国を救った元聖女ですが、婚約破棄され追放されたので竜の旦那様に溺愛されています。今さら王太子に戻ってこいと言われても遅いです
追放された元聖女ですが、今さら戻れと言われてももう遅いです
目が覚めたら、知らない天井……なんてテンプレを心の中でつぶやきながら、私はゆっくりとまぶたを開けた。
目に飛び込んできたのは、白い天蓋のベッドと、木目のきれいな天井。鼻をくすぐるのは、薬草と花の、ほんのり甘い香り。
「……ああ、そうだ。私、もう日本じゃないんだったっけ」
OLとして働いていた私は、過労で倒れて、そのまま人生を終えた。
そして気がつけば、このアストレア王国の男爵家の娘、リサとして生きている。
この世界に転生してから、もう17年。
私は聖女として王城に住み、国を守る光の魔法を使い、王太子クロード殿下の婚約者として、静かに、でも幸せに暮らしていた。
……少なくとも、昨日までは。
◆ ◆ ◆
「リサ・グランベル。貴様を聖女詐称の罪で断罪する!」
大広間に響き渡る、クロード殿下の声。
視線を向けると、彼は金の髪を乱暴にかき上げながら、私を冷たい目で見下ろしていた。
「……聖女、詐称?」
何を言っているの、この人は。
私の周りには、貴族たちと神殿関係者がずらりと並び、その前には、ひとりの黒髪の少女が立っていた。
日本人らしい雰囲気。制服のような服装。
私と同じ、黒髪黒目。
「ふふ、やっぱりびっくりしてる」
少女はくすくす笑うと、少しあどけない顔で私を見上げる。
「私、星野まゆ。異世界から召喚された、本物の聖女だよ」
ざわ、と周囲が色めき立つ。
「異世界……聖女?」
私は眉をひそめた。
この国には、代々、聖女が1人。
強い光の力を持つ者が、女神に選ばれる。
そして、今の聖女は、私のはずだ。
「殿下、どういうことでしょうか」
できるだけ落ち着いた声でたずねると、クロード殿下はあざ笑うように鼻を鳴らした。
「決まっているだろう。おまえは偽物だったということだ。神殿の新たな御神託により、異世界から真の聖女が召喚された。つまり、最初からおまえは誤認でしかなかった」
「誤認……」
たしかに私は、ただの男爵令嬢だった。
偶然、神殿で祈りを捧げていた時、強い光が現れ、聖女と認定された。
でも、それからずっと、私は光の力で瘴気を祓い、魔物を退け、何度も国を守ってきたのだ。
それを、誤認だと言い捨てるのか。
「リサ様」
まゆが、わざとらしく心配そうな顔を向けてくる。
「もう無理しなくていいんだよ。普通の女の子に戻ってさ。聖女の仕事って、きっと、リサ様には重荷だったんだよね?」
「いいえ」
私は小さく首を振った。
「重荷だと思ったことはありません。それに、私は確かに、聖女の力を持っています」
その言葉に、クロード殿下が苛立ったように声を荒らげる。
「往生際が悪いぞ、リサ! ここ最近、聖女の力が弱まったのは事実だ! だがそれも、おまえが偽物だったから当然のこと! 本物は、まゆだ!」
殿下はまゆの方に歩み寄り、彼女の手を取って、得意げに言い放つ。
「本日をもって、リサ・グランベルとの婚約を破棄し、真の聖女である星野まゆを、新たな婚約者とする!」
どよめきと拍手。
まゆは頬を赤らめ、うれしそうに殿下の腕にしがみつく。
「殿下、うれしい……! 私、がんばるね。この世界のみんなを、幸せにするから!」
……ああ。
これは、あれだ。
前世で読んだ恋愛ゲームとか、乙女ゲームでよくある展開だ。
悪役令嬢、婚約破棄イベント。
ただひとつ違うのは。
私は悪役なんてしていないし、誰もいじめていないし、むしろ仕事しまくりの社畜系聖女、というところだろうか。
「待ってください、殿下」
私は一歩、前に出た。
「私が偽物だと言うのなら、その証拠を示してください」
「証拠? ふん。今さら何を」
「たとえば、浄化の儀式。私と、その……まゆ様。どちらの光が女神の祝福に近いか、神殿で確認することもできます」
