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香港の秋

作者: 三上夏一郎

アレックス・リーは人混みの中をひとまわりしてから立ち止り、左腕のロレックスに目をやった。待ち合わせの時刻に五分早かった。皮ジャンのポケットから煙草を取り出し火をつけた。

 日曜日の夕方、この時間の半島酒店ペニンシュラホテルのロビーが彼は好きだった。ごった返してはいるが、集まった人々の顔は生き生きとしている。皆ここで親しい友人や親族と待ち合わせをして、町に食事に出かけて行くのだ。

 ゆったりとした気分で煙草を吸っていると、ふと一人の東洋人の女がロビー中央の階段を早足で下りてくるのが目に入った。女は階段の途中で立ち止まり、辺りを見回す。すこしあせっている。ロビーにいる誰かを探している様子だった。

 リーは灰皿に煙草をていねいに押しつけて消すと、階段に向かって歩き出した。知っている女だ、との確信があった。

 女が階段を下りきるのに合わせるように、リーが階段の下に到着する。しぜんに女と向き合う形になった。

「お久しぶりです」

 黒革のジャケットに真っ黒なサングラスのリーが日本語で女に話しかけた。女はすこし警戒するように彼の顔を見上げた。リーはサングラスをずり下げると女にウィンクした。

「ユウコさん、リーです。おぼえてますか」

「リー……? アレックス?」

 女の顔に無邪気な笑顔が広がった。ああ、そう、こんな笑い方をするひとだったな、とリーも嬉しくなる。女はやはり、一年ほど前仕事をした、日本のテレビ局のアナウンサーだった。ユウコという名前だけは覚えている。苗字は忘れた。

「髪を切りましたね?」

「髪? ああ……そうね」

 ユウコは急に思い出したように髪に手を添えた。

「人違いだったらどうしようかと心配でした。長い髪のあなたしか、見たことなかったから」

「似合わない?」

「いいえ。とても似合っています」

「なにしてるのこんなところで?」

「ああ、仕事ですよ。日本のコマーシャル撮影のスタッフと五時に待ち合わしてるんですが。ユウコさんは?」

「ええ、私も待ち合わせなんだけど……」

「仕事?」

「みたいなものかな……」

 その時ユウコの顔にかげりがさしたのをリーは見逃さなかった。

「あんまり楽しいことじゃない?」

「ええ……あのね」

 ユウコの口が次の言葉を発しようとしたその時だった。二人の間にスーツ姿の初老の男が割り込んできた。

「いやごめんごめん、地下鉄の出口で迷っちゃってね」

 日本語だった。中国人ではないようだ。男はハンカチで額の汗を拭うと、まずユウコに優しい目を向けた。そしてリーの方へと向き直る。口元に微笑は浮かべていたが、目は笑っていなかった。

「この人、知り合いなの?」

 男はユウコをかばうように前に立ち、彼女に尋ねた。長身でサングラスに革ジャン姿のリーを明らかに警戒している様子だった。

「いえ、違うんです。あの、去年仕事した香港のコーディネーターの、リー君」

 すこしあせった口調でユウコが釈明した。

「初めましてリーといいます」

 リーはサングラスをとり、男に丁寧にお辞儀をした。

「ああ、そう? そうだったのか、なるほど。僕はまた君が何かトラブルに巻き込まれているんじゃないかなと思って」

「彼も誰かと待ち合わせしてて偶然」

「あ、そうなの」

 男の身体からすっと力が抜けたのがわかった。ようやく安心したようだった。

「なんだ、コーディネーターか。中国の人?」

「はい。生まれは香港です」

「日本語、上手だね」

 男は日本人の誰もが口にする台詞をリーに投げかけた。

「はい。お母さんが、日本人でしたから」

「なるほど。今度香港を案内してもらいたいもんだ」

 この言葉も決まって日本人が言う台詞である。しかしめったに実現したためしがない。

「じゃあ、神谷君、行こうか」

 男はホテルの玄関に向かって歩き出した。

「それじゃリー君、また」

 ユウコはリーに向かって右手を差しだした。

「はい、また」

 リーは握手をするため素直に右手を差し出した。あっさりとした出会いで、あっさりとした別れだった。しかし、握手の瞬間、ユウコはすっとリーを自分の方に引き寄せて、耳元で囁いた。

