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08.お迎えが来ました。

「せっちゃん。明さんが遅いですね?」


 現在、狩りから戻ってきたせっちゃんは、私の膝の上でお昼寝中です。なので、当然のごとくお返事はありません。

 せっちゃんの言葉は私にはわかりませんが、私の言葉はしっかり理解しているみたいなんです。だから、こうして話し掛ければ、聞いている時なら鳴き声でお返事があります。


 子供なためか。それとも種族的特徴なのか。せっちゃんはよく眠ります。たぶん一日の三分の二は睡眠時間です。そして、残りの三分の一の大部分が狩りの時間で消費されています。本当に、淋しいくらい手の掛からない子です。

 ナデナデと撫でると、気持ちが良いらしくせっちゃんの喉がグルグルと鳴りました。


「今日は遅いですよね? 何かあったんでしょうか……」


 お腹が空いたから気になる、というわけではないですよ。確かに、そろそろ三時のおやつの時間になるくらいですから昼食には遅いですけど、この部屋には私が間食できる食べ物がしっかりと常備されています。

 本当に至れり尽くせりですよね~。先程、少し摘みましたから今は腹五分目くらいです。


 ここには肉食のわりに果物も好んで食べるせっちゃんのためのおやつとして、いつでも与えられるように果物も常に数種類あります。

 飲み水も瓶詰されたものが幾本も置かれていますし、果実水も同じくらい置いてあります。ちなみに蛇口から出る水は飲んでも害はないそうですが、吐き気がするほど不味いので飲むのは止めた方が良いと明さんに言われました。

 ここに来た初日の、飲まないという選択は正解だったみたいです。


 そんなわけで、一食と言わず数日くらい明さんが食事を運んでこなくても飢え死にすることは無いのですが――ずっと規則正しくご飯を持ってきてくれていた明さんが来ないというのは変な気分です。

 何か来られない用事があったのなら、先に教えてくれたらよかったんです。別に私は気にしませんよ。明さんには明さんの生活があるんですから。

 実の所、明さんが外で何をしているのか知りませんけど。というか、私は明さんのことほとんどなんにも知りませんね。本人が話さなかったということもありますけど、私も訊きませんでしたから当然の結果ですが。話す気がない以上、他人様のプライベートを詮索するのも良くないです。私はお世話になっている身ですし。

 でも、そんな正体不明な明さんだとしても大丈夫だと思えるんですよね、不思議なことに。


 じいっと開かない扉を見つめても、何も変化はありません。

 頑丈な扉には見えないですし、壊すつもりで蹴り飛ばせば開きますかね?

 ふと、そんな考えが頭に浮かびました。でも……。


 ……私ごときの非力な蹴りでは無理ですね。


 すぐにその考えを打ち消します。

 自分の足が痛くなるだけの蹴り損ですよね~。

 思わず口からため息が零れました。


 もう少し身体を鍛えておくべきでした。この場合、役に立ちそうなスポーツは――空手ですか?

 うん、無理ですね。人間諦めが肝心な時もあります。


「私、完全にお荷物ですよね。何もできていません」


 当初のせっちゃんの面倒を見るというのは、実際には仕事にもなっていないです。だって、この子は本当に手の掛からない子ですから。

 なので、給金だと言われて渡されたお金も明さんに突き返しました。生活費すべてを持ってもらっているのに、まともに仕事らしい仕事もできないでお金はもらえません。

 明さんは渋りましたけどね。私の我の方が勝ちました。


 明さんには私のお勉強にも時間を割いてもらっているんです。

 私の世界の常識とこの世界の常識は色々違うということは、疑問に思ったことを明さんに確認したり、持ち込まれた本を読んだりして理解しました。特にここは人外の者の生活圏なので、その常識の違いが大きいことも。街々でそれらが異なることも。

 ですが、それも人間の生活圏ならば、日本の常識とさほどの違いは無いように感じました。あちらは街々で常識が異なることもなく、生活圏全体で統一されているそうです。


 私が知っているこの世界のことは、まだまだほんの一部です。けれど、私はこの二週間ほどで、この世界でも生きていける必要最低限のことは学んだ気がします。共通語だけでも読み書きは可能なので、言葉の心配はさほどありません。


 だから、なんとかなると私は思うんですよ。


 ここは日本よりも物騒な世界かもしれません。人を襲う人外の者もいると聞きました。でも、平和と言われた日本ですら、毎日のように人が死んでいるんです。人が人を殺したり、不慮の事故だったり、自殺だったり。死は常に隣合わせだと言っても過言ではありません。

 気をつけるべきことは、世界が変わろうと違わないと思うんですよ。


「明さんは見掛けによらず過保護で心配性で、何より――お人好しです」


 独り立ちしてどこかで働いてお給金をもらったら、絶対にここで掛かった私の生活費を返さなくてはいけませんね。

 私はあの時、偶然明さんの腹の上に現れた、なんの関わりもなかった人間なんですから。ここまでしていただくいわれなど、本来なら微塵もなかったんです。


 身一つで現れた私は当然、衣服の着替えなんかも持っていませんでした。それがわかった明さんは、私の衣服まで買ってきてくれたんですよ。下着まで……。

 確かに無いと困るものですから、これは必需品を買ってきてくれたってことですよね。それはわかっています。下着はしっかり見えないように紙袋に入っていましたよ。


 中身を確認した後、思わず変態を見るような疑いの眼差しで明さんを見てしまいましたけど、そうしたら慌てた様子で言い訳されていましたね。すべて店員さんに見繕ってもらったから、中身には全然関与してないとかなんとか。

