もう転生したくない
「五味! この本読んでみろよ! スゲぇこと書いてんぞ!」
札幌市の郊外。
真冬の一月。
雪は分厚く降り積もり、気温は常にマイナスとなる季節。
自宅アパートに訪ねてきた六田祐二を、五味秀一は、目を丸くして迎えた。三十六歳のフリーター。とはいえ、生活には困っていない。大金が必要なときは、昔のツテを頼って特殊詐欺に手を染めていた。住んでいるアパートは郊外にある安物件だが、金には不自由していない。
少なくとも、性欲が湧き上がったときに風俗に行く程度の金はある。SNSを通じて買春をする程度の金もある。車もある。
五味の目の前で、六田は一冊の本を手に持ち、興奮を隠せない顔を見せている。五味の古くからの友人。同級生。出会いは高校生のとき。昔から、二人で悪さばかりしていた。万引き、恐喝、強姦。二人で楽しく、好き勝手に生きてきた。
そんな生き方をしてきたから、まともに就職などしなかった。仕事に忙殺される人生なんて、まっぴらだった。
だから、社会保険が適用される程度にフリーターとして働いた。小遣い程度の金をアルバイトで稼ぎながら、本当に必要な金は詐欺で稼いでいた。
五味も六田も、人生が楽しかった。楽に大金を得て、女遊びをして。
時々刺激を求めて、昔のように女性を襲った。警察に通報されないように、大人しそうな進学校の女子高生をターゲットにした。襲い、女性のあられもない姿をスマートフォンで撮影し、脅した。
「警察に通報ったら、ネットでばら撒くからな」
だから今まで、通報されたことは一度もない。
人生を面白おかしく謳歌している五味と六田は、いつしか、こんな会話をするようになった。
「永遠に生きていたいな」
「ホントにな。適当に金稼いで、適当に女買って、飽きたら女襲って」
「どっかに、不老不死になる方法とかねぇかな?」
「マジでそれな。ってか、不老不死じゃなくても、転生とかできたら最高じゃね?」
「それもいいな。歳とってくたばったら、またイチから人生やり直せんの。んで、好き勝手生きて、歳とって、くたばって、また転生して」
「あー、マジで転生してぇ」
そんな日々を送っていたら、今日、連絡もなく六田が訪ねてきた。彼が持っている本は、ずいぶん古ぼけていた。もともとは白かったのだろうが、変色してやや黄色くなっている。表紙や背表紙に書かれている黒い文字のタイトルは、すっかり色落ちしていた。
たった三文字のタイトル。
『転生書』
五味は鼻で笑った。
「なんか、タイトルからして胡散臭ぇ本だな。転生する方法でも書いてんのかよ?」
「そりゃそうだろ。転生書なんだから」
「いや、簡単に転生なんかできたら、苦労しねぇって。お前、こんな本、どこで手に入れたんだよ?」
六田の話によると、この本は、街中にあるモールで手に入れたらしい。
五味もたまに、モールに足を運ぶことがある。様々な店が立ち並ぶ通り。しかし、こんな古い本を売っている店には、心当たりがない。
「俺も初めて見たんだけど、モールに、スゲぇボロい古本屋があったんだよ」
こんな店あったっけ?――と思いつつ、六田は、その店に入ったらしい。
店の中には古びた本ばかりが並べられていて、最近の漫画や雑誌などは一切なかったそうだ。
「んで、買ってきたのか?」
「いや。店主がすげぇジジィだったから、隙見て盗んできた」
五味はまた、鼻で笑った。そうだった。六田は、わざわざ本を買うような人物ではない。本は買う物ではなく、盗む物だ。
「とにかく! 俺はもう読んだから、お前も読んでみろよ! スゲぇから!」
「ああ」
六田から本を受け取る。正直なところ、気が進まない。五味は、文字だけの本はまず読まない。生まれてこの方、小説などは一冊も読んだことがない。
「じゃあ、俺はもう行くわ。これから金を受け取りに行くんだ」
詐欺の受け子。
「ああ。まあ、気ぃつけろよ」
「ああ。じゃあな。絶対に読めよ」
六田が帰り、五味は玄関のドアを閉めた。室内に戻り、こたつの中に入る。渡された本を、じっと見る。
