【 心の歪み 】
図書館裏の小さな公園から上がった一筋の煙。
その火元にいたのは空ちゃんだった。
炎の前で燃え行く写真をぼーっと眺めながら次々と写真を火にくべていく彼女。
「空ちゃん、こんなところで何してるの!?」
「なんでこんなこと‥‥っ。それは君にとって大事なものなんじゃないのか?」
僕はとっさに空ちゃんの手首をつかんでいた。
「何すんだよ、離せっ!離してよっ!」
家族の思い出や美しいきれいな景色。
火にくべられたその写真たちは見る見るうちに焼けていく。
「大事な写真を燃やすなんて、ヤケでも起こしたのか?」
「なんだよ!離してよっ」
僕の手を必死に振りほどこうと暴れる空ちゃん。
だが、相手は中学生の女の子。僕の力にはかなわない。
僕は彼女の両腕を優しく掴み、その手に少し力を込めた。
「空ちゃん、少し落ち着いて。ここで何をしてたの?」
春花も駆け寄りなだめようとした。
彼女は春花の言葉にもそっぽを向きだんまりを貫いた。
「もうこんなことしないって約束できるか?火事にでもなったらどうするんだ。病室を抜け出したり、こんなことまで。どれだけみんなが心配してるかわかってるのか?」
その言い方がキツかったのか。
僕の言葉に空ちゃんはクシャッと顔をゆがめた。
そして間髪入れずこう言った。
「ハッ、笑わせないでよ。誰も私の心配なんてしてないくせにっ!」
「そんなことないよ。みんな本当に心配してるんだよ」
優しく寄り添おうとする春花。
でも必死に訴えかける春花を前に、彼女は心底嫌気がさしたと言わんばかりの顔をしたんだ。
その表情に僕の心はザラっと嫌な音を立てた。
「あーあ、大人って本当に面倒でかわいそう。どうせ大人の責務ってやつなんでしょ。わかってるから。何かあったら責任取らなきゃいけないもんね。みんなして心配するふりしなきゃいけないなんて本当に大変ですねー」
投げやりでぶっきらぼう。
面倒くさそうに言い放たれたその言葉。
僕は一瞬、自分の耳を疑った。
これが中学一年生の女の子の言葉なのか。
これから先にたくさんの未来と可能性を秘めているはずの、そんな若者の言葉とはとても思えなかった。
この吐き出された言葉の奥底にどんな想いが隠れているのか。
あらゆることを諦めているというか、大人や将来への絶望感というか。
ただ大人ぶっているというわけではないと僕は思った。
「どうしたの?いつもの空ちゃんらしくないよ?」
驚きながらも優しく声をかける春花。
「心配するふりなんてしなくていいって。どうせ病室抜け出したって頼る当てなんてないしどこにも行きやしないよ。火事も起こさないし迷惑もかけない。だから私のことは放っておいて」
ここ最近ずっと空ちゃんのことを気にかけていた春花。
こんなに親身になって心配しているのに、その春花に対してこの言いようだ。
「本気で心配してるんだよ。なんで君はそんな風にしか受け止められないんだ」
強い口調とともに、つい手にも力が入っていた。
無意識に感情を空ちゃんにぶつけてしまっていた。
一瞬ひるんだ空ちゃん。
「う、うるさいな。あんたになんて関係ないでしょ。離してよっ! 腕痛い! 早く離せよっ!」
大声で叫びながら空ちゃんが全力で僕の手を振り解こうとしたその時だった。
「うっ‥‥」
急に力が抜けたと思った瞬間、空ちゃんの顔がゆがんだ。
「おい、どうした?」
「そ、空ちゃん?」
慌てて彼女の顔を覗き込んだ僕と春花。
みるみるうちに青ざめていく顔色。
「うっ‥‥、ううっ‥‥」
僕が手を離すと急にお腹を押さえ、空ちゃんは突然倒れ込むようにその場にしゃがみ込んだ。
「い、痛い‥‥。お腹‥‥、お腹が‥‥痛いよぉ‥‥っ」
痛がり方が見るからにひどい。
「大変っ。翔くん、急いでもどろう」
「春花、空ちゃんがなんで入院してるのか知ってる?」
「えっと、たしか胃腸炎の疑いだったと思う。検査しても問題ないからもうすぐ退院できるだろうって言ってたのに」
「胃腸炎か。でも異常がないのなんでこんなに痛がってるんだ‥‥?」
でも冷や汗をかき、仮病になんて決して見えない。
のんびりしている猶予はなさそうだ。
僕と春花は顔を見合わせ頷いた。
「空ちゃん、俺の背中につかまれるか?」
「う‥‥、うう‥‥」
手にも力が入らない様子だ。
慌てて燃え盛る炎に足で砂をかけながら、僕は空ちゃんを背中におんぶした。
まさか容体の急変か?
