Die or Love
様々な性格の女性がいるように、男性もまた千差万別それぞれで個性を持っている。当然だよね。
それは異性に対するアプローチの仕方や、ひいては性癖にだって言えることで、だからこそ相性というものが世間であれこれ取り沙汰され、恋ばなで熱く語られたりもするんだろう。
ただ、勘違いしてはいけないのが、全てのタイプにぴったりとくっつく相性があるわけではないこと。たとえ世界の男女の数が等しくなったとしても、全員がその中で伴侶を得られるわけじゃない。
つまりはそう、おかしな性癖を個性と片付け、あまつさえ相手に同意を求め、しかも応じなければ罵詈雑言と共に何もかもを奪うなど、言語道断だということ。
――死にたくなければ、全てを捧げろ。
人情など欠片も見当たらない、不機嫌で重々しい声はそう言って絶望を与えてくれた。
4年の月日を共に過ごした家が生み出す橙色の炎の熱気で頬に痛みを感じながら、私が首元に剣を当てられたのは、肌寒くも過ごしやすい実りの季節だった。
乾いた空気は瞬く間に木造の一軒家を焼き尽くす。思い出や苦労、何もかもを嘲笑うかのように。
その光景は、3年が経過した今でも目蓋の裏に住みついて消えやしない。小さいながらも花屋として細々と食い繋いでいたせいで、燃え盛る炎は皮肉なことにとても優しい匂いがしていた。煙だってもしかしたら、味気ない灰色じゃなかったかも。あの時期は濃さの豊富な紫の花が多かったから、染まるとしたらその色だっただろう。月のない夜の空じゃ、いくら思い出したところで答えは永遠に出ないけれど。
慰めてくれているのか馬鹿にしているのか分からない火の粉が、チリチリと頬を撫で、そのせいで感じる痛みをいくつか零れた涙が静めようとしてくれる。
なんでこんなことになったのかは、背中の悪魔にも神にだって尋ねなかった。
かつて私は、神住まう国と呼ばれた皇国にて生を受けた。残念ながらその国は、今は亡き歴史書の中の存在となっていて、由緒ある地は欠片も残っていないけど。今現在私に剣を向けている男の血統によって、見事に葬られてしまったから。
――誓え。
何を? 涙を流しながら、私は笑って尋ねた気がする。背後では、その男以外にも武装した集団が、仰々しく警戒を浮かべていた。
人が楽しく晩酌をしていたところに突然押しかけ、抵抗する間もなく外へ引きずり出し、呆然としているところで家に火を点けた輩へ、一体何を誓えと言うのか。
男は剣を下げ、首を支点に腕一本で私の身体を持ち上げる。当然掴んでくる手には力が込められるから、酸欠に苦しむ羽目になるんだけど、対面した相手はそんなこと一切お構いなしだった。
――決まりきったこと。
顔や腕など、褐色の肌には黒い刺青が至る所に刻まれ、家が作る炎より強い紅髪に飾られたたくさんの装飾品が、動くたびに透き通った音を奏でる。獣を宿す黄金の瞳の中の私は、呼吸をしたいが為に絶望していた時より多くの涙を流していた。
――死にたくはないだろう?
嗚呼、この時の男の顔は秀逸だった。
私が苦しみながらも馬鹿にして笑うと、髪と同じ紅い眉が限界まで近付き皺を作って怪訝さを表す。どれだけ一生そのまま戻らなくなってしまえと願ったことか。毎朝――毎晩でも良いけど――その皺の間をせっせと手入れする様を想像するだけで、大瓶の酒3本は軽くいけるね。
――さすが、神住まう国と謳わせるほどの血は高潔ということか。
言葉は感心していても、私が高潔ならば高貴な男の血は沸騰していたらしく、首の絞まりは一層良くなっていた気がする。背後で止めに入る誰かが居たようにも思うけど、私が自由な呼吸を取り戻せたのは、ほとんど意識を失ってからだ。
そう、男が後悔した瞬間。それが私の戦いの始まりでもあった。
――これが、皇族のちから……。
そこからはもう、本来ならば抵抗どころか自由の利かないはずの私のターンで、見事な阿鼻叫喚の図が出来上がり。
今だからこそ思う。あの時にあの男を殺し損ねたことが心から悔やまれる!
