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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

愛の心臓

作者: 小沢翔太


 ポツリ、ポツリと耳元で水滴が滴る音が響いている。

雨が降ってるのかも。雨が降ると洗濯物が乾きにくいからいやだな。そう思いながらゆっくりと上半身を起こす。目を開きあたりを見渡すが、次第に自分の置かれた状況の異常さを理解していく。


「あれ?どこだっけ?ここ」


 部屋というわけでもなければ屋外という感じもしない。ただただ暗闇が地平線まで続いており風もないし別に雨も降っていなかった。だが、三つ妙なものがある、というより居る。

一つ目と二つ目は大小異なる扉だ。

大小異なるといっても大きいほうは童話の中の玄関口のような木製の扉で、小さいほうは幼稚園児用、いやもっともっと小さい子用だろうかプラスチック製の玩具の扉の二つが暗闇の中で私から10m先のところに並んで建ててあるのだ。他に壁や天井や玩具は全く存在しないにも関わらず、扉だけがあるのだ。その事実に若干の恐怖を覚えたが、これは違和感のレベルでいえばせいぜいオマケだ。


本題は、三つ目、

私の手を握りながら隣で寝ている男性がいることだ。

「誰!?」


 私の叫び声に目を覚まさせてしまったようであくびをしながら起き上がり、起き抜けに思いっきり私を抱きしめてくる。


「な、何するんですか!ていうかあなた誰ですか!?」


 突然のことに驚いてしまった私は思いっきり抱き着いてきた男性を突き飛ばした

どさっと大きな音を立てて倒れこんだ男は私を一直線に見つめながら驚愕と絶望が入り混じったような感情を体現していた。その姿がどこか悲しく苦しい表情で見ているので私で辛くなってしまった。

私はその思いが表情に出てしまったのだろうか、直ぐに男は表情を取り繕い私に謝罪してくる。


「あ、ごめんなさい。寝ぼけてその、、妻と勘違いしちゃったみたいで」

「あ、えっとこ、こちらこそ、ごめんなさい。ケガとかないですか?」

「あー、もう全然です、気にしないでください」

「は、はい」


 そう言って互いに黙ってしまう。男性はあたりを見渡しながら頭をポリポリと掻いている。

数分間男性は辺りを見渡した後、男性はその場に座り込みブツブツと何かを呟き始める。

声が小さすぎて何を言っているのかは聞き取れないが

その表情から何か良くないことを考えていることは解った。


 どうしよう。辺りは暗闇、今が何時なのか、ここはどこなのかは全くわからない。あるのは二つの扉と名前もわからない突然抱き着いてきた男性がいるという事実。そして待っても結果はおそらく変わらない、それならここで止まってても無駄かな。


 「すいません!」

意を決してブツブツと言い続ける男性に声をかける。

 「ん?どうかしました?」

「え、えっと名前!お名前をまだ聞いてなかったなって思って!」

私がそういうと露骨に表情を暗く沈ませながらぼそりとまた呟く。

「あ、、そっか、名前もか」

「名前も?」

「あ、ごめんなさい、こっちの話です。それで、名前ですね。俺はカエデ。よろしく」

 そう言いながら握手っというかんじで手を差し出してくるカエデさん。

ここで無視するのはすこし失礼な気がして、私も自分の名を言いながら握り返す。

「え、えっと、私は(あれ?私名前なんだっけ)

、、、そうだ。リン。リンです!よろしくお願いします!」

しっかりと握りしめたはずのカエデさんの手は思っていた以上に冷たかった。


 「よろしく。リンさん、、ゴメン、ちょっとしっくりこないから敬語やめてもいい?」

苦笑いしながらカエデさんは私に優しく訪ねてくる

本来ならこんなに一気に距離を詰めてくる人に気を許すなどあってはいけないのだが

カエデさんの顔を見ていると、どこかこの人なら良いかなと思ってしまう

「あ、はい!どうぞどうぞ!」

「ありがとう。じゃあ、リンも俺に敬語使わなくっていいからね?」

「え、あ、は、はい」

「はいじゃなくて?」

「あ、うん」

「よろしい」

なんだろう、この感覚は凄く落ち着く。

まるでだいぶ前から連れ添ってきた家族のようなそんな優しい感覚。

「、、、なんだか、カエデさんといると落ち着く、何でだろう初対面のはずなのに」


 「、、、、、そうだね。()()()のはずなのに」


コロン。


「ん?」「あれ?」

 カエデさんの発言の直後に、床に金属が起きたような音がした。二人でそろって音のした方を見ると、先ほどまではなかったはずの銀色に輝く鍵が落っこちていた。

「鍵?さっきまでなかったよね?」

「う、うん」

カエデさんはおもむろに立ち上がり鍵のほうに歩いて行った。


 ふと後ろを振り向くと、こちらも同様に先ほどまでは存在しなかったはずの横にスライドさせるタイプのガラス戸が現れていた。

「え!?カ、カエデさ」

そして、変化はそれだけでは済まなかった

「な、ない、どこに」

 そう、あの二つあった扉が綺麗さっぱり消え去っていたのだ。どういうことなんだろう。訳が分からない。何が起こってるの?


「リン」

「ひゃ。、カエデさん」

変な声出ちゃった

「あ、ゴメン、ビックリしちゃったかな」

「い、いえ、すいません」

「なら、良いんだけど」

 カエデさんは新しく現れた扉の前に立ち、一瞬私のほうを見てから扉の鍵穴に拾ってきた鍵を突き刺した。

「カ、カエデさん?何してるんですか?」

「ん-ー?扉開けてるー」

いっさい私のほうを見ずに背を向けたまま答えるカエデさん。

「リン」

「あ、はい?」

「この扉何か知ってる?」

鍵が回りづらいのか手元で何度もガチャガチャと音を立てている。

「え、いや全くです」

「、、、、そっか」


ガチャン。


 どうやったって扉には合わない重めの開錠音がして、扉が開かれる。

 「行こうか」

カエデさんは座っている私に手を差し出し

私がそれをつかんだ瞬間に強く抱き上げるようにして立たせてくれた。

「うん」

そして同じタイミングで扉を踏み越える。


 踏み越えると辺りは一気に青空に変わり、

何処かの幼稚園の


いや、違う


 ここは私とカエデが通っていた保育園だ

何で忘れていたんだろう。

今はこんなにも鮮明に思い出せるのに。

あそこのブランコは二人で乗って転げ落ちて先生とママにいっぱい怒られたブランコだし、

あのジャングルジムはカエデがカラスに糞を落とされた場所だし、

私たちの後ろにある部屋は私とカエデが年長さんの時のあじさい組のお部屋だし、

あっちの砂場は私たちとアカリとレンと一緒に泥団子でおままごとした所だ。

すべての記憶がまるで昨日のことのように蘇ってくる


「リン」

「なに?カエデ」

 私がカエデに向かって微笑むとまた驚いたような顔をして今度はニコリと顔をほころばせる。

いつの間にか、私たちの背格好と衣服は幼稚園の時のものになっている。

「フ、何だよ、思い出してきたのか?」

「まぁね」

 そう言うとカエデは何一つとして躊躇もなく抱き着いてくる。

まぁ、、昔はこれぐらいはよくやってきたし私もやったからいちいち言うのもあれかな

そう思って特に何も言わないでいると、またまたカエデは驚いた顔をして私に抱き着く力を強めた。


「んー?どうしたー?いつもだったら、恥ずかしがるだろ?」

「え?いつも?カエデ、いつの話をしてるの?変なの~」

変なことを言うカエデを不思議に思いながらも抱きしめ返そうとした。


 だが、カエデは顔を歪ませて私に絡ませていた腕を振りほどき私から数歩距離をとった。


「え、、あー、ゴメン。なんでもない。俺の、、()()()だ」


カロン。


 今度はさっきとは別の金属が落ちる音がした。

先ほどと同じように目を向けると、今度は細長いタイプの銅の鍵が落ちていた。

「また、鍵かってことは」

案の定、私たちの十数歩先に突如として新しいプラスチックとすりガラスが合わさった扉が現れていた。

同じようにカエデが鍵を拾い、拾ってすぐに新しい扉の鍵穴に突っ込む。今回もガチャガチャガチャと鍵を回そうとしているのでカエデの手の上から手を合わせてグリっと回す。


カコン。


 今度は見た目通りの軽い音がして扉がスライドして堂々と開かれる。

「行こ」

「、、、ああ」

今度は私がカエデの手を引き扉を踏み越える。


 踏み越えた先は夕暮れ時の小学校の教室だった

そしてこの光景にも私は見覚えがあった。

そうだ、確かここは私とカエデの5年生の時の教室だ

私たちは小学校では2年生と5年生の時だけクラスが一緒だった。


 今度は私たちは5年生の時の服装だ。カエデのちょっとだけ大きめのパーカー姿が懐かしい。

「リン。ここは覚えてるか?」

カエデがおずおずと後ろから声をかけてくる。

私は数年、いや十数年、あれ?数十年?

とにかく久しぶりの教室を一通り見て回り確信をもって答えた。

「うん!勿論だよ!そういえば、5年の時ちょっと倒れた私をカエデが真っ先に介抱したらカエデと私が付き合ってるー!みたいな噂できてたよね」

「あー、あったな。レンまで遠慮も何もなく聞いてきてめっちゃ水噴いたの覚えてるわ」

色々あったもんなー、と遠い目をしながら答えるカエデの横顔が少しだけかっこよく見えた。

そして私たちは夕日の見やすい椅子にかってに座り思い出話に花を咲かせる。

「私はそれまでずっとカエデのことは弟みたいに思ってたから結構嫌だったなー」

「そうか?俺は正直まんざらでもなかったよ」

「そうなの?なに?カエデ私のこと好きだったの?」

私が揶揄い交じりにそう聞くと、カエデは記憶の中のいつになく真剣な目で、


 「ああ、()()()()()()よ」


コンコン。

 まただ。金属落ちる音がした。

その音と同じタイミングで辺りを見渡すと窓側の壁の一部が大きな黒い扉に変わっている。

「次はあそこか」

カエデは呟きながら黒板の下に落ちてきた恐らく青銅でできている二つの鍵を拾い一つを私めがけて投げ渡す。

「今回は鍵二つなんだね」

「そうだな、、何なんだろうなこれ」

二つの鍵穴に同時に青銅の鍵を突き刺し、ガリっと回す。


ゴゴン。


 大きい扉を押しのけて入っていくと、そこは映画館のシアターの中だった。

「あれ、ここって」

私は記憶の糸を手繰り寄せて独り言をつぶやきそうになったがカエデがしーーっとジェスチャーをして私の手を掴み席まで案内してくれたので、言いそうになった言葉を押し殺した。


 ここは、中学生のころに私たちが初めてのデートで来た映画館だ。

私たちの服も座ってるシートまでデートと全く一緒

上映されている内容もだいぶ前の作品にも関わらず全く変わっていなかった


 二人で遊びに行くことは中学生になってもそんなに珍しいことじゃなかったけど初めてしっかりとデートとして行ったのがこの映画館だった。

内容としては特に何も変わりはなかったけれど

前日に着ていく服装を決めて。

お母さんに頼んで化粧を手伝ってもらって。

緊張しながら集合時間の30分前に行ったらカエデがちょっとお洒落して待っててくれてて。

「待った?」

「全然今来たとこ」

なんて少女漫画みたいなやり取りをして。

どちらからともなく手をつないだだけの何気ない思い出の中の一つ。


 見た映画の内容はしっかり覚えていたけれど、最初からエンドロールまで余すことなくすべて見た。

とても面白かった。何故か劇場内には私たち以外にお客さんはおらず、扉が開くような気配もなかったので明るくなってもシートに座ったまま私たちはまた思い出話をしていた。

「あー、面白かった。恋愛映画、この年になっても楽しめるもんなんだな」

「そのセリフすごいオジサンみたいだよ?カエデ。」

「いいだろ前みたいに気絶はしてないんだから。」

「そうだね、前は見た後泣きすぎて酸欠になって気絶しちゃってたもんね。」

「しかもリンもリンでそれ見てパニックになって超心配されてたしな。」

思い返すとそんなただの一つで済ませるには大事件だったようだ

「あの頃はアカリとレンが大ゲンカしてたからね、二人で遊びに行く事多かったもんね。」

「そうだな、でもまぁ今はあれだからね。」

苦笑いしながらカエデはグイっとどこからか取り出した缶コーヒーをのみきった

「あれ?何の話?」


 「え?あー、違う違う、まだまだ()()()だよな」


ボドン。


 「うわ。大きい音したね。」

 「鉄球でも落ちたのかもな。」

音はシアターの最前列の方からしたので二人で行ってみると、そこには明らかに重そうなカードキーのような分厚い鉄の板が落ちている。

「カードキー、、なのか?」

「サイズおかしいけどたぶんそうなんじゃない?」

「扉はどこだ?今回はなしか?」

カエデは辺りを見渡すが、生憎その類のものは入ってきたときの扉以外には存在しない。


 「、、、ねぇ、もしかしてだけどさ、これが多分扉じゃない?」


「え?」

そう言って私は分厚い板の端の方にある所から無理やりググッとこじ開ける。

「マジか。」

「よし。行こうカエデ」

「おう。」

二人一緒に、はサイズ的にできなかったけど、二人とも板の中へ入っていった。


バダン。


~~~~~~~

 「先生、急患です。すぐにお願いします!」

担当の矢田さんが大声で次の診察までの待ち時間を数少ない休憩に充てていた俺の元へ走ってきた。


俺はアイマスクを脱ぎ捨て、矢田さんとともに救急専用入口へと急ぐ。

「患者は2名で二人とも先生の患者さんです!」

「俺の患者?誰と誰?」

「昨日拡張型心筋症と診断された高藤凛(たかとう りん)さんと肺動脈性高血圧症(PAH)で肺移植の手術予定の高藤楓(たかとう かえで)さんです」

「楓と凛が!?凛は心不全、楓は失神?」

「ええ!ですが、楓さんの方は交通事故に巻き込まれたようで。」

「はぁ!?」


 俺と矢田さんは何とか患者が来る前に入口に到着し、そこで事前に届けられた報告を耳から頭に流す。

「凛さんは職場で倒れこんだところ同僚の方の応急手当てを受けたのちに搬送されており、一時意識が混濁していましたが、現在は心拍、呼吸、血圧全て安定しています。ですが精神面での疲労が大きいようで、寝てる状態で搬送する、とのことです」

「寝てるだけなら問題ない。とりあえずX線と血液検査用意しといて、で?楓は?」


「楓さんは、凛さんの上司から連絡を貰い

ウチの病院に搬送するよう頼んで、自分もすぐに行くと仰られたようなんですが、走り出した途中で苦しみだしそこを信号無視のバイクに撥ねられて足から大量の出血している模様です」

「その撥ねたやつ警察行ったか?」

「はい。過失運転で自首したそうです。その場で自分でウチまでと言った後意識を失っています」

「止血は?」

「出来ているようです」

「楓の血液型はAB型か、輸血用の準備。」

「はい。」


 ある程度の処置の準備が終わり、受け入れるための人員も集まったところで二台の救急車がほぼ同時に到着した。救急車の中からガタっと意識のない二人が現れた楓は足がざっくり切れているが、報告通り止血は済んでいる上にしっかり寝息を立てていた。

頭からも少し出血してるな、とりあえず縫合したら検査に回そう。

「一旦もう一名を確認させて頂きます、直ぐに行きますのでそちらの看護師の指示通りお願いします」

「分かりました」

「それでは、こちらになります」

矢田さんに楓を任せ、もう一人の凛を確認する

「基本的には、報告通りですが到着する2分前から少しづつ呼吸がゆっくりと乱れてきています。」

「呼吸?心拍に異常は?」

「今のところありません、ですが、、、」

ここから聞くのは野暮かもな。

「分かりました。処置後は集中治療室(ICU)に回しましょう。患者のご家族は、、」

「搬送時に各職場から連絡がいっているので、もうそろそろいらっしゃるかと。」

「有難うございます。では。」

処置室に入り、二人を確認する。大丈夫。何人も見てきた症例だ死なせはしない。絶対に。


