建前と理屈と本心と
「……朝か……」
窓から差し込む光に目を細め、ケイリーは眉間に皺を寄せつつ起き上がった。
机の上を見ると綺麗に片付けられていて、椅子の上で潰れていたブランの姿も無い。
「?」
何処へ行ったんだと寝台の上で首を捻っていると、パタパタと軽い足音がして、ひょっこりとブランが部屋を覗き込んできた。
目を丸くしているケイリーを見て、何故かお玉片手にブランがにっこり微笑む。
「おはよーございますケイリー君っ、朝ごはん出来てますよ!」
何となく視界に違和感を感じながらも、ケイリーはぼんやりと頷く。
嫌に楽しそうなブランがケイリーに背を向けた瞬間、ケイリーの意識が唐突に完全覚醒した。
無言で手近にあった枕を鷲掴んでぶん投げると、それは狙い違わずブランの後頭部に直撃する。
「っ!? び、吃驚したぁ~いきなり何するんですかケイリー君っ!?」
「うるっせぇぇぇ!! 何してんだはこっちの台詞だ!! その目が痛くなりそーなフリフリエプロン何処から出したっ!?」
「持参です!!」
「胸張るなボケブランっ!!」
ブランから軽く投げ渡される枕を、受け取ったケイリーが全力でブランの顔面に叩きつける。
そんなやり取りを繰り返していた二人が我に返ったのは、台所から些か香ばし過ぎるパンの香りが漂ってきてからだった。
☆☆☆☆☆
カリカリに焼きあがったベーコンの隣のオムレツは焦げ一つ無い黄金色。
見るからに瑞々しい野菜のサラダにはお手製らしいドレッシングが添えられ、フルーツのジャムはストロベリー、ブルーベリー、オレンジマーマレードの三種類。
さっき器に注がれたばかりの野菜たっぷりのコンソメスープはホカホカと湯気を立ち上らせ、少しだけ狐色の濃いパンだけは少々焼き過ぎの様だが、それでもコレは。
目の前に並んだ文句の付けようもない朝食。
それを呆然と眺めていたケイリーは、思わずポツリと呟いた。
「……どっから湧いた、コレ」
「僕が作りました!!」
えっへんとばかりに胸を張るエリート魔族。
問答無用で殴り飛ばしたくなる衝動をなんとか抑え、ケイリーは椅子にフラフラと座った。
勧められるままにスープを一口飲んで、更に驚愕する。
「……美味い……」
その言葉にニコニコしているブランを半眼で見遣り、ケイリーはフォークでオムレツを真っ二つにする。当然中身はとろりと絶妙な半熟仕上げだ。
最早完璧と言えそうな仕上がりの朝食に、だが作った人物の目の前では意地でもがっつきたくないケイリーは、それでもかなりの速度で皿を空けていく。
それを至極嬉しそうに眺めているブランもてきぱきと食事を進め……
やがてきっちりお代わりまでしてしまったケイリーが妙な敗北感に打ちのめされた頃、二人分の朝食は綺麗さっぱり無くなったのだった。
やがて、精神的ダメージから微妙に立ち直ったケイリーが、上機嫌なブランを半眼で睨みつける。
だが怒れる部分を見つけられずに数度開閉した口は、とりあえず無難な疑問を紡ぎだした。
「……よく食材あったな」
「買ってきました! 御近所の御婦人方が親切に市まで案内してくださいまして」
「へー」
欠片も気の無い返事をしつつ、間違い無くその顔で誑しこんだな、とケイリーは内心で納得する。
恐らく朝一番に奥様受けする爽やかな笑顔で「おはようございます!」とでもやったのだろう。無意識な所がなんか腹立つ。
「……よく料理なんか出来たな」
そう、これが一番驚いた。
銀色の魔王の養い子、当然育ちは魔族の中でも最高の人材が揃った魔王城。
料理なんて何処で習ったんだと胡乱な目つきになれば、ブランにしては珍しく恥ずかしそうに身を縮めて小さくなった。
「や、その……実はコレ、勘違いで上達したんですよね……」
「勘違い?」
「えーと、その……」
珍しく赤面するブランを面白がってつついてやると。
「実は、その……花嫁修業とかしてみた事があって……」
エリート魔族がとんでもない事ぶっちゃけた。
思わず机の上に崩れ落ちたケイリーに、赤面したブランが必死になって言い訳になってない言い訳をする。
「いや、あの、まだほんのちっちゃい頃っていいますかっ! シリウス様のお役に立てる事無いかなーって色んな人に話聞いて回ってた時に何人かの侍女の方が『大切な方の為に炊事洗濯家事などをこなして生活を快適に保つのが幸せだし喜んでもらえる』って言ってまして、なるほどーって思ってほら力の足りない子供でも出来る事結構あるじゃないですかっ!? それでお城の本職の方々に頼み込んでそれから数年間色々みっちり修業を……ってケイリー君? どうしたんですかしっかりケイリー君!!」
