見ないようにしていたこと
本当は二つに分けようと思っていたのですが……
練兵場から離れて暫くすると、デュランの胸の内にシリウスの発言に対しての苦々しい感情がじわりじわりと滲み、広がっていく。
少女一人に敗れた元魔王など、誰が恐れるか!!
シリウスに言った言葉と矛盾していたのはわかっていた。が、デュランは半ば無理矢理その部分を見ないフリをした。
アイツは魔王。無慈悲で強大で人間の敵で恐ろしくて……
思考に耽りつつ歩みを進めていたデュランに、横手から声がかけられた。
少し低い、耳障りの良い落ち着いた声。
「剣士殿」
振り返ったデュランは、其処に此処最近で顔馴染みとなった白皙の美貌を見つけて目を丸くした。
其処にいたのは、魔王に仕える優秀な宰相にして何故か苦労人同士意気投合してしまった、デュランの飲み仲間でもある……
「アーシアじゃねえか。どした?」
問いかけて、自分は既にその答えを知っていることに気付いて舌打ちする。
普段魔王城の奥で大量の書類に忙殺されているこの男が、わざわざ遠い人間の国まで来る理由など一つしかないからだ。
「マオーサマなら多分練兵場だぜ」
先程のやり取りを思い出して苦虫を噛み潰したような顔になったデュランの、頭一つ分高い所にある顔を不思議そうに見上げ、アーシアは「教えてくださってありがとうございます」と完璧な所作で一礼する。
その丁寧な礼に何処か居心地の悪さを感じつつ、デュランは頭を掻いた。
この男の馬鹿丁寧な言動は、どうにもむずがゆくなって困る。
何度か一緒に飲みに行った事のあるアーシアだが未だにデュランの事を名前で呼ばないし、過剰に思えるほど慇懃な態度を崩そうとはしない。
そこがこの男の引く一線だろうとわかってはいるのだが、良い育ちでもなく公式な場以外での言葉遣いも乱暴なデュランはどうにも落ち着かなかった。
何処と無くそわそわと落ち着かないデュランの顔を不思議そうに見た後、アーシアは丁寧にもう一礼した。
「本日はシリウス様にお付き合い頂きまして、真にありがとうございます、剣士殿」
「……は?」
身に覚えの無い言葉に、デュランは目を丸くする。
そんなデュランの様子に構うことなく、アーシアは言葉を続けた。
「普段からシリウス様の気付かれないような事にまで指摘を下さると、シリウス様御自身の口から常々聞かされております。今日は未だ人間相手の力の加減がわからないから、と剣士殿に直に御教授願いたいと仰られまして」
アーシアの言葉を、デュランは目を丸くして呆然と聞く。
普段顔を合わせても、根拠の無い嫌味や無視といった悪意しか無いような対応ばかりしていたデュランは、今心の底から戸惑っていた。
え、いやオイオイちょっと待てよオイ。
じゃああれか?
あのいけ好かない男は、俺が今まで言ってきたあらゆる嫌味を真に受けていちいち対処してるってのか?
いやいやそんな馬鹿な事があるわけねえ。
仮にも魔族最強の男が、こんな一介の剣士の言葉なんざ真面目に受け取るワケが……
「……時に剣士殿、実は最近判明した事なのですが!」
ぐるぐる混乱した思考を迷走させていたデュランは、アーシアが急に声を張り上げた事に驚いて顔を上げる。
その戸惑ったような困惑したような表情を見て取ったアーシアは、ゆるりと目を細めて微笑んだ。
「シリウス様は、信用が置けると判断された方の言葉はどこまでも素直に受け取る傾向にあるようです」
にっこり。
問答無用の笑顔を向けられ、デュランは目を白黒させた。
え、怒ってる? 怒ってるのコレ!?
わざとらしく溜息をついたアーシアは、演技がかった動作で額に手を当てて大袈裟に嘆いて見せた。
「どうやらとても為になる助言をいただけるにも関わらず、剣士殿とはあまり顔を合わせられる機会が得られぬ、と悩んでいらっしゃったので、サクラ様に相談されては、と及ばずながら助言したのですが……」
デュランを捕らえた銀の瞳がスゥッと細められる。
指と髪の隙間から冷たくジロリと睨まれて、デュランは俯いて黙り込んだ。
イヤイヤ待て待てあの魔王が純真無垢とか俺が信頼されてるとかソレどんな冗談!?
でも待てよそういえばアイツ言われた嫌味に悉く対処しやがっていけ好かねえと思ってたけどまさかあれ全部真に受けて直してただけ!? アレ!?
言われたこと全部すぐに反応してこなすから何考えてんだコイツとか思ってたけどアレもまさか全部素直に受け入れてただけなのかオイ!?
冷たい半眼に睨みつけられたまま、デュランが沈黙すること数分。
「………っだぁあああああもぉおおおおお!!」
いきなり顔を上げて絶叫したデュランを、アーシアは腕組みしつつ嘆息で迎えた。
「あーもうハイハイ俺が悪かったよ美形で魔力最強で妹分掻っ攫いそうで足も長い魔王様が気に食わなくて虐めてただけだよ悪かったなぁっ!!」
「それほど短い足とも思えませんが?」
「僅差で負けてんのがムカつくんだよ心狭くてごめんねっ!!」
「斬新な謝罪ですがそのお言葉は全てシリウス様へ直接お伝えくださいなデュラン殿」
自己嫌悪から半ばヤケクソ気味に喚いていたデュランは、アーシアの最後の言葉に目を丸くした。
しれっとした表情を崩さないアーシアを指差し、言葉も無く口を開閉させる。
「い、今名前……!?」
「ああそういえば呼ぼうか呼ぶまいか少々迷っていたのですが……」
悩みを表現するかのように顎に指を当て、わざとらしくうーんと唸ったアーシアは、片目をあけてちらりとデュランを見た。
身長も高く体格の良いデュランが気圧されて一歩下がるのを目にして、その目が意地悪く細められる。
「心根も正されたようですし? 名を預け合うのも吝かではない、ということで」
目を丸くしたデュランが瞬き、そのままぶほっと噴き出した。
腹を抱えて笑いながら、息も絶え絶えに口を開く。
「お……おま、アーシア、ちょ、マジで性格悪ィ……ッ」
「我らがシリウス様に対する嫌味の数々をこの程度で許して差し上げるのですから、感謝していただきたいものですね?」
「や、うんマジで悪かった。アイツにもちゃんと謝っとく」
真顔で姿勢を正したデュランに、アーシアはうんうん頷きながらも「でも難しいと思いますよ?」と口を開いた。
「へ? なんでだよ?」
「シリウス様はあの発言の数々を助言としてしか受け取られておりませんから、一から全部説明しないと謝罪と理解して下さらないかも……」
「ちょ、自分の言った嫌味全部自分で説明とか、それなんて拷問……!!」
その場にがっくり膝をつくデュランの肩にポン、と手を置き、アーシアはにこやかに追い討ちした。
「デュラン殿の発言は一言一句漏らさずに書き留めてありますので、謝罪の折には是非とも御活用くださいね」
「ウワーアリガテエー………」
遠い目で棒読みするデュランと、その隣で異様ににこやかなアーシア。
そんな奇妙な空気を破壊したのは、猛然と駆けてきたサクラだった。
今度こそデュラン視点を〆たいですね!!