~~~~~~~~


 鉄の戸板をこじ開けた先で私たちを待っていたのは高校の時の食堂だった。鉄の戸板は、食堂の受付の四角い窓口のところの鉄板に繋がっていたのだ。


そして私はなぜか二つだけ用意してあったBランチを制服姿のカエデと一緒に食べている。


「美味しい」

「ああ、久しぶりだな。この味」

「ホントにね、一緒に何回も食べたよね。私たち周りにしっかり付き合ってるって言ってたし」


 二人であの頃と同じスピードで食べ進めたBランチは本当に美味しかった。山盛りの唐揚げにお味噌汁とご飯とサラダという構成のありふれた定食だけど世界一の定食だ。


「そう言えば、高校の入学の時にアカリとレンがいちゃついて驚いたよな。」

カエデはお茶を飲みながらゆっくりと呟く。

「そうだね、、アカリから告白については聞いてたけど、あそこまでとは思わなかったよね。」

「だよなー、それに4人で遊びに行くときに国内旅行いけるようになったのは嬉しかったな。」

「あ!ほんとにね、色々行ったよね。北海道、青森、新潟、長野、京都、大阪、あとは神戸と広島と。」

「高知と福岡と鹿児島、あとは奈良と滋賀にも行ったよな。」

「バイトもしたし、三人でバ先突撃もやったねぇ。」

「楽しかったなぁ。」

「そうだね。」

二人揃って大きな声を出して思い出に浸る


 「俺、、あの頃が()()、楽しかった。」


ポトン。

「ん?今か?」

「いまいち扉のタイミング分かんないね。」

もはや流れ作業で鍵を拾いに行くカエデと扉を探す私

「お、今回は鋼で出来てるなめっちゃカチカチ。」

「あ、あったよ。今回は割と普通に新しめの木製だね。」

本当は食堂のトイレがあった場所に木製の大きい扉が新しく出現している。

「行こう。」

「うん。」


ガチャ。


 進んだ先にあるのはどこかの大学の講義室だった。

いや違う、これは講義が終わった後の講義室だ。


 よくここでカエデのお姉ちゃんの(ユズ)ちゃんとカエデと一緒に話をした。互いに大学生の時のちょっとだけお洒落に敏感だったころの服に変わっている。

「やっぱ大学か、リン、覚えてるか?」

「うん、ユズちゃんといっぱい話したよね。本当にいいお姉ちゃんだよね」

「、、ああ。本当に優しい姉だったよ。」


 「同棲始めたのも、確か大学からだっけか。」

「懐かしいね、、そういえば、私たちの、その、、アレ、もさ、この頃だったよね。」

「、、、、、そう、、、、だったな。」

二人して一気に赤面してしまう。自分のした話題といえどやっぱり恥ずかしい、さすがに話かえないと。


 「ね、ねぇ!柚ちゃんさ!大学卒業したらあんまり私たちのとこに来てくれなくなったよね。」

私がそういうと、カエデは私に背を向けて興味なさげに答えた。

「あー、そうだったな。」

「柚ちゃん、今も元気に先生してるかな?」


 「、、、ああ。姉さんは、今も、元気に、幸せに、笑ってるよ。」


カエデは泣きそうな顔で、何とかひねり出した声で、優しく私に笑ってくれる。


ドゴン。


 今まで一番大きく、強い落下音があたりに響いた。


~~~~~


 俺は何とか二人の処置と検査を終え、今までの症例と照らし合わせながら、受け入れ難い現実に向き合わざるを得ない状況に直面していた。


 凛の心エコー、前回よりも明らかに大きくなってる

これはもういつもう一回心不全起こしてもおかしくない。心電図も露骨に異常を示してる。


 それに楓の所もだいぶ進んでるが、まだ猶予がある

一応姉ちゃんにも見といてもらうか

携帯を開きメールを作成するそこに写真を添付し送信した。ふと、携帯の右上に表示された時間と日付に目がすいつく。

四月一日、午後一時十七分。今日はエイプリルフールか、医者は何時だって嘘はつけねぇよ。


 「・・・・、これで、当てはめたら、、、、、」

PCを操作し、以前のデータを用意する

さらに二人に関連する学術記事をデータベースからはじき出し、AIにも同時進行で診察をさせる。


そして、たどり着いた結論が、ーーーーーーー


 「クソくらえだな」


トゥルルルルル。

「はい。こちら診察室15番」

『先生。矢田です。お二人の親族の方がご到着されました。お通してよろしいですか?

「ああ、構わない、ただし、楓の病室に全員通してくれ。」

『待合室ではなく?』

「ああ、楓の病室だ、あそこなら凛のICUにも近い。」

『承知しました』

ブツン


「あーー、行くか」


 階段をノートパソコンと簡易的な診断の書類を片手に駆け上がり、楓の病室へ急ぐ。そして病室の前に辿り着き、病室の戸へ手をかける。

中から話し声が聞こえる。


「楓~~!」

「母さん、楓は大丈夫だよ。強い子だし妻を残して死ぬような男じゃない」

「まさか、楓君まで倒れてるなんて、凛はICU?って言われたけど大丈夫かしら。」

「、、、すまない、紘ちゃん。ちょっとだけ吐き気がしてきた。」

「父さん無理すんなよ、はい、水。」

「、、、ありがとう(けん)

「健君、、柚の時は、ありがとう。(ゆう)ちゃんと一緒に、、葬儀を、、」

「いえ、、俺らなりの、あいつへの恩返しです。

家族には悪いことしたから、健、宜しくねって言われて、、ましたし。」

「、、、そうか。全く、我が儘な子だよ。、、ありがとう。本当に」


 中にいるのは二人の両親と凛の兄貴か


俺は病室の戸へとかけた手をはたりと離す

奥歯を深くかみしめ、爪が手のひらに食い込む程強くこぶしを握る。

何時ぶりだろうか?

こんなにも患者の死に恐怖を絶望感を抱くのは。

新人研修の時以来か、もう4年以上前だ

俺は扉を開けることの一つもできず、

ただただ立ち尽くす。


 ぼーっと立っていただけの俺に後ろから誰かが俺の頭を小突く

「おい、何してる愚弟」

姉の悠だった。


 「姉ちゃん」

「楓と凛がなんて、、誰だって覚悟してたさ、柚の時にだって全員が楓の心配をしただろう」

「それでも、俺は、」

「俺は?なんだい?

(れん)、酷いことを言うけどねお前は医師だ。

患者がどんなに深く深く思い出のある人物であっても、たとえ生涯の親友と言える人でも等しく患者は患者だよ。医師としての役目を果たしな。」


 そう言って俺を諭す姉ちゃんの目にはうっすらと涙が浮かんでいる。

「ほら、入りな、それがどんなに悲しい死であっても、看取る。医師の役目だよ。」

「、、、ああ。ありがとう。姉ちゃん。」


 顔をハンカチで拭き、冷静をできる限り装い深呼吸をしてからノックをする。


コンコン。

「、、どうぞ。」

ガララ。

「失礼します。」

全員の視線が俺に注がれる

「楓さんと凛さんの担当医の春田 蓮(はるた れん)です。」

「蓮君、君が担当だったのか、、それで二人は?」

「はい、お二人なんですが、ーーーーーー」


~~~~~~~


 重い重い鍵を使って開けた先にあったのは教会のような場所だった。カエデは白いスーツのようなものを、私は白とピンクが混じったようなドレスを着ていた。


「ここ、どこだろ?」


「、、、ここは、結婚式場だよ、俺と凛の挙式を挙げた、ところの、ね。」


 「え?、、、、、そうだ。そうじゃん」

ここは私たちの結婚式場だ。

ママとパパとアカリとレンとお兄ちゃんとおじいちゃんとおばあちゃんが泣きながら喜んでくれた。

他にも中学校の友達、高校の後輩、サークルの先輩、職場の上司等色んな人が祝ってくれた。

ブーケトスでアカリに向かって投げたら本当にアカリがキャッチして、その1ヵ月後には本当にアカリがレンにプロポーズされてそのまま結婚して、

様々な幸せな思い出が詰め合わせてある場所なのに何で忘れてんだろう?

それに、、、


 「カエデ、柚ちゃんって、、もう、、この世には。」


「ああ、居ない。姉さんは、4年前に。死んだよ。()()覚えてんだろ。」


 カエデは私を横目で見つめながらバージンロードを歩いた。あまりにも私のことを忘れたかのようにズンズン進むので私も歩きづらいのを我慢して同じ歩幅で歩いた。


「、、、姉さんは本当に最後の最後まで俺たちに病状が悪化していることを隠そうとしてた。」


カエデはその服装に似合わない悲壮的な顔で続ける。


「実際上手くやってたよ。俺たち家族だって普通より敏感なはずなのに、気づいたのは医者からの余命宣告の時だし。」

そうだ。その日はカエデはいつになく激しくむせび泣く様に私を抱いたのだ理由は、聞いても答えてはくれなかったし、聞く余裕もなかったけど、とても心配だった。


 「余命は1年。家族で一番それを聞いて落ち着いてたのは他でもない姉さん本人だったよ。」


母さんなんて目から血が出るまで泣きまくってたのにとカエデは言う。最初は少ししか震えていなかった声も、段々と激情が混じり重く苦しい旋律を奏でる。


 「1年もあればしっかりやり残したことやり切れる!なんて言って。本当は辛いし苦しいし怖いはずなのに、周りに一ミリもそういう感情を抱かせないようにしてたんだろうな、今思うとあれも姉さんの優しさだったんだよな。」


私も会いに行ったときは全くいつもと変わらない柚ちゃんの姿に驚いたものだ。まるで何でもないことのようにあっけらかんと自分の余命を話していた。

実はカエデにプロポーズされてそれを受け入れて婚約したこと伝えたら凛ちゃんが義妹になってくれるなんて嬉しい!と大声で抱き着いてきて、本当にいつも通りだったのだ。


 「姉さんが旅行に行きたいって京都まで行ったりしたよな。俺とリンと健兄さんとレンとレンの姉さんとアカリと一緒にさ。あれはすごく喜んでたよな。」

「うん、そうだね。ホテルにお兄ちゃんが悠ちゃんと柚ちゃん背負って呑んで帰ってきてね。」

「あれホント凄かったな。俺もあの人ぐらい力欲しい。」


カエデはやっと薄ら笑いを浮かべるが

目の奥底にある哀情は全く変わらない。


 「他にも遊園地行ったり、動物園行ったり、海行ったりしてたからかな、姉さんは宣告された余命より

3か月早く死んだ。」


 皮肉にも、柚ちゃんが亡くなるときに一緒にいたのは共に過ごした家族でも親友でもなく弟の嫁(予定)、つまり義妹である私だった。

「あの時はリンだって覚えてるだろ。

頑張って遺書書き終わった直後に、

全く苦しまず本当に寝るみたいに死んでたからな。

姉さん最後だけは神様に好かれてたよ。」


病院で私が3分お手洗いに立ったそのタイミングで亡くなった。その死に顔はとても晴れやかで、遺書の最後の一文である


「私は幸せだよ。これまでもこれからも愛してる。」


という言葉を嘘に、気遣いに、感じさせないように最後まで頑張った美しい死に顔だった。


 「姉さんは満足して逝ったけど、周りはもっと生きて欲しかったし、もっと笑って欲しかった。

姉さんが死んだ後の母さんは凛に理不尽に怒ってたもんな。その怒ってるのを今度はお義父さんが怒っちまって結婚が結局1年も後になったし。」


お義母さんは、私が倒れた時に隣にいて異変に気付けば娘は死ななかったかもしれないと言った。

お医者さんも、お義父さんも、カエデも

そんな事はない。あの時に死んだのは柚ちゃんの意志だと、彼女が選んだものだ。

と言ったがお義母さんは聞く耳を持たず、お前のせいだ!お前のせいだ!と葬儀中に私の頬を音高く殴り、押し倒し、懐から取り出した簪で私を刺しかけた。

カエデがその場でお義母さんを蹴り飛ばし、お義父さんがお義母さんが抑えつけたので、

幸い残るような傷は出来なかったが、その件がパパの耳に入りそんな家庭に娘を出す気にはなれない結婚は待てと言われた。

私はそんなの知るか、とすっ飛ばして結婚しようとしたが、カエデがパパの言うとおりだと、母さんを謝らせてからにしようとそういったのだ。


 その後紆余曲折を経て何とか結婚式を挙げたが、全てのわだかまりが時間によって消えるわけじゃない。お義母さんは、以前よりはマシになったが、私を冷遇し続けた。


 バージンロードの終着点、新郎新婦が誓いの言葉を述べる場所でカエデは私の方に振り向き腕を広げる。その姿から結婚式の当日のようにハグを求めているのだと理解し、ゆっくり力強く抱き着く。