「あとで電話する。携帯の番号、変わってないんでしょ」

「はい」

 リーはちいさくうなずいた。


 ユウコが男を追いかけて小走りに駆けて行く姿を、リーは見送った。すぐにユウコはぶらぶらと先を歩いていた男の腕をとった。

「さ、行きましょう。今夜は思いっきりおいしいものをご馳走してくださるんでしょ?」

 それはリーが見たこともない、ユウコの媚びを含んだ表情だった。

 仲睦まじく腕を組み、ロビーを出て行く二人をリーは黙ってみていた。その時、

「リーちゃん、お待たせ」

 左肩を後ろから叩かれ、リーはふり返った。そこに見たのは、大きな買い物袋を抱えた、見るからに人相の悪い二人組の男だった。

「ああ。そんなに買い物しちゃったんですか」

 香港の映画俳優のようにオーバーに両手を広げながらリーが言った。

「一度、ホテルに戻りますか」

「おう、それがいいな」

 年配の口ひげの男の方が、当然という口調で答えた。望月という、日本の大手広告代理店のプロデューサーで、今回の仕事の責任者、つまりリーのクライアントという訳だ。

「そうだねえ、夜は手軽なほうが何かといいよね」

 望月に負けず劣らず人相の悪い、長髪の男がにやにや笑いながら言った。進藤某といい、望月にくっついてきた若いコピーライターである。しかし若いとはいえ、下劣な品性はその顔にしっかりと表れていた。

「じゃあタクシーで香港サイドまで行きましょう。一旦荷物を部屋に置いてきてくださいよ」

 リーは二人を引き連れて半島酒店のロビーを出た。

 ホテルの前からタクシーに乗る。山抱えの荷物をトランクに入れ、二人を後部座席に押し込むと、自分は助手席に乗り込んだ。

 窓外を、黄昏の香港の街が流れてゆく。灯り始めたショップのきらびやかな光と、歩道に溢れんばかりの人の波。リーはこの街が好きだった。

「さあ今日行くクラブは、どんなレベルのねえちゃんがいてくれるかな」

 後ろの関から望月の野太い声がした。

「まかしてくださいよ望月さん」

 できるだけ軽薄な口調でリーは答えてやった。中国人がばかなふりをした方が日本人は喜ぶ。それは経験から学んだことだった。

「最近は大陸から大勢きれいどころが流れ込んでますからね。きっといい思いさせてくれますよ」

 全く日本人ってやつは買い物が好きだな、と内心あきれながらリーは中国の間抜けな青年を演じていた。昼はブランド品を買いあさり、夜は女だ。

「連れ出しはOKなんだよね?」

 若い進藤が身を乗り出してきた。すでに興奮しているらしく、犬のようにハアハア息を喘がせている。

「店外デート、OKですよ。」

「ホテルなんか大丈夫? 女の子にやばい所に連れて行かれたりしないかなあ」

「大丈夫大丈夫。その辺はママによく言っときますから」

「あれ? リーちゃんは最後までつき合ってくれないのお?」

「進藤さん、僕の分も女買う金出して貰えるんですか?」

「いやそれは」

 進藤が困ったように望月の顔を見た。

「いやいや、野暮は言いっこなし。その辺は俺たちだけで何とかなるって」

 吝嗇な望月は案の定話をそらした。

「そうだ!」

 突然重要なことを思い出したように進藤が叫んだ。

「やっぱコンドームなんか使った方がいいよね、エイズとか恐いんでしょ?」

「大丈夫と思います。女たちはちゃんと持ってますよ」

 その辺は極めて事務的にリーは答えた。

「でも何だか不安だからさあ、どっかで買っといてくれる?」

「わかりました」

 リーは前に向き直った。二人との会話に心はなく、頭の中にはユウコの言葉がこだましていた。

「あとで電話する。携帯の番号、変わってないんでしょ?」

 いったん二人が逗留する香港サイドのホテルに戻り、荷物を置いて、上海蟹が食べたいといという望月と進藤をレストランに案内した。

 リー自身はあまり、蟹には箸をつけなかった。まるで食欲がわいてこないのだ。二人をとにかく満腹にさせ、ナイトクラブに送り込んだ。カラオケと酒の馬鹿騒ぎにひと通りつき合い、気に入った女をあてがい、ホテルまで送り届けると午前零時を過ぎていた。