治めていた人たちの誰よりも濃い血を受け継ぎ、さらには現在、皇族唯一の生き残りでもあるのがこの私。生まれたのは、噂の皇国が滅ぶほんの一月ほど前らしい。いわゆる、なんだっけ? 亡国の姫君的な存在だったんだよね。
無論、自分の身の上は10歳ぐらいで知っていたし、バレれば一大事っていう理不尽ながらも変えられない運命だって、一応ながら受け入れていた。
とはいえ、だからどうしたというのが、私の見解だったのも事実。だって、元お姫様だったとしてもその期間はたったの一ヶ月だった上、街に出るまでの14年間は、それはもう素晴らしく野生児をしてたし。リアルに森の中で暮らしてたからね。
それに、私が皇族の者だと仮に名乗り出たところで、国を再建したいと願う人はこの世界に誰一人いないと思う。自分にこうしてふりかかったように、それは争いの火種にしかならないから。
「私は死ねないし、かといってあんたみたいな野蛮人に降るつもりもない! ふざけんな、この放火魔!」
満身創痍な男は、それでもそう叫んだ私を見て獣さを微塵も弱めず、怪しげに笑う。苦しめられたお返しに喉を引き裂いてやったから声を出せてはいなかったけれど、確かにアイツは言っていた。
――絶対に逃がさない。
かくして、私の世界を舞台にした盛大な逃走劇が始まった。
着の身着のままという最悪な状況に加え、各国への影響力が半端ない大国の王太子を殺そうとした反逆者という仰々しいレッテルを背中に、私は旅立ちを余儀なくされる。
でも、残念でした。ブランクはあれど、14年で培った野生力は並々ならぬものがあるんです。
「お前に虫が食えるかっての!」
――おじ……、……て……。
「いくら獣みたいな目ぇしてても、歳食った本物の獣と意思疎通図れたりしないくせに!」
――おじょー、お……てっ……ば。
「次会ったら絶対殺す!」
「お嬢、起きてってば。まぁた、あの馬鹿王子の夢ぇ?」
「…………ふぇ?」
そうして過去を振り返り、絶対に薄れることのない怒りと覚悟を胸に強く拳を掲げていたつもりが、どうやら自分の世界から無理やりひき戻されたらしい。なるほど、夢を見ていたようだ。
目を開ければ、眩しい朝日ではなく綺麗な海色が飛び込んでくる。
「決意新たには良いけど、不吉っていうか、フラグっていうか? あんまり良い感じしないねー」
間延びした声は、すごく二度寝の誘惑を援護するけど、それこそ不吉な言葉のせいで一瞬にして目が覚めた。
するとゆっくり視界を占領してくるのが、たゆんたゆんな感触。見るだけでもう触った気になる柔らかさ。脂肪のくせに生意気すぎる。
「てなわけで、おはようのハグ」
「間に合ってます」
間一髪で避けると、それはそれは何食ったらそんなプロポーションになるんだって身体をした何から何まで完璧な海を宿す絶世美女が、地面に突っ伏して悲しそうに泣くけど気にしない。
近くの川で顔を洗い、気持ち寝癖を整えてから移動の用意をさっさと済ませる。
「ほらもー、いつまで泣いてんのさ」
「情熱的なキスして愛を囁いてくれるまで」
「……気が済んだら追いついてきなよ」
旅は道連れ世は情け。そんな言葉も今じゃ後悔しか作らない。一週間前から入った深い森を抜ければ、久しぶりに大きな街に着くんだから、毎度のお遊びに付き合ってもいらんないし。
絶望の夜から3年の月日が流れ、私ももう結婚だってして当然な女として、立派な旅人へと成長してる。その間であの残念な相棒にも巡り合い、今の所自由を失わずに済んでいるけれど……。
「終わりが見えないのもまた事実なり」
久しぶりにはっきりと、詳しい夢を見たせいで憂鬱だ。止せば良いのに、今までの苦労が現実で思い出されてしまう。
「どこの国に行っても軍、軍、軍との鬼ごっこ。気がつけば賞金首にまでなりーの、付いたあだ名は数知れず」
「でも、お嬢にぴったりなのは、なんといってもレギンレイブだよねー」