「……」
直後、五味は不思議な感覚に包まれた。転生書、と書かれた本。その本に、吸い込まれるような感覚。文字だけの本なんて、読むのが面倒臭い。しかし、この本をめくりたい自分がいる。
自然と手が伸びる。本に触れる。
五味は本を開いた。
転生書には、その名の通り、転生するための方法が記載されていた。
『転生とは、その名の通り「生」の転換である。しかし、自身の生にも他人の生にも、限りがある。自身の生を使い果たしたら、もう転生はできない』
『しかし、自身の生を追加する方法がある』
『他人の生を奪うのだ』
『例えば、八十歳で人生を終える、現在五歳の子供がいたとしよう。その子供を五歳のときに殺すと、七十五年の生が余ることになる』
『余った生はどこに分配されるのか』
『殺した者の生として分配される。ただし、現世の生としてではなく、転生先の生として』
『これが、転生の手段である』
『転生だから、当然、記憶は維持される。他人から奪った生の分だけ、自分は転生を繰り返すことができる』
様々な細かいことが書かれていたが、転生の方法を要約すると、こんな内容だった。
通常であれば、眉唾と思える内容。
しかし、この本には不思議な力があった。読んだ者に信じさせる力。
五味も、本の内容を信じた。人を殺せば、そいつの残りの生が、自分の来世として分配される。つまり、殺せば殺すほど、何度も転生できる。若い奴を殺せば殺すほど、より多くの生を得ることができる。理屈上で言えば、永遠に転生することができる。
転生の方法の部分を読み終えたが、本にはまだ続きがあった。残りは、三分の一くらいか。
でも、転生の方法さえ分かれば、あとはどうでもいい。文字だけの本をこれ以上読むのは、面倒臭い。
五味は本を閉じた。早速実践しよう。誰かを殺そう。
とはいえ、人を殺すのは容易ではない。いや、殺すのは容易でも、隠し続けるのは容易ではない。
さて、どうするか。
考え込んだ五味の頭に、転生書の内容が思い浮んだ。
『例えば、八十歳で人生を終える、現在五歳の子供がいたとしよう。その子供を五歳のときに殺すと、七十五年の生が余ることになる』
殺す相手の体が小さければ小さいほど、殺した後の処理は楽になるはずだ。さらに、殺す相手が幼いほど、多くの生を奪える。
殺すのは子供にしよう。
夕方になると、五味は、手錠を持参して家を出た。いつもは、女性を襲う際に利用している手錠。車に乗り、少し離れた場所の住宅街に向った。住宅街付近にある、公園。
小さな子供が、小さな雪だるまを作っていた。五、六歳くらいか。丁度いい。
周辺に親らしき人物がいないことを確かめ、五味は公園に走り込んだ。不意打ち気味に子供の顔面を殴った。
大人の力で殴られた子供は、雪の上に倒れた。失神はしていないが、意識が朦朧としているようだ。
隙を逃さず、五味は子供を抱え、車に戻った。子供の意識が戻っても大丈夫なように、手錠で、両手を後ろ手に拘束した。口に布の切れ端を突っ込み、猿ぐつわの代わりにした。
車を発車。自宅に戻った。自宅で、子供を絞殺した。小さな子供を殺すのは、女性をレイプするよりもはるかに簡単だった。
殺人で一番難しいのは、死体を隠す方法だ。けれど五味には、死体を始末する算段があった。
季節は冬。雪は大量にある。
雪だるまを作り、その中に子供の遺体を閉じ込めた。完成した雪だるまの表面に、水を振りかけた。かけた水がマイナスの気温で凍り付き、雪だるまならぬ氷だるまになった。簡単に溶けることはなく、簡単に壊れない。
五味は、死体入りの雪だるまを車に乗せた。そのまま、市内にある山道まで走らせた。ある程度深い山奥まで行くと、雪だるまを下ろし、適当に遺棄した。
冬の間は、雪だるまが溶けることはない。中の死体が見つかることもない。春になって溶け出す頃には、熊などの獣が死体を始末してくれる。小柄な子供だから、獣が食い尽くすまで時間はかからないはずだ。