机の上でぐんにゃり脱力したケイリーを慌てて揺り起こすブラン。それに「寝てねぇよ……」と力無く返し、ケイリーは頬杖を付いてジト目で眼の前のお間抜け魔族を見遣った。
「お前な……役には立つだろうがその名目なんとかしろよ……」
「あははは……でも本当に役には立つんですよー、薬学とか調合とか色々と」
苦笑したブランが、ケイリーの目の前に手の中に納まる程度の小瓶をコトリと置く。
それを目にしたケイリーがすぅ、と目を細めた。
金色のとろりとした液体の中に、赤い木の実が何粒か沈んでいる。
木の実の名はリーヴル……小粒の果実でその爽やかな風味と甘さが好まれ、よく菓子等の材料として用いられる。
……またの名を『精霊殺し』。
精霊を主とした自然霊的種族や魔力生命体を酩酊させる効果のある木の実でもある。
ミルクに注いだ『特製』ハニーリキュール。
半霊半魔であるブランへの効果は、昨晩の通り。
決まり悪げに視線を逸らしたケイリーの様子に苦笑して、ブランは指先で頬を掻いた。
「……悪気があって入れたんじゃないのはわかってます。僕、基本的に普通のお酒では酔えませんしね……気晴らしに、って用意してくれてたんですよね?」
ケイリーはブランを見ない。
だがその沈黙が、何よりもその問いを肯定していた。
「昨夜は、色々愚痴ってしまってすいません……本当は、わかってるんです。シリウス様は勇者に負けた……人間の国同士の戦争と同じです。負けた方は他国……この場合は人間全体ですよね。それらに対する脅威を減らす為に、目に見える軍備の縮小を求められます……魔族はその殆どの者が、人間から見れば優秀な魔術師ですから。人間からの恐れを少しでも少なくする為に、騎士団ではなく人間との力の差がわかりやすい魔術師団を解体する。シリウス様もアーシアさんも、色々考えてるんだって」
聞き分けの良い、耳ざわりの良い言葉。それがブラン自身を納得させる為に紡いでいる言葉なのだとよくわかって、ケイリーは僅かに顔を顰めた。
今、自分がどんな顔をしているのか。
ブランは理解しているのだろうか?
……やがて、俯いていた顔を上げたブランは、いつも通りの柔らかい笑みを浮かべていた。
「やーもぅ、聞き苦しい事とかも結構喋っちゃいましたよねー忘れちゃってくださいね? さ、食器片付けちゃいましょうか!! あ、そっちのお皿取ってくださーい」
「ブラン」
ケイリーの静かに澄み切った声に、ブランの言葉と動作がピタリと止まる。
そんなブランに、ケイリーはゆっくりと口を開いた。
「自己完結して勝手に納得するなよブラン・リューココリーネ。アイツはお前に隠さない。お前がただの養い子じゃなく、己を支える一翼だとアイツはちゃんとわかってる。だから直接話を聞いてやれ。お前の信じる魔王シリウスは……お前に関わる大事をお前抜きで勝手に決めて、結論だけを押し付けるような男じゃないだろ」
目を見開いていたブランが……今にも泣き出しそうに、くしゃりと表情を歪ませる。
「……ケイリー君は、本当に迷いませんよね……眩しいです」
「一瞬の迷いが生死を分けるからな。お前は本当にフラフラだなブラン」
「返す言葉も無いです……勝てる気がしません」
「戦闘能力がパーティ中最弱の俺に対する嫌味かコラ」
「勇者パーティじゃないですかー」
一気に軽くなった空気の中、片方はにこにこ笑いつつ、もう片方は渋面で軽口を叩き合いながら、机の上の食器を重ねて洗い場まで運んでいくその途中。
ブランが再びぴしり、と硬直した。
固まったまま冷や汗をだらだら流しているブランを、ケイリーは訝しげに見上げ……
「シリウス様っ!!?」
突如ブランが叫ぶのと同時に、部屋の片隅に凄まじい魔力が一瞬で集約する。
淡く輝く銀色の光が掌サイズの球状に集まったかと思うと、不意に部屋全体を覆うほど大きく広がった。
眩しさに咄嗟に目を覆うケイリーと、微動だにせず光の中心を見つめているブラン。
……やがて、光の消えたその場所に。
「……マジかよ……」
静かに佇む銀髪金眼の元魔王の姿を確認し、ケイリーは思わず遠い目になって呟いた。
前回ラストの後のシリウス様とアーシアさん。
「……シリウス様」
「なんだ?」
「今から転移魔術はお止めください。先方に迷惑をかけます」
「……そうなのか?」
「シリウス様の魔力は眩いですから。今の時間帯では恐らくもう眠ってらっしゃるでしょうから、安眠妨害になります」
「……そうなのか……」
「そうなんです。もし行かれるのならば翌朝になさってください。そうですね……朝食を終えた辺りの時間帯が適当でしょう」
「わかった」
「シリウス様」
「……なんだ?」
「そろそろ一般的常識というものを身に付けてください。あらゆる面で迷惑です」
「……わかった」
魔王様ショボン。