【 まだらな記憶 】
コンコンっ！ ガラガラガラ～。
「よ、そうた！遊びに来たぞ～！」
そうたが目覚めてから、僕らは授業が終わると日課のように病室を訪れた。
「あら、いらっしゃい。そうた、よかったわね、みんな来てくれたわよ！」
「あ～！あぁ〜！」
そう、そうたはこんな風に僕らの顔を見るなりいつも声を出してはしゃぐんだ。
「みんなと遊ぶのがよっぽど楽しいみたいね」
そういっておばさんも嬉しそうにしてくれる。
固まっていた筋肉が少しずつほどけ喜怒哀楽がはっきり出るようになると、そうたはよく声を出すようになっていった。
どうやら気を許してくれているようでいつの間にかすっかり仲良くなった僕ら。
そして特に賢治と井上の姿を見るとそうたは喜んだ。
それもそのはず……。
「賢治、いざ真剣に勝負じゃ～！」
「受けて立つ～、勝負勝負～！」
「せーのっ、変顔 勝～負っ！」
「あははははっ！ 賢ちゃん、ひっどい！ ぶっさいく―――っ！」
三田さんはいつも大爆笑。
振り返った二人の顔は、まったく本当にひどいもの。
「お前ら本当にそんな顔になっちまうぞ……」
思わずそう言ってしまいたくなるほどの変顔なんだ。
「えへ！ へへへへ～！」
でもそれを見て嬉しそうにバタバタ体を動かし喜ぶそうた。
そうたは井上と賢治の変顔が大好きなんだ。
まだ体はあまり動かなくとも、そうたは興奮して声を出してよく笑っていた。
たまたま見た賢治の変顔にそうたが反応したことからはじまったこの変顔勝負。
無理に体を動かすのではなく自分から動こうとするそうたの姿がそこにはあった。
まぁ、やめるにやめられなくなったというのが本音だが、みんなそうたの喜ぶことがしたかったんだ。
「そうた、これわかる？ 高校生のサッカーの試合の時の写真よ」
早く色々な記憶を取り戻してほしい。
おばさんは機嫌のいい時を狙ってよく写真を見せたり、昔のことを話しているようだった。
その甲斐あってか少しずつ記憶を取り戻していったそうた。
でもしばらくたった時だった。
「そうちゃん、春花だよ。今日の調子はどうですか？」
いつものように病室につくなりそうたに明るく話しかけた春花。
「ゔゔゔぅ………」
そこにはあまり見たことのない困惑した表情が。
それはあからさまだった。
そうたが突然、春花を拒絶するようになったのだ。
「そうちゃん……？ 春花だよ……」
その後も春花の顔を見るなり嫌がるような顔をし続けたそうた。
なんと、そうたの記憶には春花のことがすっぽりと抜け落ちてしまっていたのだ。
呆然とする春花。
運命とはなんて残酷なものなのだろう。
よりにもよってどうして春花だけ……。
そうたを静かに見つめる春花の横顔。
その寂しそうな表情。
締め上げられるような強い痛みに呼吸が乱される。
僕の胸には深く深くえぐられるような感覚が残っていった。
「春花ちゃんごめんね。私が急いて無理に思い出させようとしたからかもしれないわ……」
記憶を取り戻させようと昔の写真をよく見せていたおばさん。
当然そこにはいつも春花の姿があったのだ。
自分の記憶にない春花の存在。
二人は幼馴染で仲良し。
写真の中には自分の隣りに肩を並べ笑顔で笑う春花……。
当然のように繰り返される春花と自分との昔話……。
そうたはきっと混乱してしまったのだろう。
ずっとそうたのことを想い続けていた春花。
他の人には普通に接するそうた。
後から仲良くなった僕らに向けられるそうたの笑顔。
そのことに気づいた時の春花のショックはそれはそれはひどいものだった。
「春花ちゃん。きっとまだまだそうたの記憶はまだらな状態なんだと思う。あまり無理強いせず、じっくり待とう……」
「……うん……」
静かにそう答える春花。
その姿はまるで感情を抜き取られたかのようだった。
須藤先生は、何度も何度も春花を慰めるようにそう言った。
抗ＮＭＤＡ受容体抗体脳症は記憶の戻り方も人それぞれだという。
後遺症の具合にもよるのだろうが、記憶があいまいでまだらにしか記憶が戻らない人もいるという。
自分だけ思い出してもらいない先の見えない状況。
出来ることはにただひたすら待つことだけ。
「春花……、大丈夫？」
できるだけ春花に寄り添うようにしていた僕。
「まだ目が覚めたばかりなんだもんね……。心配かけてごめんね……」
春花は時々そっと僕にもたれ掛かり、静かに感情を押し殺していた。
それは冬の寒さ続く中、蝋梅のつぼみがわずかに膨らみ始めたころのことだった。
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次話【 奇跡の桜 】 7月17日更新予定
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