五味の計画は、見事に成功した。今期の冬に七人もの子供を殺したが、誰一人として発見されなかった。雪だるまは、人を殺すのに非常に役立った。有用なことこの上ない。
後日。
転生書について、酒を飲みながら六田と話した。六田も、この冬に数人殺したそうだ。狙ったのは子供。子供の方が奪える生が多く、さらに、死体の始末も簡単だ。同じ目論みをしたことに、二人で顔を見合わせて笑った。
冬が来るたびに、五味は子供を殺した。そんなことを、何年も続けた。
やがて歳をとり、子供でも殺すのが困難な年齢になった。
今まで、六十六人殺した。概ね、五、六歳の子供だった。各自が八十歳まで生きるとして、奪った生は一人あたり七十五年。それが、六十六人分。五千年近くの生を得たことになる。
来世が楽しみだ。
やがて、年老いた五味は、孤独に現世を終えた。自宅の布団の中で、体が動かなくなり、ゆっくりと意識を失っていった。
孤独死。けれど、寂しいとも悲しいとも思わなかった。自分は、生まれ変わって人生をやり直せるのだから。
◇
ふと、意識が戻った。
いや。意識が戻った、という言い方は適切ではないだろう。
死ぬ直前の記憶が、はっきりと残っている。年齢を重ね、若い頃に不摂生をしていたツケが回り、体がまったく動かなくなった。不思議と、苦痛はなかった。そのまま、自宅の布団の中で意識を失った。目が覚めることはなかった。
自分は、あのまま布団の中で死んだのだろう。そして今、こうして目が覚めた。
意識が戻った、ではなく、転生したのだ。
ということは、自分は今、赤ん坊なのか。
転生先の状況を確認するため、五味は、周囲を見回そうとした。しかし、視線を動かせない。首だけではなく、目も動かない。
なんだ? 赤ん坊って、首だけじゃなく目ん玉も動かせないのか?
疑問に思いつつ、五味は、見える範囲の景色を確かめた。
青空。太陽が眩しい。視界の端には、木が見える。枝に雪が積もった木。真正面には、公園の物と思われる遊具。
何だ、ここ。外なのか? 俺、赤ん坊なのに外にいるのか? もしかして、捨て子なのか?
どうやら、転生先はろくでもなかったみたいだ。親に捨てられた子なんて。くそ。運が悪い。
でも、と思う。このまま死んでも、すぐに転生するはずだ。今度転生したら、まともな家庭の子供に産まれたい。成長したら、また好き勝手に生きるんだ。
そんなことを考えていたが、しばらくすると、五味は不自然なことに気付いた。ありえない風景を見ている。自分で立つこともできない赤ん坊が、どうして、公園にある遊具などを見ることができるのか。捨てられたなら、どこかで倒れているはずだ。赤ん坊は、自力では立ち上げがれない。つまり、見えるのは空だけのはずだ。
「お母さーん。枝、拾ってきたよ」
「あら、たっ君、いいの持ってきたね」
子供の声と、母親とおぼしき女性の声が聞こえた。二人はすぐに、五味の目の前に来た。三十代前半くらいの母親。五歳くらいの男の子。
男の子は、枝を二本持っている。
「じゃあ、雪だるまさんに、手を付けてあげようね」
「うん」
子供は五味の側面に移動し、持っていた枝を一本、握りながら振り上げた。そのまま、五味に向って突き刺してくる。
ザクッ! 枝が、五味の体に刺さった。
『痛えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっ!!!』
五味は悲鳴を上げた。枝を刺されたのだ。痛くないはずがない。
『このクソガキ! 何しやがる! ぶっ殺すぞ!!』
五味が上げた悲鳴も、怒鳴り声も、言葉にはならなかった。音にもならず、ただ五味の心の中だけに響いた。
「じゃあ、たっ君。雪だるまさんのこっちにも、手を付けてあげようね」
「うん!」
子供は反対側に回り込み、また枝を振り上げた。
『おい! やめろよ! またそんなの刺されたら、死んじまうよ! な!?』
五味の声は、子供には届かない。また枝を刺された。
