動かすとは動かさないこと
午後の道。
バスはゆるい山道を走っていた。
右側には崖、その下には川が流れている。
車内はのんびりした空気だった。
ピニオンは窓際の席で、買い物袋を膝に乗せている。
袋の中ではリンゴが転がり合う。
「今日は安かったなあ……」
前の席では年配の夫婦が地図を見ていた。
「この先に灯台があるらしいよ」
「帰りに寄れるかな」
後ろでは小さな男の子が窓に顔を近づけている。
「ママ!川が見える!」
母親が笑う。
「落ちないでよ」
運転席では運転手がハンドルを握っている。
少し急なカーブが続く道だ。
対向車線からトラックが近づいてくる。
そのとき。
ガタンッ。
トラックの荷台から木箱が一つ落ちた。
運転手の目が大きくなる。
「まずい!」
箱はバスの前に転がる。
とっさにハンドルを切る。
ドンッ!!
バスの側面にトラックが軽くぶつかる。
大きく揺れる車体。
「きゃあ!」
悲鳴。
運転手は必死にハンドルを戻す。
しかし衝撃でバランスを崩したバスは、
そのまま——
ガードレールへ突っ込んだ。
ガシャーン!!
金属が大きく曲がる。
ガードレールが外へ折れる。
バスの前輪が崖の外に飛び出した。
⸻
車内が静まり返る。
誰も声を出さない。
バスはまだ落ちていない。
——
前が空だ。
窓の外に道路はなく、
空と川が見える。
ピニオンの喉が乾く。
「……え?」(どうなってる?)
⸻
ギ……。
小さな音。
バスがほんの少し前に傾く。
車内の人の体が、ゆっくり前にずれる。
リンゴが袋から転がる。
コロ……。
床をゆっくり転がる。
誰も動かない。
皆、動いたら落ちる、そう感じている。
⸻
ギ……。
また音。緊張感が走る。
さっきより少し傾く。
男の子が泣き出す。
「ママ……こわい」
母親が抱きしめる。
「大丈夫、大丈夫」
でも声が震えている。
年配の夫婦は手を握り合う。
「落ちるのか……」
運転手はブレーキを踏んでいる。
だが分かっている。
もう意味がない。
車体の重さが、
ゆっくり前へ移っている。
⸻
橋の下の道。
ルルとポポが歩いていた。
ポポの耳が動く。
「……いやな音にゃ」
ルルが見上げる。
崖の上。
バスがガードレールを突き破り、
半分外に出ている。
⸻
その瞬間。
ギ……。
バスがさらに傾く。
車内で悲鳴。
人の体が前へ滑り始める。
「落ちる!!」
誰かが叫ぶ。
⸻
おちた、と思ったその時。
バスは
落ちる角度のまま、
ぴたりと止まっていた。
⸻
車内の人々が不思議そうに顔を上げる。
「……止まった?」
誰かがつぶやく。
「う、う動くんじゃないぞ!」
斜めの床。
窓の外には空。
でも、落ちない。
⸻
崖の下。
バスのすぐ真下まで飛んできて
ルルが手を前に出している。
空気が震えている。
ポポが驚く。
「……止めたにゃ?」
ルルは小さく言う。
「動かないように……動かしてる」
それは、ぴたりと止まり、がっちりとバスと橋とがくっついた。
⸻
ルルはバスの横に移動し、運転手へ避難を促す。
バスの中。
斜めの床は坂道のようだ。
運転手が叫ぶ。
「後ろのドアへ!!ゆっくり!!」
人々は座席を掴みながら進む。
一歩。
また一歩。
座席の背もたれを登る。
まるでクライミングのように。
男の子がよじ登る。
母親が背中を押す。
「もう少し」
年配の夫婦も手すりを握る。
ピニオンも座席を掴み、登る。
斜めの車内は、山の斜面みたいだ。
やっと後ろのドアへ辿り着く。
一人ずつ外へ出る。
⸻
最後に出てきたのはピニオン。
そこにルルがいた。
目が合う。
「……ルル?」
ルルは黙って頷く。
⸻
全員が降りたあと。
ルルは静かに息を吐く。
崖の下をみて人影がないのを確認し
「つかれた」
手を下ろす。
魔法が解ける。
バスは一直線に降ちて、つぶれた。
⸻
チク、タク、チク、タク、、
夕方。時計修理屋。
ピニオンが言う。
「さっきさ」
少し笑う。
「落ちると思った」
少し間を置いて。
「でも止まった」
ルルを見る。
「ルルが止めたんだよね」
ルルは小さくうなずく。
ポポが言う。
「世界を止める魔法にゃ」
ピニオンは笑った。
「すごいね」
「でもさ」
少し優しく言う。
「無理しすぎないで」
ルルは自分の手を見る。
まだ少し震えていた。




