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誰も花を散らさない世界へ~悪役令嬢の私を世界が殺そうとするので、ヒロインと存在しないエンディングを目指します~  作者: 日ノ澤しの
悪役令嬢になる前の私

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第2話 王宮で待っている人


7歳のリゼリアには、王宮へ行くことを楽しみにしている理由がありました。


まだ未来も、役割すら知らなかった頃。

彼女にとって王家の人々もまた、ただ大切な人たちでした。




 私が7歳だった頃、王宮へ行く日は朝から少しだけ特別だった。


「お嬢様、動かないでくださいませ」


「動いてません」


「先ほどから三度も鏡の方をご覧になっています」


「……だって、遅くなったら困るもの」


「まだ出発まで十分お時間がありますよ」


 侍女にそう言われても、私はどうにも落ち着かなかった。


 鏡の前に座ったまま、紙を整えてもらいながら何度も時計へ目を向けると、後ろで侍女が小さく笑う」


「そんなに王宮へ行くのが楽しみなのですか?」


「うん」


「第一王女殿下にお会いできるから?」


「もちろんです」


 即答すると、侍女はますます楽しそうに笑った。


 アルヴェリア王国第一王女、セレスティーナ殿下。


 私より5つ年上の12歳で、王家の第一子でもある。


 生まれつき身体があまり丈夫ではなく、魔力量も王族としてはかなり少ない方らしいけれど、私にとってそんなことはどうでもよかった。


 セレスティーナ様は優しい。


 私が幼い頃から王宮へ来るたびに可愛がってくれて、本を読んでくれたり、お茶に付き合ってくれたり、時には母には秘密で焼き菓子を一つ多くくれたりする。


 私には兄がいるけれど、姉はいない。だから私は、セレスティーナ様のことを本当のお姉様のように慕っていた。


「今日は何して遊びましょう」


「殿下のお身体に障るようなことをしてはいけませんよ」


「分かってます。お庭を走ったりしません」


「先日は?」


「……少しだけです」


「リゼリアお嬢様」


「今日はしません」


 自信を持って答えると、侍女がため息をついた。


 そんなやりとりをしているところへ、扉を叩く音が響く。


「リゼリア、準備はできた?」


「エドガー兄様!」


 入ってきたエドガー兄様はすっかり支度を終えていた。


 今日、王宮へ向かうのは私と母だけの予定だったけれど、兄様たちも父と別件で王宮へ行くらしい。


「もう少しかかりそう?」


「もう終わります」


「さっきからそう言ってるんじゃないだろうね」


「本当に終わります」


 私が答えると、侍女が後ろで口元を押さえた。


「エドガー兄様はもう準備できたの?」


「僕はね。オスカーは朝から父上と何か話してる」


「またお勉強?」


「たぶん」


「王宮へ行く日までお勉強なんて、オスカー兄様は変です」


「本人に言ったら怒られるよ」


「聞こえてるぞ」


「!」


 扉の向こうから聞こえた声に、書類を一冊抱えたオスカー兄様が立っている。


「オスカー兄様」


「誰が変だって?」


「……聞こえてたんですか?」


「廊下まで聞こえる声で話しておいて、聞こえていないと思う方がおかしいだろ」


「別に悪口じゃありません」


「なら、本人を前にしても言えるな?」


「……オスカー兄様はお勉強が大好きで立派だと思います」


「言い換えたな」


 エドガー兄様が吹き出す。


「リゼリアをからかうなよ」


「エドガーが甘すぎるんだ」


「オスカー兄様も一緒に王宮へ行くんですよね?」


「ああ」


「じゃあ、帰りも一緒?」


「父上次第だな。俺たちは別の用事がある」


「何するの?」


「お前にはまだ難しい話」


「教えてくれてもいいでしょう」


「聞いても途中で飽きるだろ」


「飽きません」


「昨日、領地経営の話を10分で寝たのは誰だ?」


