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新しい朝  作者: 馬河童
2/5

その2

 部署内への発表はまだ先送りにされた。私は『課長』の机に座ったものの、仕事に打ち込む気分にはなれない。加藤一人がいつまでも浮ついた表情で、陽気に周りの部下に冗談を飛ばしている。そんな光景を見ているだけで怒りは沸点に近付き、仕事どころではなくなりそうだ。だが加藤を怒ろうにも、私が辞めさせられて彼が次期課長になると決まっていては、何の効力もないことは目に見えている。何をしようとしても気力は減退するばかりなので、ついには医務室へ行き、早退の手続きを取って会社を出た。


「ふうーっ……」

 会社を早退したものの行くあてもなく、ただため息をついてブラブラするくらいしか思いつかない。家に帰って妻に報告するのもまだ気乗りがしないし、足は自然と繁華街の方へ向かっていた。

「何だ、まだ1時か……」

 繁華街に辿り着いてまず腕時計を覗き込むと、まだお昼を少し過ぎたばかりだった。空腹感を覚えていたので、とりあえずラーメンでも食べようと旨そうな店を探す。あちこちの店が湯気を発生させており、客を引き込もうとしている。それにつられて入る連中も多々見受けられた。

 そんな中、1人の占い師が目に止まった。飲食店街に、何故か1人ポツンと簡易机に座っている男は異様に写る。しかも全身を、顔までも目を除いて、黒い装束と頭巾で包み、不気味さを醸し出している。

 とはいえ、気味悪いながらも多少の興味をそそる雰囲気があった。リストラにあって、これからどのように生きていけば良いのか。そんなことを、偶然にも見付けたこの占い師に見てもらいたいような気もする。だがこの時は空腹が何よりも勝っていた。占ってもらうのは食後にしようと決めて、一軒のラーメン屋に駆け込んだ。

「いらっしゃい!」

 店主と覚しき親父が威勢の良い声で出迎える。古くて汚らしい感じの店は、今の心境にピッタリ合っていた。客の数もまばらで、騒がしくないだけ苛立ちを押さえられそうである。しばらくメニューを覗き込んだ後、味噌ラーメンと餃子、それに瓶ビールを一本注文した。

「はい、味噌に餃子、それからビールお待ちどう!」

 5分もすると親父が注文した物を一気に運んできた。まずはビールをグーッと飲み干した。喉を通る刺激が、イライラした気分に対して何とも心地よい。

「おやおや、昼間からそんな風に飲んで、どうしたね?」

 親父は飲みっ振りが気になったようで、すぐさま問い掛けてきた。無理もない、こんな真っ昼間からスーツを着込んだサラリーマン風の中年がビールを勢い良く飲んでいたら、何だろうと思うことだろう。誰かにグチを聞いて欲しかった私はつい本当のことをペラペラと喋ってしまった。

「リストラか。ひどい会社だなあ」

 親父はまるで自分のことのように私のリストラ話に怒っている。客もいなくなった店内で、親父は付きっきりで話を聞いてくれた。

「22年間も働いたんですよ……」

「わかるぞ。会社ってのはそんなものだ」

「家を建てたばかりなのに……」

 グチをこぼす度にビールの杯は進む。もはや人生相談室と化したラーメン屋の親父のお陰で、先程の占い師の元へ行く必要はなくなっていた。


「5300円になります」

 結局、親父に話を聞いてもらい、4時間もビールを飲んで過ごしてしまった。ラーメン屋にしては結構な出費となったが、話をして多少スッキリとしたのでまるで気にならなかった。

「気を落とさんで頑張りなさいよ!」

 私は親父の激励を背にのれんをくぐって店を出た。表に出た時、もう黒ずくめの占い師はいなかった。さして気にも止めずに、飲み屋街の方へ歩く。時刻は5時25分。まだ家に帰る気分にはなれない。もっと飲んで厭なことを忘れてしまいたかった。

