経をつなげた際に生じたもので、体の疼きは失った血液が戻ったせいだと思われます。少し考えただけでどれほどの魔力が必要か、まったく想像付きません。いくらあなたでも自分の魔力だけでは足りなかったはずです。足りなかった部分は他で補った可能性が高い。まずは魔物の死骸。腕の原料にも使ったのでしょうが、消えた数を考えると少々多すぎる。……その他には──殿下はいかがでしたか」
「魔力を持って行かれたな。かなりの量だ」
王子はなぜか、もっしゃもっしゃ芋切干を食べながら返答し……シスルの視線が今度は課長に向けられる。
「あづさ殿の上司といいましたか、そちらの方は魔法が使用されたとき、何か違和感を覚えませんでしたか?」
「……言われてみれば、少しめまいがしたな」
少し考えてから課長が言ったのに、シスルが頷く。
「それから、その指輪」
指輪に視線を落とすと、なぜか緑色だった石の色が、完全に白濁していた。半透明でもない、不透明の白。魔石の魔力を使い果たした証左なのだそうだ。
「そこまで使ってようやく足りた訳です」
今回はたまたま魔力を一方的に補充できる環境にあったけど、今度は何を持ってくるか想像がつかない。もしかしたら、生きている人間の体を勝手に作り替えるかもしれない。魔力が足りなければ命を削るかもしれない。だから二度と使うなと念押しをされた。
「その指輪に関しても少々腑に落ちない点がありますが……まあ、予測も憶測でしかありませんから、そちらは置いておきます。とりあえず、その魔法具は魔力枯渇により使えなくなりましたから、先程の様な防御結界を期待しても無理ですからね」
「じゃあ、シスルも無理はしないでね」
何もなければ、何もしないよ。戦う力なんてないし。
「大体なんでなんでこんな事に?」
そもそもここがどこなのかよく分からない。来たらいきなり戦闘真っ最中だったからね。
きょろきょろと周囲を見回すと、周りは平野で少し先には湖っていうか、小さな水たまりの集合があって、近くには標高の高そうな山が見える。
「足を確保するのに付いてこいと言っておいただろう。あの山の中腹に奴等の住処があるのだ」
王子が相変わらず芋切干をむさぼりながら、山を指差した。……なんで芋切干?そんなに気に入ったの、それ。
私にとっては指輪を貰った翌日だけど、こちらでは既に六日経っていて、最南端の町まで転移魔法を使った後、徒歩でユーザ山脈を目指していたのだという。
なぜ徒歩かというと、この場所──ヨラン湿原という、あのミミズの巣でもある場所を突っ切らねばならず、急に深くなっている部分もあるため、馬では足を取られる可能性が高かったからだったが、案の定、湿原に入った途端に襲われたらしい。警戒をしていたものの、不意打ちを食らったのだった。
ここを避けて行くと途方もない遠回りになるので、ルート変更は不可。かといって、礼のミミズもどきがここにどれほどの数が生息しているのか分からない。
「以前採取を手伝っていただいた、スライムの核を使った魔道具を狙われたのです。持った手ごと食われたので、可能ならば取り返したいですが……」
「いや、取り返したいって言っても、さっき退治したやつの中に入ってたんじゃ?」
綺麗さっぱり消えてしまったのだったら、非常にまずい。
「いや、咄嗟に炎で攻撃した。そいつは表面が焦げているはずだが、さっき切り捨てたものの中にはなかった。あれだけ苦労して手に入れたのだ。頼むぞ、召喚獣」
「……は?」
なぜ、そこで私に振るの!
「いや、ちょっと待ってよ。こんなだだっ広いところのどこに潜んでいるかも分からないのを、簡単に退治できる訳ないでしょ!」
「いや、いくらなんでもそれは無理だろう」
今まで空気になっていた──多分、ちょっと落ち着いて現状把握に努めていたのだと思う──高山課長も、応援してくれた。
もっと言ってやって!今までで一番の無茶振りだもの。出来る訳ないでしょ、ミミズの魔物なんて!
………………あれ?
ミミズで思い出した。おばあちゃんの知恵袋ならぬ、お母さんの知恵袋。ミミズの駆除方法。大きさが違うだけで似たような性質なら、あの方法も通用するのかな?
「……今ここにあるものでは無理だけど、一回戻って道具を用意すればできるかもしれない」
「本当ですか?」
「いや、大丈夫なのか、水野」
「だけど会社の備品だから……。課長、後で処理するので、買い取らせていただいてもいいですか?」
私がそう言うと、高山課長は見当もつかなかったのか、変な顔をした。
「いったいどれの事だ?というか、いくらの物だ」
「いえ、一つ数百円の品ですし……っていうか、課長は完全に巻き添えなんですから、私が品物を取に行くついでに戻りましょう」
とばっちりでネクタイを貰っちゃったし、これ以上は迷惑を掛けられないと思ってそう言ったのに、課長は首を横に振った。
「いや、ここまで来たのなら同じだ。ちゃんと帰れるのなら見届けてからにするさ。気になることもあるし……行くならさっさと行って来い」
笑ってそんなことを言われたので、まあ、行って直ぐ帰ってくればいいかと考え直した。
なんか課長、足元のキラキラがないんだよ。つまり、私が持って来た商品扱いなので、私と一緒に帰らないと多分、行きっぱなしになるのだ。
「分かりました。じゃあ、ちょっと行ってきます」
今回私を呼んだのは王子だったので、魔法を解除してもらい、すぐに私は会社の給湯室に走った。
食器洗い用洗剤(詰め替え用濃縮)と封の切っていない緑茶の袋を二袋掴んだところで、いつものめまい。
ふふふ、ミミズめ!待っておれ!




