魔王様の退屈
魔王様視点の決戦までのお話です。
「シリウス様!!」
「……なんだ、アーシア」
執務室の机の上に両手をつき、ゼイゼイと肩で息をする宰相アーシア・スカビオーサを、当代魔王シリウス・ロード・ベルテッセンは目を瞬かせて見上げた。
「なんだではありません魔王様……本気で! 本気であのような小娘勇者の言う事を聞いて、後継も決めずに魔王を辞職すると仰るのですか…!!」
目に涙すら浮かべたアーシアの言葉に、シリウスはムッとその秀麗な眉を寄せた。
「コムスメではないアーシア……サクラ・カミシマ。当代魔王を打ち倒した、正真正銘現時点での世界最強の勇者だ」
「そういう問題ではありまっせんっ!!」
ドバンッと大きな音を立てて、アーシアが両の手で執務机を叩いた。
いや威力的には寧ろ殴った。
部屋すら揺れたその衝撃に、だがシリウスは頬杖をついて目を細めただけだった。
「お前のその反応も久々だな」
「うううううようやっと最近魔王としての自覚も出て来たかと思いましたのに……どうしてこんな事に……!!」
べしゃりと机の上に崩れ落ち、しくしく泣き始めたアーシアを見ながら、魔王……いや『元』魔王シリウスは、あの予想外の存在と出会った日の事を思い返していた。
☆☆☆☆☆
シリウスは昔から聞き分けの良い子供だった。
言われた事はなんでもそつなくこなせたし、やる気を出せば出来なかった事は何も無かった。
『俺の時代はもう終わった……隠居するんでシリウス、後ヨロシク!』
奔放な性格の父親……先代魔王がそう言って何処かへと消えた時も言われたとおりに魔王を継ぎ、問題なく魔族を統治した。
だが、それだけだった。
魔王になったからといって、それまでと何かが変わったわけではなかった。
周囲に認められずともやる事はやり、意見を纏め。
魔族の発展を第一とした魔族の一員として、そして魔王としてシリウスはこれまで通りに尽力した。
その毎日はあまりにも単調で、そして空ろだった。
力のある一魔族だった時は、父親である魔王が時々退屈すら出来ないような無茶な命令等をしてきた。
だが新たな魔王となった今、シリウスにそんな無茶を言える者は存在しない。
何もかもを自分の手の内に納め、予測通りの結果しか出ない世界。
どんな魔族でも羨むであろう権力を手にしたシリウスは、その権力という名の大樹の根元にポツリと座り込んでぼんやり過ごすばかりの日々を送るようになった。
やるべき事は手が勝手にこなす。
だがそんな事は、シリウスでなくとも出来る事だ。
ただそこに必要とされるのは、魔王と呼ばれる力ある魔族のみ。
シリウスは既に飽いていた。
他の魔族のように女神信者を攻撃することにはあまり意味を見出せなかったが、歴代魔王の行動を思えば戦わないわけにはいかない。
だが積極的に戦争を起こす意義も見出せなかったので、人間相手に暴れている同族にある程度好き勝手に行動させることでその代わりとした。
シリウスは飽いていた。
シリウス自身が必要とされない魔王という存在に。
そんな日々の中、彗星のように突然勇者サクラは現れたのだ。
「魔王様大変です!!」
執務室に駆け込んできた魔王軍魔術師団長ブラン・リューココリーネは、人間の王が女神に祈って召喚された勇者の存在を報告した。
「は? 勇者?」
「……人間ってよくわからんことするよなぁ」
目を丸くするアーシアと、呆れた様に呟く魔王軍騎士団長コンフリー・ステルンベルギアの声を聞きながら、だがシリウスはどうでも良さげに目を細めただけだった。
その内『勇者』の存在を聞きつけた同族が大挙して押し寄せ、手柄としてその『勇者』を殺す権利を奪い合うのだろう、と考え、仕事が多少増えることを面倒に思うだけだった。
その時は、まだ。
届けられる『勇者』の快進撃。
どんどん敗北する同族達。
力をつけ、魔法を修得し、だんだん近づいてくる『勇者』の話を耳に入れる度に、シリウスはその『勇者』という存在が気になってくるのを感じていた。
側近達は「もっと危機感を持ってください!!」と怒っていたが。