 飲み屋街はそろそろ始めようとする人々でごった返していた。私は一人で群れに入っていき、湿っぽい気分に合う店を探す。少し歩くと『おふくろの味 中元』という看板が目に止まり、中へ入ることに決めた。

 私はその『中元』という店で閉店まで酒を飲み続けた。そして最後の客になるまで居座り、店員に追い出された。でも気分は多少良くなった。お陰で家に帰る決意が固まり、酔いが回ってフラつく足取りで、そろそろ飲み屋街を去ろうとする。午前2時にもなれば、人の数はさすがに減っている。そのまばらな人間の波をすり抜けて、早々にタクシーが並ぶ大通りに出ようとした。そんな私の耳に唐突に大きな声で騒ぐ集団の話し声が漏れ聞こえてきた。

「ハハハ、しかし山田の奴も間抜けだよ」

「加藤さん、やり手ですね。課長を引きずり下ろすなんて……」

「なあに俺の人脈をもってすればどうってことないさ。ハハッ!」

「ワアーッハッハッハ!」

「加藤君、威勢のいいのは結構だが、しっかり頼むよ。山田君を飛ばして君を推挙した私にも責任が降り掛かってくるんだからね」

「わかってますよ、小西部長。俺に任しといて下さい。山田の出来なかったことをドンドンとしてみせますから!」

「君のことだから心配ないとは思うが……」

 私は聞き耳を立てると共に目を凝らして集団を見つめた。話から推察されるようにそれは私の課の連中だった。しかも小西人事部長までいらっしゃる。聞いてみると、どうも私のリストラは加藤と小西部長の間で密約が交わされていたらしい。加藤の奴、何たる卑劣漢!最初からからかっていたのだ。私は酔っていることもあって興奮が最高潮に達しており、集団目掛けて路傍の石を投げ付けた。

「うわあ!」

 謎の飛来物の襲来で、集団から声が揚がった。結局誰にも命中はせず、彼らの目は一斉に私の方へ向いた。

「や、山田だっ!」

 集団の一人が叫ぶ。彼らは鬼にでも出会ったかのように、慌てて逃げていく。『鬼』の小西までが走り逃げる様は見ていて可笑しくなってしまった。


 情けない……、今まで何の為に会社に尽くしてきたのだろう……。あんな奴らにもてあそばれて、会社って一体何なのだ?こんなことをする為に46年間生きてきたのだろうか?何だか人生そのものが虚しく感じられる。

 虚ろな瞳でトボトボと歩く私の周囲には、いつの間にかまるで人気がなくなっていた。それだけにある対象を見付けた時には、何やら因縁めいたものを感ぜずにはいられなかった。それは夜の闇の中にもかかわらず、全身真っ黒な姿でポツンと座っていた。

「こいつ……」

 不気味さを感じるが、それに近付いてみる。『それ』は昼間、飲食店街で見かけた占い師に相違ない。昼間、一度は占ってもらおうと思った経緯もあって、とにかく彼(?)と言葉を交わしてみたかった。

「すいません、ちょっといいですか?」

 しかし近寄って行った刹那、占い師はとんでもないことをしでかした。

「うわっ、オゲーッ……」

 奴は私を見るなり叫びを揚げ、さらに私に対して嘔吐するという暴挙を行なった。私の上半身は奴の嘔吐物にまみれ、強烈な悪臭を漂わせる。

「おい、あんた……」

 言い掛ける間もなく奴は再度うめきを発し、吐きながら走り去っていった。奴も何らかの理由で私のように酒を喰らっていたのであろうか。

「全く……、何なんだ一体?」

 私は訳もわからず立ち尽くすだけだった。そしてしばらくの間、ただ茫然としていた。だが、その内に強い腐臭が鼻につき始め、我慢できなくなってきたので、戻って来る気配のない占い師を糾弾するのを諦め、今度こそ家路に向かった。