「必要ない!」
殿下は一喝する。
「御神託があった時点で、すべて証明されている! それとも女神の言葉に逆らうつもりか?」
……その御神託、本当に女神のものなんだろうか。
胸の奥が、冷たくざらつく。
だが、ここで何を言っても無駄だと、社会人経験の長い私は、すぐに理解した。
一度決裁された無茶な案件ほど、ひっくり返らないものはない。
そういうものだ。
「……わかりました」
私は小さく息を吐いた。
「それでは、聖女の座は、まゆ様にお譲りします」
「リサ!」
周りから驚きの声が上がる。
クロード殿下も、少しだけ目を見開いた。
「ただし」
私はまっすぐに、殿下を見据える。
「これまで私が行ってきた浄化や、国境線の守りなどが、すべて止まります。その結果、何が起きても、私は責任を取りません。それでも構いませんね?」
「おまえの中途半端な力など、そもそも欠片も期待していない!」
即答だった。
……ああ、本当に、駄目だこの国のトップ。
そう確信した瞬間だった。
「それともうひとつ」
殿下は、冷ややかに口を開く。
「聖女詐称は重大な罪だ。本来ならば極刑に値する。だが、かつての婚約者という情を考え、国外追放で済ませてやる。感謝しろ」
「国外追放……?」
「そうだ。おまえのような不届き者を、王都に置いておけば、まゆに害が及ぶかもしれないからな」
はいはい、完全に悪役令嬢扱い。
まゆはわざとらしく、私を見て肩をすくめる。
「ごめんね、リサ様。でも、仕方ないよ。これも、この世界を守るためなんだよ」
私、何かしたっけ?
◆ ◆ ◆
こうして私は、あれよあれよと言う間に、王城の塔に閉じ込められた。
国外追放までは数日。
その間、ここで大人しくしていろということだ。
牢ではないだけ、まだマシ……と言うべきだろうか。
「……前世よりはマシか」
思わず苦笑がこぼれる。
残業続きで終電を逃し、タクシー代も出なくて、会社のソファでそのまま倒れた日々に比べたら。
塔の部屋のベッドはふかふかだし、食事も出るし、寝不足にもならない。
それに、国外追放なら、まだ選択肢はある。
この国で聖女じゃなくなっただけで、私には光の力が残っている。
誰が何と言おうと、自分の体感は誤魔化せない。
「どこか、静かな場所で、自由に暮らそうかな」
そんなことをぼんやり考えていた時だった。
コツ、コツ、と、塔の石段を上ってくる足音がした。
「……こんな時間に?」
窓の外は、もうすっかり夜の色だ。
やがて、重い扉が、ギィ、と音を立てて開く。
「リサ」
低く落ち着いた声。
入ってきたのは、銀色の髪の騎士だった。
「ゼノス様……」
私は思わず立ち上がる。
騎士団長、ゼノス・ラグネル。
王国最強の騎士であり、私の護衛も務めていた人だ。
いつも無表情ぎみで、真面目そのもの。
でも、時々、不器用に優しい。
私にとっては、数少ない味方のひとりだった。
「……無事でよかった」
ゼノス様は部屋を見回し、私に視線を戻した。
「食事は? 何か不便はないか」
「大丈夫です。牢屋じゃないだけ、ありがたいですから」
私が肩をすくめると、彼はわずかに眉をひそめた。
「笑い事ではない」
「すみません。でも、正直、こうなるだろうなって、どこかで思っていました」
「なぜだ」
「殿下の様子、ここ最近おかしかったですし。まゆ様が現れてからは、私の話なんて、ほとんど聞いてくれませんでしたし」
そう。
実はここ数か月、浄化の儀式の時に、妙な違和感があったのだ。
光の流れが、どこかで不自然に曲げられているような感覚。
女神に捧げたはずの祈りが、別の何かに吸われているような。
そのことを、私は何度か殿下にも、神殿にも伝えていた。
だが、誰も真剣に取り合ってくれなかった。
「それでも、ここまで露骨に排除してくるとは、さすがに想定外でしたけどね」
「……怒っているのか」