いつの間に追いついたのか、隣で果実を齧りながら笑われ、ムカつくままに後ろでまとめられた長い髪の尻尾を引っ張る。
この残念な奴が水人族だと気付いたのは、私の秘密をそれはもう見事に知られてしまった後で、名前を教えることができない種族的な制約があるからと、勝手にレネスと呼ぶようになったのはいつ頃からか。
レネスは私が皇族と知っても、売り飛ばさないどころか仲間になりたいと言ってきた変人だ。一人旅を延々と続けていた私にとって、その申し出は本当に嬉しいものだった。相手が水人族と知るまでの短い間だけだったけれど。
「神々の娘ってのも言い得て妙っていうか、まさしくっていうかー」
「うっさい。私にとっては、神もあの男も大して変わんないわ」
ぼやいたところで頭の緩い奴は楽しそうに笑うだけ。溜息だってとっくに枯れきったわ。
私たち人間が暮らす世界はまるで、スープ皿のようなもの。おわんでも水槽でも構わないけど、とにかく、暇を持て余す神様たちの良い暇つぶしでしかない。短い生を必死にもがく様を眺め、気まぐれに干渉してくる迷惑な存在の何を敬えというのか。
「それは否定しないけどー。それでもお嬢は、人間でありながら神にもなれる唯一だから仕方ないよ」
「……死ねるのならとっくにそうしてる」
「お嬢が生きててくれて良かったー」
レネスのあっさりした声はいつだって歌ってるみたいで、ホッとする自分がいて悔しい。
頬を膨らますと長い爪でぷすっとやられ、気の抜けた音が出てしまう。能天気な詐欺師め。私は騙されないからな。
「ほーら、そろそろ外だよ。機嫌直して?」
森特有の薄暗さは光の中に溶けていき、木々の間隔が広くなり始めた頃、むくれる私にレネスが指し示した先では、一つ一つは小指の爪ほどの小さな花が咲き乱れる風景が広がっていた。
思わず感嘆の吐息が漏れると「単純だねぇ」そう茶化してくるが、あまりに綺麗な様子に蹴り一発で見逃してやる。
ほんと、神様も人間に構うぐらいなら、こういったものを愛でればいいのに。その方がずっと、何倍も楽しい。
「あー……、でも残念。夢はお告げみたいだったねぇ」
「ま、さ、か……? え、まじで!?」
「この鼻の凄さは、お嬢が一番知ってるでしょー?」
けれど、レネスは天国から地獄へ、わざとかと思えるぐらいあっさり落としてくれた。背中に嫌な汗が流れ始め、足は来た道を戻ろうとする。
「そんなことしたら森、焼かれるよー?」すぐに首根っこ掴まれたけど。
「そこまでしないと言えないのが腹立つ!」
「あははー。なにせあの馬鹿王子、現世の破壊神だからねぇ」
笑い事じゃ片付けられないような現実を平然と笑う豪胆さは、さすがと言うべきか。頭のネジが一本あれば奇跡だと思うレネスだけれど、その正体は多くの人間を闇に葬ってきた暗殺王。私なんかが足元にも及ばない極悪人だ。一体どれだけの人が、この馬鹿の毒牙にかかったことやら。
ま、今は他人にかまけていられませんけどね!
半ば引きずられながら森の出口にさしかかると、広がったのは花畑だけじゃない。私の頭の中は現実逃避を望んでそうなりかけてるけどもね。確実にこちらを待ち構え、ゆうに100を超える兵士が並んでる。
風にはためくのは真紅の旗。剣を咥えた獅子がこちらを威嚇する。
「久しぶりだな、ワルキューレ」
「残念ながら、まだ2ヶ月しか経ってません。そんでもって人を一族名で呼ぶなって何回言わせる!」
「だったらいい加減、名を教えろ」
「あんたが燃やした花屋の隣人にでも聞け!」
「それは偽名だと、前に言っていただろう? この私にそんな名を呼ばせるなど、下らない真似をするな」
「むっきー!」
あまりの傍若無人さに、思わず感情を声にしてしまった。地団駄のオプション付きで。
そんな私を背後から包みこんだのがレネスだ。途端、大勢を従える諸悪の根源が凄い形相で睨む。二人の対峙も、もう何度目だろう。
ていうか、王子のくせしてあいつ、絶対自国の為になること微塵もしてない。現在地がどれだけ離れているか、分かってるの?
