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【 桜の想い出 】

医学部に入学して3か月。

僕らに初めのテストが迫ってきていた。


中間テストは5日間あり、全部で13科目。

テストが終わればそのまま夏休みに突入だ。


再試験にならなければ1カ月以上のロングバケ―ション!

医学部とはいっても大学生だ。

試験の準備にも気合が入る。


そこらじゅうに試験の過去問が出回っていた。

どんな試験内容か知らずして臨むほどバカなことはない。

教科によってはマ―クシ―ト形式だったり、穴埋め問題、解答用紙がただの白紙という完全筆記問題なんてのもあるのだ。



その日、僕と賢治はフェルマの二階で過去のテスト資料の整理をしていた。


「翔ちゃん、すごい量だね……」

げっそりする賢治。


試験資料は膨大な量だ。

しかし過去問はあくまで足掛かり。

山張りや過去問をちょっとやれば受かるような簡単なものでは決してない。

さすがは医学部の試験。


「デジタルデータはいいとして、紙の資料は図書館にスキャンしにいかないとな」

「翔ちゃん、寮に熱い資料があるらしいから今から急いでもらって来るね!」


賢治はそう言うと、さっとフェルマを出て行った。




「翔ちゃん、お待たせぇ~! 追加の資料がこれね」


ドスンっ。

ようやくやってきた賢治は紙資料の詰まった重そうな段ボ―ルを机の上に置いた。


「げ、まだこんなにあんの?」

僕は大きなため息をついた。


「ね、こんなにあると大変だよねぇ。ふんふんふん♬」 

げっそりする僕とは反対に何やら楽しそうにする賢治。


「なんだよ鼻歌なんか歌っちゃって。なんかいいことでもあったのかよ」

「ふふ―ん♪ 最近仲良くなった寮生の子とちょっといい感じなんだぁ♪」


彼女大募集中の賢治。

嬉しそうに満面の笑みを浮かべていた。





数時間かけてようやく資料整理が終了。


「翔ちゃん疲れたぁ~。ちょっと寝てもいい?」

賢治はそう言うとソファ―にゴロンと寝転がった。



僕はいつもの席でゆっくりコーヒーを飲んだ。

窓の外を眺めたが桜並木にいつものあの子はいなかった。


この席に座ると僕は無意識に彼女の姿を探していた。

いつの間にかそれが僕の日課になってしまっていたようだ。


何をするわけでもなく、ただただ桜の木を見上げる彼女。

どうしてそこにいるのかずっと気になっていた。


次に桜並木で彼女に出会ったら意を決して話しかけてるか?

彼女のそばで落としてきっかけを作ってみるとか? 


実際声をかける勇気もないくせにここから彼女を見かける度に僕はそんな事を考えていた。


今は7月。

桜咲く季節ははまだまだずっと先のこと。


満開の桜を見たら彼女はどんな顔をするんだろう? 

優しい笑顔? 

それとも、飛びっ切りの笑顔だろうか。


僕は彼女の表情を勝手に想像してはあれこれ想い浮かべたりしていた。



大学病院ができた時からあるというこの桜並木。

この桜並木は幼い頃の僕とおじいちゃんの大切な思い出の場所でもあった。



あれはまだ僕が幼かった頃のこと。

母の宝物を壊して泣きじゃくる僕をおじいちゃんはこの桜並木に連れだした。


「いいかい、翔。どんなものにも必ず〝寿命〟があるんだ」

「じゅみょう?」

幼かった僕は訳が分からずおじいちゃんに聞き返した。


「そう、人でも物でも何にでも形あるものにはいつか必ず終わり来るんだよ。でも、だからといって粗末に扱っていいというわけじゃないんだ。ものを大切にするということは大事なこと。大切にしようという気持ちをいつも忘れちゃいけないんだよ」


おじいちゃんは、僕の頭を優しく何度も何度も撫でた。


まだ風が冷たい4月。

おじいちゃんの手はちょっとゴツゴツしていたがとてもとても温かかった。


「見てごらん、きれいだね……」

うっとりと桜を見上げたおじいちゃん。


「桜の花は美しい。でもこの花の命はとても短くとても儚いんだ。翔、この国の人はね、桜の花をとても大切にしているんだよ。一年に一度、この花が咲くのをみんな心待ちにしているんだ。何かを大切にするということは形に残ることや目に見えることだけじゃない。おじいちゃんは翔に、思いやりのある心の優しい子になってほしいなぁ」


そう言っておじいちゃんは、ベソをかいていた僕に肩車をしてくれた。


目の前に一気に迫る満開の桜。

風に揺れる桜から、たくさんの花びらがヒラヒラヒラヒラ舞い落ちた。


僕は思わず花舞う桜に向けて両手を大きく広げたんだ。


今でもあの美しい光景は忘れない。


薄紅色の小さな花――――。


それはまるで自分を柔らかく包んでくれる大きな優しさのようで、とても不思議な気持ちになったのを覚えている。


「翔、お母さんに謝りに行こう。きっと許してくれるから」

そう言うと、おじいちゃんは僕を肩車したまましばらく満開の桜並木を歩いてくれたんだ。


今でも時折、僕はあの時のことを思い出す。


あの時感じた不思議な気持ち。

僕の大好きなおじいちゃんの言葉。


それらは僕の中に、今でもしっかり残っていた。



彼女にもそんな特別な思い出でもあるのかもしれない、そう思った。




「ぐぁっ!」

自分のいびきで目を覚ました賢治。


「ん―、翔ちゃ―ん、お水――」


「俺はお前の母さんか!さぁ賢治、図書館行くぞ!」


賢治を叩き起こすと僕はまとめた資料をカバンに突っ込んだ。

お読みいただきありがとうございます!


また、誤字報告をくださった皆さま、ありがとうございます。


ブックマークや評価、感想を頂けますと励みになりますので、どうぞよろしくお願いします.。.:*☆


次話【 図書館で 】 毎週水曜日 12時更新予定です。

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