 タクシー運転手に「臭い」だの「汚い」だのと、ありったけの罵詈雑言を浴びせられながらも、私はようやく帰宅した。もう時刻は午前3時を回っている。明日会社に行く気はないので、何時だろうとどうでも良い。

「フワァー……、お帰りなさあい……」

 妻が表が騒がしいのを察して、欠伸をしながら出迎えてきた。まだリストラを告げる心構えが出来ていなかったので、

「とにかく疲れた。今日は寝る……。それから明日会社は休むから……」

 と言い放って、一切を受け付けずに邸内に入る。

「まあどうして?」

 妻の問い掛けが背後で響いていたが、無視して脱衣所に向かう。匂いのひどい上着は洗濯機に放りこみ、彼女に一言も発せさせずにベッドに潜り込む。寝転がった途端に意識を失ったようで、翌朝まで妻の追求を避けることに成功した。


「あなた、一体どうしたんですか?急に休むなんて言い出して……」

 午前10時に起きるなり、居間で妻による取り調べが始まった。

「いや、どうしたもこうしたもないさ。今日は有給休暇の処理の為、休みになったのさ」

 私はどうしても本当のことが言えなかった。子供も生まれ家を新築し、これから幸せに向かっていこうとしている家族に「リストラされた」と言い出す勇気は湧いてこない。

「嘘です!」

 しかし妻は本当の取り調べさながら、私の答えを疑ってかかってくる。

「嘘……って、そんなこと嘘ついてどうするんだ。本当に決まっているじゃないか」

 私は内心ハラハラとしながらも、毅然とした態度で彼女の発言を一笑に付した。だが、

「知ってます」

「は?知ってるって何を?」

「あなたが課長を降ろされたことです」

 何だと。どういうことだ。頭に衝撃が走る。

「ど、どうしてそれを……」

「全部加藤さんから聞きました。あなたが無断欠勤しているので、心配して電話をくれたんです。そして全部聞きましたわ」

「加藤め!そんなことを君に言ったのか?」

「ええ。気を落とさないようにって言ってました。本当に気を遣って下さっていい人よ」

「君は騙されている。あいつはそんな男じゃない。私をせせら笑っているんだ!」

「可哀相な人……。人の好意をそんな風にしか見られないのね」

 妻は私に呆れ返ったようで、居間から去って行った。バタンと扉の閉まる音が響き、私を静かな空間に一人とり残す。

 加藤……、殺してやりたいくらい腹が立つ。妻を言いくるめてどうしようというのか。そんなに人をいたぶるのが楽しいのか。彼を殺す勇気などない私は、はらわたが煮え繰り返る思いで呪咀の言葉をつぶやくだけだった。

 居間でボーッとしたまま時刻は正午を過ぎていた。突然、妻が居間に戻ってきた。手には何やら大きな荷物が握られている。

「どうしたんだ?荷物なんか持って」

「実家へ帰らせてもらいます」

「えっ」

 寝呆けていた頭が一気に冴えた。

「リストラはともかく、会社をさぼったり加藤さんの悪口を言ったりするのを見て、あなたという人に愛想が尽きました。昔からイジイジした人だとは思っていましたが、もう我慢の限界です」

「そ、そんな……」

「佑介は私が引き取りますね。詳しい書類上のことは後で連絡します」

「ち、ちょっと待ってくれ!」

 止めるのも聞かず、妻は荷物を抱えたまま息子を子供部屋から連れ出すと、逃げるように家を飛び出して行った。私はそれに追い付けず、みじめにも玄関前で転倒してしまった。

 一人になった私は、失意のどん底を味わい噛み締めていた。確かに妻は昔から私の消極的な性格を嫌っていた。リストラされて、挽回する努力を見せない様子に呆れてしまうのは無理もないかもしれない。しかし加藤さえ余計なことをしなければ、彼女が出ていくまでにはならなかったような気もする。そう思うと加藤への憎悪が高まってくる。私は今になって勇気を振り絞る決意を固めた。


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