再度、五味は絶叫を上げた。痛い。とんでもなく痛い。人の体に枝を突き刺すなんて、正気の沙汰じゃない。何考えてんだ、この親子は。
そこまで考えて。五味は、ふいに気付いた。さらなる違和感に。
悲鳴が、声にならない。音にもならない。
この親子は、五味のことを「雪だるまさん」と呼んでいる。手を付けてあげると言って、枝を突き刺した。
今の状況から推測できることは、ただ一つだった。
転生先は、雪だるまだ。
『嘘だろ!? 雪だるまに転生って、どういうことだよ!? 何で、生き物ですらないものに転生してんだよ!?』
五味の疑問に答える者はいない。声が出ていないのだから、聞いてさえもらえない。
「たっ君、雪だるまさんに、お目々も付けてあげようね」
「うん!」
子供は小石を手にした。五味の頭に近付けてくる。
『おい! やめろ! やめろよ! なっ? なっ!? そんなのねじ込まれたら……いでぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ!!』
子供は母親と共に、五味を飾っていった。両手、両目、眉毛に鼻、口を描いていった。体の部位が追加されるたびに、五味は激痛に襲われた。
「じゃあ、たっ君。そろそろお昼だから、お家に帰ろうか」
「うん」
「雪だるまさんにバイバイして」
「バイバーイ」
五味に手を振って、親子は帰っていった。
体中に激痛が走っている。痛くて痛くてたまらない。五味は泣きそうになった。もっとも、雪だるまだから涙も出ないのだが。
心の中で、恨み言を延々と繰り返す。なんでだよ。なんだよ、雪だるまって。ふざけてんのかよ。くそ。痛ぇよ。もういっそ、殺してくれよ。今度は人間に転生してぇよ。
時間が経ち、辺りが少し暗くなってきた。何時かは分からないが、夕方近いのだろう。
公園に、数人の子供が入ってきた。小学校高学年くらいの男の子達。彼等は五味を見つけると、こちらに向って走ってきた。
「おっ? 雪だるま発見!」
「おらぁっ!」
五味を見つけるやいなや、男の子の一人が五味を蹴ってきた。
『ばぶっ!?』
声にならない悲鳴。直後、五味の視界が反転した。同時に、表現しようのない痛みに襲われた。
子供に蹴られて、雪だるまの――五味の頭が、地面に落ちたのだ。
『あがあああああああああああああああああああああああああああっっっ!?』
子供達は、容赦なく五味を壊しにかかってきた。かつて五味が、罪もない子供達にそうしたように。
『何しやがるクソガキ共! ぶっ殺すぞ! やめろや! やめ……。やめ……』
体が壊れてゆく。破壊されるたびに、手足がもぎ取られるような痛みが走る。
『いでっ……やめ……やめて……お願い……許し……助けて……』
男の子達に蹴られ、踏み潰され、五味の体は滅茶苦茶に砕けた。激痛と恐怖の中で、五味の意識は完全に消え去った。
◇
五味は再度、目を覚ました。また転生したのだ。
転生した直後、五味は灼熱地獄の中にいた。
『あああああああああああああああああ!? 熱い!! 熱い熱い熱い熱い熱い!! 何なんだ!? 今度は何なんだ!?』
周囲を確かめる。体が溶けそうなほど熱いのに、周りの風景は単なる道端だった。炎も見えない。爆発が起きているわけでもない。
雪が溶けかけた道路。明るい日差し。春の陽気を感じさせる光景。
自分の体が溶けてゆく感触を、五味は味わっていた。
すぐに気付いた。自分はまた、雪だるまに転生したのだと。季節は春。雪溶けの季節。つまり、自分の体が溶けている。
『熱い!! 熱い!! 助けて!! 誰か助けろよ!!』
五味の声が誰かに届くことは、もちろんない。
溶けて、またこの世から消えて。
今度の転生先も、雪だるまだった。ときに体を飾り付けられ、ときに粉々に壊され、ときにドロドロに溶けて。
転生するたびに、地獄を味わった。
五味が転生して生き続ける期間は、約五千年。
五千年もの間、何度も何度も地獄の転生を繰り返し。
やがて、切実に祈るようになった。
もう殺してくれ!
