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「確かに私は広田君とは同期で、研修と新人教育のグループも同じだったから、知っている範囲のことを教えてあげる。なぜ他言無用なのか、その理由もね」
苦いものでも飲みこんだかのような顔をして、芳賀さんはゆっくり話し始めた。
「水野さんが入社してきた時と大きくは変わってないと思うけど、研修で電話の取り方や受け答え、お辞儀の仕方のレクチャーなんかは、同期全員でやるでしょ」
新入社員はすぐに使いものになるわけじゃないので、研修の後、一時的にどこかの部署にまとめて入れられて雑用をやらされたり、簡単な仕事を割り振られたりする。その仕事の出来具合で、自分の希望部署に所属が決まったり、仕事の勘が良さそうだとなれば上から引っ張られる場合もあるし、逆に誰でもできる仕事のある部署に回される。
私も研修の時は同期全員で電話の応対、お辞儀の仕方、敬語の使い方、来客対応とかを勉強した。
「その時に、あいつ、めぼしい女の子全員に声をかけていたのよ。一人の子が断れば『じゃあ二人目さん、俺と付き合わない?』みたいに、皆が見ている前で。で、一気に有名になったの。空気読めない盛りのついた馬鹿って」
それは……なんとも痛々しいヒトだな。
全員ってことは、付き合ってくれる女の人なら誰でもいいってことでしょう?はっきり言って喧嘩売られているようなものだと思うし、その当時から気持ち悪かったんだね、広田って。最早「さん」もつけたくないよ。
私の同期の一人は研修中に、
「こんなの私の仕事じゃありません」
と言って家に帰ってしまい、そのまま退職したという強者がいたし、試用期間中にも、残業を命令されたら拒否して帰ってしまった挙句に本人の母親から「辞めさせます」なんて連絡が入った人がいた。
さらには「自宅から通いたいから、本社以外の営業所に配属になったら辞めます」って明言して、採用が本社にならなかったら本当に辞めた人がいたので、私の代は稀にみる不作の年と言われたものだったけど(困ったチャンが多かったとも言う)そちらの時代もなかなかどうしてですね。
「ここは仕事をする場所で合コンの場所じゃないんだから、ちゃんと研修を受けなよって言って、その年の同期はもう誰も相手しなかったんだけど、新入社員が毎年入ってくるわけじゃない。大勢の前で誘ったから恥ずかしくて断ったんだ。じゃあ、誰もいないところで誘えばきっと頷くはずって変に学習したらしくて、次の年は一人一人に直接アタックしていったみたい」
「……引っ掛かった人がいたんですね?」
緘口令を敷くのならそう言う事だ。もし私が引っ掛かったなら、黒歴史は葬りさりたいし、なるべく本人の顔を見たくない。
芳賀さんは重々しく頷いた。
「そうなの。多分他にも被害者はいると思うけど、うちの課の山野さんが……ね」
「それは……お気の毒です」
はきはきとしている山野さんは、ちょっときついところもあるけど仕事のできる人だ。
何もあんなのと付き合わなくたっていいと思うんだけど、こればっかりは好みの問題だもんね。だめんず好き……というか、そういう人に引っかかりやすい人っているから。
「積極的に出られたことのない子が好き好き言われていると、結構そう思いこんじゃう事が多いみたいよ。意識していない相手に、好きって言われたらびっくりするでしょう?」
ある意味、サブリミナルな感じ?