「怒り……というより、呆れが大きいです」
私はふっと笑う。
「仕事押し付けてきた上司が、急に『おまえいらない』って言ってきた時の気持ちに似てます。ああ、やっぱり私、道具扱いだったんだなって」
ゼノス様の瞳が、ぐっと暗くなる。
「リサ。おまえは、そんな扱いを受けていい人間ではない」
「ありがとうございます。そう言ってもらえるだけで、十分ですよ」
少なくとも、この人は、私をちゃんと人間だと思ってくれている。
「……で、本題は?」
私は首をかしげる。
「こんな時間に、わざわざ私に会いに来るなんて。『見回り中についでに』ってタイプでもないですよね、ゼノス様」
「……ついでなどではない」
彼は短くそう言うと、静かに続けた。
「リサ。おまえをここから連れ出す」
「……え?」
「国外追放など、くだらない。おまえは、王家ではなく、女神に選ばれた存在だ。ここに縛られている必要はない」
ゼノス様は、真っ直ぐに私の手を取った。
「俺と一緒に来い」
「えっ、ちょ、ちょっと待ってください!」
思わず声が裏返る。
「ゼノス様、それって、つまり、反逆じゃ……」
「構わない」
即答だった。
「この国は、すでに腐り始めている。女神の加護を軽んじ、偽物の御神託にすがり、目の前の真実を捨てた。ならば、やがて、相応の罰を受けるだろう」
「偽物の御神託……?」
私は目を見開いた。
「確信があるんですか?」
「ある」
ゼノス様は、ゆっくりと目を閉じる。
「俺は、女神の声を直接聞いた」
「えっ」
「そして、今この瞬間も――」
彼の背に、淡い光の羽のようなものが広がる。
部屋の空気が震え、小さな光の粒が、舞い散った。
「え、え、なにこれ」
「……すまない。ずっと黙っていた」
ゼノス様は、少しだけ気まずそうに視線をそらす。
「俺の正体は、人間ではない」
「は?」
「正確には、人の姿を取っているだけの存在だ。俺は、この国よりも古くから生きる守護竜だ」
「しゅ、ご……え、ドラゴン!?」
予想の斜め上どころか、空の彼方までぶっ飛んでいった。
「ドラゴンって、あの、山を一撃で吹き飛ばすとか、世界を焼き尽くすとかいう、あのドラゴンですか?」
「そこまで乱暴ではない」
「そういう問題ではないですよね!?」
私が思わずツッコむと、ゼノス様――いや、守護竜さんは、小さく肩を揺らした。
笑った、のだと思う。
「おまえが初めて神殿で祈った日。小さな身体で、必死に国のことを案じていた。その姿を見て、女神はおまえを気に入った。俺も、おまえに興味を持った」
「そんな前から……?」
「おまえの光は、確かに女神の光だ。偽物などではない」
静かに告げられた言葉に、胸の奥が熱くなる。
誰かに、はっきりとそう言い切られるのは、初めてだ。
「ゼノス様……」
「それなのに、おまえを道具扱いし、いらなくなったから捨てる。そんな王家を見ているのは、もう限界だ」
彼はすっと膝をつき、私の手の甲に唇を寄せた。
「俺の領地へ来い、リサ。俺の山で、おまえを守りたい」
「山、って……」
守護竜の山。
そこは、王国の地図でも「危険地帯」とされている、未踏の地。
でも、逆に言えば。
王家の手だって、そう簡単に届かない。
自由を手に入れるチャンスだ。
「……いいんですか。本当に、私なんかで」
「俺は、おまえがいい」
即答だった。
「おまえは、自分を安く見積もりすぎる。女神に選ばれた聖女であることも、誰よりも国のために働いてきたことも、自分でわかっていない」
ゼノス様は、真摯な瞳で私を見つめる。
「だから俺は、おまえが自分を大事にできる場所を用意したい」
「……ずるいです」
そんな目で、そんなことを言われたら。
心が、揺れるに決まっている。
「ゼノス様、私、殿下のこと、好きでしたよ?」
「ああ」
「でも、私を信じてくれませんでした。簡単に捨てました。そんな人を、これ以上追いかけるのは、もう疲れました」