「色々あったけどさ、結婚してからは幸せだよ。母さんに睨み効かせたりお義父さんに殴られに行くのはキツイし、かったるかったけど。」

「うん。いつもゴメンね。ありが、、ん?パパに殴られるって何?」

「あ、、、ま、まぁ、良いじゃん、い、今はさ。」

下手な口笛を吹きながら目をそらすのが可愛いからので、これ以上は聞かないことにした。


「んー、分かったよ、後でにしよっか。」

「ありがとう。」

「じゃあ、代わりにこっちに答えてね?」

「、、、いいよ?何でも来い。」

言質とったり。私はカエデを逃がさないように深く抱きしめ、カエデの目をまっすぐに見つめる。


 「何で、柚ちゃんが生きてる、って嘘ついたの?」


「・・・・・・」

とたんに顔を伏せ苦悩するカエデを体格差で下からにらみつけもう一度問う。

「答えてよ、、カエデ。」

カエデは泣きそうに成り逃げようと体をよじらせたが私のハグが功を奏しカエデを一切逃がさない。

苦虫を食い潰したように苦悶の表情を見せながらも、ゆっくりと私を見て言う。


 「()()()()()()()()()だ。」


キンキンキン。

本日恐らく8度目の金属の落下音。

「また?」

「え?なんで。」

「なんで?どういう事?」


 「あ、いや、()()()()()。」


トントン。

「また!?」

「2回目とかあるのか!?」


 鍵は二つともバージンロードに転がっており

一つは金に藍色の宝石が埋め込まれたもの。

もう一つはガラスに透明度の低いオレンジ色の宝石があしらわれたもの。どちらも得も言われぬような美しさがある。


 そして扉はバージンロード上に一つと、ステンドグラスの手前つまり神父さんの台のあたりに一つだ。

「カエデ。どっちにしよっか?」

「・・・・・」

「カエデ?私選ぶよ?」

 金とガラスなら、金かな。それになによりもこの藍色の宝石がとてもきれいだ。私が金のカギを拾いあげると藍の宝石からステングラス側の扉へと光が伸びる。

 対応してる扉ってことかな、確かめる手間がかからないのは助かる。扉を開けようと光の道に沿って進み、いまだに黙り続けるカエデの横を通り過ぎようとした。


だが、カエデが私の腕を力強く掴み抱き寄せながら私の手から金のカギをはたき落とす。

「いた。カエデ?どうしたの本当に?」

「あ、、、悪い、やっぱさガラスの方にしねぇか?」

「今更?いいけど。どうしたの?カエデにしては珍しいよ?」


 「なんでもいいだろ!頼むから言うとおりにしてくれ!」


何時になく大きな声を上げ私の肩をゆするカエデ。

その声の大きさに、その切羽詰まった表情に、何より恐ろしいその振る舞いに

初めてカエデへの恐怖を覚える。


「やめてよ!カエデ!強引にされなくたって私は!」

「私は!?まったくもって自分の状況理解してないリンがまともに選べるわけじゃないだろ!」

「なにそれ!私じゃ正解も選べないっていうの!?」


「そうは言ってねぇだろ!リンが大事なんだよ!!」


「それは私だってわかってるよ!でも愛情が互いの決断を尊重しない理由になんてならないから!」


互いにしょうもない意地の張り合いだ。正直どっちかが引けばいいんだけど。


 「俺だってわかってる!でも、それでも!、、、、頼む。リン」


そう言いながらカエデは私を再び強く抱きしめた。

「カエデ、、私がこうやっとけば流されるとか思ってないよね?」

「そうじゃない。今は言うとおりにしてくれ。」


 カエデは私をまっすぐに見つめて優しく誠実に言ってくれた。そこには先ほどまでの恐ろしさは微塵も存在せず、いつもの優しい夫がそこにはいる。


偶には、ちょっとぐらいは、流されてやるか。

「全く、わかったよ。今日はね。」

「ありがとうな、じゃ硝子細工の方だな。」

「うん、ってわ!?」

私を姫抱きにして無理やりカエデはもう一方の扉へと歩き出した。ガラスの鍵を足で器用に拾い上げ、そこの宝石から出る光りに導かれるように突き進む。


ラッコン。


「いいな?」

こっちに進んでいいなって事かな?

自分で決めたことなのにいちいち聞くんだね?

「今日はいいよ。って言ったでしょ?」

「そうだったな。」


 二人で扉を超える。

優しい光があたりを包む。


~~~~~~~~~

 『え?』

「蓮、いや先生。今、なんと?」


 「凛さんは拡張型心筋症、楓さんは柚さんと同じ肺高血圧症で二名とも余命は2週間が限界です。」


俺は病室内で、楓と凛のご家族に二人の、親友たちの余命を宣告した。


 「は、え?いや、2,2週間?じょ、冗談じゃないわ!娘の時でさえ1年だったんですよ!

それでも足りないのに、今度は息子が2週間以内に死ぬ!?そんなもの受け入れてたまるもんですか!」


楓の母親が立ち上がって大声で俺を弾劾してきた。

今にも俺に殴りかかってきそうだ。


 「待て母さん!蓮君だってこんなこと言いたいわけじゃない!」


 楓のお父さんが抑えつけてくれているから一応問題はないが、これ以上言えばマジで殴られそうだな。

凛のご両親も完璧に血の気が引いてるし。まともに話聞いてんの健兄ぐらいだよ。


「で、蓮?二人は何で2週間なんだ?」

「、、、凛は、前回の検査から想定の何倍ものスピードで病状が悪化してて正直なところいつもう一度心不全を起こしても不思議じゃない。

心不全が起きた場合はこちらも最大限の努力を尽くすけど限度がある。2週間っていうのはその限度が来るまでに想定される期間だ。」


 俺がそう伝えると、健兄の手からスマホと手帳が零れ落ちた。落ちたものを拾って渡そうとしたが健兄は一切動かず完璧にフリーズしてしまう。


 「あ、悪い。ありがとう。続けてくれ」

「ああ、楓の方は柚さんと同様だ、時期に全身に酸素が回らなくなるでも、心臓に過度に負担がかかっているわけでもないから、2週間はまだ生きられる。そのあとはほぼ絶望的。」


 遂に全員口を開くことすらやめてしまった。


さて、ここまでは想定どうりだ。ここからわざわざ爆弾落とさないといけないのか。


「そして、ここからは提案になります。とても失礼なことを申しますので、どうかご容赦ください。」

目線が変わる。視線が俺の心臓をからめ射貫く。

だが、ここでビビるわけにもいかない。逃げる理由はない。医者として、医者として、患者を救え。


 「実は、以前から凛さんと楓さんは互いの臓器提供者に成りたいと仰っていました。これはご存じでしたか?」

俺の告げた事実にその場にいる全員が首を縦に頷かせる。最低限の説明はしてたみたいだな。

「事前の検査により、二人はドナーとして、問題なく提供が可能なことが分かっています。」

「おい、蓮。待て、何を。」

「今現在、二人は本当に今際の際にいます。凛さんに至っては何時亡くなられてもおかしくはありません。そして互いの臓器提供者、という事は凛が提供するのは肺、楓が提供するのは、心臓となります。」

『え?』

「いや、待て、蓮。言うな。お前」


ノートパソコンを開き、予定していた手術用の資料を開く。

そして、ご家族に二つの手術の資料を提示する。


 「私から、凛さんまたは楓さんへの臓器移植手術を提案します」

『は?』

ご家族全員が俺を「何を言っているんだ?」という目線を向ける。


 「この手術の選択が二名の生死に直結するといって過言ではないです。楓さんへの臓器移植を選べば、2週間を待たず凛さんは死にます。逆に凛さんへの手術を選ぶと当然楓は死にます。」


 ヒュッと母親たちが息を呑んだ。

「これは医師が選ぶものでも無いです。なのでご家族に決断していただこうと思います。」

ああ、言い切った。だいぶ大事なところすっ飛ばした気はするがなんとか言えた。

ああ、何で医者とはいえ兄弟同然に育った親友を殺す提案をしなければいけないのだろうか。


 「ふざけるな!!」


健兄が俺の胸ぐらをつかみ壁に思いっきり押し付ける


「蓮!お前が、いかに医者と言えど!

いかに親友と言えど!お前が!何故!?

義弟()()を天秤にかけるような真似を!?そして何の権限があって殺そうとする!?

答えろ!レンッ!!」


何度も力強く主に頭を打ち付けられ、鈍い痛みが広がる。


 「互いに互いの臓器提供者に成ることを望んでいた。

それはいい。日本はドナー登録者数が他の国に比べとても少ない。アメリカや欧州連合の様にもっと多くのドナーがいれば、いてくれれば柚は死ななかったかもしれないんだからな!!だが、臓器提供を望んでいても、今際の際でも、殺す理由には、、!」


 「成るんです。」


健兄は涙まで流して俺を睨みつけたが、ゴメン。健兄。あるんだ。殺す理由があるんだ。


「蓮君!ふざけたことを言うんじゃない!」

「そうだぞ蓮君!命を扱うものが殺す理由などと!」

父親たちも怒っている、というよりは諭そうとしている。


「大体、蓮!お前の言う理由とは何だ!ふざけたこと抜かしたら本当にお前をもう一度ぶん殴るぞ!」


ガラ。

 「言質だよ。あの二人のね。」

大きな音を立てて白衣姿の姉がノックもせず病室に入ってくる。

「、、、悠?お前、何言って。」

突然の旧友の登場に気が抜けたのか健兄は胸倉にあった手を放しバタンと床に俺を落とした。


「お久しぶりです、おじさんおばさん。」

「悠ちゃん。そうか、君もここに勤めていたのか。」

「娘の時は、世話になったね。ありがとう。」

「、、、相変わらず綺麗ね、悠ちゃん。今すぐにでもウチにお嫁においでなさい?」


凛のお母さんすげぇ疲れてるな。会話の内容が俺が小学校の頃まで遡ってやがる。

「フフフ、ありがとう。でも柚に悪いからいいよ。」

「そうだ、柚に悪い、やめてくれ母さん。、、、で?言質って?」

俺はすぐにノーパソから動画を引きずり出し全員に見せる。


 その動画の中心では凛と楓が仲良く手をつなぎながらカメラに向かって目線を向けている。

「凛?」「楓?」

そして、再生させると、二人は少しだけ笑いながら話し始める。

 〔おい蓮。これ必要か?〕

〔当たり前だろ。契約書と意思表明だけじゃ俺と姉貴だって簡単に移植は出来ないよ。〕

〔そうなの?私が死んだらこの人に体あげます!じゃ駄目?〕

〔駄目だよ。全く、凛は義姉に似てきたね。〕

画面外から俺と姉ちゃんの声がする。当然だ。

これはわざわざ楓と凛の家にまで行って撮ったものなのだから。と言ってもほぼ押しかけたに等しいので、二人は情事の後だったし洗濯物等も干しっぱなしだ。


 動画の中の楓は後ろから4つの紙を取り出し、カメラによく映るように位置を調節して見せつける。

二つの紙には手術同意書と大きく印刷されており、もう二つには特例臓器提供同意書と印刷されてある。

 〔あー、えっと、私高藤楓と〕

〔高藤凛は、どちらかが緊急手術、又は延命手術を行わなければならない状況になった場合〕

〔延命措置等を行わず、2030年1月改正の二〇三〇臓器移植法に則り臓器提供を行うことに同意します。令和13年2月2日。〕


 そして二人はハンコを取り出し4枚の同意書にハンコを押印する。

〔よし、これでいいか?〕

〔、、ああ。だが本当にいいのかい?〕

画面外から確かめるような声で俺が二人に問いかける。

二人は一瞬互いを見つめあってからニコリと微笑みあい何の迷いもなく話す。

〔〔勿論だ〕よ。〕

義姉()ちゃんの時に、ドナーがいれば。っていうのはお兄ちゃんからいっぱい聞いたからね。〕

〔それに、俺たちだって突然ぽっくり逝く事も可能性としてはあるし、保険はかけといたほうがいい。〕

〔愛してる人には、たとえどんな事があっても笑って生きていて欲しい。これって同然の願いでしょ?〕


 凛は慈愛に満ちた目でカメラの奥の俺を見つめた。


〔義姉《柚》ちゃんが言ってたんだ。

お父さんお母さんも弟も義妹も友達も友達の友達でさえ私は大切だって、愛しいって。

私がいなくなっても、皆には見えなくなっても、

皆には笑ってて欲しいって。

それを言われた時の私は、私がいなくなってもなんて言わないで!って怒っちゃったけど今は解るんだ。

私も、楓とママとパパとお兄ちゃんと紅里と蓮とお義父さんとお義母さん全員に笑って生きてて欲しい。

その為になら、自分なんてどうでもいいぐらいに。〕


 その言葉に、凛の家族は大粒の涙を零した。楓のお父さんも目頭を強く抑え天を仰いでいる。

〔凛の言うとおりだ。良いんだよ。俺は凛の為なら、大切な人の為ならなんだってする。だから、蓮。悠さん。本当にもしもがあったら、頼むよ。母さんも父さんも俺の決めたことなら文句ねぇと思うし。まぁただ、健兄にどやされそうだけどな。〕


 その言葉で、動画はぷっつりと断ち切られている。


誰もが言葉を失い、気力を失いかけた状況でも、俺と姉ちゃんは説明を続けなければならない。

「今のが、さっき姉ちゃんの言った言質です。動画の中で出てきた同意書もこちらにあります。」

「二〇三〇臓器移植法っていうのは、俗に社奉安楽死法なんて言われてるやつだよ。自分が死ぬときに延命治療とかいいからこの体で救える命を救ってくれっていう綺麗事みたいな法律。

そんなに普及してるもんでもないけどね。

これを使うには厚労省の認可がいるけど下りさえすれば、病気、事故、自殺、殺人、どんなケースであっても延命措置っていう最後の手段をとる前に臓器を受け渡すことができる。あ、それとここでいう延命措置っていうのは救命措置とは別よ。勘違いしないでね。

救える命をより多くの命に生かそうなんて言う法律じゃないからね。」


姉ちゃんは椅子に座りながら足を組み本当に医療従事者かという風体で淡々と言い放った。


 そして、俺は動画から先ほどの手術の資料へパソコンのタブを切り替える。

「今回の場合。楓さんと凛さんの両方が延命措置に入っても致し方がない状況となっています。

ですが、いまだ救命措置は可能です。その中の最も有効的と思われるのが移植手術です。

以前より内科的治療は行っていましたが、あまり効果がみられていません。幸いなことに、ドナーはすぐ近くにおり、本人の手術への同意書もすでに書きあがっています。」


そういったところで再び健兄が立ち上がり、俺を睨みつける。

「だから、意識の戻らない本人じゃなく家族である俺たちがどっちに臓器移植をするのか選べ?」

その目に仄かな、いや限界まで押し殺された怒りが宿っている。


 俺も同じように立ち上がり、健兄をまっすぐに見上げる。

「、、はい。どちらを殺すのか、選んで、ください。」

勢いよく頭を下げながら、俺は大声で自分への罪悪感を握りつぶして言い切る。堪えきれず潰しきれず、心の奥底から涙が流れ出る。


 健兄も両目からぼたぼたと涙を零す。

「、、、、、ああ蓮。解ったよ。」

「健!」「健君!!」

父親は声を荒げ母親たちはもう涙と絶望感で反応すらなくなっている。

 「父さん、おじさん、ここでどちらも選ばなかったら、どっちも死んじまうんだ。頼むよ。」

「、、だから実の娘を殺す選択を君は親にさせるのかい?」

凛の父さんはいつもの温厚な姿からは想像もつかないほど大きな声を上げ怒っている。

「!!、、、ああ、そうだ!!実の妹を!父さんの娘を殺そうって言ってんだ。」

「簡単に言うがな!そんな簡単に、簡単に、理解できるほど、親は、、単純じゃないんだ。」

「、、、ああ、多少は、分かってる積りだ。ゆっくり、時間かけて決めればいいだろ。」

健兄は凛の父さんを抱きしめながら、それを楓の父さんが上から抱きしめ三人はとても大きな声で泣いた。


 そして、神は何処までも無情なようだ。

先ほどから姿が見当たらなかった矢田さんが血相を変えて病室に飛び込んできた。

「先生!」

「「はい?」」

「実は、手術室の空き状況を先ほど確認していたんですが。」

「何かあった?」「まさかメスでも足りないのか?」

「いえ、とりあえずこちらをご覧ください。」

そう言って矢田さんは俺と姉ちゃんにスマホの画面から手術室の予定表を見せる。

 

「「は?」」


いや、いや、いや、嘘だろこれ

「、地獄だね。」「はい、だいぶ無理があります。」

「姉ちゃんこれは、、、」

「ああ、蓮。私が言おうか?」

「、、、いや、俺が言う。俺の患者の話だし。」

「、、、、強くなったね。蓮。」

「いつまでガキだと思ってんだよ。姉ちゃん。」

俺は三人に近寄り、跪きながら健兄にひそやかな声で伝える。


 「ごめんなさいとても伝えずらいことが一つ判明しました。」

三人は涙を何とか無理やり止めて俺の話に耳を傾ける。

「どうしたんだ?まさか、凛になにかあったのか!?」

「いや、そういうわけではないんです。」

「じゃあ、何があるんだ?蓮君。」

楓の父さんも心配そうに俺の方を睨む。


 俺は自分のスマホから院内共有のフォルダを開き件の予定表を展開し三人に見せる。

「こちらをご覧ください」

そのタイトルは手術室使用予定表。

「え、、、、」

「これって。」

三人はその表をひとしきり見た後、俺の方に視線をずらした。

「ええ、ご覧の通りです。申し訳ございません。

偶然当院の2週間の手術室利用が詰まっておりまして行えるのは本日のみとなってしまいました!」

「は?、、、、ってことは、二人の命を救うには、、、選ぶのはあと何時間の猶予があるんだ?」


 「残り、2時間が、限度です。」


 「「「え、?」」」

全員がその場で音もなく大粒の涙を流した。