「口説き方で分かると思うけど、広田は基本的に自己中心的で頭が悪いから、だいたい半年持たないで振られるみたい。恋人同士になっても他の人を普通に口説いているのを見たことあるし、二股もしていると思うわ。私もアレと恋人になる前に気が付いたら、貴重な二十代の数ヶ月を無駄にしないように忠告もするけど……恋愛で盛り上がっている時に、恋人になった人の悪い噂を聞いたら、どう思う?」
「……本当に好きだったら、恋人の方を信じると思います」
それに、忠告してくれた人との関係があまり良くなかったら、変な勘ぐりもするかもしれない。
「この人、私と恋人の仲を引き裂こうとしている?もしかしたら横恋慕?」
みたいに。
私がそう言うと、うん、と芳賀さんも頷いた。
「山野さんがそうだったのよ。気が付いてすぐに忠告したんだけどね。その頃にはすっかり出来上がってて、取りつく島もなかった。私もわざわざ自分が悪者になってまで別れさせるのも馬鹿らしかったし、もういい年をした大人のすることでもある。自分の行動は自分で責任取って貰おうと思って、その後は放置したの」
数か月後に、案の定二人は大喧嘩の末に別れたけど、その間、敵認定された芳賀さんは色々山野さんに嫌がらせをされたらしい。
山野さんと仲の良い同僚の二人と一緒に、お土産のお裾分けが芳賀さんの分だけなかったり、嫌味を言われたりという地味な感じの嫌がらせ。
「うわー。山野さんも、芳賀さんの方が先輩なのに、よくやりましたね、そんなこと」
芳賀さんは二十六歳、山野さんは……二十三歳だったかな?同い年だけど学年は一つ上だったはず。三年離れていると仕事の面でも頼ることがあったでしょうに。
「まあねぇ。こちらは一人、相手は年下ばかりとはいえ三人だったから、強気に出られたのかもしれないなと今では思うよ」
山野さんと仲の良い同僚と言えば、私の知る限りではこの間電話当番が一緒だったはずの松田さんだけど、あと一人って誰だろう?
「嫌がらせに私が堪えないものだから、周りの方がヒートアップしちゃって。今はもういないんだけど、得意先からの問い合わせの伝言を握り潰したり、書類を隠したりした子がいたの。最後には、雑巾のしぼり汁を私のお茶に入れている所を目撃して……現行犯でしょ?地味な嫌がらせでも周りにはぎすぎすしていた空気が漂っていたから、課長の知るところになって、事情聴取。最終的にその子が率先して嫌がらせをしていたことが分かって、やったことの内容も悪質だし、閑職へ移動する事になったけど、その前に本人が捨て台詞を吐いて辞めて行ったんだけどね」
山野さんと松田さんは、辞めて行ったその人から芳賀さんの悪口を散々吹き込まれていたので、言う事を信じちゃったんだけど、広田さんの本性が分かった辺りで謝罪をされたらしい。
「謝られても本人の意思で嫌がらせしたのは本当のことだし、もう関わり合いたくなかったんで、今は仕事の話以外はしない仲になったのよ」
言われてみれば、仕事以外の話をしているのって見たことがないかもしれない。電話当番は確か、どちらとも組んでいないはずだ。
「……話がずれたわね。それで、アレのことだけど……もう手当たり次第だったからはっきり言って好みもないも同然みたいだけど、一応、振られたら引く程度の頭はあるみたい。だから、恋人がいることにすれば引くとは思うけど……」
言葉を濁すような感じだったので視線で先を促すと、芳賀さんは肩をすくめた。
「同じ様に、嫌われているって自覚すると、空気読めない割にはちゃんと諦めていたから、ちょっと粘着っぽいのが気になったの」
本当のモテ男君はいくらでも寄ってくるので、女は他にもいるよと引き際がいいらしいけど、そんな所だけは同じなのか。
……あー、課長は広田の顔を見て、また同じようなことになるかもしれないって思ったから、あんなに唐突に悩みはないかって聞いて来たのかな?
仕事の効率に、人間関係の良し悪しって本当に影響するから、また同じ騒ぎになったら堪らないだろうしね。
でもね。うちの会社ってある程度コンプライアンスの規則があって、課長職の人に人間関係とかの相談をすると、上への報告義務が発生するんだよ。ある程度把握しておいて、大事にならないうちに調査するって言うのが目的なんだけどね。特にセクハラなんかの、多くの人が被害に遭いそうな事案の場合、早めに警告するわけ。
だから課長には相談しなかったんだけど、微妙に見抜かれてたのか。
私は一つため息を付いた。