私は大きく息を吸い込む。
「……わかりました。連れて行ってください。あなたの山へ」
ゼノス様の表情が、ほんの少しだけ、ほどけた気がした。
「ああ。任せろ」
◆ ◆ ◆
それから数か月。
私は、王国最北端の「竜の山」で、新しい生活を始めていた。
「リサ、ご飯できたよー!」
山小屋のキッチンから、元気な声が聞こえる。
「はーい、ありがと、ティナ」
振り返ると、金色の髪の少女が、両手に大きなお皿を持って走ってきた。
ティナは、この山に住む竜のひとりだ。
普段は人型で、私のことを「お姉ちゃん」と呼んで慕ってくれている。
「今日のスープ、リサが教えてくれたレシピで作ったんだよ! 人間の料理、おいしい!」
「それは楽しみだね」
私はテーブルを拭きながら笑う。
ここに来てから、私は竜たちの治療をしたり、山の瘴気を浄化したり、たまに里に降りて怪我人を癒したり。
自分のペースで、できることだけをやっていた。
誰も「もっとやれ」とは言わない。
「無理しないで」と言ってくれる。
それが、こんなに幸せなことだなんて。
「リサ」
ふいに、背後から声がして、私は振り向いた。
「ゼノス様」
彼は鎧ではなく、ラフなシャツ姿で、いつものように静かに立っていた。
「今日も、山の調子はいい。おまえの浄化のおかげだ」
「竜のみんなが、ちゃんと光を循環させてくれてるからですよ。私は少し手伝ってるだけです」
「それでもだ」
ゼノス様は、ゆっくりと歩み寄ってきて、私の髪に手を伸ばした。
指先が、さらりと髪をすく。
「おまえがここに来てから、山は、前よりもずっと穏やかになった。竜たちも、笑うことが増えた」
「それはゼノス様が、ちゃんとみんなのこと見てるからですよ」
「……そうかもしれないな」
彼は、わずかに口元を緩める。
こんな顔を見たことがなかった。
王城にいた頃の彼は、いつも、鎧のように無表情だったから。
その時。
山の麓の方から、微かな魔力の波が届いた。
「……?」
私は反射的に顔を上げる。
「今の、感じました?」
「ああ」
ゼノス様の表情が、すっと引き締まる。
「人間の軍だ。かなりの数が、こちらに向かっている」
「軍……?」
胸の鼓動が少し早くなる。
「まさか、私を捕まえに?」
「いや、違う」
ゼノス様は目を閉じ、気配を探るように静かに言った。
「先頭にいるのは……クロード王太子と、異世界の聖女。それと、神殿の司祭たちか」
「…………」
ああ、来たか。
心のどこかで。
いつか、こうなるような気がしていた。
「ゼノス様」
「ああ。迎えよう」
彼は静かに頷いた。
◆ ◆ ◆
山の中腹にある広い石の広場。
そこに、王国軍の旗を掲げた一団が、慎重に足を踏み入れてきた。
「ここが……竜の山」
前に立つクロード殿下が、険しい顔であたりを見回す。
その隣には、すっかり派手なドレスに身を包んだまゆが、怯えたふりをしながら腕を絡ませていた。
「クロード様、怖い……」
「大丈夫だ、まゆ。俺がいる」
うん。
私は、遠目からその様子を見ながら、内心で思い切りため息をついた。
相変わらずだな、この人たち。
「よく来たな、人間ども」
ゼノス様が、一歩前に出る。
その身体から溢れた魔力に、兵士たちが震え上がった。
「あ、あれは……!」
「魔力が、人じゃないレベルだ……!」
ざわめきの中、クロード殿下は必死に声を張り上げる。
「お、おれはアストレア王国の王太子、クロード・アストレアだ! 竜の王よ! 急ぎ話がある!」
「おまえと話すことなど、特にないが」
ゼノス様が冷たく言い放つと、殿下の顔が引きつった。
「だ、だが、これはこの大陸の一大事なのだ! 最近、魔物の出現が急増し、各地の瘴気があふれ出している! このままでは、国が滅びる!」
……あれ。
やっぱり、そうなったか。
「聖女の力も、なぜか弱まり続けているの! 女神様の加護が、どんどん遠くなって……!」