「お久しぶりー、馬鹿王子」
「今すぐワルキューレから離れろ」
「えー? それは無理なお願いかなー」
「そうだよ離して! 今から私、あの糞野郎ぶっ殺すんだから!」
顔の横で揺れる手のひら。でも、この場で誰よりも殺気を出しているのがレネスだったりする。あっつい面の皮を破れる奴はこの世に存在するんだろうか。
自分の仕事を思い出し、すぐにでも行動に移れるよう意識の表層から沈もうとしたのに、レネスは身体を手のひら同様左右に動かしその邪魔をする。顎に頭突きをかまして拘束から抜け出ようとするも、あっさりと押さえ込まれてしまった。
「レネスー!」
「だって今離すと、お嬢暴れるじゃん」
「当たり前! 今日こそあれを地獄に返して、私の平穏を取り戻す」
「だからー、無理だって。仮に殺せても、同じようなのはいくらでも湧いてくるよ? お嬢がワルキューレである限り」
「そんなの――!」
……そんなの分かってる。レネスは意気消沈した私の頭を撫でながら、いくらか破壊神と会話していた。でも、内容を把握する元気もそがれた。
ワルキューレ。それが私に流れる血につけられた名前だ。器の中に存在するこの世界を持つ神の力を、対価によって一時的に借りることが出来る能力を持った一族。だから皇族が治めていた国は、神住まう国と言われていた。
滅ぼされたのは、その力を欲して無様に拒絶された腹いせらしいけれど、当事者なくせして部外者だった私に真実は微笑まない。分かるのは、その能力があるからこうして狙われ続けるということだけ。
自分でいうのもあれだけど、この身を依りしろに振るえる力は本当にすさまじい。破壊神との騒動で被害を被った村や街は数知れず。
それでもぶっちゃけると、幼いながらに自分の価値を理解し、こんな未来を回避しようと自害を決意したこともある。
国が崩壊した当時、生後一ヶ月という生まれたばかりな私が逃げた森で生き延びられたのは、ワルキューレだからこそ神が使わしてくれた神使の存在があったからだけど、今じゃもうそいつも含め神だってクソくらえだ。
だって、自分の心臓に刃を突き刺した私に、親代わりな神使は言った。
――ざんねーん。神がさ、世界に干渉するには、ワルキューレの存在が不可欠なんだよ。んでもって、お前はその決意をするのが遅かった。現世にただ一人残ったワルキューレを失う事はできないというのが、神の総意だそうだ。
つまり、私は流れに乗り遅れたらしい。一週間早ければ死なせてやれたと、ばばあは腹を抱えて笑いながら教えてくれたけど、私はもう泣くこともできなかったね。
だってどう考えても呪いだよ。軽い口調で子供でも生めばなんとかなるんじゃない? とかいわれたけど、こんな苦労が待っているのが決定していて、それを押し付けたい親がどこにいるってんだ。
「ああああぁ……、どうしよう。どうしたらいい? この晴らすに晴らせない恨み辛み」
「お嬢?」
「一回ぐらい、本気出して大暴れしても良いと思うんだわ。とりあえず目の前のを殺して、後のことはそれから考えても同じなんじゃないかなあ」
9割本気な呟きを耳に入れた後のレネスは早かった。弾力たっぷりの胸を人の肩に乗せると、その身体が淡く光りだす。
「大地が吹き飛ぶからやめて!」その叫び声たるや、まるで私が爆弾みたいじゃないか。破壊神が攻撃態勢に入っても全く気にしていない。
「ここで死ぬか、私と添い遂げるか!」
「これ以上お嬢刺激すんじゃねーよ! 頭が足りないだけじゃなく、相変わらず空気よめねー馬鹿だなてめぇは!」
「殺せるなら殺してみろって、かかってこいよ!」
湾曲した無駄にキラキラする剣を向け叫ぶ破壊神に、背中からは高い歌声が一変、甘いアルトが下品な言葉を響かせる。肩の柔らかさは消え、お腹に回された腕はとても逞しい。
水人族は生涯一人の相手しか愛さず、その者に合わせ自身の性別を決めるという不思議な特徴を持っている。それまではどっちにもなれ、名前を教えるのは愛し人だけ。まあ、レネスの秘密はまだあるんだけど。
喧嘩を真正面から買う私を、男形態レネスが優しさの欠片もない動作で肩に担ぎ、儚い花畑は戦場へと変わる。
神下ろしの対価の重さも分からない奴に、私の気持ちが分かってたまるか。時を奪われるその苦しみを理解してくれる人なんて、それこそ人の枠組みから外れてしまった者達だけ。
「愛してると言っているだろう、ワルキューレ!」
「死ね!」
「激しく同意!」
終わりの見えない鬼ごっこ。死か愛を選べって?
冗談じゃない。私は自由以外望まない。
……世界を掌握すれば、少しは自由に近付けたりして。
やれそうな気がするなあ。だって私は、戦乙女の名を血に流しているんだから。
破壊神(馬鹿王子)は遠征という名目でお嬢の捜索をしており、道中でその国に害をなす盗賊を討伐したりと、王子様してちゃっかり他国に恩を売り民衆の支持を得ています。
お嬢とレネスには破壊神と呼ばれてますが、王子は原因なだけなので、結局悪名をはせるのは……。
がんばれお嬢!
てなわけで、楽しく書けた短編でした。