 でも、そのわりには下着のサイズがピッタリでした。どうしてでしょうね? まあ、なければ私も困る物でしたから、それ以上の追求はしませんでしたけど。


 ちなみに衣服にはさほどの違いはありません。材質は違うのでしょうが、私が元の世界から着てきた洋服で街中を歩いても違和感はないです。窓から見える人々の衣服は多彩で、スーツやワンピースなどの洋装な方もいれば、着物やアオザイ、サリーなどの民族衣装を身につけている方もいるという、なんでもありな感じです。


 貨幣の数え方に関しても日本円と変わりありません。ただ紙幣は無く、すべて硬貨であることくらい。使い方も同じならば、相場もほとんど変わりありません。

 しかも、それらは世界共通で使えるということなので、元の世界よりもある意味、すっきりと整って楽です。


 だから、仕事と当面の住む場所さえ確保できればなんとでもなるはずなんです。

 それにいつまでもこのままというわけにはいかないですから。もし、明さんが現状のままで良いと言ったとしても、私は私自身が許せないんですよ。


「ああ。おやつの時間ですね」


 黙々とこの二週間ほどで知ったことやあったことを思い出しながら考え込んでいると、膝の上でもぞもぞと動き出したせっちゃんが、小さく鳴き声を上げました。

 必要以上にあまり鳴かないせっちゃんですが、おやつの要求の時だけは毎回必ず鳴くんです。ちょっと遠慮がちに、小さく。


 ということで、扉の近くからソファへとせっちゃんを抱いて移動します。そして、テーブルの上に置かれた籠の中からオレンジを一つ取って皮をむきにかかります。

 柑橘系の果物が特に好みのせっちゃんですが、薄皮まで取って食べる方が好きなようで、私がむきむきと皮をむいている間、せっちゃんは大人しく膝の上で待っています。そして、むき終わった果実を口の傍に持っていくと、私の手がせっちゃんの牙で傷付かないように気をつけながらパクリと食べてくれるんです。


 良い子ですよね、本当に。それにとっても可愛いです。


 そうしてパクパクと食べるせっちゃんに、たぶん締まりがない顔を向けながら給仕をしていると、唐突に扉が開きました。勢い余ってそれが壁に当たりバタンとものすごい音を立てます。


 これはちょっと、御近所迷惑です。


「……どうしたんですか、明さん?」


 給仕の手を止め濡れ布巾で手を拭きながら扉の方を見れば、がっくりと肩を落とし膝に手をついた明さんの姿がありました。

「…………いや、なんでもない。だいぶ遅くなったから、昼飯は食ったかと思ってな」

 もごもごと告げられた言葉に、どう反応して良いか少しだけ迷います。

 手ぶらではありますが、もしかしてそれを心配して急いで来てくれたのでしょうか? それは申し訳なかったと思うべきなのかもしれませんが――。


「私は何もできない子供ではありませんよ?」


 複雑な心境にもなります。

 部屋の中にある食べ物を適当に摘むくらいのことは、子供でもできることです。私はいったい明さんに何歳に見られているんでしょうね?

 私の考えは明さんには駄々漏れです。だからか、こちらを見た明さんが少し気まずそうに私から視線をそらしました。


「おやおや。ここにいるのは、本当にあの明かい?」


 おかしそうな笑いを含んだ声が聞こえてきたと思ったら、明さんの後ろから小柄な女性がひょいと現れました。人型ではありますが、人間ではなさそうです。艶を含んだ白色の髪と地平に沈む太陽のような茜色の瞳をしています。そして、その額には乳白色の小さな角がありました。


 お客さまでしょうか?

 でしたら、ここに来て初めてのお客さまです。


 不躾とは思いましたが、しげしげとその方を見ていると膝の上が軽くなりました。せっちゃんが移動したようで、明さんを追い越して部屋の中に入ってきた女性へと飛んで、というか突進していきます。

 私一人だけ座っているのも微妙ですし、この場所は入口からすると少し奥の方にあります。なので、立ち上がって少し移動しました。


せん。元気そうだな」


 手を差し伸べて慣れた様子で難無くせっちゃんを受け止めた女性は、せっちゃんの頭をかなり豪快にグリグリと撫でくり回しています。浮かべている笑みはとてもやさしいもので、この方がせっちゃんのお母さんだとストンと答えが出ました。

 せっちゃんもいずれ人型になれると聞いていますし、二人の色味も似通っています。

 今更ですが、せっちゃんの名前は泉と言うのですね。

 せっちゃんはお母さんに甘えるようにグリグリ頭を押し付けています。それはとても微笑ましい光景です。でも、そうなると明さんの言葉に疑問がわきます。


 とてもこれは育児放棄した母親の姿だとは思えないのですが――どういうことですか?