~~~~~~~~


 扉の先は、何気ないマンションの一室で3LDKの日当たりがいい所だった。

干しっぱの洗濯物。つけっぱなしのエアコン。乾かしたままの食器。閉め切られた寝室の扉。

「リン、、ここは。」

あああ、思い出したよ。ここは、私たちの家だ。


 「うん。分かってるよ、()。」

私の顔が一気に4年分年を取っていく。

その姿を見て楓は安堵とも落胆ともとれる曖昧な溜息をもらした。


()。おかえり。」


 そして、年を取った私を、同じようにちょっとオジサンになった楓が私に手を広げる。

それにゆっくり抱き着きながら、優しい涙を流す。


 「ただいま。()。大好きだよ。」

 「俺もだよ。」


思い出してきた悲しい現実から目をそらすために、忘れるためにとてもとても力強く抱き締めあった。


~~~~~~~


 「息子を!殺すのを二時間で決めろっていうのか!」

大きな音を立てて俺の顔面に赤い打撲痕ができる。


壁に打ち付けられたことによる鈍い痛みが全身に広がる。


 「ふざけるなよ!医者の若造!」

楓のお父さんは俺に跨りその上で殴ろうとこぶしを構える。

「お前らは何時もそうだ!!最後の最後は無責任!娘の時だって!柚は三か月も早く死んだんだぞ!」

「おい!止めろおじさん!医者に言ったって無駄だ!」

健兄が羽交い絞めにして楓のお父さんを抑えるが、存外力が強く、俺の首にまで手がかかる。


 「妻も言ったがな!2週間なんて短すぎるんだ!それなのに、今度は2時間?親舐めてんのか!!」


「おじさん!」「高藤さん!止めるんだ!蓮君に言ったってもう変わらない!」

凛のお父さんの呼びかけに、ずっと構えていた拳をおろし首からも手を放し顔を歪ませて泣いてしまった

「分かってるよ。分かってるさ。でも、でも、でも、、、でも。」

楓のお父さんは、凛のお父さんの手で、楓の隣の席に戻され、

俺は健兄に手を借りて何とか起き上がった。


 そんな状況でも姉ちゃんと矢田さんは俺を遠目から見守り続けた。

「無事かい?蓮。」

「無事だけど心配するくらいなら止めてくれよ姉ちゃん。」

「甘ったれんじゃないよ。あそこで止めたら、先生と柚が隠した事実の意味がないだろ。」

「、、、そうだけど。」

姉ちゃんは少しだけ涙ぐんでいたが、多分問題ないな姉ちゃんだし。


 そして二人の家族は未だに眠り続ける蓮を取り囲みながら、ゆっくりと議論を始める。

 だが健兄や凛のお父さんは「高藤さんに二人目を殺させるわけには、、」という思いやりで。

楓のお父さんは「娘を失う辛さはよく解ってるから、絶対にさせない」という後悔で。

母親たちは「わが子を見捨てる気はない」という親心で。

ほとんど平行線の議論を続けた。だが、続くだけでも末恐ろしいのである。医者でさえ、災害時や緊急時の患者の取捨選択は悩み苦しむものなのだ。

通常こんな会話続くわけがないのである。それでも、覚悟もって話してくれているのは有難いことだ。

直感でこれは医者の立場でも楓や凛の立場でも何一つとして声を上げるべきではないと理解した。


~~~~~~~~~


 「ねぇ楓。」

「どうした?凛。」

 私たちは家に着いたがかと言ってこれまでの様な懐かしい感覚もない。これといってやるべきことも見当たらなかったので二人一緒にソファでダラダラとテレビを見ていた。

「ここって何なんだろうね。」

「さあな?俺もわからない。ま、でもお前と一緒なのはよかったよ。」

何故か楓は膝枕してくれなどと新婚かと言うほど甘えてくるけど、よく考えればいつもこんな感じかも。


 あれ、これ楓私に甘えて誤魔化そうとしてる?なにそのクズヒモ男しか使わない手段。

まぁ、いいや。あなたの妻がそれで誤魔化せると高を括ったこと後悔すればいいのだから。

 「楓。私、この部屋見覚えあるんだ」

「そりゃ、俺たちが今も住んでる部屋だからな、見覚えなかったらそっちのほうが問題だろ。」


 「そういう意味じゃなくてさ、この状況の方に見覚えがあるの。ていうかさ、これ同意書書いた後の部屋だよね?」


 楓は一つ間を置いた後、私の膝枕から起き上がり笑顔のまま私に向き直る。


「何でそう思うんだ?」


私にそう聞く彼の顔にはどことなく罪悪感のような哀愁が漂い私の胸をきつくきつく縛り付ける。

息がしづらい。楓の目が言わないでって言っている。

でも、言わなきゃその少し年老いた顔の中の私への罪悪感は取れないんでしょう?

だから言うんだよ。哀愁漂うオジサンの楓嫌いじゃないけどね。


 「主に三つだよ。一つは、完璧に寝室への扉が閉められてること。ここ二人暮らしだし、閉める理由なんて何か見せたくないものがあるときか、お客様が来てる時だよね?」


「ま、そうだな。でも、それだけじゃ弱いだろ。」


「それは私もわかってるよ。だから二つ目、あそこに畳まれてる洗濯物があの日と全く同じだよ。」

楓はさっと目を見開いたが、すぐさま冷静を装い何事もないように薄ら笑いを浮かべる。

「、、へぇ。凄い偶然だな。」

「これでも逃げるんだ楓。私は夫と刑事ドラマごっこする趣味はないよ?」

「俺もこの年になったらその趣味は消えたな。」

ならさっさと認めてくれればいいものを。そんなに認めたくないのかな。


 「じゃあ、いいよ。三つ目、あの日と流れてるテレビの内容が同じ。私の好きな女優さんが出てるから、よく覚えてるよ。」


楓はそれでも逃げようとしているのか目をそらすが流石にもう無理がある。

「そうか?凛の気の」

また言い逃れて逃げようとした楓をソファで勢いのまま押し倒す。

「気の性じゃないよ?そんなに嫌なの?あの日の後だって認めるのが。」

顔を近づかせ、しっかりと問い詰める。


「まさか、楓、あれ絡みなの?この部屋って言うか、この空間?」


「、、、取り合えず、ちょっとだけ離れてもらっていいか?キスしそうだ。」

そう言って楓は私を居直らせ、テレビの電源を雑に切りソファで私に向き直った。


 「本当は、マジで言うつもりなかったんだけど、それでも聞く?」


楓は優しく悲しく哀らしく私をじっと見つめる

その顔は記憶の中の楓のはずなのに、今の楓はまるで全くの別人のように感じた。

「うん。聞かせて?楓。」

私が頷いたのを皮切りに、楓はやはり少しだけ躊躇いながらもゆっくりとその固い口を緩ませ始めるた。


~~~~~~~


 タイムリミットまで残り1時間、以前として議論は平行線のままだった。

とは言え、父親たちも親なのだ、「自分の子を殺したくはない」その思いは当然存在する。

二人の本心がすべて曝け出されるまでにそこまでの時間はかからなかった。


 「高藤さん。あの日、柚ちゃんが亡くなった日のあなたの顔が、どうしても忘れられないんですよ!

だから、二度とあんな顔をしてほしくないんです。頼みます。娘を殺す覚悟、、、はもう用意しました。」

凛のお父さんは唇から血が出るほど深く食いしばり涙ながらにそう伝えた。

 「あなた!凛を殺そうっていうの!?私たちがどれだけあの子に幸せでいて欲しいことか!」

凛のお母さんは声を荒げ、自身が数十年連れ添った夫をきつく睨みつける。

凛のお父さんはそんな妻を優しく抱き締め、涙をぬぐいながらこう言った。

 「紘ちゃん。分かってるさ。僕だってね、あの子が赤ちゃんの時に初めていった言葉から、結婚あいさつで楓君と凛を話題に飲んだ酒の銘柄まで一度たりとも忘れたことなんてないんだよ。」

「ならなんで、、、」

「高藤さんは、、、既に、柚ちゃんを、亡くしているんだ。私たちには、健がいる。」

「でも、、、」


 「愛娘だ、殺したくなんて、、ないさ。

でも、私は、自分の良心に、従っていたい。

私のエゴだ。わが子の命まで私のエゴで、決めてしまうのどうかと思うが、この子たちに、良心にだけは嘘を吐くなと教えたからには、私も、それを貫いて居たいんだよ。」

凛のお父さんは、ドがつくほどのお人よしだった。自分の信念に従うことを後悔しない強い人だった。

「あなた、、ううぅあぁぁあぁ~!」

そして、凛のお母さんはそんなお人よしすぎる夫の胸で声をあげて泣いた。


 その様子を見ていた楓のお父さんは凛のお父さんをまじまじと見つめ覚悟を持って声を上げた。

「待ってくれ久郷(くごう)、いや謙治(けんじ)。俺だって、親友の娘を殺したくなどない!」

「、、、ずいぶん久しい名で呼ぶじゃないか、高藤さん、いや(いつき)君。」


 「今はいいだろ、謙治。もう一度言うがな、俺だって同じだ。柚を亡くした時の、あの痛みは他の人に味あわせていいようなものではない。それに、楓だって妻を殺してまで、生きたくはないだろう。」


本当に泣きそうになりながらも楓のお父さんは男らしく言い切った。


 「ちょっと!何考えてるのよ!!お父さん!私は絶対に嫌よ!」

楓のお母さんはそれを良しとはしなかった。

いつかの凛に殴りかかった時と同じ形相で夫の胸を強く縋り付いた。

「私にはもう!あの子しかいないのよ!!柚が死んだとき!どれだけ!どれだけ!」

大粒の涙を流し何度も「あの子しかいない!あの子しかいない!」と叫びながらへたりと座り込む楓のお母さんは見ててとても痛ましかった。


 「おじさん。父さんの言うとおりです。おじさんはそうです、奥さんは耐えれないんです!だから。」

健兄は父親譲りの優しい眼差しで楓のお父さんを説得しようとする。

頬には真っ赤な血涙が流れ出ているが、恐らく彼自身は気づいていない。それほどまでに必死だった。

「そう言うがな健君!凛ちゃんだってしっかりとした私の家族なんだよ!義理の娘だ!娘だぞ!」

「樹君、それは私たちだって同じだ!楓君だって義理の息子だ!」

父親たちは思いっきり立ち上がり、互いの顔を善意の元で睨みあう。

「だが謙治!お前は最初は結婚に反対だったろ!」

「それが何だって言うんだ!楓君が家族であることに何の変わりもないだろう!」


 「俺はだいぶ前から大賛成だった!柚が死んだ後もな!凛ちゃんが娘になってくれたら何度も思った!柚への思いを投影しているというのもある!だが娘は娘だ!もう二度と娘を失いたくはないんだよ!」


 壁に拳を打ち付け凛のお父さんに情で訴える路線を選んだのか。実の息子を超える思い義理の娘に注いでいたと吐露する楓のお父さん。


「、、樹君」「、、、おじさん」「高藤さん、、、」

凛の家族全員が、お人よしであるが上に情に訴えられるやり方にはどうやっても流されてしまう。

上手いやり口だ。相手をよく見ている。さすが本物の営業マンだ。


 あと数分、いや数十秒で楓の死を、楓を殺すことを場が認めるはずだった。

だが人は善意だけで動いているわけではない。欲望を全員が押し殺し続けることなど不可能なのである。


 「あなた!嫌よ私は!あの女は私の義理の娘でも何でもないわ!」


今度は楓のお母さんが流れを断ち切った。

人工呼吸器をつけて辛そうに汗を浮かばせる楓に抱き着き夫へ罵声と怒声が入り混じった声を浴びせる。


 「私の娘は!高藤柚ただ一人よ!凛などでは一切ないわ!」

「母さん!よそないか!」

「あなたもあなたよ!そんなに軽々しく娘だなんて!

あなたは直接育てていないからそんな簡単に言えるのよ!」


 楓のお母さんが払いのけた手に当たってまだ枠に打ち付けられる楓のお父さん。

「父親と母親はわが子に育てた年数が!違うのよォ!」

ものすごい剣幕。とんでもない声量。限りない心当たり。楓のお父さんはそこで口を閉ざした。

何一つとして、彼は言い返せなかったのだ。

 妻の言葉に間違いはないのだろう。それでも、言わないで欲しかった、気付かせないで欲しかった。

そう全身で語る彼を誰が見ていたのだろうか、いや誰も見ていないのだろう。


楓のお母さんは凛の家族をしっかりと睨みつけ言い放った。


 「私は絶対に楓を殺すつもりはありません!失礼は百も承知です。ですが凛さんを殺してください。」


人の子をその子の親に殺せと頼み込んだ親の目にしては、酷く冷徹で無情的な目線だ。


 健兄と凛の両親は言われた瞬間反射的に顔をひきつらせたが怒りとも絶望とも安堵ともとれる表情でゆっくりと頷きそれを肯定した。

全員が、重く苦しい思いを抱えながら涙を流す。

地獄への道は善意で塗装されているとはよく言ったものだ。その道を進むのは他でもないその塗装をした者たちばかりだ。

本当に今凛の家族の前にあるのは地獄への一本道。

何処にあるんだ天国への道は。

そうか、天国への道は悪意で塗装されているモノか?

なら、あの人に、いや誰の前にもないのか?

救いはないのか。そうだよ。ないんだよ。ないからこんな事になってんだろ。

気付けよ俺。一番道を塗装してんのは、俺だぞ。


 「おい、蓮。決まった。」

そういう健兄の声は何時になく優しく震えていて、皮肉にも凛の声とそっくりだった。

「・・・・ああ、じゃあ、、、こっちの同意書に、サイン、してくれ。」


 俺は無力感と無情感で医者としての仮面を忘れながら先ほど急遽で作った手術同意書を手渡す。


凛の両親は泣きながら肩を寄せ合い、娘を殺すことを受け入れようと努力していた。

楓のお父さんも深い深い慟哭と共に「すまなかった。すまなかった。すまない。」と後悔を漏らす。

凛のお母さんは楓の名を何度も呼び強くとても強く抱き締めて泣いた。

姉ちゃんも、柚さんの亡くなった時と同じぐらい強く重く深く涙を零した。

 健兄が内ポケットからボールペンを取り出しベッドの上のテーブルで署名を書こうとしたが、

手が震えていたせいか、するりとペンは手から流れていき、楓のベッドに落としてしまった。


 「、、、、悪い、、、楓」

聞こえるはずのない届くことのない謝罪。

無駄なことだと笑うものは誰もいない。だがあまりにも残酷な残酷な言葉だった。

その一言にすら、俺は、涙を流してしまった。


 「いい、ぜ、、、、、義兄(アニキ)。」


 『え?」