まゆが泣きそうな顔で叫ぶ。
「だからお願い! 竜の王様! どうか力を貸して! 私、もう……」
「まゆ」
ゼノス様の声が、彼女の言葉を遮った。
「おまえは、聖女ではない」
「え……?」
「おまえに流れている光は、女神のものではない。何者かに与えられた、偽物の力だ」
「そ、そんな……!」
まゆの顔が真っ青になる。
殿下も、信じられないといった顔で叫んだ。
「何を言う! 御神託が……!」
「その御神託を与えた存在は、女神ではない」
ゼノス様の視線が、殿下の後ろにいる司祭たちに向く。
「おまえたち。数年前から、妙な儀式を始めたな。女神とは別の何かに、祈りを捧げていたはずだ」
「そ、それは……」
司祭のひとりが、顔をこわばらせる。
「た、確かに、新たな神の声が……。世界を豊かにすると言う声が……」
「その代わりに、女神の光を奪っていった。愚かだな」
ゼノス様が吐き捨てる。
「そして、女神に選ばれていた本物の聖女を捨て、偽物を祭り上げた。今、おまえたちの国が苦しんでいるのは、その報いだ」
「そ、そんな……」
クロード殿下の顔から、血の気が引いていく。
「じゃあ、俺たちは……」
「はい、そこまで」
私は、ゼノス様の隣に歩み出た。
殿下とまゆ、司祭たちの視線が、一斉に私に集まる。
「……リサ?」
殿下の声が震える。
「おまえ、なぜここに……」
「ここ、私の家なので」
私は軽く肩をすくめた。
「竜の山で暮らしてるんです、今は」
動揺が、波のように一団を走る。
「ど、どういうことだ、リサ。おまえは国外追放に……」
「だから、国外に近い山に住んでるじゃないですか。ちゃんと守りましたよ、殿下の命令」
皮肉を込めて笑ってみせると、殿下は言葉を失った。
「リサ様、よかった……!」
まゆがぱっと顔を輝かせる。
「本当に聖女だったのね! お願い、一緒に国を救いましょう? 私、力が弱くなっちゃって……やっぱり、ふたりで聖女やった方がいいのかなって……」
「まゆ様」
私は穏やかに、しかしはっきりと首を振った。
「すみません。お断りします」
「え……?」
「私はもう、アストレア王国の聖女ではありません。ここで、私なりにできることをして、静かに暮らしています。それを、今さら引きずり戻すのは、やめてください」
まゆの顔から、さっと笑みが消えた。
「で、でも、世界が大変なのよ!? そんなワガママ言ってる場合じゃ……」
「世界は広いですよ、まゆ様」
私は淡々と続ける。
「アストレア王国ひとつの危機が、世界のすべてだとは限りません。それに、あなたたちは、自分たちで選んだんです。私を偽物扱いして、捨てると」
その瞬間。
クロード殿下の肩が、びくりと震えた。
「リサ、あれは……その……」
「『偽物のくせに』『おまえはいらない』『国外追放で済ませてやるだけ感謝しろ』」
私は、殿下の言葉を、ひとつひとつ、丁寧になぞる。
「ちゃんと覚えていますよ。私、記憶力だけはいいので」
殿下の顔が、みるみるうちに赤くなった。
「そ、それは……当時は、そう思っていたが……!」
「じゃあ、今はどう思ってるんですか?」
私は首をかしげる。
「力が足りなくなって困ってるから、本物だったかもしれないって、慌ててるんですか?」
「…………」
返ってくるのは、沈黙だけだ。
「リサ様、そんな言い方……!」
耐えきれなくなったように、まゆが叫ぶ。
「私だって、被害者なのよ!? 変な声が聞こえてきて、『君は特別だ、聖女になれる』って言われて、この世界に召喚されて、がんばってきたの! それなのに、今さら偽物だって言われて……私だって、つらいのよ!」
「つらいでしょうね」
私は素直にうなずいた。
「前世から急に連れてこられて、役目を押し付けられて、ちやほやされて。でも、その立場も、今はぐらぐらで。不安になりますよね」
「だったら……!」
「でも、その不安を埋めるために、他人を踏み台にしていいわけじゃないです」