「……あれは、お昼を食べたあとだったからです」



「つまり飽きたんじゃなくて眠かっただけだと?」


「はい」


「余計に駄目だろ」


 何も言い返せない。


 私が黙ると、エドガー兄様が楽しそうに笑った。


「ほら、オスカー。そのくらいにしてあげなよ」


「エドガーは本当に……」


 呆れながらも、オスカー兄様の声はどこか柔らかかった。


 やっぱり怖いけれど、本当に怖いわけではない。


「それよりリゼリア」


「何ですか?」


「王宮で勝手に一人で歩き回るなよ」


「分かってます」


「本当に?」


「昨日のことをまだ言ってるんですか?」


「昨日勝手に庭の奥まで行った奴が、今日だけ急に聞き分けよくなると思うか?」


「今日はセレスティーナ様と一緒です」


「だから余計に気をつけろ。王女殿下は身体があまり丈夫じゃないんだから、お前の勢いに付き合わせるな」


「そんなことしません」


「ならいい」


 そう言って、オスカー兄様は一度私の頭へ手を置いた。


 ほんの一瞬。


 撫でるというより、確認するような触れ方だった。


「楽しんでこい」


「……はい」


 やっぱり、少しだけ優しい。


 そんなことを言えば、本人は否定するだろうから黙っておいた。


     ◇


 王宮へ到着すると、父と兄たちはすぐに別の場所へ向かい、私は母とともに宮殿の奥へ通された。


 高い天井に白い石造りの廊下、大きな窓から差し込む光。


 何度来ても、アーデンベルク家の屋敷とはまるで違う。


 けれど、この頃の私は王宮を怖い場所だと思ったことはなかった。


 そこには、待ってくれている人がいたから。


「リゼリア!」


 部屋へ入った途端、名前を呼ばれた。


「セレスティーナ様!」


 窓辺の長椅子に座っていた少女が、嬉しそうにこちらを見る。


 淡い金色の髪に、アルヴェリア王家特有の澄んだ青い瞳。身体が弱いためか肌は白く、同年代の令嬢と比べると少し華奢で小柄。


 けれど、笑うとっても綺麗だった。


「お久しぶりです」


「そんなに久しぶりではないでしょう?二週間前にも会ったわ」


「二週間は久しぶりです」


「まあ」


 セレスティーナ様が笑う。


 私は母へ一度目を向け、許可をもらってから彼女のところへ駆け寄った。


 ……走らない程度に。


「今日は走らないのね」


「オスカー兄様に言われました」


「あら、それなら私よりオスカー様の言うことの方が効くのかしら」


「違います」


「ふふ、冗談よ


 セレスティーナ様が自分の隣を軽く叩く。


「座って」


「はい」


 私はすぐ隣へ腰を下ろした。


「今日は何をしていたんですか?」


「朝は少しお勉強をして、そのあとは本を読んでいたわ」


「どんな本ですか?」


「外国のお話よ。海の向こうにある国のお姫様が旅をするの」


「お姫様なのに?」


「あら、お姫様だから旅をしてはいけないの?」


「だって、お姫様はお城にいるものかと」


「私も昔はそう思っていたわ」


 少しだけ、セレスティーナ様が窓の外を見る。


 ほんの一瞬、その横顔が寂しそうに見えた。


「……セレスティーナ様も旅をしたい……?」


 私が尋ねると、彼女は驚いたようにこちらを見た。


「そうね。一度くらいは遠くへ行ってみたいわ」


「きっと行けますよ」


「そうかしら」


「はい。大人になったら」


 何も考えずに答えた。


 大人になれば何でもできる。


 この頃の私はそう信じていた。


「じゃあ、リゼリアも一緒に来てくれる?」


「もちろんです」


「本当に?」


「はい。レオも連れて行きます」


「レオ?」


「レオニスです」


「ああ、クロイツ公爵家の」


「昨日も一緒に遊んだんです」


「相変わらず仲が良いのね」


「はい!」


 私は迷わずに答えた。


 その頃の私にとって、それは何も恥ずかしいことではなかった。


「それなら、エドガー様とオスカー様も誘わなくては」


「兄様たちはお忙しいから来ないかもしれません」