~~~~~~~


 「まずは凛の問いの答え合わせからしようか。」

そういいながら楓はサクサクとインスタントコーヒーを淹れ私に手渡してくる。


 私好みに砂糖を加えられてあるコーヒーを喉に流しこみながら楓の話に耳を傾ける。

「この部屋はあの同意書を書いた後か、答えはYes。大正解、寝室もあのまんま。見る?」

クイっと指で閉め切られた寝室の扉を示す楓の顔はふざけているように見えて全く目が笑っていなかった。

 「見ないよ。次。」

「次は、、俺が認めなかった理由は同意書絡みか、これはウィ。その通りだ。」

「なんでフランス語?」

「一芸がねぇと詰まらねぇだろ?えっと、次の問いは何だっけ?」

「全く、じゃあここは何なの?同意書絡みってことは死後の世界とか?」

「惜しいな。俺もそこまで深くは分からないが、どちらかと言えば走馬灯とか三途の川とかいう方だな。

死者と生者が入り混じる場所って認識で問題ない。つまりはまだ凛は死んでない。」

嬉しいような悲しいような宣言に不謹慎なのは分かっているが柚ちゃんの余命宣告を思い出してしまう。


 「次はどうする?」

「次、、、次はじゃあ、なんで柚ちゃんのこと、嘘ついた?」

私と楓は互いに空になったコーヒーカップをテーブルに置き恋人が蜜月を交わすように首に手をかける。

 

「一つは、、お前が覚えていなかったから。

そして二つ目は、嘘を吐く、この行為自体が扉の条件だと俺は、知っていたからだ。」

 

楓の手が先に私の首からぬっと流れ落ち私の腰の位置でがっちりと止まる。

私の手はいまだに彼の首にかけられている。


 「扉の条件?どういう事?」

「あの突然出てきた扉は、俺が言った後に毎回出てきてたろ?覚えてるか?」

言われてみれば、全て楓が言ってから鍵と扉が現れている。


 「あれを出すには、嘘を吐くという行為が必要だった。

そして凛はあの扉を越すタイミング毎でそれまで触れられなかった次の記憶にアクセスできるようになる。凛、多分だけど、最初は俺のこと誰かわかんなかったろ?それも記憶としては残っていたが、その記憶に触れることができなかっただけだ。だから思い出した時もすんなり飲み込めたわけ。」


「つまり、あの時は柚ちゃんが死んじゃった記憶に触れられないけど次ぐらいには触れられるようになるだろうと予測して置いて嘘ついたってこと?」

「ま、そうなるな。」


 飄々と言い切る夫への不快感を感じながらも手には力を込めずあくまで淡々と聞き続ける。

「じゃあ、今嘘ついたらどうなるの?また新しい記憶に触れられるようになるの?」

「あー、確かにどうなるんだろうな。吐いてみるか嘘り」

またもへらへらと仕事の時の気軽そうな態度で言う楓。


 「そうだね、私がやってみようか、じゃあ、私は楓を愛してない(・・・・・・・・・)。」


大きな声でしっかりと嘘を吐いたが、これまでの金属音は全くしないし扉も現れない。

「、、、無駄みたいだね。音とか全くしないし。」

楓は年甲斐もなく少し顔を赤らめながら「そうだな。」と頷く。

 「あ~、凛もう一杯淹れるか?」

「要らないよ。まだ質問権ある?」

楓はゆっくりかつゆったりとインスタントコーヒーを音を立てて淹れていく。

本来インスタントなのだからそんなに時間がかかるはずはないのだが、楓はとてもゆっっくりと淹れる。

「フ~フ~フー」

遂には鼻歌まで歌いだした。もういっか。


 「、、さっき、同意書を書いたことと関りがあるって言ったけど、どう関係あるの?」


楓は依然として平然とコーヒーを淹れている。だが、何かが変だ。音が全く聞こえなくなったのだ。

先ほどまではコーヒーをジョボジョボと淹れる音が聞こえていたはずなのに、今は全くしない。

楓は未だにしっかりと手元にポットを持っているのだが、本当になに一つの水音もしない。

私の方に向けられた背中の強さが正しさが、今は恐ろしさを伴って私の心を揺らしている。

引かない。そう決めているのだ。絶対に退かない。

「それに、生と死のはざまみたいな場所って言ったけど、もしかしてそれ」


「凛。出来たら、静かにしてくれるか。」


 凛は私の言葉を途中で断ち、振り返りざまに笑顔で私を威圧する。

満面の笑みで目も細められている。

その所作は幸せな時の笑顔と変わらない笑顔のはずなのにとても声を出す気には成れない。

その笑みを張り付けたまま元の位置、つまり私の隣に座り込みじっと私を見つめる楓。


 私は何とかその笑みに抗い、びくりと肩を震わせながら小さく声をあらけだす。

「か、えで。なん。ん!?」

だが、それを楓はあの笑みのまま私の口をふさぎそのまま覆い被さり押し倒してくる。

「んん!ん~!」

私は必死に夫の体を叩き抗議を訴えるが、夫はそれを無視して私の口腔を蹂躙し続ける。

「ん~~!!!」

3分近く私の口腔を楽しんだ楓は私を押し倒したまま耳元で、まるで耳を言葉で犯すように囁く。

「凛、今は、何も、考えるなよ。」

 困惑をいっとき顔に浮かべてしまったがその行動を私が自認するよりも早く、私は身包みを剥がされ何時よりも甘く激しく大胆にしかも寝室などではなくリビングのソファで抱かれてしまった。

突然こんなところで盛るなんて私の夫は猿かと思いながらも体は条件反射で幾度となく体は絶頂を迎えてしまう。夫の思い通りになるのは些か癪だったが最近は少しご無沙汰だったので流されることにした。

 久しぶりの温かみと共に感じた楓からの愛情は酷く寂しさのこもったものだったが私をしっかりと満たし、ここ数週間の寂しさをしっかりと忘れさせてくれた。


 その後、いつの間にか私たちは場所を寝室に移して抱き合い続けたようだ。


 目を覚ました頃には私はベッドで体を毛布で覆いながら一人で寝ていた。

シャワーを浴びた覚えはないけど、体は綺麗になっていたので恐らく寝ながらも一応は入ったんだろう。

まぁそんなことは正直どうでもよくて私は抱き合った後なのにもかかわらず一人でいる事が大問題だ。

「何処、、楓。」

隣にあったはずの愛しいぬくもりを求めまともに衣服も纏わずほぼ下着だけの姿で寝室の扉を開ける。

扉を開けた先には記憶の中より幾何か更けている何度か見た顔のまま換気扇の下で煙草を吸っていた。

 

そう、煙草を吸っていた。


「何やってるの!楓!」

 私は直ぐさま楓の元に走り彼の手元から煙草をはたき落とす。灰がグラスの中に飛び散り火の付いたままの煙草が床にはたりと落ちる。

私はそれを乱暴に拾い上げて灰皿に押し付けた。

大声を上げながら楓の肩を揺さぶりながら鬼気迫る表情で楓を問い詰める。


 「楓!何考えてるのよ!ただでさえ、肺が、悪い、、のに、。」


楓は問い詰める私を咎めるわけでもなく優しく寂しそうに笑いながら言う。


 「はは、気付かないで、欲しかった、かな。」


 私に自分のワイシャツを着せた楓は私を無理やり抱きかかえ寝室のベッドへ戻した。

寝室のカーテンを開けると外には美しい夕焼けが広がっている。

 「凛。体調はどう?」

「全然。夫が自殺行為をしていたこと以外は。」

「あーははは、ゴメン。本当に。」

 煙草は吸うなと医者にも蓮にも言われていたはずだ。以前から興味があったことは知っていたがまさか私に隠れて吸うなんて。本当に、もう今回ばかりは嫌だ。


 「楓、さっきからさ。コーヒー淹れたり、抱き上げたり、私を抱いたりさ。話をずっっと引き伸ばしてたけど、限界だよ?次は許さないからね?」


 窓から差し込む流れることなき夕日が私と楓を鮮やかに映し出す。


「、、、わりぃ、でも。」

「楓。」

 それでも私に言うことをためらう楓に痺れを切らし何の前振りもなく口づけをする。

驚いたような顔に成りながらも直ぐに私を受け入れ口を開き互いに互いを求めるように舌を絡める。


 「ん、、、楓、私は、傍にいるよ?」


 「っ、、、そうだな。そうだよな。でも、、、いや、そうだな。」


少しだけ涙を流しながら楓は優しく私を抱きしめる

 「、、、聞いてくれるか?」

「、、聞かないで。」

 何を言うでも誰に言われるでもなく口づけを、キスを交わす。互いへのキスは寂しさを埋めるためでも愛しさを確かめるためでもなく、理由のない必然が私たちを突き動かした故のものだと、私は信じたかった。


~~~~~~~~~~


 『楓!?』


 「る、、っせぇな、、、静かにし、てく、れ」

人工呼吸器越しに聞こえる親友の声は酷く弱り切っており、本当にコイツは俺の親友かと思わせるほどの変貌ぶりだった。


 「楓!楓!楓!楓!楓!楓!楓!楓!楓!楓!楓!楓!楓!楓!楓!楓!楓!楓!カエデェ!」

楓のお母さんはさらに力を込めて抱き締めるが楓は一切気に留めず辺りをゆったりと見渡す。

「蓮。」

「あ、、どうした?楓。どこか痛むか?それとも倒れそうか?」

「凛は、どこ、だ?」

やはり最初の言葉は愛妻家らしい一言だった。

楓は凛の為にここまで駆けようとしていたところを事故にあったのだ。当然の疑問だろう。

「凛は集中治療室(ICU)に居るよ。まだ死なない。心配するな。」


 「()()?」


楓は目を見開き俺を見つめる。その目線の勇ましさが強さが俺の心を深く痛めつけた。

俺はその目に恐れを抱きそして凛の現状をどう伝えるべきかと思い悩んでいると、姉ちゃんが楓のほうに向かい静かにだが慈しみに富んだ目で告げる。


 「ああ、まだ、ね。君もだけど凛の余命は2週間が限度だよ。延命治療を施してもね。それが限界。」


「2,週、間?」


楓は一気に気を沈ませ絶望そのままに息を漏らした。

そして、何を思ったか表情を弾ませ俺に意気揚々と宣言した。


 「蓮。延命治、療なら、俺の臓器が、わたせ、るだろ!」

「、、ああ。」

「じゃあ、わた、してくれ。凛の一、部にな、て、しねる、へへ」


自分を殺してくれと言っている人の顔にしてはとても明るく愛情に満ちた顔だった。


 「何言ってるのよ楓!あなたは生きなきゃいけないのよ!」

楓のお母さんは大きな音を立てて立ち上がり狂気を宿した目で睨みつけた。

「は?何、言って、んだ母さん。遂にボ、ケたのか?」


 「違う。それは、俺たちが、決めたことだ。」


義兄(アニキ)ま、で何言、てんだ?」

本当に化け物を見るかのように彼は自身の憧れの義兄へと視線を落とす。その目をゆっくりと見据えながら義兄は哀情を押し殺して続ける。


 「凛と楓、どちらに移植手術を行うのか。これを選ぶのはどちらも意識がない状況では必然的に家族になる。これは、、俗にいう二〇三〇臓器移植法でも、変わらない。、、俺たちが選んだのは、楓への手術だ。つまり、2週間以内に、妹は、お前の妻は、凛は、死ぬ。だが、それよりも、義弟(お前)が生きることが!」


 「おれ、が生きる、ことが、なん、だ、、よ!

俺は。」

「凛に生きて欲しい、かい?楓君。これは私達も賛同している。この意味が解るね?」


涙ながらに声を漏らした楓に対し今度は彼の義父が動いた。

「私は、、実の娘よりも、義理の息子の君を選んだんだ。実の娘を殺すことを選んだんだ。」

「お、義父さ、ん。」

楓の近くの椅子に座り込み楓のお母さんが抱きしめる楓に優しく笑いかけた

「君は、優しい、君は強い。君はいい男だ。あの子がいなくても、、いなくても。」


 「俺に、は凛、すべて、、だ!凛の、いな、い人せ、い、嫌だ、ぜった、、い、ゲホゲホ!」


咳き込みながらも力強く宣言した楓の言葉に、彼の義母と実父が揺らぎほぼ同時に口を開いた。


 「やっぱり、凛を殺したくなんてない!」

 「やはり凛ちゃんを殺すべきじゃない!」


「紘ちゃん!樹君!何を言い出すんだ!」

「そうよ!あなた今更楓を殺すなんて!馬鹿なこと言わないで!」

今までの話し合いをすべて無下にしかねない二人の発言に、残りの親たちも反論した。

一人は、同じように揺らぎそうな意思を、自身の選んだ選択と覚悟をしっかりと貫くために、もう一人は二度と実子を失わない為に、ほとんど死に物狂いだ。

だがお互いに一歩たりとも引く気配はない。


「何を言い出すも何も親として当然の思いよ!

誰が腹を痛めて生んだわが子を殺したいなんて思うもんですか!さっきは、貴方の言うことが、正しいと、私が貴方を好きになったところだからあなたを信じたいと!そう思ったけれど!私は今は母親なの!28年、いえ29年前から母親なのよ!母親としてわが子の幸せを願って何を咎められなければいけないのよ!」


 妻のわが子への思いを実直に全身で受け止め、その壊しようも汚しようも揺るがしようもない様を理解してしまった凛のお父さんは少しだけ口を開いたが何も言わずにゆっくりと閉じ、椅子に座りこんで静かに涙を零した。声を殺して泣く夫を先ほどとは逆に妻が優しく抱きしめ同じように優しく泣いた。

彼の決意を、エゴを揺らすには充分すぎるほどの愛だった。


「、、、楓。」


先程まで口を閉ざしあたりを見るだけだった健兄が楓へと語りかける。


 「お前はこれで、良いのか?死ぬんだぞ。凛とも、これっきりだ。あの世なんてものがあっても、会えるのは数年、いや数十年先かもしれないんだ。それでも、お前は。」


 健兄は楓の真意を確かめるために怒りも寂しさも悲しさも感じさせないまるで飲んでいる途中のような心地よい重低音で楓の鼓膜を揺らした。


 「、、、構うか、よ。凛と一緒、死ぬまで、一緒だろ?俺はそ、れで幸、せだ。それ、にあの世、があるな、ら姉さ、んと一緒に何十年だ、て待つ、凛がお、れを忘れるわけ、がない、だろ?」


 「、、、、そうか。いい覚悟、いやいい度胸だ。あの世(あっち)で、待ってろよ。」

「、お、う。酒、持ってき、てく、れ。」

 へへ、と笑いながら深く息を吸い込む楓。

健兄は楓から目を背け天を仰いだ、目頭を強く抑え泣かないようにしていたのだろう。だか、努力むなしく目からは純度の高い雫がこぼれ出る。

更に力を込めて涙を流さないようにしているようだが一切をもって無情。涙が止まることない。


 「義兄。」


「見るな。情けねぇだろ。」

健兄は爪が食い込む程深く強く顔を抑えたがそれでも涙は止まらない。

 「ああ、情けねぇ。止まれ。止まれ。止まれ。止まれ。止まれ!」

遂には顔から流血までしだし赤くさらさらと涙に混じって流れだしてていく。

痛いだろうに、辛いだろうに、泣いて居たいだろうに、それよりも義兄としての誇りをプライドを守ろうと必死だったのだ。最後、分かれの一時ぐらいは格好良い義兄でいたかったんだと、後に彼は語った。


 「止めろよ健兄、血が。」

「止まれ、止まれ、止まれ、止まれ。」

 「義兄。」

「止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれとまれェ!」


 「健。止めて。病院で流血なんて。」

姉ちゃんまで健兄に近寄り彼の手首を掴んで無理やり彼の指を止めたのだが健兄はその手すら払いのけ涙腺に爪を食い込ませる。

「健!」

 「うざったいんだよ悠!別にいいだろうが!死ぬわけでもなんでもない!」

「私は死ぬから止めてるわけじゃない!貴方が、貴方だから!」

まるで嘲笑するように姉ちゃんを見下ろす健兄の目には哀しみと自虐の念が浮かんでいた。


「俺だからなんだよ!?俺は柚じゃないんだよ!お前の想い人じゃあないんだ!」


「は?何それ!?何私の気持ちわかった気になってんの!?私が、どんな思いで!」


「どんな想い?お前のは柚へのガキの頃からの愛だろ!!俺に向けているモノとは違う!」


「それ言ったら貴方だって!柚への気持ちなんかないなんて言わせないから!!」


姉ちゃんと健兄はそこからとても不毛な口論をはじめた。とはいえ意図せずして当初の目的である自虐を止めることには成功した。

姉達の口論を止めなければならないのは少し面倒だが多分この二人には意味のある時間なんだろう。


 一瞬楓の顔をのぞき込み目線で合図を送る。

幼児の頃から培った親友力は生死の淵でもしっかりと有用だ。

俺の合図を目線で返し、楓は慈愛に近い目を一時してからすぐに目を閉じた。

ここで布石は充分だ、あとは

「楓だけは楓だけは!絶対絶対絶対死なせない!」

「母さん!!!」

この楓の母さん(ヒト)だけか。

俺は緩み切っていたネクタイをしっかりと絞めあげ夜勤と気の使い過ぎで疲れた目をさっと休めて直ぐに楓のお母さん向き直る。残り時間は刻と迫り、その時が進み続ける正確無比な秒針の音は全員の胸をきつく厚く縫い付け続けた。