何か検査に引っかからない別の病気が隠れていたとか?
僕らはまだ医学部の2年生。
知識も足りなければ何もできない。
「空ちゃん大丈夫?俺の声聞こえるか?」
背中に体温を感じながら僕は声をかけ続ける。
「大丈夫、うなずいてるよ」
「春花、須藤先生に連絡して。このまま病院に戻ろう」
「うん、今呼び出してる。‥‥もしもし、須藤先生 ? 今外なんだけど空ちゃんが急に苦しみ出して‥‥」
さすが春花。
すでに須藤先生へ連絡していた。
病院まではわずか数百メートル。
こんな短い距離なのに異様に長く感じてしまう。
空ちゃんを背中におぶり、揺らさないように静かに、それでいて大急ぎで僕らは桜並木を駆け戻った。
「すみません、救急で患者さん通ります。すみません、通してください」
僕の少し前を行き、病院の廊下を春花が先導する。
「春花ちゃん、糸倉君、こっち。こっちへ。そのまま空ちゃんは診察台に」
いつもの顔知った看護師さんの指示で僕らは処置室へ。
「空ちゃん、すぐ先生来るから大丈夫よ」
痛みにゆがむ空ちゃんの顔。
優しい声掛けに小さくうなずくが見るからに痛みはひどそうだった。
「春花、僕らはひとまず外で待とう」
「うん、そうだね‥‥」
処置の邪魔になってはいけない。
しばらく外で待つことにしたが、心配と不安からか春花はしばらく黙ったままだった。
きっと大丈夫。
そう言い聞かせても幼馴染のそうたの病気とずっと向き合ってきた春花にはこういう状況はきっと人一倍キツイに違いなかった。
「春花ちゃん、糸倉くん、入っていいわよ」
しばらくして処置室のドアがゆっくりと開くと看護師さんがひょこっと顔をのぞかせた。
空ちゃんは鎮静剤をうち何事もなかったかのように中で静かに眠っていた。
「2人には心配かけたね。もう大丈夫だよ」
須藤先生のいつもの優しい表情に僕らはホッと胸を撫で下ろしたのだった。
後で教えられたのだが、空ちゃんの病気は『過敏性腸症候群』 というものだった。
消化管が刺激に対し非常に敏感になり不快症状が出る病気で、症状は様々。
長期にわたり下腹部の腹痛や下痢、便秘、膨満感、時には吐き気をもよおすこともある。
学校で授業を受けようとしてもお腹が痛い、気分が悪い、そんな症状が日々続く。
それ自体は命に直接関わるものではないが日常生活に大きな影響がでてしまう病気なのだ。
普通、病気というのは検査をして異常が見つかり診断が下りる。
だが、この過敏性腸症候群という病気は検査結果に異常が出ないのが診断の根拠となる。
それでいて食べ物や食べ方などの習慣やストレスや不安などの感情的要素など、原因がはっきりしない治療の難しいとても厄介な病気なのだ。
『どこにも異常はありませんね』 医者にそう言われれば
『なんだ、大丈夫じゃない』 誰もがそう思うだろう。
実際の病気の苦しみや痛みがなかなか周囲の人にわかってもらえない。
それがこの『過敏性腸症候群』という病気の恐ろしいところなのである。
空ちゃんの "大人や将来への諦め" ともとれるあの態度。
もしかしたらこの病気のせいもあるのかもしれない。
もしかしたら、人にはわからない辛い思いを彼女はこれまでにしてきたのかもしれない。
空ちゃんのあの年齢にそぐわない行動や態度を思い出しながら、そんなことを僕は考えた。
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次回 【 病気の裏側 】
都合によりしばし更新期間をいただきます。
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