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!残酷な表現あり!
!流血注意!
「なんでこんなに怒っているか、分からないみたいだから言うが」
冷たい空気をまとった高山課長が、私が逃げられないように握る手と、顔に添えている手に力を込めた。
「本当に知り合い程度の相手から、困っているからと指輪をくれと突然言われたら、鼻で笑うんじゃないか?タイミング的に、貰ったのは芳賀に勧められた当日だろう。残業中に俺に相談しなかったのも業腹だが、そいつにはすぐ話した。夜の、あの時間帯に、だ。用事があったのはお前の方だから、相手を呼び出した、もしくは相手の自宅に訪問した訳だ」
わぁー課長、ほんの少しの情報でよくそんな事が分かりますねー。仕事の出来る人って頭の回転も違うんだー。すごーい。
指摘されまくって、思わず遠い目をしてしまう。最後の方は違うけどね。いつも割と一方的に呼び出されているんだよー、と言えたらどんなにいいか。
「言葉を濁すから、おそらく相手は男。急な依頼にも対応してくれるような、親しい相手。それがただの知り合いである訳がないだろう」
物々交換相手って言ったら、また説明する事が多くなるし、下手すれば狂人扱いになるから言わないだけなんだよ。
「基本的にお前は嘘を言わない素直な性格だ。だが、嘘をついてでも隠す相手だということにもなる。……何か言うことはあるか?」
「……個人的な事なので、できればそっとしてほしいです」
説明できないからそう言ったんだけど、言い方が悪かったんだと思う。課長の声が険を帯びた。
「──所詮上司と部下だから俺には関係ない、口を出すなと言う事か」
「いや、そうじゃなくて」
本当はそれもそうだけど、今まで考えたことなかったので、いきなり彼氏面というか、親密な態度を取られても困惑するというか……。
さっき言われた「恋人がいるのか?」だって、「いるなら彼氏とヤってるよな?」って脳内変換する人にとってはセクハラな台詞だ。まあ、イケメンから言われたら「この人私に気があるのかも」ってなるかもしれないけどさ。
さっき課長に手を舐められたけど、完全なセクハラだし。
同意なく体に不用意に触られたら、相手が顔見知りだろうと、知らなかろうと、若かろうとおっさんだろうと、痴漢は痴漢、セクハラはセクハラだよね?(イケメンは除く)はないでしょ。
それに……言葉の剛速球をぶち当てることになるので口には出さないけど、好きって言ったら免罪符になるの?それってストーカーの論理とどう違うの?
「告白された経験がなくて、びっくりして考えられない方が強いんです。距離感を大事にしたいというか……こ、恋人同士じゃないから、もう少し離れてもらえるとありがたいです。いろんな意味で」
何かつけているのか、課長の体はいい匂いがするけど、この密着加減は落ち着かない。……それともアレだろうか。背中はぞくぞくするのは不快だというのじゃなくて、この怒気に体が反応しているだけなんだろうか。
彼氏はいたけど友達付き合いの延長だったんで、深い仲になったことはなかったし、体を使って口説かれるような経験もない。触られても嫌じゃなかったけど……って、これ、ドラマとかで気にもしていなかった相手に突然告白されて「告白されて分かったの。私もあなたの事が好き」なんて突然自覚する、頭軽すぎの感じの子になってる?前轍を思いっきり踏みまくり?
「顔が赤い。……そうか、照れているだけか」
「ちが……」
微妙にうれしそうな声がしたので、否定しようとして上を向いたら、そのまま後ろにひっくり返りそうな感覚に陥った。……って、これ!まずい!
「離して、早く!」
なんでこのタイミングなの?一人でいる時しかなったことな……くもないか。広田に追いかけられた時もそうだったけど、追い詰められていると判断したんだろうか?
ある意味、逃げ出したいと思っていたけど、これだと元凶も巻き込むでしょうが!