~~~~~~~


 「、、、2週間?」


楓から聞かされた内容は正直想像にそう違わなかった

二〇三〇臓器移植法。本当にありがたい法律だ。

成立があと数年遅かったら私たちは両方何もできずに死んでいるのだから。


 「そうだ。2週間以内に、何もしなきゃ、どちらも死ぬ。」


楓の顔は絶望と共に哀情が深く募るものへと変わっている。

「でも、移植すれば助かるんだよね?」

「、、ああ。執刀医は蓮だ。失敗はない、絶対に。」

 蓮は姉の悠さんと共にここ数年死に物狂いで医師としての経験と実績を積み上げている。その最中で救えた命も数多くあるが、救えなかった命も数多くある。

彼の妻つまり紅里から聞いた話だが初めて自分の患者のお爺さんが亡くなってしまってから蓮は手術をする前手術を行う患者と自分に言い聞かせるように「失敗はしない」と宣言しているらしい。

その宣言を楓は聞いたのだろうか。

それなら、私は、心置きなく...


 「わかったよ。じゃあ楓。早く戻りなよ。()()()に。あ、でも戻り方分かんないか。」


 私は楓を優しく抱き締めながら楓の

肩に顔を乗せ耳元でそう呟く。

温かなぬくもりと確かな感触だが不確かな命の肌触りに少し不快感を抱いた。

だが、楓からの弱弱しいながらも確かな感触に先ほどまでの感覚が偽りであると確信する。


 楓は私をさらと抱き締めたのち私の肩を掴みゆっくりと自身から引きはがし私の目をひしと見つめる。


「凛。()()、言ってるんだ?」


真顔でそういう楓の目の中の光が蝋燭の様にはためく。


 「何って、楓が戻るんでしょう?」


 「は?」

「え?」


 どうも話がかみ合わない。私何か間違ったこと言ってるかな?

「え?だって楓は蓮の宣言を聞いてきたんでしょう?それなら手術をするのは楓なんじゃないの?」

「そんなこと一言も言ってないだろ!」

楓は怒ったように私に低く言いつけた。まるで子をしかりつける親の様に、生徒を叱る先生のように。


 「でも、そうじゃなきゃ楓が死んじゃうんでしょ!私は楓を殺してまで生きていたくない!」


 そんな正義を人道を体現して私を叱った楓に反抗し私は思いをそのまま一切包み隠さず吐露する。

楓は決して純粋な思いを否定するような心ない人物ではない。私の想いを率直に実直に受け止めた楓は苦虫を何十匹も噛み潰した後のような声で告げる


 「凛が!そういうように!俺だって、凛に生きてて欲しいんだよ!」


互いに向けあっている愛情が尋常ではないことなど、百いや、千も承知である。

だから、引くわけにはいかない。誰が好き好んで伴侶を殺そうというのだ。全く神も仏もいりゃしないのか、このどんぐりコロコロめ。


 だが、ここで私は自身の叫びが既に意味をなさないことを察してしまった。

「あれ、これってさ。手術の選択をするのって、、私達じゃ、ない?」



 「ご明察。大正解だよ

()()()はどっちに手術するのか決めることはもう()()()()。」



ドッゴン!


 ちょっと遠いところから、とても重い金属が地にその身を打ち付けた大きく鈍い音が響いた。

「え?」


 「時間切れ(ゲームオーバー)。か」


 そう言うと楓は私をベッドに押し倒し軽くバードキスをしたかと思うとおもむろに立ち上がり身支度を整え、一瞬私を見つめてから寝室の扉を開け玄関の方へと駆け出した。


 「は?え?ちょっ、楓!」


それを呆然と見つめつくしていた私は楓が玄関へ駆け出した時になって大きく焦りを抱いた。

 その衝動に精神を蝕まれベッドの上に無造作に置いてあったロングスカートに無理やり腰を通しだぼだぼのワイシャツと乱れた髪、色味もへったくれもないスカートという至極奇妙ななりで楓を追いかける。


 楓は大きな音を立てながら玄関の扉を開けその先の道へと駆ける。

綺麗な花々に装飾されたバージンロード、それを駆ける夫はタキシードに身を包んでいる。

つい数時間前にはその道ににいたはずなのにまるで十何年も前のことように感じる。

物理法則で閉じかけられていた扉を半ば体当たりでこじ開け彼の名を呼びながらその背を追う。

 私の服も瞬きの間に結婚式の時の美しいドレスへと形を変え乱れきっていた髪は当日セットした私の人生の中で一番大人っぽい髪形に整えられた。


 「楓止まってよ!」


 私の声を無視して楓は駆けるスピードをさらに増していく。悲痛な叫びが伝わってくる彼の背中は抱き合っていた時よりも2割増しで大きく強くなっている気がする。


 楓は次の扉も腕を大きく振り開けバージンロードを後にした。その先は高校の食堂であり服は当然のごとく高校時代(あの頃)の制服に様変わりしている。

その扉の先で少しだけ立ち止まり辺りを見回してからすぐさま別の方向に駆け出す。

私と楓の差は全くと言っていいほど縮まらない。

 少しぐらい奥さん()に歩幅あわせたって罰は当たらないでしょ楓?待ってよ。お願いだから。

扉を超えた先には先ほどのままの食堂が広がっている

辺りを見れば楓が次の扉へと肩を入れ直ぐに登っていこうとしているのが目に映る。


 「楓!!」


 私がそこに駆け出した時にはもう遅い

楓は全身を何とか扉の先に入れ込み次の扉へと向かってしまった。

とはいえ私がその程度で引き下がれるはずもなくすぐさま扉へと昇りこみ、彼と同じようになんとか全身を入れ込む。その先はやはり初デートの時の映画館だ。

楓はすでに次の扉へと迷うことなく足を進めていた。


 楓、貴方はどこに向かっているの?


~~~~~~


 「私は絶対に(この子)を殺させないわよ!!!!」


 楓のお母さんは大声をあげて楓に飛びついた。

周りの人が彼女を見る目線は彼女になんの非があるわけでもないにもかかわらず酷く冷え切っていた。


 「母さ、、俺は、凛、の為に、妻の為、に死にて、んだよ!死なせ、てくれ。」


楓は強く惨く顔を歪ませながら実の母親へと反駁した

死に体と言って差支えのない彼にとっては親への最後の不義理であろう。

強い覚悟と妻への愛それが彼を限界まで叫ばせているのだ。


 「そうだ、母さん。受け入れる他、無いんだ!」


楓の父も力強くそう叫んだ。

 その後ろではとても申し訳がなさそうに、だが覚悟をもった風貌で佇む凛の家族たちがいる。

本当に尋常でない状況である。

自分を殺せと叫ぶ患者とその患者の父、

それを止めようとする患者の母、

そしてその状況を止めるでも進めるでもなくただ見守る患者の義兄や義父や義母。


 「嫌よ!絶対に嫌!」

「「母さん!」」


楓のお母さんは力強く楓の肩を掴み半狂乱に近い顔で叫ぶ。

 「柚を、柚を、亡くした時!私は、私は!この子だけは、楓だけは守ると!私はぁ!」


「なら、俺の尊、厳を守、らせ、くれよ!!俺、は自分、ら言って、だ!」


 「っ!でも!」


「で、もも何もあ、るかァ!俺は、死に、てぇ!」


 「死にたいですって!?馬鹿なこと言わないで!

柚の時は、柚の時は!三か月も早く死んだのよ!?あなただって覚えているでしょ?!

無念だったわ!愛娘の死を看取ることすらできなかったですから!

それにあの子だってやりたいやってみたいと言っていたことはいっぱいあったのよ!

柚の様に!柚のように!生に未練がある内くらいは!

私は!守ってあげたいのよ!あの子の様に!無念のまま!死なせたくないのよォ!」


 「は?、柚の、よう、に?」

ぴくッと明らかに血管が音を立てて浮かび上がりながら実母を睨みつける楓。


 「姉さ、んが!、、無念、のまま、、、死んだ?」


その表情は至極嘲笑的でとても人に向けるようなものではなかった。


 「馬、鹿言う、な!、、姉さ、、んは!幸せ、だった!、最後、、ま、で笑顔、だった!幸せだったんだ!ゲホゲホゲホ!!」


 「「楓!」」「義弟()!」「「楓君!」」


 「ハァ、ハァ!俺は、どう、だって、、いい!

でも、、でも、でも!

姉さん、を

高藤、柚を!

報われなかった、無念だった、かわいそうだ。

なんて、無体な!

、、そんな、愚弄な!

、、そんな非道な言葉で!


傍目、の言、葉で!、、語るなァ!!」


 この叫びは言い終わってからも楓のお母さんの心の芯の底まで強く強く強く響き続けた。

だが、ここで自身の非を認めて身を下げられる程彼女は大人になり切れなかった。


 「ッ!楓ぇ!」


あろうことか楓に向かって勢いのいい平手打ちを繰り出し、楓の頬から何度も何度も乾いた音が零れる。

「母さん!止めるんだ!」

彼女の夫がその腕を掴んでまで止めにかかるが、それでも彼女の平手打ちが止まることはない。

「母さん!止まれと言っているだろうが!」

遂には楓のお父さんまで拳を振り上げられ彼女の頬へと思いっきり突き落とされた。


 だが、その拳は凛のお父さんの圧倒的な腕力の元に抑えつけられた。

「謙治。」

「樹君。辞めようか。楓君。高藤さん。貴方たちも、だ。」

 深海が如き果てのない重量感に全員が恐れをなし辺りの音がスイッチを切ったかのように立ち消えになる。視点が一点に集約され場の支配者が誰であるかを理解させられる。

俺はその圧倒的なまでの剣幕に無意識に固唾を飲みくだした。


 「樹君。君は、今手を挙げるべきではなかったよ。少なくとも今ではなかった。」


凛のお父さんは手の甲を楓のお父さんの方に向けながらピンと人差し指を立てる。


 「そして、楓君。君の言っていることに誤りはない。

だが、君の言葉も、あくまで推測だ。否定をするのは些か暴挙に近い。」


 楓に対しても同じ様に向き直り人差し指に続いて親指を立てて彼の視界に入るようしっかりと示す。


 「最後に、高藤さん。貴方の息子を思う気持ちはとても美しく偉大なものです。充分賞賛に値します。

とはいえ、その思いが息子さんの意志を否定できるほど肥大化してしまえばそれは愛とは言いません。」


 「何ですって?!」

楓のお母さんは反射的にそれに反駁するが以前ほどの強さは存在しない。彼女だってやはり恐れている。


 「息子に自分の想いをこじつける親を何と言うか、何と呼ぶか、知ってらっしゃいますか?

子供に自分の意思を尊重させる親を何と呼ぶか知ってらっしゃいますか。子の思いを蔑ろにする親を何と呼ぶか知ってらっしゃいますか!


それを世は、毒親と呼び、嘲笑するんですよ。」


その時の凛のお父さんは、まるで自戒として言っているのかと思うほどつらく苦しそうな顔をしていた。

「私、わたし、わたし、が?」

「ええ、子供を支配していただけの、玩具をずっと手元に置いて居たいだけの赤ん坊(毒親)ですよ。」

 楓のお母さんは絶望そのままに大きく大きく目を見開き

口をあんぐりと開けながらゆっくりと背中を病室の壁に付けた。そして嗚咽音を漏らしながら天を仰ぎ若々しい涙をはたり流れもらした。


 場の支配者は同じようにだが彼女とは違う強さをもって涙を零した。凛のお父さんはへたりと床に倒れ込み、場の支配者から、患者の父親へと立ち戻っていく。

「、、、父さん。一旦休もう。」

「、、ああ。そう、させてもらおうかな。」

健兄が肩を貸し彼の妻の隣の席まで運んだ時、楓のお母さんがゆっくり口を開いた。


 「久郷さん、、、あなただって自分のエゴで、ついさっきまで、娘を殺そうとしたじゃないのよ。」


依然として涙は零れ天を仰いだままではあるがその声には少しばかりの落ち着きが聞き取れる。

 「あなたの、、そのエゴだって、私の愛と、なんら変わりは、無いわ。」

「・・・・」


 「偉そうに、、わたしに、講釈を垂れてるけど、、あなたに、そんな資格、あるのかしら?」


「母さん!止め、ゲホ!」「母さん!」

「おい、楓落ち着け!」「蓮。鎮静剤。」「これだな。」

楓にできる限り即効性の鎮痛剤を打ち一旦落ち着かせる。楓のお母さんは止まることなどなく凛のお父さんを問い詰め続けた。


 「あなただって、ただの、ただの、ただの毒親でしょ、あなたはだって赤ん坊(毒親)よ、認めなさい、認めなさいよォ!」


凛のお父さんは、その場でゆったりと立ち上がりながら薄く狂った笑いを浮かべて口を踊らせる。


 「ええ。もちろん。私は、娘の幸せを応援できない、娘の願い一つ叶える事すらも出来ない、ダメダメの毒親です。貴女の、同類、同類同類同類同類、同類なんですよぉ!」


 狂気と共に思わず顔を引きつらせるほどの破顔一笑を零す凛のお父さん。

「同類なんです!同類!同類!あはっハハハハハハハハ!・・・」

 大笑いを落としたかと思えば、今度は一気に静まり椅子に座り気を失ったかのように眠りこける。

精神的な過労だろうな、今は起こす必要もあまり感じられない。寝かせておこうか。


 もう一つの狂気、楓のお母さんはその様に目を覆い、顔を隠しながら、こちらも沈黙した。

ということは、これでやっとだ。やっと決まった。


「楓、行くか?」