まゆがはっとして、口をつぐむ。
「あなた、私のこと、何度も見下しましたよね。『普通の令嬢あがりのくせに』『クロード様の隣には似合わない』って」
「あ、あれは……」
「私が『浄化がうまくいかない』って相談した時、『自信がないなら聖女なんてやめれば』って笑ったのも覚えてます」
まゆの顔から、血の気が引いていく。
「そ、それは……」
「正直に言いますね、まゆ様」
私は微笑んだ。
「あなたがどれだけつらかったとしても、私に謝る気がないなら、助ける理由もありません」
「……っ」
まゆは悔しそうに唇を噛んだが、結局、何も言い返せなかった。
その沈黙を破ったのは、クロード殿下の声だった。
「……リサ」
彼は、ぎこちなく、しかしはっきりと口を開いた。
「悪かった」
広場の空気が、一瞬止まる。
「おまえを、偽物呼ばわりし、捨てたことを……今は、本当に、後悔している」
「殿下……」
「だが、国が本当に危ないんだ。だから、その……もう一度、戻ってきてくれないか。おまえが必要だ」
震える声で、それでも絞り出すように告げる殿下。
昔の私なら。
もしかしたら、泣いていたかもしれない。
でも、今の私は。
「……殿下」
静かに首を振る。
「遅すぎます」
その言葉に、殿下は愕然と目を見開いた。
「おまえ、今なんと言った……?」
「遅すぎると、言いました」
私はゆっくりと続ける。
「言葉って、不思議ですよね。一度口に出したら、もう元には戻せません。私を偽物だと言い、いらないと言い、捨てた。それは、殿下が選んだ言葉です」
「だが……!」
「私だって、最初から完璧だったわけじゃありません。至らないところも、失敗もあった。でも、だからこそ、一緒に支え合って、進んでいける人がよかった」
私は息を吐き、優しく、しかしはっきりと告げた。
「殿下は、私とそういう関係を築く気がなかった。それだけの話です」
「リサ……」
「それに」
私はそっと、自分の手を握った。
すぐそこに、ゼノス様の気配がある。
「私はもう、ここで生きる場所を見つけました」
「…………」
「竜たちと一緒に、ゼノス様と一緒に、自分のペースで生きていきたい。だから、ごめんなさい。私は、戻りません」
その瞬間。
殿下の肩から、力が抜け落ちた。
それはきっと。
初めて、自分の選択の結果を、真正面から浴びた瞬間だったのだろう。
「女神の加護が戻らない限り、アストレア王国の苦難は続くだろう」
ゼノス様が、淡々と告げる。
「だが、それはおまえたちが選んだ道だ。他者に押し付けるな」
「……わかっている」
殿下は、かすれた声で答えた。
「それでも……せめて、国民だけは、守らなければ……」
その言葉に、私は少しだけ、心が揺れた。
たぶん、この人は、この人なりに、国を守ろうとはしてきたのだろう。
方法も、優先順位も、全部間違っていたけれど。
私はゼノス様を見上げる。
「ねえ、ゼノス様」
「ああ」
「この山から、遠くの大地に、少しだけ光を流すことって、できますか?」
「できる。おまえの光なら、なおさらな」
「じゃあ、アストレア王国へ、ほんの少しだけ。人々が飢え死にしない程度の恵みを届けることは、できますか」
ゼノス様は、少しだけ目を細めた。
「優しいな、おまえは」
「別に優しくなんかないですよ」
私は首を振る。
「殿下たちに、楽をさせるつもりはありません。ただ、罪のない人たちまで巻き込まれるのは、見たくないだけです」
「……リサ」
クロード殿下が、驚いたように私を見る。
「安心してください」
私ははっきりと言った。
「あなたたちの苦労は、これからが本番ですから」
「え?」
「女神の加護は、多分、戻りません。少なくとも、私が女神様だったら、簡単には許しません」
女神様、聞いてたらごめんなさい。
でも多分、笑っている気がする。
「だから、あなたたちは、自分たちの力で、必死に国を立て直してください。間違えた分だけ、努力してください」