 銅羅湾コーズウェイベイの通りをぶらぶらと歩いていると、携帯に着信があった。

「もしもし。リーです」

「約束通り、電話したのよ。うれしい?」

 やはりユウコからの電話だった。声がすこし酔っている気がした。「リー君はいま、どこ?」

「香港サイド。コーズウエイ・ベイをひとり寂しく歩いてるところです」

「仕事は?」

「上がりです」

「私の部屋に来る?」

「いいんですか?」

「そうよ。もう終わり。私の人生も終わりかも」

「どうしたんですか。何かあったんですか」

「話せば長いことながら」

「そうですか」

 どう答えていいのかわからず、リーは黙った。

「あーあ、最悪」

 電話のむこうでユウコが言った。

「酔ってますか」

「けっこうね」

「では、すこし夜風にあたりませんか。素敵な夜景でも見ながら」

「まあ、クレバーな提案」

 ユウコは今度は電話のむこうでけらけらと笑った。

「大丈夫ですか。迎えに行きましょうか」

「馬鹿にしないで。私だって大人の女なんだから」

「じゃあタクシーに乗って、ピークカフェと言ってください」

「ピークカフェ?」

「かの有名な、100万ドルの夜景が見える場所にあるカフェです。ペニンシュラからなら、二、三十分で着くと思います」

「わかった。じゃあ、ピークカフェで会いましょう。三十分後に」

 電話が切れた。

「三十分後、か」

 リーは通りかかったタクシーに手を上げた。


 ピークカフェに着いて、店の中を見回してみたが、ユウコはまだ着いていないようだった。リーはカウンターに座り、ビールを注文した。ビールを飲みながら、ぼーっと店の入り口を見ていると10分ほどしてユウコが入って来るのがみえた。背は高くないが、バランスがとれた肢体。ふわりとした生地の、薄いグリーンのワンピースに白いセーターを羽織っていた。すごく似合うな、とリーは素直に思った。

「お待たせ」

 リーの隣にユウコが立つと、ウェイターがテーブルの間を滑るようにやってきて椅子を引いた。

「トーチェ」

 ありがとう、と自然な広東語でウェイターに言うと、ユウコはリーの隣に腰を下ろした。ウェイターはカウンターの上にメニューを置くと、ユウコににっこりと微笑みかけ、再びテーブルの間を滑るように去って行った。

「ここのウェイターは正直です。いい女が来るとすぐにメニューを持ってきます」

「あら、そう」

 リーが言うと、ユウコがとろんとした目で見つめ返した。

「何にしますか」

 リーはユウコにメニューを開いてやった。

「カールスバーグでいいわ」

 ユウコはメニューも見ずにビールの銘柄を口にした。リーはウェイターを呼んで、ビールを注文した。

「まだ酔ってますか」

「うん」

「半島酒店(ペニンシュラホテルにいたのは、誰ですか」

「彼はね、日本で人気の大物ニュースキャスター」

 ウェイターがビールを持ってきて、二人は乾杯した。

「彼がね、来年から始まる大型ニュース番組のパートナーになる女子キャスターを探しているわけ。その予備取材として、香港に行ってみないかと誘われて」

「それで香港に来てみると?」

「他のスタッフは誰も来ていなかった。どういう意味かわかるわね」

 リーは答えず、ただ黙ってビールを飲んだ。

「今夜はいちおう彼と一緒に食事に出かけたわ」

「そうですか」

「ねえ。その先どうなったか、知りたい?」

 その質問には答えず、リーは黙って微笑んだ。するとユウコは自分から言葉を続けた。

「それとなく誘われた。でも断った」

「それで相手は納得したんですか」

「してないでしょうね」

「僕もそう思います」

 リーの正直な答えに、ユウコが笑った。ひと息ついたユウコは周りのテーブルを見回した。テーブルはほとんど若いカップルで占められていた。見つめ合ったまま動かない二人もいれば、テーブルの上で指をからめ、愛の言葉を交換する男女もいる。