「では、私からお願いするわ」


「セレスティーナ様に言われたら断れませんね」


「でしょう?」


 顔を合わせて笑う。


 そんな未来が本当に来ると思っていた。


「姉上?」


 その時、扉の外から幼い声が聞こえた。


 振り返ると、小さな少年が侍従と一緒に部屋へ入ってくる。


「あら」


 セレスティーナ様の顔が柔らかくなる。


「ユリウス」


「失礼します」


 まだ6歳の第二王子、ユリウス殿下。


 セレスティーナ様とは6歳差で、私より1つ年下になる。


 王族らしく礼儀正しく挨拶したものの、私を見つけた瞬間、その表情が年相応のものへ変わった。


「リゼリア嬢!」


「こんにちは、ユリウス殿下」


「今日来るって母上に聞いた」


「はい」


「姉上と何してたの?」


「旅のお話をしていました」


「旅?」


「大人になったら、みんなで遠いところへ行くんです」


「僕も!」


「もちろんよ」


 セレスティーナ様が答えると、ユリウス殿下は嬉しそうに笑った。


「兄上も?」


「兄上?」


 私が何気なく聞き返す。


「うん。兄上も一緒に行く」


 セレスティーナ様がくすりと笑う。


「そうね。あの子が休みを取ってくれるなら」


「休み?」


「弟は最近とても忙しいの。父上からいろいろ教わっているから」


「そうなんですか」


 私はそれ以上、深く考えなかった。


 王家には第一王子がいる。そのくらいは当然知っている。けれど、年の近い王子でありながら、私はまだ彼ときちんと顔を合わせたことがなかった。


 王家の後継者として早くから教育を受けている第一王子と、母に連れられて王女の私室へ遊びに来るだけの公爵令嬢では、同じ王宮にいても過ごす場所が違ったからだ。


 だから、この時の私にとって彼はまだセレスティーナ様とユリウス殿下の「弟」であり「兄」でしかなかった。


 やがて、その人の名前をフルネームで聞くことが私の人生を変えるとも知らずに。


     ◇


「リゼリア、手を貸してくれる?」


「はい」


 しばらく話していると、セレスティーナ様が立ち上がろうとした。


 私はすぐに手を差し出す。


 細い指が私の手へ重なった。


「ありがとう」


「大丈夫ですか?」


「今日は長子が良いの。少し庭を歩きたいと思って」


「本当に?」


「ええ。ただし、走らないこと」


「走りません」


「私が、じゃなくてあなたが、よ」


「……分かってます」


 隣でユリウス殿下が笑った。


「リゼリア嬢、いつも走ってるの?」


「いつもではありません」


「昨日も走ってた?」


「……少しだけ」


「いつもじゃん」


「ユリウス殿下」


「ごめんなさい」


 謝りながら笑っている。


 セレスティーナ様も楽しそうで、私もつられて笑った。


 庭へ向かうために廊下へ出る。


 セレスティーナ様の歩幅に合わせてゆっくり歩く。


 この頃から、私は人の魔力を感じ取ることが得意だった。


 誰かに教えてもらったわけではないのに、近くにいる人の魔力がどんなふうに流れているのか、何となく分かる。


 エドガー兄様の魔力は穏やかで、オスカー兄様は細く整っていて、レオニスの魔力は冷たい水のように静かだった。そして、セレスティーナ様の魔力はっても小さかった。


 王族だというのに、両手ですくえば消えてしまいそうなくらい。けれど、綺麗だった。


「セレスティーナ様」


「なあに?」


「今日は、いつもよりお元気ですね」


「あら、分かるの?」


「はい。魔力が以前より……じゃなくて、この前より綺麗に流れてます」


 セレスティーナ様が足を止めた。


「魔力が?」


「はい」


「リゼリアには分かるの?」


「なんとなくですけど」


 彼女は少し驚いたように私を見る。


 それから、自分の手のひらへ視線を落とした。


「不思議ね。宮廷魔導師からも、今日は魔力の流れが安定していると言われたところなの」


「当たってました?」


「ええ」


「よかった」