「…………」
「その上で。民が飢えないように、最低限の土台だけ、ここから流します。それ以上は、自分たちでなんとかしてください」
それが、私なりの、最大限の譲歩だ。
殿下は、しばらく何も言えずにいたが、やがて、深く頭を垂れた。
「……わかった」
その姿を見ながら、私はようやく、胸のつかえが落ちていくのを感じた。
ああ、これで、本当に終わったのだ。
私と、王太子クロードの物語は。
◆ ◆ ◆
王国軍が去った後。
山の空気は、いつもの静けさを取り戻していた。
私は、石の上に腰を下ろし、遠くの空を見上げる。
「疲れた……」
「よく頑張ったな」
隣に腰を下ろしたゼノス様が、私の髪をそっと撫でる。
「途中で、殴りかかるかと思ったぞ」
「殴りませんよ。仕事だからって、理不尽な客先にも、笑顔で対応してきた社会人をなめないでください」
「そのスキルは、もっと別の場所で活かすべきだな」
ふっと笑い合う。
「……後悔、していないか」
ゼノス様の問いかけに、私は首を振った。
「してないですよ」
「本当に?」
「本当に」
私は、少しだけ間を置いてから、続けた。
「クロード殿下を好きだったことも、聖女として必死に働いてきたことも、全部、私の人生の一部です。それを否定したら、今の私まで否定することになりますから」
それに、と、私は小さく笑う。
「捨てられたから、ここに来られましたし」
「……ああ」
「追放されなかったら、あなたの正体も知らないまま、一生、仕事に追われてたかもしれません」
それって、かなりもったいない。
「だから、私にとっては、あの日が、人生の分岐点だったんです」
クロード殿下に「いらない」と言われた日。
あの日のおかげで、私は、私を必要としてくれる人のところにたどり着けたのだから。
「ゼノス様」
「なんだ」
「これからも、ここにいていいですか?」
問いというより、確認に近い。
彼は、少しだけ驚いたように目を見開き、それから穏やかに目を細めた。
「当たり前だ」
大きな手が、そっと私の頬を包む。
「ここは、おまえの家だ。俺の隣は、おまえの場所だ」
「……ずるい」
「またずるいと言われたな」
「だって……そんなこと言われたら、もう、離れられないじゃないですか」
「離す気はない」
静かに、でも力強く返されて、私は笑うしかなくなった。
「ゼノス様」
「なんだ」
「好きです」
簡単な言葉。
でも、今の私にとっては、世界でいちばん重い言葉。
彼は、少しだけ固まってから、ゆっくりと口元を緩めた。
「ああ」
そして、短く、しかしはっきりと答える。
「俺も、おまえが好きだ。俺の聖女」
ああ。
やっぱり、あの日、追放されてよかった。
何度だって、そう思えるくらいに。
私は今、とても、幸せだ。
あとがきまで読んでくださって、ありがとうございます。作者です。
元聖女リサがきっぱり「遅すぎます」と言い切る場面と、最後にゼノス様に「ここが自分の居場所だ」と思えるところが書きたくて、この短編を書きました。
少しでも
・追放ざまぁ気持ちいい
・リサが幸せになれてよかった
・ゼノス様いい男すぎる
と思っていただけましたら、ぜひ
•ブックマーク
•評価
•感想や一言コメント
を入れていただけるとうれしいです。
特にブックマークと評価は、この作品がどれくらい読まれているかの目安になっていて、次の作品を書く時の大きな励みになります。
反応をいただけたら
・ゼノス様視点の番外編
・追放後のまゆとクロードのその後
・竜の山でののんびり新婚(予定)生活編
なんかも書いてみたいな、と考えています。
誤字脱字の報告も大歓迎です。
ここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございました。
また別の作品でお会いできたら、とても嬉しいです。