「幸せそうなカップルばっかり」

 ため息交じりにユウコが言うと、リーもあらためて周囲を見回した。確かに、若く、幸せそうなカップルが多かった。

「地元のデートコースなんです」

「私たちも端から見たら、ああいう幸せそうなカップルに見えるかしら?」

「どうでしょうか」

「ねえリー君、どうして今夜はそんなに他人行儀なの?」

 甘えるような口調でユウコが言った。

「どうやって今夜は、その、誘いを断ったんですか」

 ユウコの質問をはぐらかすようにリーが言った。

「今晩いきなりじゃ、そんな気分になれません。そう言ったのよ」

「それじゃ、今晩は大丈夫でも、明日は危ないんじゃありませんか」

「そうね……」

 ユウコは一瞬下を向き眼を伏せると、再び顔を上げてリーの顔をまともにみた。

「リー君、どう思う? 私があいつと寝たら、あいつ、私をパートナーに指名するかしら?」

「どうでしょうか。わかりませんね」

 あまりにユウコにまともにみつめられ、今度はリーが眼をそらした。

「でも、僕だったらそういうことはしないな」

「そう?」

「一緒に寝た女が隣にいて、ニュースを読むなんて……とても想像できない」

「そうよね。不謹慎よね」

「それに、そういう仕事のとり方では、売春婦と変わりないと僕は思う」

 リーは思いきってユウコの顔を正面からみた。ユウコもみつめ返してきた。

「ユウコさんは、仕事に困っているのですか?」

「そうね……微妙なとこかもしれない。女子アナって、若いうちはちやほやされるけど、やがて使い捨てになる運命だから」

 ユウコがそう言うからにはそうなのだろう、とリーは思った。

「ひょっとしたら今が、最後の売り時……」

 ユウコは潤んだ眼でリーをみつめてきた。

「ちょっと夜風にあたりませんか」

 リーは席を立つとウェイターを呼んだ。二言三言会話し、その場で勘定を済ませ、ユウコをエスコートして外に出た。

 すると外は白一色の世界になっていた。急に気温が下がり、霧が出たようだった。香港の湿気をはらんだ空気は時たまこういう悪戯をしでかすのだ。

「あら……素敵ね」

「秋にはたまに、こういうことがあります。恋人たちにとっては好都合。何をしていようが、濃い霧のなかだと周りからはみえません」

「ちょっとだけ、私にも恋人気分を味あわせて」

 リーに寄り添うようにしてユウコが言った。寒いのか、体をぴったりと寄せてくる。

「いいかしら?」

 と言って、リーの腕をとり、自分の手を絡めてきた。

 リーはユウコは恋人のように腕を組み、夜景のみえる展望台へとむかった。

 展望台へ着くと、霧が晴れてきた。霧の切れ間から香港の夜景がのぞいた。

「まだ100万ドルにはほど遠い。50万ドルぐらいかな」

 リーが言うと、

「十分よ。これはこれで、十分にロマンチック……」

 とユウコが顎を上げ、目を閉じた。リーはユウコの形のいい顎にそっと右手を添えると、やさしく、ゆっくりと浅いキスをした。

 途端にフラッシュがきらめいた。驚いた二人が光がきた方向をみると、再び強いフラッシュが二度、三度とたかれた。

「しまった。困ったことになりましたね」

 二人の写真を撮ったと思われる人影をみきわめるようにリーは目を細めた。人影は、二人にさっと背をむけると、霧の中へ駆けて行った。

「パパラッチかもしれない」

 リーは霧の中へ人影を追って駆け出した。

「待って!」

 ユウコが追いかけた。十メートルもいかないところでリーは立ち止まっていた。霧は深く、人影がどこに消えたかまったくみえない。

「パパラッチに狙われる覚えは?」

 ふり向いたリーがユウコに言った。

「わからない……ないとは、言えない」

 近頃の日本では女性アナウンサーがスキャンダル写真をねらい打ちされることが多いのだとユウコがリーに打ち明けた。

「そうですか……では、今の出来事を、例の人には言っておいた方がいいかもしれませんね」