 口に出すのも憚られて、心の中で明さんに問い掛けます。

 こういう時って言葉にしなくても考えが伝わるっていうのは便利ですよね。

 けれど、その問いに明さんが答えてくれるよりも早く、せっちゃんのお母さんが教えてくれました。


「お嬢さんが泉の面倒を見てくれていたのか。すまなかったね。私の留守中に、この子の父親が阿呆なことをしでかしてくれてね。元凶はしばらく再起不能なほどシメてやったが――泉はお嬢さんに迷惑をかけなかったかい?」


 その言葉にせっちゃんがお母さんの腕の中で抗議するように小さく鳴きました。ちょっと物騒な言葉が混じっていましたが、聞かなかったことにします。


 それが良識ある大人ってものです。


 明さんが視線でその考えは違うぞって訴えていますけど、夫婦喧嘩は犬も食わないって言うんですよ。だから、これで良いんです。と同じく視線で返しておきました。

 思考駄々漏れですから、そんなことしなくても考えが伝わっているでしょうけど、それはそれ、これはこれです。


「せっちゃんは良い子でしたよ。私の方がお世話になっていたくらいです」


 本当に。せっちゃんの存在があったから、私は外に出られなくても淋しくなかったんです。この現状に耐えられたんです。そうでなければもっと早くに我慢できなくなっていたでしょう。


「お母さんが迎えに来てくれてよかったですね、せっちゃん」


 お迎えが来たということはお別れの時です。淋しいですが、そこは大人です。笑顔で送り出すべきでしょう。

 それなのにせっちゃんはお母さんの腕から飛び出し、私の方へと突撃してきました。


 えぇ~と。その行動は、気持ち的にはうれしいですよ。ただ私にはその突撃を受け止められるほどの腕力も膂力もないんです。どうしましょう。

 ここで避けたら、というか避けられたとしても、それはそれでせっちゃんの心が傷付きそうで困ります。彼女自身はこの勢いでどこかにぶつかっても、見掛けとは裏腹に頑丈なので身体は大丈夫みたいなんですよね~。


 硬直した私の視界を瞬時に何かが遮りました。初めはそれが何かわからなかったんですが、どうやら明さんの背中だったようです。その手には首根っこを掴まれてプランプランと揺れる白毛玉。牙を剥いて抗議の鳴き声を上げるせっちゃんがいました。


 どうやら明さんがせっちゃんの突撃から私を守ってくれたようですが、いつ動いたんでしょうか?

 突然、目の前に壁ができたように見えました。気づけば明さんの背中って……どんな身体能力をしていればそんなことになるんでしょう。


「おまえは自分が衝突した時の、相手が受ける衝撃を自覚しろ。ひ弱なこいつが受けたら確実に怪我をするだろうが」


 眼前にせっちゃんをぶら下げて、真顔でお説教をする明さん。傍から見ると、とっても変です。

 せっちゃんが抗議するように、その言葉に更に鳴き声を上げました。


「はぁ? 寸前で止まる予定だった? あの勢いでできるか。こいつを吹っ飛ばして止まるのがオチだ」


 明さんはせっちゃんの言葉もわかるようです。会話をしているような言葉ですが、私にはせっちゃんがキューキュー鳴いているだけにしか聞こえません。残念です。


「だいたいこんだけひ弱な奴に、あんな勢いで迫る方が間違っている。考えが足りん」


 明さんのお説教はまだまだ続いています。

 でも、せっちゃんはまだ小さいんですよ。考えが足りんって、そこまで言わなくても良いと思うんです。加減はこれから成長するにつれ、自然と身についていくでしょうから。

 明さんの手から逃れようとしてか、ブランブランと激しく揺れるせっちゃんは、更にキューキューと鳴いています。


「なんの権利があるって。こいつは俺の――」


 そこで明さんの言葉が止まりました。なんというか、表情がとっても苦々しいものに変わっています。その言葉の続きは気になりますが、なんとなく訊ねられる雰囲気ではないです。


 それに――。


 明さんの手からようやく逃れることができたせっちゃんは、今度はゆっくりと私の元までたどり着き、手を差し出せばそこにすっぽりと収まりました。その頭をナデナデしながら、私は満面と思われる笑みを顔に浮かべます。


「明さん」


 ただ呼び掛けただけなのになんでしょうね、その反応。


 あからさまに肩が揺れて、恐る恐るといった様子で明さんは私の方を見ます。そして、私の顔を見た瞬間、盛大に顔を引きつらせて視線をそらしました。


「言いたいことは色々あるんですけど――まず、その反応はなんですか。まだ何も言ってないのに、それはないです」


 自分でもいっそう機嫌が降下したのがわかります。


「いや、なんと言うか。機嫌が悪そうだと思って――」

「悪そうじゃなくて、悪いです。私が何を言いたいか、わかりますよね?」


 そこでちらりとこちらを確認した後、また視線を泳がさないでください。

 きっと知らないでしょうけどね。そういう態度こそ、機嫌の悪い私の前でしてはいけない行動なんですよ?




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