アーシアは机をバンバン叩いて「勇者は警戒すべき存在です!」と真剣に訴えた。
ブランは「魔王城周辺の警備を強化しましょう!」と慌てていた。
コンフリーは「勇者を討伐しましょう、俺に行かせてください」と討伐隊を組織しようとした。
その全ての動きを押しとどめたシリウスは、なんとなく『勇者』が来るのを楽しみにしている自分に気がついていた。
己の手の内に納まらない存在。
すぐに消え去るだろうという予想を超えて成長し続ける存在。
それを待ち望んでいたのだとシリウスが気付いたのは、魔王の玉座に座するシリウスの目の前で、勇者サクラが名乗りを上げて戦いを挑んできたその瞬間だった。
シリウスはその戦いで生まれて初めて全力を尽くし、そして正面から敗北した。
★★★★★
「……まお……シリウス様」
「なんだ?」
記憶の中に沈んでいたシリウスは、不意にかけられたアーシアの呼びかけにふと視線を上げた。
そこには白皙の美貌を歪め、ふるふると握り拳を震わせるアーシアの姿。
何やら怒っているらしい、と最近他者の思考だけではなく機微を察する事を覚えたシリウスは、思わずフ、とその頬を緩めた。
虚を突かれたように押黙ったアーシアが、苦虫を噛み潰したような顔で口を開く。
「……何がおかしいんですか」
「別におかしくはない……ただ、」
本当になんとなく、シリウスは最近気付いた事を口にする。
「お前が怒るのは、我を案じた時だったのだな、と思っただけだ」
「な」
一拍の間を置いて、口を開けたまま固まったアーシアが、足元からぐわああああっと真っ赤に染まった。
「……アーシア?」
一瞬にして色を変えたアーシアの様子に、シリウスは不思議に思って首を傾げた。
最近、この赤くなって固まるのが流行しているのだろうか。
何やら会話していると不意に固まって赤くなる者をよく見かけるようになったシリウスは、多少学んだとは言え未だ感情の機微には疎かった。
口をパクパクさせるアーシアを訝しげに見つめるシリウス。
その異様な空間に飛び込んできたのは、今日やってくる客の迎えに遣ったブランだった。
「まおう……じゃなかったシリウス様、サクラ様達がいらっしゃいましたよー!」
「そうか」
無表情ながらも何処か明るい空気を纏い、いそいそと立ち上がったシリウスの様子に、未だ話の途中だったと思い出したアーシアが復活して声を張り上げる。
「ま……シリウス様! まだ話が……!!」
「……?」
振り返ったシリウスの表情に、アーシアはそのまま口を開閉させた。
表情というよりその背後、というか纏ったオーラだろうか。
貧弱だがふさふさした毛皮を持った、目の大きな子犬がウルウルと瞳を潤ませてアーシアを見つめている。凄まじい罪悪感である。
勇者サクラが目にしたら「ア○フル犬!」と叫んで悶えただろうが、生憎とアーシアはその犬の正式名称を知らなかった。知らなかったがその心情は伝わってしまった。
「……駄目か?」
無表情。
無表情なのだが、オーラは口ほどに語っていた。
その場に崩れ落ちたアーシアを不思議そうに見ていたシリウスは、アーシアが力無く呟いた「……どうぞ、お出迎えなさってください……」という言葉に一つ頷くと、素早く執務室を出て行った。
心なしか足取りも軽い。
扉が閉まる瞬間、ブランがアーシアに「わかります、わかりますアーシアさん……最近のシリウス様はなんか色々卑怯ですよね……!!」と必死で慰めているのが聞こえた気がしたが、全く心当たりの無かったシリウスは綺麗さっぱり忘れて目的地を目指した。
その後、サクラの出迎えに来たシリウスが無意識に浮かべた笑顔を直視したサクラが真っ赤に全身茹で上がった挙句にカッチンと石像の如く固まってしまい、そんなサクラをシリウスがぬいぐるみの様に抱きかかえて運ぶ姿がコンフリーに目撃され、その場で息も出来ないほどに爆笑したコンフリーは呼吸困難に陥って、サクラに同行した仲間に落ち着くまで介抱されたらしい。
魔王は消滅したが、魔王城は何故かとことん平和だった。
頑張って編集いたします!!