 悔しそうな面持ちでリーが言った。

「僕のようなちんぴらと遊んでいるような写真が週刊誌に出たら、日本を代表するようなニュース番組のキャスターになるのは難しいかもしれない……」

「そうか……そんなこと、考えもしなかった」

 腰に両手を当てると、ユウコはちょっと悔しそうにハイヒールで地面を蹴った。

「いちばん怖いのは、ニュース番組が始まって、ユウコさんがキャスターとして活躍している最中に、こういうスキャンダルがでてしまうことではありませんか?」

 髪の毛をかきむしり、心の底から残念そうにリーが言った。

「そうね……それも、あり得る」

「申し訳ありません」

 真っ白な霧のなか、リーは深々とユウコに頭を下げた。

「いいのよ」

 とユウコが言った。

「これで何か、ふっきれたというか……あの人には今夜のことを正直に話します」

「ユウコさん……いいんですかそれで」

「あの人もこんな女にはきっと愛想を尽かすと思うわ」

「ごめんなさい」

 リーは再び、ユウコに頭を下げた。その下あごに、ユウコの指がそっと差し入れられた。リーはその指に持ち上げられるようにゆっくりと顔を上げ、再びユウコと真向かいに向き合った。

「ねえリー君。なんでさっきは私のキスを受け入れたの?」

「正直、あなたのことは前から素敵だと思っていました。好きだったんです。とても僕とでは釣り合いませんが……誘惑に負けてしまいました」

「もう一度だけ、誘惑に負けてくれる?」

 眼を閉じたユウコの顔が近付いてきた。リーはもう一度だけ、ユウコのキスを受け入れた。それからユウコを、紳士の態度で半島酒店ペニンシュラホテルまでケーブルカーとタクシーで送り届けた。


 一時間後、リーは再び、ピークカフェのカウンターに腰かけて、憂鬱そうな顔でビールがくるのを待っていた。

「うまくいきましたか」

 カールスバーグのドラフトビールが注がれたグラスをバーテンがリーの前に差しだした。ビールはよく冷えているようで、グラスが汗をかいていた。

「汗をかいたよ。このグラスみたいに」

 リーはグラスを持ち上げて、カールスバーグを喉に流し込んだ。当然のようによく冷えていて、うまかった。

「わたしも汗をかきましたよ。なにせ、パパラッチの経験は生まれて初めてですからね」

 リーよりすこし若いと思われるバーテンは、きっちりと整髪料で真ん中から分けた髪を照れたように両手で整えた。

「でも、うまく撮れたと思いますよ」

 バーテンは後ろのポケットから小さなデジカメを取り出すと、リーが座るカウンターに置いた。

 リーはデジカメを手に取り、ボタンを押して写真をウィンドウに再生してみた。リーとユウコがキスしている。確かに、ハリウッド映画のキスシーンを切りとったように、うまくフレーミングされていた。

「君、写真のセンスがあるね」

「おそれいります」

 リーは写真を送ってみた。次にディスプレイに出てきたのは、写真を撮られた直後、茫然としている男女の表情。三枚目は、不安げな表情のユウコがリーの腕にしがみついている。スキャンダル写真誌にとって、これ以上ないと思われるような組み合わせだった。

「素晴らしい腕前だ。バーテンを辞めても、君はパパラッチで食っていけるよ」

「ありがとうございます。で、その写真はどうするんですか? 本当にパパラッチみたいにマスコミにばらまくとか?」

 にやにやしながらバーテンが言った。

「いや。残念だけど、こいつらの役目は終わったんだ。消してしまうことにするよ」

「そうですか……せめて個人の記念として残しておけばいいのに……いい女でしたね」

「ああ。本当にいい女だった」

 残念そうに言うと、リーはデジカメのボタンを操作して、三枚の写真を消去した。


END


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