【 タバコの煙と病院のボヤ 】
須藤先生たちと別れ、病院を飛び出した僕は病棟の建物周りをぐるっと回るともと来たフェルマの方へ自転車を走らせた。
探しているのは中学生。
14歳の女の子だ。
目立つところにいるとは限らない。
どんな理由で病院のを抜け出したかは知らないが、桜並木の暗がりに蹲っていたさっきの女の人のように物陰に隠れていたら見逃してしまうかもしれない。
僕は自転車の速度を落とし、目を凝らしながらじっくり女の子を探した。
桜並木にさしかかかると、電球の切れた暗がりの中に小さな光がチラついて見えた。
「あの人、やっぱりタバコ吸ってたのか……」
油断していた僕も悪いのだが、さっきは本当に驚いた。
誰もいないと思っていた暗がりに突如フッと現れた女性。
僕は一瞬、幽霊でも見たのかと本気で肝を冷やしたのだ。
煙をモクモクと漂わせ、指先ではホタルの光のように小さな光が付いたり消えたり。
人目を避けるように暗がりにまみれ若い女の人が何をしているのかと思えば、いわゆる "紙巻たばこ" を吸っていた。
普通の"たばこ"のことだが、体に悪いと言われながらも未だ愛煙家には絶大な人気を誇っている。
健康被害への配慮から電子タバコというものもあるがその普及は ボチボチ といったところらしい。
授業の講義でも取り上げられたことがあったが、たばこというのは吸っている本人だけでなくそばにいる周囲の人間へも被害が及ぶ代物だ。
喫煙者の口から吸い込まれるものが主流煙、先端の点火部分から立ち上る煙が副流煙。
その煙に含まれる成分はどちらもほぼ同じといわれるが、驚くことに副流煙の方が多くの有害物質を含むそうなのだ。
僕はたばことは全くもって無縁な人間だ。
喫煙者と非喫煙者を分ける ”分煙” が進んだ昨今、身近な人がタバコを吸わない限り街中で副流煙にさらされることもそうそうない。
「まぁ、周りに害を及ぼさなきゃ後は吸ってる本人の自己責任だよな……」
僕はそうつぶやくと、念のため生身の人間であることを確認すべく女性のそばをゆっくりゆっくり走り抜けた。
フワッと漂う煙たいにおい。
一瞬だがその人とばっちりと目が合った。
黒っぽいフードをかぶり闇にまみれてはいたがその人は違いなく、ちゃんと実体のある人間だった。
派手目なメイクに不自然にぱっちりとした二重。
暗がりでもわかるほどの濃いアイシャドウ。
「めちゃくちゃ睨んでたな……」
僕はそのどぎつい眼光で睨まれたのだ。
僕からすれば暗がりにまみれている彼女の方が不審者だが、若い女性からすればフラフラと自転車で周りをウロウロする僕の方が怪しい奴だったのかもしれない。
「さ、そんなことより空ちゃんだ!」
気を取り直し、僕は病室を抜けだした少女探しを再開した。
フェルマの前を通り大通りを抜け、病院の周りをぐるりと走った僕。
近くにある小さな公園やコンビニにも立ち寄ったが空ちゃんらしき中学生の女の子は見当たらなかった。
薄暗い小道も念のため見て回ったが見つからない。
そしてそれは、僕が諦めて病院に戻ろうとした時だった。
ブブブブブブブっ
ブブブブブブブっ
僕の携帯がポケットの中で震えたのだ。
須藤先生からの着信だった。
「はい、糸倉です」
『あ、翔君! 空ちゃん無事見つかったよ! 』
「見つかりましたか!それならよかったです。学会の準備もあって大変だと思いますが、先生もあまり無理しないでくださいね」
ただでさえ学会の準備で忙しいのに自由奔放な患者さんの振り回され、先生も踏んだり蹴ったりだ。
須藤先生の通話を切ると、僕はゆっくりと帰路についた。
そしてその夜、僕は過去の夢を見た。
それは大学一年生の冬、雪降る中凍えそうになりながら必死に春花を探し回ったあの時の夢だった。
きっと空ちゃんを探し回ったことで頭の奥にしまい込んだ記憶が刺激されたのだろう。
あの頃の春花は病気で苦しむ幼馴染のことを思い悩み相当に追い詰められていた。
春花とそうたの置かれた状況を知り、悲しみとショックで心が潰れそうになったあの時の感覚。
今はそうたも回復に向かい比較的春花もそうたも穏やかな生活を送っているが、あの時の泣きじゃくる春花の表情はどうにも忘れることができないでいた。
翌朝。
目覚めた後も過去の夢だとわかっているのにそのぶり返した感覚はリアルに僕の胸に残っていた。
「ふぁ~ぁ」
その日、僕は講義の合間に大きなあくびを何度となく繰り返していた。
「翔君が大あくびなんて珍しいね。寝不足?」
隣に座っていた春花が心配そうに僕の顔を覗き込む。
パッチリとした大きな瞳に薄く淡い色を添えた瞼。
トクントクンと心臓の音が鳴り響く。
春花のその可愛らしい表情に今でも僕は心中ドキドキを繰り返す日々だ。
階段教室での講義の時は固定された長椅子で席を詰めると特に隣との距離が近くなる。
須藤先生と親しい春花だが、どうやらさすがに昨日の空ちゃんの一件は知らないようだ。
「昨日ちょっとした騒動があってさ。疲れてたのにあまり眠れなくて‥‥」
「ちょっとした騒動?フェルマで何かあったの?」
春花がそう言って首を傾げた瞬間だった。
ジリリリリリリリリリリリリリリ!!!!!
病棟の方からけたたましい火災報知器サイレンが鳴り響いたのだ。
「またサイレン?」
「ここのところよく鳴ってるよね」
ざわつく教室内。
「火災報知器壊れてるんじゃない?」
「誰かがトイレでタバコでも吸ってるんだろ」
そこかしこで生徒がそんなことを口にしていた。
確かにここ最近よく火災報知器が鳴っていた。
そして決まってしばらくするとそのサイレンは鳴りやむのだ。
「はいはい、何事もないようだし授業再開します。みんな静かにしなさい」
授業中に何度も鳴り響くサイレン。
その度に授業が中断し集中力が途切れるのだ。
全くもっていい迷惑だ。
でもその時の僕はまだ知らなかった。
このサイレンは誤報などではなく、入院患者のとある少女によって引き起こされた連続ボヤ騒動だったということを。
そして、この事件に知らず知らずに関わってしまっていたことに僕はまだ気付いていなかった。
次話 【 やさぐれ少女とどぎついメイク 】
11月20日更新予定
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隔週水曜日 お昼更新予定です