~~~~~~


 私は映画館の扉をこじ開けてからも楓を追いかけ続け小学校の教室と幼稚園の園庭を駆け抜けた。

 「楓!」

楓は最初に通り抜けた幼稚園の扉を乱雑に右側に流しその先に広がる暗闇へ惑うことなく駆けていった。


 私も彼に続き扉の中へ進むと、扉の先は果てのない極黒が広がっているり足場が本当にあるのかすら確かではないが止まる道理はない。

 事実、楓は私よりも20m程進んだところで呆然と立ち尽くしているのだ

そこに辿り着くまでの足場はある。

それだけは確実だ。私は進まなければならない。

一歩ずつ、爪先で足場を確かめながら私は歩みを進める。

楓との距離が約5m弱になったところで、楓は顔を背けながら私に語り始める。


 「俺は、お前の為ならどこにだって。」


~~~~~~~~


 楓は人工呼吸器の中で二っと笑いながら俺に手を差し出してくる。

「行、くに、、決まって、るだ、ろ?」

だいぶ無理してんだろ、楓。もういい。もういいんだ

「そうか。なら。」

 俺は目線で健兄と楓のお父さんに合図を送る

二人は無言で頷きどこからかすっとボールペンを取り出す。そして俺は二人の前にファイルの中から一枚の紙を差し出した。


~~~~~~~


 「だから義兄(アニキ)と父さんは、俺を殺して凛を生かした。」

手をだらんだらんと宙ぶらりんで体側に沿わせ天を仰ぎ肩の荷が下りたようにはきはきと語り続ける楓。


 「そして、それを選ばせたのは俺自身だ。ん?そうか、そういうことか、俺が選んだんだ。つまり()()()()は嘘の判定なのか。ってことは、大好きだったってのも嘘になるな、今も大好きだ。何時だって凛への愛を忘れたことなんてない。」


 その言葉は今日彼から聞いた言葉の中で最も本音に近いであろう言葉だった。

というより、彼自身がとても気楽に話せていた。


 「あとは、凛が愛おしいからってのも、嘘か、そうだな、そうだよな。あれは、、、俺の欲望(エゴ)だ。愛おしいから、死んでほしくないっていうのもある、でも、でもそれ以上に、俺はお前の居ない人生を歩みたくなかった。そうだ。それが本音だ。はは、馬鹿みてぇだな。」


最初から最後まで私に背中を向け続ける彼に近づいていくたびに一歩また一歩と減速し遂に私の歩みは止まる。目的地に、彼の背中に抱き着くことができたからである。


 「楓、もう良いよ。」

抱き着いてその大きな背中に顔をうずめながら優しくわが子をなだめる母親の様に言う。

「凛。どうしたんだ?今日は良いことばっかりだな。」

まるで本当に何事もないように笑ってごまかそうとする楓だけど、今更そんなのに意味なんてない。

「もう良いんだよ。楓。」


~~~~~~


 健兄が俺の差し出した紙にゆっくりと署名を書き入れていく。その紙の上半分には夫婦二名の直筆の署名が書き込まれている。

健兄は黙々と無表情でペンを進めていく。


ふと、何を思ったか、彼はそのペンを途中で止め、机の上にペンを置き、空をすっと見上げる。

署名(これ)が、、殺人行為に、なるなんてな」

健兄の目は本当に疲弊しきっておりそれこそまるで死人の目のようだった。

「ペンは剣よりも強し。とはよく言ったもんだな、、、おじさん。俺は終わった。」

そう言ったタイミングでちょうど彼は書き終えたようで今度は楓のお父さんにその紙が手渡される。


楓のお父さんはその紙を受け取り健兄とは対照的にさっと一気に殴り書くようにして署名を行う。

何一言も言わずして彼は署名を終え、俺にその紙を手渡す。


 「蓮君。いや、春田先生。義娘()を、息子を、よろしく、よろしくお願いします。」


 手渡しながら涙をこらえ力強い握手をする。

その力はそんじゃそこらの患者の握力とさほど大差はない。なんなら多少弱いくらいだ。

そう、力はとても弱いのだ、とてもとても弱いのだ。

であるにも関わらずその握られた手を、俺は動かすことができなかった。

奇術にでもかけられたか、もしくは腕の神経が切れたかと見まごう程の重み。

これこそが親の愛情の重みかと思うと気後れせざるを得なかったが

医師としての矜持で何とか持ち直した。


「、、、はい。俺が、絶対に、、失敗させません。約束します。」


彼に握られた手をひしと握り返した。

白衣をしっかりと整え、意識がだんだんと朦朧としてきている楓を検査室へと連れ出した。


~~~~~~~~


 楓は背中に纏わりついてくる私に構うことなく、饒舌に語り続けた。

あの夏の花火大会は楽しかったとか、高校の修学旅行は寒かったとか。

蓮のプロポーズは情けなくて面白かったとか、紅里のクッキーは何時も美味しかったとか。

本当に他愛もなければ、意味もない話だ。

それでも私はその聲をとうとうと聞き続ける。終わりが近い。解っているよ。解っているよ。

その何気ない瞬間に何気ない会話に颯爽と終わりは訪れた。


 「~~~。、、なぁ凛、()()、見えるか?」


楓の指差す先には、私が本当に最初の一時だけ見た二つの扉が現れている。

一つは童話の中の玄関口のような木製の扉で

もう一つは幼稚園児用、いやもっと小さい子のプラスチック製の玩具の扉。

本当に最初の時だけ見たまんまの姿だ


 「、、、うん。扉が、、二つ。」


 「、、二つ、、。そうか。あれは、、俺には、あれが、死神に見える。デカい鎌を持った死神に。」


ドクン。

 楓から大きく心臓の音が聞こえた。一度きりの大きな心拍音だ。楓は私に向き直り、再びしっかりと肩を自身に抱き寄せながら言い続ける。

「凛。さっきな、カギを拾ったんだ。小さな赤い鍵。、、凛に見えてるのは、二つの扉だろ?多分、どっちかの扉を開ける為のものだと思うんだ。」

楓は何処からともなく赤いプラスチックでできた鍵を取りだし、私の手の中に丸め込んだ。

「うん。あってるよ、多分。多分。」


「そいつは何よりだよ。、、それでさ、扉が二つってことはもう一つ、鍵が必要だろ?」


 「、、そうだね。でも、もう一つの、鍵なんて、何処にも、、、」


私がそういい掛けたところで彼は私をチョンと突き放し、まるで猛禽類が獲物を掴むときの様に豪快に自身の胸を貫き開いた。


 「!!何してるの!?、、楓ェ!」


わたしの放った甲高い張り手の音と共に、私は楓に抱き着きしなだれかかった。


~~~~~~


 姉ちゃんと麻酔科医の先生らと共に楓と凛の検査結果を確認する。

10分ほど話し合ったところ不安要素はあるが充分手術は可能であろうという判断が下りた。

そして院長と手術室の管理者である外科部長に頭を下げて手術許可を貰い、残すところは、楓の最終意思確認と手術に使用する様々な器具の準備のみとなった。

器具の準備に約20分程時間を要すので、先に俺は意思確認を行うことになった。


 検査を終えて検査着のままでベッドに横たわる親友をひしと見つめると。

彼はこちらに気付いたように生ぬるい微笑を浮かべた。


 「よう。Doctor Haruta。、、検査、どう、だって?」

「検査は、まぁ、うん。一応問題なく手術は出来るはずだ。」

「そうか、ハハ、ハハハハハハハハハハハッハ!ゲホゲホゲホ!」

「何してんだ、楓。」

背中を軽くトントンと叩いてやると、楓は落ち着きを取り戻し人差し指を立てながら体を起こした。


~~~~~~


 張り手の真っ赤な跡が彼の頬にひしりと浮かび上がる

その上で私は彼にしなだれかかり彼の腕を無理やりに止めようとする。


だが、彼は自分の胸を大きく開き、まるで奇術師の作った人形の様にがらんどうの中を私に見せる。

 「凛。よく見てくれ。」

楓は開いた胸の中に突っ込んだ手に細長い肉片のようなものを持っていた。

そしてその細長い肉片をブチブチと音を立てて引き抜いて私の手中に押し付けた。

私は一旦楓から離れ、手中の肉片に目を向ける。

すると、肉片だと思っていた手中のそれは銀色に輝く星の形状の装飾が施された美しい鍵だった。

そして楓の方をゆっくりと見上げると、その顔は優しく誇らしい慈愛の笑顔で満ちていた。

彼が私に向けたその優しい表情の中にある苦痛を嚙み殺した皺が酷く寂しいモノに映った。


 「、、、この鍵で、もう一個の扉も開くはずだ。もう、行け、凛。俺の前から消えろ。」


楓は遠慮も思いやりも無い冷徹漢のように私を突き放そうとしているが、その演技で騙しきるには過ごした時間が長すぎたし、彼が私に向けている愛情の量が多すぎた。今更覆い隠しようがないほどに。