 褒められたような気がして、私は嬉しくなった。


「リゼリアは魔力を見るのが上手なのね」


「見るというか……感じるだけです」


「それでもすごいことよ」


「そうですか?」


「ええ、とても」


 私はただ笑った。


 自分のそれが、少し普通ではないのだということも。いずれ、この感覚が彼女の命を繋ぎ止めることになるなんて、まだ何も知らなかった。


     ◇


 庭園を一周して部屋へ戻る頃には、セレスティーナ様は少し疲れていた。


「大丈夫ですか?」


「平気よ。楽しかったわ」


「無理しないでください」


「あなたに言われるようになったら、私もお姉様失格ね」


「どうしてです?」


「本当なら、私がリゼリアを心配する側でしょう?」


「どっちも心配すればいいです」


 一瞬、セレスティーナ様が黙った。


 それから優しく笑った。


「そうね」


 私の頭に手を伸ばす。


「リゼリアは優しいのね」


「そうですか?」


「ええ」


 頭を撫でられる。


 お姉様がいたらこんな感じなのだろうか。


 私はそう思った。


「また来てくれる?」


「もちろんです」


「約束?」


「約束です」


 昨日、レオニスとも似たような約束をした。


 大人になっても会おう、そんな子どもらしい約束。


 けれど、その頃の私にとってはどちらも絶対に守るつもりだった。


「リゼリア嬢、次は僕とも遊んで」


「はい」


「絶対?」


「絶対です」


「じゃあ約束」


 ユリウス殿下が小指を出してくる。


 私は笑いながら自分の小指を絡めた。


「約束です」


 この頃の私は王宮が大好きだった。


 セレスティーナ様が好きで、ユリウス殿下とも仲が良くて、ここに来ればまた会えると思っていた。


 だから、いつか自分の方から王宮へ来る回数を減らすようになるなんて想像もしなかった。


 もっと言えば、目の前で笑っているセレスティーナ様をもう少しで失いかけることになるなんて知るはずもなかった。


     ◇


「オスカー」


 同じ頃、私の知らないところで、王宮の別の棟を歩いていた兄たちは、父と別れたあと二人だけで廊下を進んでいた。


「何だ?」


「さっきから何見てるの?」


 エドガーが視線を向けた先で、オスカーは廊下の奥を見ていた。


 そこには、王宮に仕える一人の男がいる。


 黒に近い髪。胸元には、王宮官僚であることを示す徽章。


 男は二人に近づくと、丁寧に頭を下げた。


 オスカーも形式通り会釈を返す。


「知ってる人?」


「顔だけな」


「ふうん」


「最近、父上のところへ何度か名前が上がってた」


「何で?」


「……さあな」


 オスカーは一度だけ、遠ざかっていく男の背中を見た。


「ただ」


「ただ?」


「魔力の扱いで問題を起こしたことがあるらしい」


「王宮で?」


「ああ」


 エドガーが少し眉を寄せる。


「大丈夫なの?」


「処分は済んでる。それ以上は俺たちが気にすることじゃない」


「そっか」


「行くぞ。リゼリアたちを待たせたら、今度はあいつが拗ねる」


「それは困るね」


 二人は再び歩き出した。


 男の姿は、もう廊下の向こうへ消えていた。


 この時、誰もそれ以上気に留めなかった。


 当然だった。まだ、何も起きていなかったのだから。


 けれど、もうすぐ私にとって王宮はただ楽しいだけの場所ではなくなる。


 そして、その出来事は私自身も知らなかった力を初めて誰かのために使う日へ繋がっていく。





お読みいただきありがとうございます。


7歳のリゼリアにとって、セレスティーナ王女は姉のように慕う大切な存在で、ユリウス王子も気兼ねなく接することのできる年下の友人でした。


そしてこの頃から、リゼリアには他人の魔力の流れを繊細に感じ取る素質があったようです。


次話では、穏やかだった王宮で少しずつ異変が起こり始めます。



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