頼むから、殺してくれ!
誰か俺を殺してくれ!!
◇
三十半ばを過ぎてなお、適当に面白おかしく生きていた。
まともに就職はしていない。それでも、金には困っていない。特殊詐欺の受け子や架け子で稼いでいた。高校時代からの友人と一緒に。
人生は楽しい。だから、死にたくない。死んだとしても、記憶を維持したまま転生したい。
六田祐二は、ある日、街中にあるモールで一軒の古本屋を見つけた。たびたびモールに足を運んでいるが、見たこともない店だった。
――こんな店あったっけ?
そう思いつつも、なぜか、その店に引き付けられた。思わず店内に足を運んだ。
古びて変色した本が、無数に立ち並ぶ本棚。
何列も並んだ本棚の奥に、レジがある。
店主の老人は、レジの奥で座りながら本を読んでいた。
六田は、一冊の本を見つけた。無数の本の中で、その本だけが、異様なほどはっきりと目に映った。
『転生書』
本を手に取り、立ち読みしてみた。中身を見ると、ますます引き付けられた。懐に転生書を入れ、会計もせずに店を出た。
家に帰って、転生書を隅から隅まで読んだ。本の最初から三分の二くらいまでは、タイトルの通り、転生の方法が記されていた。転生なんて眉唾なのに、なぜか、この本の通りにすれば実現できる気がした。
本の後半三分の一は、転生に関する注意事項が記載されていた。
『転生の際は、転生前の人世でもっとも有用だと思えたものに生まれ変わる。有機物や無機物、生物や無生物を問わない。たとえ転生先が無機物や無生物でも、意識と記憶を持って転生する。また、生を奪う相手を殺す際は、自分で直接手を下す必要はない。他人を唆し、操るだけでも有効』
注意事項は、要約するとそんな内容だった。
最後まで読んで、六田は悩んだ。
転生はしたい。しかし、変なものに転生するのは嫌だ。転生するなら、人間がいい。
転生先は、転生前にもっとも有用だと思えたもの。つまり、人間をもっとも有用だと思えなければならない。
どうすればいいか。
考えた末に六田の脳裏に浮かんだのは、友人だった。五味秀一。
五味は、絵に描いたようなクズだ。転生するためなら、殺人だって平気で行うだろう。さらに彼は、文字だけの本など読まない。つまり、転生書を渡せば、転生の方法の部分だけを読むはずだ。後半の、転生に関する注意事項を読まずに。
六田は五味に、転生書を渡した。
五味は、六田の思惑通りに動いた。子供を何人も殺した。奪った生の期間が、五千年に達するほどに。
やがて、数十年の時が過ぎ。
六田は歳をとり、入院し、病院で静かに息を引き取った。
◇
六田は目を覚ました。
いや。「目を覚ました」という表現は適切ではない。一度死んで、生まれ変わったのだ。
体の感触。周囲の声。口から、声を発することもできる。
――成功した! 俺は人間に転生したんだ!!