突き飛ばそうとしたけど、しっかり握られている左手を外すのは無理だった。ついでに顔にかかっている手も外れない。いきなり叫んだことで驚いてはいるけど、余計に力を入れるってどういうこと。
いつものめまいが私を襲う。──課長の手の感触を残したまま。
向こうに着いたら、どうか一人でありますように。
どこかに引っ張られる感覚に身を任されながら、そう、心の底から願った。
「ぼーっとするな、召喚獣!……と、その後ろのは何だ。まあ、いい。シスルを後ろに下げるからお前たちは援護しろ!……シスルを頼むぞ」
援護の命令は王子の護衛?の騎士たちに、最後の方は私の方を向いて言い捨てると、王子は黒い大きな塊に向かって走って行った。よく見ればその黒い塊は、馬鹿に大きくてにょろりと長い。
土から飛び出してきたそれの頭を、王子が一撃で切り飛ばした。湿った体液をまき散らしながら巨体が崩れ落ちる。
敵……というか、魔物はそれ一匹だけではなかったようだけど、人よりも同族の体の方が美味しそうに見えたのか、次々とその長いものに群がっていく。
くぱっと口を開けたその中が赤い。細かいけど上下にずらりと並んだ歯は、小さいけど鋭くて、尚且つびっしりと上下に生えている。
王子と騎士たちは食欲優先で群がる魔物に、好機とばかりに槍で頭の辺りを突き刺し、叩き切り、魔法を使っているのか時折炎の柱が登る。
あの黒いの、なんだか私の身長よりも大きなミミズみたいに見えたけど……うん、見なかったことにしよう。
王子に言われてた事が気になって恐る恐る後ろを振り返ると、王子達がミミズもどきを次々と始末している様子を、茫然と眺める課長がいた。
うわぁ、やっぱり巻き込んじゃった!って思ったけど今は緊急事態だし、説明求められても困るのでとりあえず放置。
私のすぐ近くに背嚢っていうか、リュックが落ちていたので拾う。
そして……そのすぐ近くに血と泥に汚れたシスルが倒れていた。
「シスル!どうしたの!」
「不覚を取りました」
倒れたまま、弱々しい笑みを浮かべるシスル。その時初めて気が付いた。
右手の肘から先が──無い。
血がかなり流れたんだろう、顔色も青を通り越して白い。体温が下がって来ているみたいで、体も震えている。
「……後ろの方はどなたですか?」
意識も朦朧としているだろうに、声だけはすごく平静にそんなことを口にするシスルに、私もなんて言ったらいいのか分からなくて、短く伝えた。
「私の上司、高山課長。……課長、ネクタイください」
振り返った課長が、今度はシスルの怪我の酷さに愕然とした表情をするのを目の端に入れながら、ネクタイをはずしてもらって素早くシスルの手を縛って止血した。
「課長、見張っててください。あれがこっちに来そうになったら声をかけて下さいね」
人間、有無を言わさず命令されると頷いてしまうものらしい。ショックが大きいのか、蒼白の顔をしたまま頷く課長。
「手はどこ。探してくるから」
作るのを手伝ったから、回復の魔符があるのは知っている。それを使えばくっつく筈。そう思って聞いたのだけど……。
「……ありません。喰われました」
その返答に、一瞬気が遠くなりかける。
喰われたってなにに。
聞かなくても分かる問いが、頭をよぎる。
なにって、後ろのあれに決まってるじゃない。
魔物からすると、魔力が強いものほど美味そうに見えると何度か教えられた。魔力なんてものは感じられないけど、私が極上の餌に見えることも。
シスルは魔導師だ。私程じゃないのかもしれないけど、当然他の……王子よりは魔力が強い筈だ。あのミミズもどき、一見して目がなさそうなあれが、魔力が強い物を真っ先に狙ったとしてもおかしくはない。
「じゃあ、回復用の魔符はどこ?」
「懐の中にあります。すみません、多分左手も折れているので、出していただいてもいいですか」
「分かった」
魔符があれば、魔力があっても魔法を使えない私でも何とかなる筈だ。
お師匠さんに聞いた発動の仕方は、使用の意志と同時に魔力を込めること。魔力なんてどうやって込めたらいいか分からないけど、怪我人にやらせるよりはずっといい。
魔符は、魔法を簡易化させるけど、発動時に使用した人間の魔力を奪うと聞いたから。
痛くならないように気をつけて、シスルの懐に手を入れて魔符の束を探り当てた。
見れば用途が分かる。でも、「増幅」、「韋駄天」、「怪力」と、今の状況にはそぐわないものばかりだ。
「こっちに一匹来る!」
高山課長の警告が飛んだ。振り返ると、課長の肩越しに王子の焦ったような顔が見える。こちらへ走ろうとしているみたいだったけど、数メートルの距離が凄く遠い。
攻撃用の魔符を探す暇もなかった。
水の上でも滑るように黒い巨体が一瞬で距離を詰めると、攻撃の前動作……頭を鞭のように逸らせるのが目に映る。赤い口、鋭い牙、生臭いにおい。
見えるもの、感じるものはそれだけ。
──ああ、死んだな。
そう思った時、緑色の光が視界を焼いた。
 