 「楓。下手な嘘は辞めて?通用するとでも思ってる?というより、この(くだり)何度目?」


「、、、それもそうだな。悪い。でも、早く行ってくれ。もう、お前の顔は見たくない。」


「なんで、なんで、そんなこと言うのに辛い顔をしているの?、、ねぇ、楓。」


 「俺の、決心が、覚悟が、崩れちまいそうなんだよ。」

楓は腕を大きく払い、同じように大きな声を荒げ私に向かって再度本音を漏らした。


「凛を助けたいと、

()に生きていて欲しいと、

初恋の人()の幸せを願いたいと、

俺が死んでも一生を掛けて愛した女()の未来があるならそれでいいと、

そう本気で思ってんだよ、

でも、でも、でも、でも、でも、でも、でも、俺は、凛の夫で、幼馴染で、男なんだよ。

愛した女の隣で生きたいと、思っちまう。

抑えられなくなる。


だから、、、頼む。頼む。凛。もう、行ってくれよ。凛。」


遂には楓は膝から泣き崩れ今度は楓が私に縋り付く様になってしまった。そんな楓を私は優しく抱き締め、まるで悪魔の様に耳元で囁いた。


 「なら、一緒に行こう?一緒に生きていこうよ!」


楓は私の方を三度見つめた。

そして、ゆっくりと首を、頷かせようとしたその時だった。


 「ダァーメ。それじゃあ、意味がないよ。」


そこで唐突に黒いマントと大きな鎌を持った骸骨、要するに死神が楓の背後に現れた。

彼の目と腹を死神が抱き上げて、楓と私の距離を思い切り引き離す。


「楓!」


 私は引きはがされるのを不服として楓の元に駆け寄ろうと立ち上がったが、今度は死神が私の元に近づき私を優しく突き飛ばし先ほどの私の様に耳元で囁いた。


「駄目だよ。楓の努力を無下にして死にたいの?」


先程聞いたときは特別違和感を覚えることは無かったが、至近距離でとなればまた話は異なる。

私はこの死神の声に異様に聞き覚えがあった

まさか、、、


 「、、、うん。解った。解ったよ」


「うん。相変わらず素直で良い子だね。よしよし。」

私の頭を平然と笑顔で(死神だから顔は見えないけど多分そう)撫でてくる死神の姿を見て、私の中の疑惑は確信へと成る。この死神はあの人だ。


 楓は死神に私から離されながらもその手を振り切り私の元に駆け寄ってきた。

「凛。大丈夫か。」

「、、うん。全然」

私たちはもう一度ひしと抱き締めあい、互いの頼りのない存在を確かめ合った。

「楓。」「凛。」


 「お楽しみのところ悪いけど、そろそろ、お時間だよ。」


死神が私たちを眺めながら優しく残酷な声で言い放った。


それを一度はらりと見つめた楓は直後に私をもう一度強く抱き締め一切の許可を取らず口づけを落とす。

それを抵抗一つなく受け入れ逆に自分から下を絡め彼を受け入れに行く。

約3分弱の蜜月。欲を満たすには少し物足りないが、心を満たすには充分だった。


 「ん、、、凛。さっきの、鍵。あれは、俺からの、最後の贈り物だ、現世(あっち)も無くさないでくれよ。」

「ん。、、分かってるよ。楓。私が、旦那(あなた)からのプレゼント、無くしたことあった?」

「、、、。いや、無いな。要らぬ心配か。」


 そういって、楓は手を私の体から離し、扉の方に行くようにハンドサインを送ってくる。

死神も楓の隣で同じように私を見送っている。

私もそのサインをくみ取り扉へと足を進める。

後ろから楓の歯ぎしりのような音が聞こえたが、聞こえないふりをした。


~~~~~~~~


 落ち着きを取り戻した楓は俺をまじまじと見つめながらゆっくり口を開いた。

「あー、、ありがとう蓮。」

「良いんだよ。今更だし。」

「そうか、、そうだな、今更だな。、、なぁ蓮今更ついでに、」


ガラガラ。

「蓮?いる?」


楓が何かを言いかけたタイミングで俺の妻、紅里が病室に入ってきた。彼女は先程親友である凛の危篤を聞いて職場に無理を言って早退させてもらいこの病院まで走ってきたのだ。

凛の様子を見るとばかり言っていたが、そこから楓の待合室まで来てるところを見るに、もう凛の方は言ってきて抱き締めたりなんなりは終わったのだろう。


「ああ、どうかした?姉ちゃんに伝言でも頼まれた?」

「正解。悠ちゃんがもう準備できたから楓連れて来いって。」

「だいぶ早いな、わかった。楓、用意は良いか?」

「ああ、一応。」

「楓、もしかしなくてもこれで私たち最後になる感じ?」

「、、、そうかも。」

俺がそういうよりも早く紅里は楓の肩を無理やりに抱き締め、別れの言葉を告げる。


 「楓、あっちでも元気でね、ゆっくり凛連れて行くから。」


その熱い抱擁に楓もできる限りの力でしっかりと抱きしめ返す。


「ああ、紅里も、、蓮と、、仲良くな。凛は80年後くらいでいいからな。」


笑いながら、1分ほど抱き締めあい最後に拳をこつんと合わせてからゆっくり離れ、今生の別れを綺麗に締める為か紅里は俺に一言言ってからすぐに病室を出てしまった。

本来、妻がほかの男と熱い抱擁を交わしているところなどあまり見ていて気持ちの良いものではないはずだが、相手が20年来の親友だし、紅里は割と抱き着き癖があるので気には成らなかった。むしろ心温かい優しい慈愛に満ちたものを感じた。


 「、、、じゃあ楓、行くか。」

「応、、、でも、その前に、、一ついいか?」

楓は深刻そうな表情で人差し指を立てて俺に頼みごとをしてくる。

さっき言いかけたのはこの事だろうか。

「ああ、何だ?飯とかは無理だが、俺にできることなら全力でやろう。」


 「、、凛に、凛に会わせてくれ。死ぬ間際にしっかりと魂に焼き付けたい。」


「、、、、分かった。じゃあ、手術室に行こう。そこで会えるはずだ。」

思いが重すぎて一瞬引きそうにはなったが、俺も死の間際にはそうするな、と思い黙っていることにした。


 楓をベッドに乗せて俺は手術室へと急いだ。

ベッドの上で楓はとても穏やかな顔で地面を滑る振動に身を任せていた。

手術室に付くと俺はなるはやで手術の用意をしなければならないので、矢田さんに楓を凛の元に連れて行ってもらうことにした。

髪の毛が落ちないようにしっかりと片手で抑えながら、念のため今回の手術の資料と検査結果に目を通す、、問題はない。もちろん失敗も許されない。親友との約束の為にも、絶対に成し遂げて見せる。


 「俺に失敗はない。絶対に成功する、して見せる。」


俺は握りこぶしを作り自信の持てる握力全てを使ってこぶしを握り締めた。


 「何やってんだこの愚弟が」

「いってぇ!?」


そんな俺を姉ちゃんはハイヒールで俺の背中を蹴り飛ばした。


 「何すんだよ!」

「こっちのセリフだよ。なに医者がガッタガタ震えてんの?一番不安なのは患者と患者の家族でしょ。

医者(私たち)はしっかりと自信をもって安心させないといけないでしょうが。」

 姉ちゃんは俺の拳を指さしながら俺を叱咤し更衣室へと入っていった。


姉ちゃんの指差した拳を見てみると、本当に今までにないほど細かく素早く震え続けていた。


 俺は震え続ける腕をもう片方の腕で強く打ち震えを無理やり止めた。


こんなに腕が震えるのなど何時ぶりだろうか、初の手術以来か?

あの時と同じように腕が震え続けているというのなら、この震えの理由は恐怖だ。

恐ろしいのだ。

自分の手で親友を救い親友を殺さなければならないという責任が。

親友の家族に命の取捨選択をさせてしまったという罪悪感が。自分がこれから殺す友に殺していいのか再度問わなければならないという苦痛が。

この手術のそのすべてが苦痛であり恐怖の対象になっているのだ。


 逃げたい。止めたい。少し辛い。全部素直に言えてたらな。


いや、言えるような状況を求めるな。俺は医者だ。動け。失敗はない。失敗は、ない。


 俺は断腸の思いで覚悟を決め、何とか震えを抑え、手術着に着替えることができた。

そして、聞きそびれた楓の最終意思確認を取るために楓と凛の待つ部屋へと向かった。


 楓たちの待つ部屋の前にいくと扉が少しだけ開いておりその隙間から楓の囁き声が聞こえてきた。

親友とその妻(又親友)の逢引?をのぞき見するのは少し忍びなかったが、邪魔するわけにもいかないので黙って待つことにした。聞こえてくるのは、そう。あくまで偶然である。偶然だ。


 「凛、、大、好き、だぞ。」

アイツ凛抱きながら髪にキスしてやがる。ここ病院だぞ?


「、、、凛と、、まだ、生きたい、けど、凛、が生きる事が、一番だか、らな。」


楓は凛の髪に顔をうずめながら続ける。


「凛、、怒るかもな。、、今生の別れを、、こんなところでなんて。」


髪から顔を上げて自分の胸に凛の顔を押し付けて涙を流した。


「ああ、、、生きてぇ、わらいてぇ、、でも、、生きて欲しい。


だから、、だから、、蓮。凛を妻を、頼む。聞いてんだろ、、、そこにいるんだろ、、蓮。」


バレていたのか。

ここまでくると隠れる理由もないので、俺は素直に扉を開けて楓の元へ歩を進める。


 「蓮、、、お前は、、俺を、殺さ、なきゃ、いけねぇ。つらい、と思う、が、やって、くれ。」

「、、、、、、良いんだな。」

「ああ、、、失敗したら、、化けて出るからな、、へへ。」

「、、失敗はない。安心しろ。」


「信じてるぜ、、春田先生。」


 そう言って、俺達は拳を突き合せた。


ピーピー。


 時計が大きな音を立てて手術の時間を告げた

楓と凛は手術室へと搬入されていく。

搬入される直前、楓は再度俺を呼びつけ、こう言った


 『俺のところに来るなら80年後に酒持って来いよ。』


そう言ってから手術室に入り麻酔科医の手のもと、全身麻酔をかけられた。俺は今一度身辺を整え、姉ちゃんや矢田さんらと共に手術室に入る。


 時計が17時を告げるとともに凛への心臓移植手術、基高藤楓公的殺害手術が開始されたのであった。


~~~~~~~~~


 「、、、凛!!」

楓の歯ぎしりは聞こえないフリができたが、自分の名を呼ぶ声を無視することは出来なかった。

私は反射的に振り向き、楓をしっかりと見つめる。


 楓は自分の胸を左手で掴みながら悲痛な顔で右手を突き出してから拳を握りながら脇腹の方まで戻した。そして一度うつむいて顔を笑顔に変えて楓は優しく強い声で言う。



 「あんまし、、あんまし!早く来るなよ!、、、俺は何時でも、お前のことだけ見てるからな!」



 楓の人生最後の告白は、やっぱり優しくて、愛しくて、美しかった。私も応えなくてはならない。

愛は伝えられるうちに伝えなければならない。



 「楓も、私が来るまでに浮気したら許さないから!一生、貴方だけを見てるから!」



 大きな声で、今だけは自分が世界一だと言い切れる晴れやかな笑顔で、愛を送るよ。

すぐには行かないけれど、早く行ったら怒られそうだけど、いつかは貴方と同じところに行くから。

だから、私が行くまでの数十年分、私の愛を忘れないように。全力で言う。



 「楓!愛してる!一生!愛してるから!!!」



 「ああ、俺も、愛してる!!」


私たちは別れを惜しみすぎないように、言い切ってから直ぐに扉へと駆ける。


楓からもらった星の装飾の鍵と小さい方のプラスチックの鍵を取り出して星の鍵で大きい方の扉を開ける。小さい方の鍵は空中ををくるくると回り小さい方の扉に勝手に突き刺さる。


「楓、またね。」


ガチャり。


扉を開けた先には果てのない水面が続いている。

だが、行き先を迷うようなことは無いだろう、圧倒的な光が太陽がただ一閃に輝いているのだから。

足元が確かなことを確認した私はすぐに足を進めてそのまま太陽の方に駆け出した。

もう、後ろを振り向くことは無かった。


 だが、私の耳には一つの聞き覚えのあるあの声が聞こえてきた。


『ゴメンね。凛ちゃん。ああしないと、あの子の覚悟と愛が無駄になっちゃうから。』


 一方的なテレパシーのようなものだろう、私から返事をすることは出来なかった。

いや出来たのかもしれないが私がその選択肢を取ることは無かった。


『貴方の未来を、私も一緒に見てるよ、楓と一緒にね。健のことも悠のことも。蓮のことも紅里ちゃんのことも。凛ちゃんに子供ができたらその子供のことも。覚えてたらでいいから、伝えてくれない?』


ええ、もちろん。大好きなあなたの頼みだもの。憧れの貴方の頼みだもの。断る理由なんてないよ。


『愛してるよ、いつまでも、いつまでもね。』


その言葉を最後に、死神の声が聞こえることはついぞなかった。

私は、ただ真っすぐに太陽へ向かって駆けた。


ー~ー


俺は凛が扉の中へ駆け出し豆粒になって見えなくなるまでただ後ろから見つめる続けた。


凛が目視で確認できないほどの距離を進みきると扉は役割を果たしきったのか霧散していった。

そして、扉が霧散すると共に、先ほどまではなかった小さい扉が現れ、宙を回るプラスチックの鍵によりココンと音を立てて開いた。


その扉に突如一筋の光が当てられる。

光の出ている先の方を見るとそこには一人の可愛らしい幼い女の子がいた。年は恐らく3歳といかないほどだろうか、本当に愛らしい子だ。


女の子は自分の足でよちよちと扉に向かって進んでいった。


だが扉に向かう途中で死神がその子の行く手を遮った


かと思えば、死神は女の子を優しく抱き上げ、あやすように背中をトントンと叩いた。

女の子も全く警戒なんてせず、ただ死神の抱っこに身を預けているように見えた。


そして、死神はその子を抱えたまま俺の方へ寄ってきて俺に抱き上げろと言ってくる。

女の子も俺に向かって手を突き出しているので逆らう義理も理由もなく俺は甘んじて女の子を抱き上げるる。優しい暖かさが女の子から伝わってくる。

女の子の顔を見ると、凛のような優しく甘く可愛らしい顔していた。そして、女の子は俺に数分抱っこされてから、扉の方へと向かっていった。


扉の前に立ち、自分の手で扉を押しのけ、最後に俺たちの方を向いて手を振ってから扉へ駆けていく。


「可愛い子だったね。」


死神が、いや死神の仮面をかぶった女が俺に後ろから声をかけてくる。


「ああ、かわいい子だった。それに、凛に似てた。」

「あれそう?私は楓に似てたと思うけどな。」

「凛に似てた。」

「昔っから頑固だね、楓。

、、、とはいえ、よく頑張ったよ。あそこで楓が我慢できなかったら二人とも死んじゃってたからね。」


 「手術をどっちがやるか、なんて、もう元から決まってたしもう会えないと思ってたのに、こんなところで会えたんだ。これ以上高望みしちゃいけないよ。」


「高望み。ね?私はそうは思わないけどね。」

女はそう言いながら自分のつけている仮面を取り外して雑にそこら辺にほっぽり投げた。


 「姉さんは、そう、言うだろうと、、思ってたよ。」


 俺は零れだしそうな涙を目頭を押さえて何とか封じ込めた。姉さんは俺を後ろから優しく抱き締めながら俺の抑えきれなかった涙を拭う。


 「、、お姉ちゃんは誇らしいよ。あんなちいちゃかった弟が、こんな奥さん想いの良い男に成ったんだから。凄い凄い。だから、、皆が来るまで、一緒に待てようね。


それと楓。


今ぐらいは、、大声で泣いてもいいんじゃない?


誰だって、こんなこと、寂しいし辛いものだよ。」


 その風体にあわない姉らしすぎるのその言葉を聞いた俺は、もう我慢なんて一切効かなくなってしまった。


 「うぅうあぁあああああああああ!」


大声で泣き大声で別れを悲しんだ。

再び会えるまで、あと何十年必要だろうか、その年月を求める方程式すら、今の俺にはわからないでいる。でも、それでも、耐えるしかない、耐えるしかないのだ。

愛しさがその耐え続ける苦痛をはるかに凌駕し続けるのだから。永遠に。限りなどいらない。


 「愛してる。、、、愛してるぞ!凛!」


~~~~~~~~~~~


 手術はおおむね順調に進んだ。

だが、最後の最後になって想定外の事態が発生する。


けたたましく手術室全体に危険を告げるアラームが鳴り響く。


「右肺から出血です!!」

「出血?!」「ここで!」「吸引急げ!」

「血圧急激に低下しています!」

「吸引行います!」


 俺と姉ちゃんは縫合用の器具をもって出血部位を見つめるが、何処から出血しているのか出血量が多くよく見えない。


 「クソ!どこだ!どこだ!何処だ!」


血眼になって俺は肺のあたりに器具を差し入れる。


 「落ち着け執刀医!焦りすぎるな!そんなに雑に入れたら出血箇所増やすぞ!」


麻酔科医の先生に一喝され、はっと頭が冷静になっていく。


〈失敗したら、化けて出るぜ。〉


楓のあの冗談交じりの言葉もフラッシュバックする。


「そうだ、失敗はない。

失敗はない。」


俺は医者だ。自分の職務ぐらい果たせ。


「あった。縫合します。」


手術はその後も至難を極め、手術のすべてが終わったのは翌朝5時のことだった言う。


~~~~~~~~


 「紅葉(もみじ!)遅刻するよ!」


「はーーい!今行くよ!」

自分の部屋から階段を駆け下りてリビングへと向かう。


 「おはようお母さん!」

「おはよう。紅葉。はい。これお弁当。」

そう言いながらお母さんは私の腹にちょうどいい量のお弁当を手渡してくれる。


 「ありがとう。あれ、お母さん、またネックレスつけてるの?」

そのお弁当をバックに無理くり詰め込みながら

私は実の母の首元に下げられている大きな星型の装飾のネックレスについて話題を振る。


 「前も言ったでしょう?これはお父さんがくれた最後のプレゼントなんだって。」


「それは聞いたよ!悠里(ゆうり)のお父さんと悠ちゃんが手術してくれたやつでしょ!

知ってるよ。」

 その手術で私の父が亡くなっていることもね。

「そう、お父さんが手術の前に最後に渡してくれたのが、このネックレスなの。」

嘘つき。

「でもそれちょっとダサくない?」

「ダサくない!ほら紅葉!早く行きなさい本当に遅刻するよ!」


 「あ!うん!」


玄関で靴を履き鍵を開けて扉をガチャリと開ける

靴置きの上には生前最後の写真である飛び切りの笑顔の父が写っている。


 「お父さん。行ってきます。」

「紅葉ー!」

「はいはーい!行ってきまーす!」


 「行ってらっしゃい!」


ー~ー

ガタン。


 娘が出て行くと共に私一人になった家には果てのない静寂が訪れる。


「、、、最近はあの子も元気で、お父さん達も相変わらずだよ。って、昨日も言ったか。」


私は楓の写真に着いたのか付いていないか程度のホコリを払いながら独り言のようにつぶやいた。


 「フフフ、そういえば、悠里君ね、紅葉のことしっかりと好きだって言えるようになったんだって孫、はまだ先だろうけど、お父さんたちにひ孫を見せることは出来そうだよ。」


ピーピーと洗濯機のアラームが鳴り響く。



「あら、もう終わっちゃったか、、


じゃあ、楓。今日も、これまでも、これからも、愛してるよ。」



私は高い音を立て続ける洗濯機の方向へとゆっくり足を進めた。

しっかりと律動する愛の鼓動が私の人生の確かな日々と幸せを彩り続けるのだった。




本当に最後まで御愛読有り難うございました。


少しでも貴方の一日の楽しみに成れば幸いです。

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