歓喜で震えそうだった。また、面白おかしく生きられる。これも全て、五味のお陰だ。あいつが子供を殺しまくってくれたから。もっとも、彼は、雪だるまあたりに転生しているのだろうが。
六田が転生し、月日はどんどん過ぎていった。一年、二年、三年……。
転生後の六田は、五歳になった。
五年の間、両親に育てられた。
育てられて、気付いた。自分の両親はクズだと。
六田は虐待を受けていた。虐待は六田が三歳になった頃から始まり、年々苛烈になっていった。体に痣がない日などない。泣きながら両親に許しを請う日々。
六田は決意した。このクズのような両親を殺そう。
夜になって、両親が寝静まった。
六田はそっと布団から抜け出し、台所に行った。音を立てないようにキッチンの下の棚を開け、中に入っている包丁を取り出した。
暗闇の中で、包丁の刃がギラリと光っていた。
これで刺し殺す。六田自身の年齢と両親が虐待をしていた事実から、罪に問われることはないはずだ。
包丁を持ち、そっと、両親の寝室に忍び込んだ。寝息が聞こえる。ぐっすりと眠っている。
まずは母親。包丁の刃を小指側にして握り、六田は母親に近付いた。包丁を振り上げ、思い切り振り下ろした。
思ったより固い感触が、六田の手に届いた。包丁の刃の根元で、手を少し切ってしまった。しかし、痛がっている暇はない。さっさと母親を殺して、父親も殺さないと。
二度、三度と刺した。母親は、声にならない悲鳴を上げていた。腹部を刺されたせいで腹に力が入らず、声も出せないのだろう。まだ息はあるようだが、もうすぐ死ぬはずだ。
もう母親はいい。
次は父親だ。
次の標的の方に振り向こうとした瞬間。六田は、頭部に強い衝撃を受けた。体が吹き飛び、床に叩き付けられた。
「何してやがる!? てめぇ!!」
父親の怒鳴り声だった。まずい。どうやら、目を覚ましていたらしい。
どうにかして刺し殺さないと。でなければ、せめて逃げないと。焦り、体を動かそうとする。だが、動かせなかった。重篤なダメージを受けてしまったのか、六田は、ピクピクと体を震わせることしかできなかった。
激高した父親は、そのまま六田を殴り殺した。
◇
市街地のモールにある、古本屋。客など滅多に来ることはない。
本棚に並べられた本は、すべて、市販のものではない。作者の名前もなければ、発行所や発行日の記載もない。
本棚の奥にあるレジで、老人は本を読んでいた。今しがた手に入れたばかりの本。
手に入れたばかりなのに、その本は、永い年月が経っているかのように古ぼけていた。黄色く変色し、所々に染みがあり、角がボロボロになっている。
老人は本を読み進めた。背表紙にはタイトルが記されている。
『もう転生したくない』
本は、小説だった。転生の方法を知った、悪どい男の話。
転生の方法を知った男は、同時に、転生のリスクを知る。「人を殺せば、殺された人の生を奪い、転生できる」という転生方法。「転生先は、前世でもっとも有用だと思えたもの」というリスク。
男は友人を利用し、人を殺させた。間接的に人を殺し、殺された人の生を奪って転生した。
男にとって、利用した友人はもっとも有用なものだった。
友人は、殺人者。つまり、男にとっては、殺人者がもっとも有用だった。
男は転生先で、常に殺人者となる。常に殺人者となる境遇に生まれる。
人を殺さなければ生きられない境遇とは、どれほど過酷なものか。どれほど過酷で、恐ろしく、残酷なものか。
男の友人が奪った生は、約五千年分。つまり、男も、五千年ほど転生し続けることになる。常に殺人者でいなければならない環境で。
『六田の七度目の転生先は、世界的な食糧難に見舞われた世界だった。パン一つを得るために、何人もの人を殺さなければならない世界』
物語の主人公が、地獄の中で生き続ける光景を想像して。
老人は、静かに本を閉じた。
(終)
しいな ここみ様の『冬のホラー企画3』参加作品です